http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1694.html
Tweet |
(回答先: 御用学者列伝 _ 森信茂樹 投稿者 中川隆 日時 2020 年 4 月 03 日 11:34:45)
2021年8月12日
日本人の死生観を問う 〜人は誰でも死ぬ。それを理解しない人が「狂気」に陥る〜
From 藤井聡@京都大学大学院教授
https://38news.jp/economy/19014
この度、来週火曜(8月16日)に出版となります、当方編集長の言論誌・表現者クライテリオンの特集は、
『日本人の死生観を問う』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B099H719G5/
です。
「死生観」とは、読んで字の如く、「死ぬこと」や「生きること」をどういう風に解釈し、それらに対してどういう風に向き合っていくのか……という事を言います。
今回、この特集を企画したのは、次の様な主旨によるものです(以下は、当方がまとめた、本特集の企画主旨です)。
『多くの国民に感染死をイメージさせたこの度のコロナ禍は、日本人に「死」の問題を改めて向き合う機会を半ば強制的に与えた。
結果、多くの人々は慌てふためき、過剰とも言える反応に終始した。
これはつまり、日本人において「死」の問題に向き合う機会が年々失われつつある事を、すなわち「死」の裏側にある「生」とは何かを真剣に問う機会および精神そのものが蒸発しつつある事を改めて明らかにするものであった。
日本人の今日の目を覆うばかりの精神的頽廃の背後には、まさにこうした死生観の急速かつ著しい劣化が潜んでいることは間違いない。
本特集ではこうした認識の下、我が国の再生の縁(よすが)を見い出す事を企図し、日本の伝統的な死生観を見つめ直しつつ、
今日の我が国の死生観の有り様を改めて問い直さんとするものである。』
要するに、今の日本人は、「死ぬ」と言うことについて殆ど何も考えなくなったので、コロナが流行って、死ぬかもしれんぞとか、人に移して死なしてしまうかもしれんぞ、とか言われて慌てふためいている……っていうのが。現状じゃ無いか、と考えられるわけですが……
だとしたら、コロナ禍の本質は、日本人の死生観の幼稚さに有るんじゃ無いか、だったら、「さざ波レベルの感染症」ごときに慌てふためいて自滅していくような愚かな状況から脱却するには、まっとうな死生観を持たなきゃイカンのじゃないか?
ってことで、企画したのが、今回の「日本人の死生観を問う」だったわけです。
今回は、ホントに当方、色んな人のお話を伺いました。
まずは、毎年毎年何十人も何百人もの「死」を看取っているお医者様の和田先生と森田先生から、一般的な医者達が死や生をどう思っているのかを根掘り葉掘り、詳しく伺いました。
・・・その結果、実に多くの医者達が(全員じゃ無いと思いますが)、患者を単なる「モノ」扱いし、単なる「カネ儲けのための道具」と見なして、カネもうけに勤しんでいる、っていう姿が浮かび上がりました。
こう書くと「そんなことないだろ!出鱈目に言うな!」という方もおられると思うのですが、僕自身も、森田先生や和田先生の話を聞くまでそんなイメージを持ってなかったので、びっくりした次第です。
ってことは、そんな医者達のカネ儲け行為によって私達の生や死のあり方、つまり死生観がメッチャクチャに歪められてるんだなぁ、……ということがよく分かりました。
「ホントかおい!?」と思う方は是非、ご一読ください。きっと多くの方が納得されると思います。
で、こういう「腐りきった医者の態度」(患者を人格のある人間として診るのではなく、単なる臓器や、ウイルスのキャリアと見なす態度)がかの「コロナの専門家達」(例えば、NとかOとか)も共有しており、彼等がTVや政府で超大活躍しちゃったもので、彼等の腐りきった思想が、社会全体に広まったのが、今回のコロナ禍だったんだなぁ……という全体像が、痛いほどに、見えてきた次第です。
それから、最近死生観についての本を出された呉智英さんに、改めて日本人の死生観についてお話しを伺いました。
実に多面的なお話しをお伺いし、実は、死生観は、属している共同体が何かっていうので、全然違ってる、っていう話や、
士族(武士)とそれ以外で、死生観のベースになる準拠する共同体が全然違う、だから、死生観が全然違う、っていう話、
さらに言うと、外国人の死生観と日本人の神道の死生観って意外と近いとこがあるなぁ、って話や、
神道と仏教の死生観って全然違うんだなぁ
なんて話など……あぁかなぁ、とかこうかなぁ、なんて感じで雑談した感じの対談となりましたが、滅茶苦茶に面白かったです。
それから、ここ最近よくご一緒している格闘家の前田日明さんとは、浜崎さんも交えて、大東亜戦争を中心に、死生観込みであれこれお話ししましたが、一番盛り上がったのは、子供の頃、若い頃の「喧嘩」の話(笑)。
言論誌ではなかなか出てこない話ですけど、実は死生観を考える上で、喧嘩してきたかどうか、今もいろんな意味で喧嘩してるかどうかっていうのは、ちょーーー決定的に重要なんだなぁってことを改めて認識した次第です。
それ以外にも、寄稿記事は、それぞれの論者から死生観が論じられており、どれもこれも滅茶苦茶に面白かったです。
・・・ってことで、今回の特集は、特集が多くてホントに編集に大変に手間取ったのですが、とても充実したものとなりました。
このコロナ禍を乗り越えるためにも、そしてこの日本を立て直すためにも、というかそれ以前に、これからどう生きて行くかを考えていくためにも是非、一人でも多くの日本の方々にお読みいただきたいと願っています。
是非、ご一読ください!
追伸;「死生観」が歪むと、過剰に「死」を恐れ、データを全く見なくなって、「言葉だけ」で物事を考える狂気状態になってしまいます。それがどれだけヤバイのか……是非、ご一読ください(特に数字がちょっと苦手かも……と思っておられる方は是非、ご一読下さい!)
「ゼロコロナ病」の本質 〜「言葉だけ」で物事を考えるのは、「数字だけ」で物事を考えるのと同様に完全な「狂気」である〜
https://foomii.com/00178/2021080817472783392
https://38news.jp/economy/19014
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。