「慰安婦」裁判で日本政府は「主権免除」を韓国に主張できない 「慰安所」経営は「主権行為」だったと認めるか? 杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史) 2021年01月22日 https://webronza.asahi.com/culture/articles/2021012100005.html 2021年1月8日、元日本軍慰安婦が反人道的被害に対する損害賠償を求めて提訴した裁判の判決が、ソウル中央地裁で出された。それは、日本政府へ1人あたり1億ウォン(約950万円)の賠償金の支払いを命じるものだった。 だが当事国である日本の外務省は、同日、駐日大使を通じて韓国政府に対して次のように「伝達」した。 「……ソウル中央地方裁判所が、国際法上の主権免除の原則を否定し、原告の訴えを認める判決を出したことは、極めて遺憾であり」云々(強調筆者)。 これまで日本政府は、事あるごとに韓国は「国際法に違反している」と、くりかえしてきた。だが例えば「徴用工」問題では、国際法に違反しているのはむしろ日本政府であると、私は以前に論じた。
徴用工問題では、日本政府こそ「国際法違反」を犯している https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020112400007.html 今回はどうなのか?
今回は、漠然と「国際法」と言うのではなく、「国際法上の主権免除」と外務省は述べた。それは何を意味するのか。 なお以下、繁雑になるのを避けるため、「慰安婦」「慰安所」は括弧をつけずに記す。 国家免除(主権免除)とは 「主権免除」とは一般に聞きなれない言葉である。ここでは、以下に論ずる国家「行為」の区分を考慮し、誤解を避けるために「国家免除」という言葉を使うことにする(いずれも国際法の分野で同義の言葉として使われる)。 さて国家免除(主権免除)とは、「国がその行為……について、外国の裁判所の裁判権に服することから免除される」、という法理を意味する(飛澤知行編著『逐条解説 対外国民事裁判権法――わが国の主権免除法制について』商事法務、2頁)。 オスプレイの低空飛行訓練に反対する集会で抗議の風船を上げる参加者たち=2013年4月22日5日午後2時37分、山口県岩国市 拡大米軍機オスプレイの低空飛行訓練に反対する集会=2013年4月22日、山口県岩国市 例えば米軍が基地周辺で、轟音を発する危険な低空飛行訓練を行っており、周辺住民がこの差し止めを求めて提訴したとしよう。そして裁判所がこれを認めて、訓練の停止ないし変更をアメリカ政府に求めたとしよう。だが訓練が、アメリカが国家として行う行為である以上(軍の行為はそう見なされる)、同政府は当事国裁判所の命令に従わなくてよいとされる。これが国家免除の法理である。 だが、この法理には国の行為の性質(次項)に応じた限定が必要であり、またこの法理自体に制限を加えようとする国際的な流れが生まれている。だから、外務省の「伝達」には少々問題がある。少なくとも一定の条件づけをせずには、「伝達」のように主張することはできない(外務省はそれを知っているであろうが、官邸への忖度の結果、あたかも問題がないかのようにふるまっているのであろう)。 主権行為と業務管理行為の区別 大まかに見て19世紀には、国家の行為はすべて他国の裁判権から免除されると、暗黙裡に見なされてきた。だが、19世紀後半〜20世紀にはむしろ全面的な国家免除の弊害を認めて、いかなる種類の行為が他国の裁判権から免除され、あるいは免除されないかが、問題にされるようになった。 19世紀、国家が他国との関係で行うのは、領土交渉、支配・被支配に関わる駆け引き、同盟へ向けた協議等、あくまで政治的なものだったが、資本主義の発達とともに、じょじょに私人もしくは私企業の行為に近い、通商的な行為(*)まで行うようになった。国際法では前者を「主権行為」、後者を「業務管理行為」と呼ぶ。 *現代の例として国際法学者・岩沢雄司氏は、「軍隊の物資購入契約、外交に関する行為(大使館建設のための資材の購入契約など)、災害復興のための食料・物資の購入契約、公的債務」などをあげている(総合研究開発機構編『経済のグローバル化と法』三省堂、65頁)。 ところで、今日国際慣習法として成り立っているとされる「国家免除」とは、主権行為・業務管理行為をあわせた国家の行為全般が、ではなく、前者の主権行為が、他国の裁判権から免除されるという、限定された法理と見なされるのが普通である。 つまり、外務省は国家免除が国際法の確たる原則であるかのように記すが、それはせいぜい主権行為について言えるだけであって(後述のようにこれにも限定が必要である)、現今の国際慣習法では、業務管理行為にはむしろ国家免除は適用されない場合が多いのである。 慰安婦訴訟の場合 元慰安婦の女性たち=14日、韓国京畿道広州市のナヌムの家、東岡徹撮影 2015年 拡大元慰安婦の女性たち=2015年、韓国京畿道広州市のナヌムの家 さて韓国裁判所によって問われたのは、慰安所の設置・運営・管理(以下「慰安所経営」)である。だがそれは日本国の主権行為だったのか、業務管理行為だったのか。またそのいずれであれ、関連して何が問題となりうるか。 慰安所経営が主権行為の場合 第1に、それが軍の行為つまり国家の主権行為なら、外務省の「伝達」が前提したように、日本は国家免除を主張できる。つまり日本政府は韓国の裁判権から免れる。 だが慰安所経営=主権行為という認定は、それ自体を否定する日本政府の姿勢――ことに第1次安倍政権(2007年)以降の――とはなはだしく矛盾する。そうであれば、慰安所経営=主権行為という認定を、日本政府は受け入れることはできないであろう。 念のためつけ加えれば、主権行為であろうと、無条件で国家免除の対象となるわけではない。例えば「新横田基地公害訴訟」判決(2002年)で、最高裁は地位協定および日本政府によるその解釈・運用を下に、国家免除の法理を根拠に米軍の傍若無人を許したが、ヨーロッパでは、地位協定・補足協定および各国政府によるその解釈・運用を下に、国内での米軍の活動に厳しい姿勢がとられている(伊勢ア賢治他『主権なき平和国家――地位協定の国際比較からみる日本の姿』集英社クリエイティブ)。主権行為であろうと、国家免除の特権が単純に享受できる時代ではもはやない。 慰安所経営が業務管理行為の場合 第2に、慰安所経営は軍固有の行為(軍事的作戦・武器を介した戦闘等)ではなく、しかも行為者は軍人であるより軍属であり、その性質上私人でも行いうる。だから慰安所経営は業務管理行為とも見なしうるが、そうなるとこれには国家免除は適用されない可能性がある。とすれば、この点で日本政府の思惑ははずれるであろう。 けれども軍属の営みとはいえ、軍隊という国家中枢機関に属す吏員のものである限り主権行為と見なされて、国家免除が適用されるかもしれない。だがそうなると、再び日本政府の姿勢と矛盾することになる。 なお話を単純化したが、慰安所経営には、軍以外にも領事館・憲兵・外務省・総督府まで関わった以上(林博史『日本軍「慰安婦」問題の核心』花伝社、54-5頁)、やはりこれは単なる業務管理行為を超えていると判断されるだろう。 慰安所経営が民間業者の行為の場合 第3に、慰安所経営が民間業者の行為であれば、日本政府の主張と整合的となるが、そもそも民間業者の商行為に対して国家免除の法理を持ち出すのは場違いである。なのに、外務省が「国際法上の主権免除の原則を否定し」云々と主張したとすれば、それは本来異常なことである。慰安所経営は民間業者が行ったという確たる認識があるのなら、外務省は韓国政府に、「慰安所経営に日本政府は関わらなかった」と伝達すべきだった。 もちろん、民間業者が慰安所経営の主体だったとしても、同経営は当時でさえ婦人/児童の売買禁止条約、奴隷制度(強制労働)廃止条約等、各種国際法に違反していた以上、それを放置した日本政府の不作為が問われる。国家機関のものであれば、不作為もまた主権行為と見なされるが、そうなれば日本政府の不作為もまた国家免除の対象と認定されうる。だがそれは、日本政府には慰安婦制度に対する責任はないとする日本政府自身の見解と、矛盾するであろう。 国家免除をめぐる近年の動向 なお、業務管理行為に国家免除の例外を認める流れは、国あるいは条約によって業務管理行為のどこまでを例外とするかに差があるものの、今日、国際慣習法になっていると言って過言ではない(飛澤前掲書2-3頁)。 学術的には、主権行為に関する国家免除という法理をより制限しようとする問題意識も広がっている(例えば水島朋則『主権免除の国際法』名古屋大学出版会、その他)。 それは、国家の主権行為であろうが――いやむしろそうだからこそ――犯された各種の不法行為から被害者個人を救済するために、被害者の「公平な裁判を受ける権利」を保障しようとする国際的な流れに位置づけられる。それを後押ししたのが、2005年に国連総会で採択された「基本原則と指針」――「国際人権法の重大な侵害・国際人道法の深刻な侵害の被害者の救済および賠償を受ける権利に関する基本原則と指針」――である。 徴用工問題では、日本政府こそ「国際法違反」を犯している そもそも国際法の進歩は国内判決の積み重ねから生まれるのが普通だが、そうした国内判決の例も出始めている(今回の判決もその一環と見なされる)。そして、「国家免除」の法理をあえて用いていなくても、前述した欧州での「地位協定」の運用に見られるように、実質的に主権行為の国家免除を制限する動きも確認できるのである。(つづく)
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