戦争より恐れられた病 Posted October. 25, 2018 09:24, http://www.donga.com/jp/article/all/20181025/1516046/1/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%88%E3%82%8A%E6%81%90%E3%82%8C%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%97%85 昨今、インフルエンザは、1本のワクチン接種でそれほど心配しなくて済む病気だが、100年前までは、人類の歴史を揺るがした恐怖の病気だった。特に1918年に発生したスペイン風邪は、第1次世界大戦とかみ合って流行し、5000万人以上の命を奪った大災害だった。オーストリアの将来を嘱望されていた若い画家エゴン・シーレも、その災いを避けることができなかった。
シーレは、クリムトを凌ぐ才能が認められた天才画家であり、赤裸々なエロヌード画で20世紀の初め、ウィーン美術界を揺るがした問題作家でもあった。死への不安と恐怖、性的欲望をよどみなく表わした彼のヌード画は、しばしば芸術とわいせつの間で激しい論争をまき起こした。 1915年、シーレは4年間一緒に暮らした貧しい恋人の代わりに、中間層出身のエディトと結婚した。結婚から4日後、第1次世界大戦に徴兵されたが、軍でも才能を認められ、いくつかの展示会に参加して名前を知らせた。1918年は彼の名声がピークに達した年だった。ウィーン美術界の巨匠クリムトの死亡後、3月に開催された「分離派」の展示会で、シーレは作家として大成功を収めた。絵の価格が高騰し、肖像画の注文が殺到した。ようやく経済的にも精神的にも安定した時期を迎えたのだ。さらに嬉しいことに、妻が結婚から3年ぶりに妊娠したことだった。この絵は、まもなく生まれてくる子供を待つ喜びで、シーレが描いた家族画である。母にすがりつく赤子と、その赤子と同じ場所から見つめる母、そして家長として家族を守るというジェスチャーを取っている画家自身の姿が描かれている。何もかけていない純粋で無邪気な家族の肖像である。 しかし、幸せもつかの間。同年10月28日、ウィーンにまで広がったスペイン風邪で、エディトが妊娠6カ月のお腹の子供と一緒にこの世を去った。3日後、シーレもインフルエンザに感染して、この世を去った。彼がわずか28歳の時だった。当時スペイン風邪の犠牲者数は、第1次世界大戦の死者の3倍を超えた。戦争より恐ろしい災害は、まさにインフルエンザだったのだ。 http://www.donga.com/jp/article/all/20181025/1516046/1/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%88%E3%82%8A%E6%81%90%E3%82%8C%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%97%85 ▲△▽▼
スペイン風邪(1918-1919流行、死者三千万人) スペインかぜ(1918 flu pandemic, Spanish Flu)とは、1918年から1919年にかけ、全世界的に大流行したインフルエンザの通称。 当時20億人の世界人口の3割が感染して、5000万人が死亡したといわれるが、疫学研究者の説によれば、地球上のほぼ全員が感染した可能性がある 発生源は、1918年3月のアメリカ・カンザス州の米軍基地。 その後同年6月頃、ブレスト、ボストン、シエラレオネなどでより毒性の強い感染爆発が始まった。 新型インフルエンザ対策に関する検討小委員会ではカナダの鴨のウイルスがイリノイ州の豚に感染したとの推定が委員から説明されている。
感染者は約5億人以上、死者は5,000万人から1億人に及び、当時の世界人口は18〜20億人であると推定されているため、全人類の3割近くがスペインかぜに感染したことになる。感染者が最も多かった高齢者では、基本的にほとんどが生き残った一方で、青年層では、大量の死者が出ている。 日本では、当時の人口5,500万人に対し39万人が死亡、米国でも50万人が死亡した。 これらの数値は感染症のみならず戦争や災害などすべてのヒトの死因の中でも、最も多くのヒトを短期間で死亡に至らしめた記録的なものである。
流行の経緯としては、第1波は1918年3月にアメリカ合衆国デトロイト市やサウスカロライナ州付近などで最初の流行があり、アメリカ軍のヨーロッパ進軍(第一次世界大戦における)と共に大西洋を渡り、5〜6月にヨーロッパで流行した。 第2波は、1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、病原性がさらに強まり、重篤な合併症を起こし死者が急増した。 第3波は、1919年春から秋にかけて、第2波と同じく世界で流行した。また、最初に医師・看護師の感染者が多く、医療体制が崩壊してしまったため、感染被害が拡大した。 このパンデミックは、今回の新型コロナウイルス流行と似ている。初期に、医療関係者の大規模な感染が起きて、医療体制が崩壊したことがパンデミックを招いている。 また、病原体が次々に突然変異を起こして、どんどん致死性の強いものに変化し、免疫を持たない若者たちを直撃して大量死に追いやった。したがって、新型コロナウイルスの致死性・毒性は、これから急激に変化する可能性があることを意味している ▲△▽▼
スペイン風邪(1918-1919流行、死者三千万人)で死んだ著名人
ギヨーム・アポリネール(文学者) マックス・ヴェーバー(政治学者) グスタフ・クリムト(画家) エゴン・シーレ(画家) ヴェストマンランド公エーリク(スウェーデン王子) ヤーコフ・スヴェルドロフ(政治家) エドモン・ロスタン(劇作家) チャールズ・ヒューバート・パリー(作曲家) 竹田宮恒久王(皇族) 末松謙澄(政治家、元内務大臣) 徳大寺実則(公爵、元内大臣) 島村抱月(劇作家) 村山槐多(画家) 野村朱鱗洞(俳人) 辰野金吾(建築家)
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