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(回答先: 片山さつき は何故あんなに性格が悪いのか? 投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 16 日 09:58:46)
全身に多数のアザ、歩けないほど衰弱…林眞須美「長女」と「継父」に虐待死させられた16歳娘の“苦界”
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文春オンライン
https://news.yahoo.co.jp/articles/08079acb902ea014f71905ade76be1c240048b7d
和歌山市内の木造一軒家で開かれていた書道教室。
「あたしも習字やりたい」
薄汚れたTシャツ姿で玄関に立っていた少女は、16歳で命を失うまで、懸命に居場所を求めていた――。
【画像】 16歳で虐待死した心桜さん
◆ ◆ ◆
長女が死亡した2時間後、母は妹と海に身を投げ…
再審請求中の林眞須美死刑囚
和歌山市に住む鶴崎心桜(こころ)さん(当時16)が全身打撲による外傷性ショックで死亡したのは、昨年6月9日のこと。心桜さんが救急搬送された約2時間後、母・優子(仮名・37)と次女(4)が関西国際空港近くの海に身を投げ、無理心中を遂げた。
「実は、優子は4人が死亡した和歌山カレー事件で死刑判決を受けた林眞須美の長女でした。その約8カ月後の2月16日、再婚相手の派遣社員・木下匠(40)が保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された」(社会部記者)
カレー事件後、優子は重い十字架を背負って生きてきた。児童養護施設から高校に通うも間もなく中退。20歳で1歳下の妹の同級生と相手方の両親の反対を押し切って結婚し、05年4月に心桜さんを出産する。
「仲の良かった同級生には『結婚しました!』と喜びに満ちた葉書を送っていました」(小中時代の同級生)
眞須美の死刑が確定した後、離婚
だが09年5月、最高裁で眞須美の死刑が確定。
「優子は『事件から離れたい』と話し、生活が脅かされることを恐れるようになっていった」(優子の知人)
そして13年に離婚。心桜さんは父親に引き取られることになったが――。
「『深夜に子供が一人でほったらかされている』という連絡を受け、何度かアパートに足を運びました。家の前に座る彼女に理由を問うと『お父さんがおらん』と」(小学校時代の校長)
一方、独身に戻った優子はライブハウスでギターを弾いていた木下と巡り合う。
優子と木下の結婚は少女にとって“苦界”の入口だった
81年3月、木下は有田市に生まれた。地元の県立高校を中退後、東京の文化服装学院の服飾科に入学。当時の同級生が証言する。
「彼はSAというパンクロックバンドにハマり、下北沢のライブハウスに出入りしていましたが、シャツを縫って仕上げるなどの授業の課題がこなせず、1年弱で中退。地元でバンド活動をしていると聞いていた」
木下に転機が訪れたのは15年夏のことだ。
〈一番近くで応援してくれる人が出来たって事がめちゃくちゃ嬉しいです〉
優子との入籍を友人にSNSでそう報告。約2年後、娘をもうけると、優子は心桜さんを引き取り4人で暮らし始める。だが、それは少女にとってネグレクトに次ぐ“苦界”の入口だった。
「心桜さんは『妹の世話をしなくちゃいけなくなったから』って、中1からは不登校でしたね。一度、妹を電気カーペットで低温火傷させそうになり、親に怒られて『ハンガーで殴られた』と言っていました」(心桜さんの同級生)
死亡前は歩けないほど衰弱
だが、優子は義父である木下の父に対しては、献身的な一面も見せていた。
「僕が大動脈解離で入院しとったとき、彼女は下着を洗って持ってきてくれた。でも、カレー事件のことも、心桜という子がいることも知らんかった」(義父)
前出の社会部記者が事件の今後について解説する。
「心桜さんは全身に多数の痣があり、死亡前は歩けないほど衰弱していた。木下は『嘘をつくから暴力を振るっていた』と供述。県警は約4年前から夫婦で心桜さんを虐待していたと見ており、優子も容疑者死亡のまま書類送検する方針です」
木下は妻と娘二人の死後、立件されないと信じ、日常生活を送っていたという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/08079acb902ea014f71905ade76be1c240048b7d
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