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(回答先: 寝具の起源 投稿者 中川隆 日時 2020 年 11 月 07 日 06:40:13)
火の使用の起源
雑記帳
2021年09月12日
中期更新世の火の使用と人類集団間の文化的拡散
https://sicambre.at.webry.info/202109/article_12.html
中期更新世の火の使用の時空間的パターンから当時の人類集団間の関係を検証した研究(MacDonald et al., 2021)が公表されました。維持と火熾しの強化を含めた火との相互作用は、一般的に人類の文化的進化の中で最重要過程と考えられています。火は捕食者と寒さから人類を保護し、利用可能な食料の範囲と、調理を通じて食料から得られるエネルギー量の範囲を拡大し、物質の操作を可能とし、1日(活動時間)の長さを拡大し、社会的相互作用の性質に影響を与えました。火は人類に生息地の生産性を高める手段を与え、自然の景観は経時的に大きく変わりました。火は、人類が使用するさいに燃料を集めて中心部に運ぶ必要があり、集団内の協力が必要なので、負担がかかりました。
火の技術が有したに違いない影響を考えると、火の使用の起源と発展の理解は、本論文で議論される文化的行動の重要性を含む経時的な人類種の生態的地位の発展に関する理解と関連しています。じっさい本論文は、その期間を(相対的な)40万〜30万年前頃の時間枠に絞り込み、きょくたんに広範な地理的地域にまたがっている恒常的な火の使用の出現に関する証拠の蓄積は、火の使用と関連する技術の文化的拡散により最もよく説明できる、と仮定します。事実、火の記録は人類進化における文化的拡散の出現の最初の明確な証拠を提供する可能性があり、現生人類(Homo sapiens)の文化的行動の特有の特徴はこの時点で整っていた、と示唆されます。
現在、現生人類にとって文化的行動の重要性は明らかです。現代人は日常的に自身では発明できない技術を使い、現代人の文化は複雑な技術から言語や貨幣や記号数学まで、独特な物質的および象徴的人工物を生み出しています。文化的行動はヒトの進化の性質を変え、文化的行動が家族以外の構成員間の大規模な協力と認知の側面の進化に役割を果たした、と主張する人もいます。中には、文化的行動で現生人類のほぼ世界規模の拡散と成功を説明する人もいます。しかし、現代人に存在する文化的行動の重要な特徴がいつ出現したのか不明で、一部の特徴は他のものよりも早く出現した可能性があります。これらの特徴には、そのしばしば適応的もしくは固有の価値、多くの種に存在する地域的伝統、非ヒト動物には稀な要素の蓄積、もしくは「ラチェット(歯止め)」が含まれ、長距離にわたって、社会的に学習された構造の急速な拡大も含まれているかもしれません。
文化的伝播は、文化的行動の要素(着想や行動や人工物)が拡大できるいくつかの過程の一つです。文化的伝播は、社会的学習を通じて文化的特徴をある個体から他の個体に伝える過程を指します。文化的伝播はいくつかのパターンを生み出す可能性があり、地元の伝統、累積的文化、本論文の焦点である文化的特徴の広範な分布です。本論文は、「文化的拡散」という用語を使って、ある人口集団から次の人口集団への、文化的伝達の過程を通じての文化的特徴の拡大を説明します。
文化的特徴の拡散に関する研究は、主要な革新に焦点を当ててきました。革新の拡散に関する古典的研究は、農耕や狩猟や土器や建築技術や建築様式の採用を扱っています。革新や他の文化的特徴の地理的に広範な分布や、それがさまざまな人口集団や社会に存在することは、文化的拡散が原因かもしれません。他の生物種では、広範な行動は一般的に、遺伝的進化の過程で説明されます。大規模な文化的拡散は現生人類の重要で独特な特徴であり、本論文は考古学的記録にその最初の出現がある可能性を調べます。
●火の使用の時空間的パターン
初期の火の使用の記録に関する完全な再調査は本論文の範囲を超えています。本論文の目的は、40万年前頃前後の記録間の対比に焦点を当ててパターンを報告し、説明を提案し、議論とさらなる研究を促すことです。火の痕跡を人為的と識別することは簡単ではないので、時空間的な初期の火の使用の発展を追跡することは困難と証明されています。この一因は、火の周りの構造物には滅多に労力を費やさない、遊動的な狩猟採集民の広く分布した一時的な性質です。したがって、狩猟採集民の火の一般的な代理指標は熱に曝された物質から構成され、炭や加熱処理された石器や炭化した骨や燃えた場所の熱変性堆積物が含まれます。開地では、これら脆弱な痕跡の多くは自然の過程により簡単に除去されますが、自然の火からは人為的な火の痕跡に似ている広範な代理指標が生成され得ます。
これらの問題に対処するため、新たな分析方法が開発されてきており、木材や骨やさまざまな種類の人工物や火の下の堆積物の加熱効果を検証する、実験的研究が行なわれています。そうした手法はまだ広く適用されていないので、火の使用の以前の事例はまだ検出されていなかった、と推測できます。しかし、考古学的記録の証拠の制約にも関わらず、以前の研究ではヨーロッパにおける明確なパターンが特定されました。考古学的記録からは、人為的な火の使用が中期更新世の前半にはひじょうに稀か存在しなかった、と示唆されます。これは、わずかに散らばった炭の粒子を除いて、深く層序化された考古学的なカルスト系列における人為的な火の使用の代理指標の欠如により示されます。具体的な遺跡として、スペインのアタプエルカ(Atapuerca)遺跡複合や、フランスのトータヴェル(Tautavel)のアラゴ洞窟(Caune de l’Arago)や、イギリスのボックスグローヴ(Boxgrove)開地遺跡があります。対照的に、40万年前頃以降の記録は、主要な考古学的系列文脈内における複数の火の使用の代理指標(たとえば、炭や加熱された石器や炭化した骨や熱変性した堆積物)を伴う遺跡の増加により特徴づけられます。
その後の研究では、ヨーロッパを超えてこのパターンが強化され、40万年前頃以降の火の使用の存在が特定されました。たとえば、ポルトガルのアロエイラ洞窟(Gruta da Aroeira)遺跡(関連記事)では、加熱された骨の形での火の使用の代理指標が40万年前頃の層で現れ始めます。スペインのボロモール洞窟(Bolomor Cave)では、加熱された物質と関連する14ヶ所の炉床が、35万〜10万年前頃の複数の層で発掘されました。火の使用の代理指標は、開地遺跡や岩陰遺跡にも存在し、24万〜17万年前頃となるフランスのビアシュ・サン・ヴァ(Biache-Saint-Vaast)のように、そうした火の使用の証拠が繰り返し何度も長期にわたって繰り返される開地遺跡もあります。火は洞窟深部に入るため(関連記事)や樹脂の生産や調理などの過程に用いられ、後期ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)に関して報告されていますが、それ以前にも関連していたかもしれません。
重要なのは、レヴァントについて、習慣的な火の使用の出現が35万〜32万年前頃と推定されていることです。この年代は、イスラエルのタブン洞窟(Tabun Cave)のよく年代測定された系列や、レヴァントの他の広範な遺跡群からの証拠の再調査に基づいています。イスラエルのケセム洞窟(Qesem Cave)では、40万〜20万年前頃となる人類の使用期間を通じて広範囲の燃焼の証拠に加えて、ひじょうに巨大で繰り返し用いられた中央の炉床が見つかり、その年代は30万年前頃です。アジア西部を越えて東方となると、これまでのところ中期更新世における火の使用の証拠はひじょうに限定的です。中国の周口店(Zhoukoudian)遺跡では火の使用の証拠が推定されていますが、活発な議論となっており、最近の研究では人為的な火の痕跡を特定されたものの、その痕跡が見つかった層の推定年代は年代測定技術により50万〜25万年前頃と大きく異なります。これは、ユーラシア西部における火の使用の出現と同じ期間です。
このパターンはユーラシアに限定されません。モロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)遺跡では30万年前頃の明確な火の兆候が見られ、人為的な火の使用の豊富な証拠があり、加熱された石器や動物遺骸が含まれます(関連記事)。ジェベルイルード遺跡の証拠は、アフリカの中期石器時代の他の証拠とひじょうによく一致します。中期石器時代は35万〜35000年前頃となり、大まかにはユーラシア西部の中部旧石器時代と同年代です。さまざまな種類の火の証拠のを再調査した以前の研究では、火の技術はサハラ砂漠以南のアフリカの中期石器時代初期にはひじょうに重要だった、と示唆されていますが、遺跡の数は少なく、南アフリカ共和国の洞窟遺跡群がおもで、南アフリカ共和国における野外調査の量を反映しています。南アフリカ共和国のボーダー洞窟(Border Cave)では、炉床と灰の層が23万年前頃から紀元後1000年頃までの複数の層で発掘されてきました(関連記事)。火は、石材の特性変更(関連記事)や洗浄やおそらくは害虫駆除(関連記事)やデンプン質の根茎の調理(関連記事)に用いられました。
40万年前頃以降、そうした顕著で地理的に広範に分布した恒常的な火の使用のパターンがあることは、人類が40万年以上前には火を使用しなかったかもしれない、と示唆するわけではありません。じっさい、人為的な火の痕跡はスペインとイスラエルでは80万年前頃、南アフリカ共和国では100万年前頃(関連記事)、アフリカ東部ではさらに古くなるかもしれない、と示唆されています。さらに、解剖学的変化についての古人類学的証拠に基づいて、火は最初にホモ・エレクトス(Homo erectus)により180万年前頃に使用された(調理仮説)、とも主張されています(関連記事)。
しかし、40万年以上前となる人為的と評価される火の使用の痕跡のほとんどは議論となっています。たとえば、ケニアのクービフォラ(Koobi Fora)地域のFxJj20遺跡の150万年前頃となる堆積物の赤くなった区画の起源は、最初の報告から現在まで40年間議論されてきました。40万年以上前の証拠の詳細な再調査は本論文の範囲を超えていますが、いくつかの特徴的な景観からの記録は、初期の火の記録の孤立した問題のある性質を示しています。その好例が南アフリカ共和国のワンダーワーク洞窟(Wonderwerk Cave)で、クルマン丘(Kuruman Hills)の東斜面に位置しています。ワンダーワーク洞窟で回収された100万年前頃の加熱された物質が、じっさいに人為的な火の結果ならば、クルマン丘の西斜面で回収されたほぼ同年代の何百万もの石器の中で、加熱された石器が見買っていないのは驚くべきことです。以前の研究では、この状況が、調理仮説で推測されるようなこの期間における火の重要な役割と一致させることは困難である、と指摘されています。
別の興味深いの火の兆候は、エチオピア北部高地のアワシュ川上流渓谷の海抜約2000mに位置する、メルカクンチュレ(Melka Kunturé)開地遺跡複合に由来します。メルカクンチュレ遺跡は、170万年前頃から後期石器時代までのひじょうに長期にわたる、高地環境への人類の適応を記録しています。更新世において、これらの高地では深刻な寒冷期があり、ゴンボレII(Gombore II)遺跡の85万〜70万年前頃の居住の兆候で示唆されるように、おそらくは継続的な人類の存在には寒すぎました。後期アシューリアン(Acheulian)遺跡であるガルバ1(Garba 1)の加熱された可能性がある1点の礫器を除いて、空間的に広範なメルカクンチュレ複合全体では、後期石器時代まで火の使用の存在の証拠はありません。
40万年以上前となる恒常的な火の使用の確たる証拠の欠如を注意深く解釈する必要がありますが、火の代理指標と関わる化石生成論的問題と、一般的に初期の遺跡群の時空間的な標本抽出の限界を考えると、各地域の複数の遺跡における複数の代理指標により記録され、遺跡内で繰り返し使用されるという、40万年前頃以降に観察されたものと同様のパターンを実証するものはありません。アフリカとユーラシアにおける初期の火の使用についての現在のデータは、200万年前頃のユーラシアへの初期人類の拡散が考古学的に視覚化された火の使用のあらゆる種類と関連していなかったことを示しているだけではなく、人類の技術一覧の恒常的な構成要素としての火の使用がずっと後の現象で、中期更新世後半であることを示唆します。
その頃、アフリカとユーラシアには多様な人類集団(亜集団)が存在しており、具体的には、アフリカの現生人類やホモ・ナレディ(Homo naledi)、ユーラシア西部のネアンデルタール人、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)、さらに東方のホモ・エレクトス(Homo erectus)集団です、その多くは相互作用し、より広範な人類のメタ集団(ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群)の近隣亜集団と遺伝子を繰り返し交換していました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。
●火の使用の文化的拡散?
考古学的記録から浮かび上がる火の兆候の顕著な特徴は、広範な地域にわたって、(地質学的に)同じ期間に、さまざまな人類亜集団で、火の使用の証拠が強く増加していることです。本論文は、これが考古学的記録に示されるヒト進化における広範な文化的拡散の最初の明確な事例を表している、と提案します。文化的拡散は先史時代において、技能や技術の革新の急速な拡大に重要な役割を果たしました。上述のように、本論文はこれを現代人の文化のいくつかの区別される特徴の一つとみなしており、その中には累積的な文化発展や地域的伝統の存在も含まれます。
本論文の仮説が示唆するのは、知識と技術が人類の社会的ネットワークを介して伝播され、「旧世界」の主要地域に居住するより広範な亜集団内で相互作用していた、というものです。本論文は以下で、観察されたパターンに対する代替的な説明に反論し、文化的拡散仮説を裏づける証拠について議論します。また本論文は、火の記録とは別でやや新しい、中期更新世後半における文化的拡散の解釈をより強く裏づける考古学的データ、とくに特定の石器製作技術、つまりルヴァロワ(Levallois)技術の考古学的記録を示します。本論文は最後に、これを考古学的記録により証明された広範な文化的拡散の最初の明確な事例として解釈する理由を説明します。
●独立した革新や遺伝的もしくは人口的な説明に対する反論
考古学的記録における革新出現の時空間的パターンは、革新がどのように広範に分布するようになったのか、特定することと関連する証拠を提供します。つまり、独立した革新や人口過程や文化的拡散や遺伝的過程を通じて、ということです。恒常的な火の使用が比較的急速に「旧世界」全域においてさまざまな人類亜集団で出現したという事実から、火の使用は、繰り返し独立して発明されたというよりも、起源の一地点から拡散もしくは拡大した、と強く示唆されます。
追加の証拠は環境データから得られます。火の使用が収斂進化の産物ならば、環境圧と相関すると予測されます。したがって、この想定では、人類の亜集団がその環境で同様の課題に対応して、さまざまな場所で類似の技術を開発した、と提案できます。こうした想定では、地理的領域全体の地域環境に同等の影響を有する変化、そのうち最も可能性が高い気候の地球規模の変化と対応するか、それに続く火の記録の変化が予測されます。また、火の使用の出現と消滅は、人類がこうした変化への適応を示すまで環境条件に依存していた、とも予測されます。火の使用にはいくつかの利点があり、それはとくに、より寒冷な条件で有利だったかもしれません。同時に、火の使用の労力は、とくに燃料の収集に関して、開けた条件ではより高いと考えられます。
人類による火の使用の増加に関して、二つの環境仮説があり得ます。一方は、必要性によって促進されたより寒冷な条件下で、もう一方は労力がより低い森林性の条件下です。50万年前頃までに、更新世後半の特徴的な氷期と間氷期の10万年周期がしっかりと確立され、世界規模の大規模な氷床と関連しています。このパターンは、125万〜70万年前頃となる中期更新世移行期の後には優勢となり、生物相と景観に大きな影響を与え、火の記録における顕著な変化の30万年前頃には完了しました。海洋酸素同位体ステージ(MIS)12のひじょうに深刻な氷期は、世界規模の寒冷化および乾燥化の状態と関連しており、火の記録が発見される前に終わりました。40万〜30万年前頃で回収された火の確実な証拠がある遺跡群は、寒冷条件および温暖条件の両方と関連しています。さらに、更新世全体で比較的森林性の期間が繰り返されました。したがって、環境変化は火の使用の収斂進化の想定と一致していないようです。
さらに、火の使用の時空間的パターンから、その根底にある過程について窺えます。一般的に、広範な地域での新技術の拡散は、遺伝的か人口的か文化的観点、もしくはそれらの組み合わせで説明されます。これらのうち、他の事情が同じならば(亜集団全体もしくは種全体)、遺伝的拡散が最も遅い過程で、人口的拡散はそれよりも幾分速く、文化的拡散は新規の行動の最速の拡大につながります。遺伝的拡散では、(行動を含む)遺伝的特性が自然選択もしくは浮動の結果として集団(亜集団)内でより高頻度となります。亜集団の規模や選択圧の強さによりますが、この過程にかかる時間は最小で数世代です。この特性が遺伝的に複数の亜集団で拡散する場合、恒常的な火の使用が多くの亜集団にまたがったことを想起すると、さらに多くの世代が必要です。行動の急速で遺伝的な拡大は、局所的集団内、もしくは遺伝的拡散が強い人口拡散の過程を伴う場合にのみ実現可能です。
人口拡散では、人口統計学的および範囲の拡大、亜集団の融合、他の集団による局所的集団の置換により、特性の拡散が促進されます。こうした人口統計学的および移動の過程は、世代ではなく数十年の時間規模で起きる可能性があります。文化的拡散はさらに短い時間枠(数十年単位ではなく年単位)で機能する可能性があります。その場合、行動特性の伝達は文化的学習、つまり他者の観察もしくは他者に教えられることによる特性の学習により推進されます。個体群もしくは亜集団間の接触が友好的で充分な頻度がある限り、行動特性は1年でも長距離を移動することが可能です。
文化的および人口的拡散過程は、原則として考古学的記録から計算された拡散率に基づいて区別できますが、年代測定手法の制約のため、旧石器時代についてはひじょうに困難です。中期更新世の放射性年代測定と関連する大きな誤差により、人口的拡散と文化的拡散との間を定量的に区別することはできません。しかし定性的には、本論文の観察現象は比較的小さな時間枠と広範に拡散した地域における火の使用の出現を含んでおり、急速な過程を示唆します。さらに、遺伝的および化石証拠は、遺伝的および人口的拡散の観点における説明を弱化させます。
化石証拠は、火の恒常的使用前の、50万〜40万年前頃となるネアンデルタール人と現生人類の集団分岐の仮説を裏付けますが、遺伝学的研究が示唆するのは、そのずっと前の分岐で、現生人類とネアンデルタール人およびデニソワ人の最終共通祖先が765000〜55万年前頃と推定します(関連記事)。歯の進化に関する最近研究では、現生人類とネアンデルタール人およびデニソワ人の最終共通祖先の年代は80万年以上前と推定されています(関連記事)。これらの推定年代と一致して、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)の化石集団の遺伝的研究から、ネアンデルタール人とデニソワ人の分岐は43万年以上前と示唆されています(関連記事)。これらの人類亜集団は遺伝的および系統発生的に火の恒常的使用が始まる前に分岐し、その頃にはさまざまな大陸に存在しました。複数の人類亜集団が存続し、火の使用の証拠を残したので、火の使用と関連する慣行が単一の拡散する人類亜集団により伝達された可能性は低そうです。さらに上述のように、「火の使用の遺伝子」がさまざまな人類集団で環境変化に応じて繰り返し進化した可能性は低そうです。
●文化的説明の議論
次に、火の使用と関連する技術の文化的拡散の議論に戻ります。中期更新世人類はしばしば、「疎ら」であるとして特徴づけられ、中期更新世後半の人類の世界は、複数の亜集団と主要な地理的障壁を特徴としていました。しかし遺伝的証拠からは、集団が文化的拡散の発生には充分なほど相互に遭遇していた、と示唆されます。具体的には、最近の遺伝学的研究は、古代の現生人類からネアンデルタール人への30万〜20万年前頃の遺伝子移入を含む、人類のメタ集団内の遺伝子の繰り返しの交換を伴う、亜集団間の直接的接触を示します(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。したがって、これら亜集団の構成員は相互に繰り返し長期にわたって遭遇し、文化的拡散のための舞台を提供しました。シベリアの後期更新世のネアンデルタール人に関して示唆されるように(関連記事)、個体群は比較的孤立し、ほとんどの時間を小規模な集団で暮らしていたかもしれませんが、遺伝的記録から、さまざまな地域的集団の個体群間の相互作用は繰り返し起きていた、と示されます。
恒常的な火の使用期間における人類の社会構造は少なくとも、以下で議論される火の技術の伝播に必要な集団間の寛容性の適切な水準を支えただろう、と考えるいくつかの理由があります。まず、火を使い熾すことと関連する技術は、特性と物質(燧石や黄鉄鉱や可燃性物質や燃料)の知識を含んでおり、火を熾すための技術も含まれているかもしれません。これらは、離れた場所からでも数日以内に、学習者の多大な労力なしに、指導の有無にかかわらず、すぐに容易に伝えられます。第二に、火の技術と関連する専門分野はほとんどありません。最近の狩猟採集民93集団の火の使用慣行の調査では、火熾しを男性の任務として言及したのは5集団だけで、火の維持を女性の任務として言及したのは10集団でした。専門分野がほとんど必要ないので、集団の構成員は観察により火熾しと火の維持に必要な知識を容易に身につけられます。
第三に、非ヒト霊長類の分析から、ヒトとチンパンジーの最終共通祖先はおそらく、すでにある程度の社会的寛容性を有しており、それは異なる集団の個体間のこの水準の学習を支えた、と示唆されています。たとえば、非ヒト霊長類における寛容な集団間遭遇は、採餌応答の増加、集団外交配、移動前の新たな集団の査察といった理由で報告されていますが、ボノボは最近、集団外で肉を共有している、と観察されてきました。そうした非ヒト霊長類の遭遇は、数時間から数日続き、これは観察による火と関連する技術の拡散には充分な長さです。さらに、資源を守る労力が排他的な利用の利点を上回る火のような資源の場合、寛容な遭遇や学習機会の可能性が高くなり、とくに、火を使うことで得られる利益は、他の人が使っても減らないからです。
集団間の相互作用の最小限の想定について上述しましたが、異なる集団の個体間での寛容性以上のものを必要としません。しかし、最近の狩猟採集民のように、多数の個体間のより複雑な文化的および協力的相互作用を含む最小限の想定も考えられます。40万年前頃までに、脳サイズとそれに対応する必要なエネルギーは、人類がチンパンジーおよびボノボとの最終共通祖先と分岐してからの進化の(少なくとも)600万年間において、かなり増加しました。強化された集団間の協力は、遠方の資源の入手と情報を維持することにより、高いエネルギー要求と関連する不足の危険性増大を管理する戦略だったかもしれません。
本論文の文化的拡散の説明を強化するもう一つの要因は、過去の狩猟採集民の社会組織の流動性および規模の見解の変化と関連しています。ますます多くの民族誌的研究がこの特徴を強調しており、個体は一般的に認められているよりも大きな社会的ネットワークの一部です。以前の研究では、「小規模な社会組織が祖先の人類の共同体を特徴づけていたならば、そうした共同体は現代の遊動的な狩猟採集民との明確な類似点を有さない」と指摘されています。狩猟採集民社会組織の伝統的な見解と定量的な民族誌的証拠との間のこの一般的な切断は、ヒトの認知と向社会性と狩猟採集民の規模と組織との間の共進化関係に関する、現在の古人類学的および神経学的モデルの重要な弱点を浮き彫りにします。
霊長類の傾向に基づいて推定された人類集団の規模もしくは「分散共同体」は600万年前頃以降に増加しますが、集団化の最大水準は現生人類に限定されると主張されています。以前の研究では、社会的ネットワークにおける複数水準のクラスタ化を伴う流動的な社会構造が、33万年前頃には中期更新世後期の狩猟採集民にとって特徴的だった、と示唆されています。これらの研究で指摘されているように、中期石器時代初期には原材料の長距離輸送が行なわれており(関連記事)、遊動性と社会的つながりの変化が示唆されます。
中部旧石器時代の記録には、これら新たな長距離輸送の類似点が見られます。中期更新世において個体がじっさいにずっと大きくてより流動性の高い集団の構成員だったならば、それほど早くないとしても、上述の「旧世界」の考古学的記録における変化は広大な地域で地質学的に同様の年代に起きており、さまざまな集団の個体間の偶発的で友好的な接触の結果だったかもしれず、それは経時的に広範な地域と長期の文化的伝播を支えました。以下で議論するように、火と関連する技術に加えて、この社会構造は他の比較的複雑な文化的人工物と技術の伝達に重要だったかもしれません。
協力的相互作用の増加は、人類の集団規模の増大と相関しているかもしれませんが、その必要はないことに要注意です。最良の入手可能な証拠から、人類集団は更新世末になってやっと成長し始めた、と示唆されます(関連記事1および関連記事2)。それでも、集団規模推定値が困難とよく知られていることを考えると、データは更新世の人口統計学的パターンを間違えている可能性があります。いずれにせよ、人口統計はより複雑な協力的ネットワークを促進する可能性がある唯一の仕組みではありません。これらは、移動性の増加や社会組織の変化の結果かもしれません。
●強化された集団間の相互作用
中期更新世の考古学的記録で顕著になる別の特徴は、火の恒常的使用よりも10万年遅れます。これは石器製作のいわゆるルヴァロワ(Levallois)技術で、1個もしくは複数のより大きくて薄い剥片製作のための石核を調整するひじょうに特殊な方法を伴います。ルヴァロワ技術出現の年代は、広範囲にわたって再調査されています。調整された石核技術の単純な形態と適切に区別されれば、その出現を30万年前頃の狭い時間帯に割り当てることができます。
ルヴァロワ技術は初期現生人類やネアンデルタール人などさまざまな人類集団により、「旧世界」の大半、つまりアフリカ(関連記事)とアジア西部(関連記事)とヨーロッパで用いられています。ルヴァロワ技術はこれまでアジア東部の中期更新世の記録では回収されておらず、中国南西部における17万年前頃のルヴァロワ技術の可能性を主張した最近の研究(関連記事)は、せいぜい単純な調整された石核技術の石器を表しているにすぎない、とも指摘されています(関連記事)。
最近の研究では、下部旧石器時代から中部旧石器時代への移行は、ヨーロッパ北西部と近東で28万〜25万年前頃に完全に採用されたことにより示される、と位置づけられています。したがってルヴァロワ技術の時空間的分布は、恒常的な火の使用と比較して、地理的範囲は類似しているものの、開始年代はずっと絞り込まれています。それ故に、初期ルヴァロワ技術は、文化的拡散が40万〜25万年前頃に技術と行動の変化に役割を果たした、という追加の証拠を提供します。さらに、ルヴァロワ技術の石の打撃の複雑さは、広範な実験的な打撃と改造の研究で示されており、積極的な指導と組み合わされた近くて長い観察によってしか習得できないことを意味しており、40万年前頃に集団間の相互作用が活発化した、という上述の本論文の主張を裏づけます。
興味深いことに、以前の研究では、本論文における火の使用に関する主張と類似の主張がなされており、下部旧石器時代と中部旧石器時代の大陸規模での技術的変化の疑似的同時性が指摘されています。また以前の研究では、上部旧石器時代の1/3程度の期間である1万年程度の許容誤差で世界規模のデータを調べると、ヨーロッパとアジアとアフリカ全域にわたる変化の時期の同時性が理解される、と指摘されています。これらの急速な技術変化は「旧世界」の主要部分の広範な環境で起きた、というその研究の見解では、この急速な技術変化の要因として、生物学的なホモ属種の影響と環境要因の影響が否定されています。さらに以前の研究で強調されているのは、これらの迅速で大規模な変化の舞台に対して、各地域は地域的な文化的パターンと強くつながる固有の技術的特徴と軌跡を示している、ということで、ルヴァロワ技術が比較的早く導入されて在来の技術伝統と統合された、と示唆され、295000〜29万年前頃のイタリア半島中央部の初期ルヴァロワ石器群の研究により結論が裏づけられています。
狭い時間枠と大規模な地域と複数の集団が関わっていることとを考えると、本論文は、中期更新世の初期現生人類の範囲が時として拡大したことを示唆する証拠(関連記事)にも関わらず、人口拡散は大規模なパターンを説明できる可能性が低い、と主張したこのような先行研究に同意します。火の使用と比較してのルヴァロワ技術の伝達のより複雑な性質と、おそらくは積極的な教育の役割を考えると、発達および社会的文脈に関する問題が提起されることにも要注意です。ネアンデルタール人と初期現生人類の長い学童期(juvenile)は、広範で複雑な身体的および社会的技能を学ぶ必要性と関連づけられてきました。寿命が長いほど学習により多くの時間を費やすことや、他集団の行動など他者の観察機会が多くなることが可能となります。現生人類の生活史のパターンは、中期更新世中期までに出現したかもしれず、複雑な技術的技能の学習やそうした技能の拡散の機会が生まれます。
さらに以前の研究では、この期間の空間組織の変化が浮き彫りにされており、それはとくに、持ち込んだ資源や他の人類の利用可能性に人類が惹きつけられた場所の持続的な再利用で、新たな「社会的相互作用にとっての進化の場」を提供します。これは、教育を含んでいたかもしれません。石器についての考古学的記録のさらなる変化は、アフリカの中期石器時代における識別可能な地域的伝統の出現で、他の要因のなかでも、長く存続した亜集団の学ばれた伝統と関連しているかもしれません(関連記事)。これは、現代人に存在する文化的行動の特徴的な様式がこの期間に出現したことをさらに裏づけます。
●考察
初期の火の使用とルヴァロワ技術の時空間的パターんの徹底的な再調査は、本論文の目的から外れていました。代わりに本論文は、パターンの解釈と、仮説の提示に焦点を当てました。この仮説は、中期更新世の考古学的研究を新たな方向に進められますが、それは、本論文の仮説の間違いの証明を明らかに目的とする新たな研究を促進することによってのみで、それにより過去の行動の発展の時系列についてこの分野の知識を発展させられるからです。
ルヴァロワ技術と火の記録は、アシューリアンの握斧(ハンドアックス)技術と対比させることができます。アシューリアンの握斧技術は、旧石器時代の初期に起きた技術移転の、主要で、他に広範に分布し、特徴的で、年代的にやや絞り込める事例だからです。ルヴァロワ技術と恒常的な火の使用との顕著で重要な違いは、握斧がアフリカの記録で175万年前頃(関連記事)、あるいはレヴァントで140万〜120万年前頃に最初に出現してから、ヨーロッパの初期の居住者の技術的一覧に登場するまで、70万〜60万年間要していることです(関連記事)。したがって、アシューリアンの記録は人口拡散仮説とより一致しているようです。じっさい、アフリカはアシューリアンの起源地ですが、アフリカ外でのアシューリアン握斧技術の出現は、人類拡散の結果として広く見られ、これはアシューリアンの記録の系統発生分析と、ヨーロッパではアシューリアンの存在と欠如の詳細なパターンにより裏づけられた仮説です。
一部の研究では、アシューリアンの記録が遺伝的伝播の想定を示唆してさえいる、と指摘されています。以前の研究は、アシューリアンの「基準標本化石」の「非文化的」特徴を強調し、「保守的な」握斧を文化的伝播というよりも寧ろおもに遺伝的伝播の結果として解釈しました。この解釈は、アシューリアン記録の変動性を強調したいくつかの反証を受けており、その変動性が後期においてはかなり大きいことは確かです。本論文は、恒常的な火の使用以前の文化的拡散の可能性を否定するわけではありませんが、人口拡大により最もよく説明できるように見えるアシューリアンの記録との対比は、火の使用とルヴァロワ技術はヒト進化史において技術の広範な文化的拡大の最初の明確な事例を表している、という本論文の主張を裏づけます。
本論文は、40万年前頃に文化的過程が広範な地域で技術の変化を支えた、という仮説を提示しました。これは少なくとも、さまざまな集団の個体の一定程度の社会的寛容性を示唆しており、最小限ではあるものの、依然として妥当な仮説を提案します。その仮説は、大規模なネットワーク内のより強い協力的相互作用が40万年前頃にはすでに形成されており、より広範な人類のメタ集団内で、通常は異なる生物学的集団として推測される個体群間で時として境界を越えることがあった、というものです。
本論文の結論は、考古学的記録における恒常的な中期更新世の火の使用の時空間的パターンは、人類の「道具箱」における重要な道具の出現以上のものを示している、ということです。つまり、40万年前頃の文化的行動の存在は、現生非ヒト大型類人猿よりも現代人の方に近かった、というわけです。本論文は、中期石器時代後期/中期更新世、およびより繁栄した後期石器時代/上部旧石器時代と関連する文化的繁栄のずっと前に、人類は技術と行動の複雑さや変動性や広範な拡散の能力を発達させ始めていた、と提案します。そうした能力は、これまで現生人類とのみ関連づけられる傾向にありました。
参考文献:
MacDonald K. et al.(2021): Middle Pleistocene fire use: The first signal of widespread cultural diffusion in human evolution. PNAS, 118, 31, e2101108118.
https://doi.org/10.1073/pnas.2101108118
https://sicambre.at.webry.info/202109/article_12.html
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