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御用学者列伝 _ 藤井聡
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1694.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 8 月 14 日 09:54:17: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 御用学者列伝 _ 森信茂樹 投稿者 中川隆 日時 2020 年 4 月 03 日 11:34:45)

2021年8月12日
日本人の死生観を問う 〜人は誰でも死ぬ。それを理解しない人が「狂気」に陥る〜
From 藤井聡@京都大学大学院教授
https://38news.jp/economy/19014

この度、来週火曜(8月16日)に出版となります、当方編集長の言論誌・表現者クライテリオンの特集は、

『日本人の死生観を問う』

https://www.amazon.co.jp/gp/product/B099H719G5/

です。

「死生観」とは、読んで字の如く、「死ぬこと」や「生きること」をどういう風に解釈し、それらに対してどういう風に向き合っていくのか……という事を言います。

今回、この特集を企画したのは、次の様な主旨によるものです(以下は、当方がまとめた、本特集の企画主旨です)。

『多くの国民に感染死をイメージさせたこの度のコロナ禍は、日本人に「死」の問題を改めて向き合う機会を半ば強制的に与えた。

結果、多くの人々は慌てふためき、過剰とも言える反応に終始した。

これはつまり、日本人において「死」の問題に向き合う機会が年々失われつつある事を、すなわち「死」の裏側にある「生」とは何かを真剣に問う機会および精神そのものが蒸発しつつある事を改めて明らかにするものであった。

日本人の今日の目を覆うばかりの精神的頽廃の背後には、まさにこうした死生観の急速かつ著しい劣化が潜んでいることは間違いない。

本特集ではこうした認識の下、我が国の再生の縁(よすが)を見い出す事を企図し、日本の伝統的な死生観を見つめ直しつつ、

今日の我が国の死生観の有り様を改めて問い直さんとするものである。』

要するに、今の日本人は、「死ぬ」と言うことについて殆ど何も考えなくなったので、コロナが流行って、死ぬかもしれんぞとか、人に移して死なしてしまうかもしれんぞ、とか言われて慌てふためいている……っていうのが。現状じゃ無いか、と考えられるわけですが……

だとしたら、コロナ禍の本質は、日本人の死生観の幼稚さに有るんじゃ無いか、だったら、「さざ波レベルの感染症」ごときに慌てふためいて自滅していくような愚かな状況から脱却するには、まっとうな死生観を持たなきゃイカンのじゃないか?

ってことで、企画したのが、今回の「日本人の死生観を問う」だったわけです。

今回は、ホントに当方、色んな人のお話を伺いました。

まずは、毎年毎年何十人も何百人もの「死」を看取っているお医者様の和田先生と森田先生から、一般的な医者達が死や生をどう思っているのかを根掘り葉掘り、詳しく伺いました。

・・・その結果、実に多くの医者達が(全員じゃ無いと思いますが)、患者を単なる「モノ」扱いし、単なる「カネ儲けのための道具」と見なして、カネもうけに勤しんでいる、っていう姿が浮かび上がりました。

こう書くと「そんなことないだろ!出鱈目に言うな!」という方もおられると思うのですが、僕自身も、森田先生や和田先生の話を聞くまでそんなイメージを持ってなかったので、びっくりした次第です。

ってことは、そんな医者達のカネ儲け行為によって私達の生や死のあり方、つまり死生観がメッチャクチャに歪められてるんだなぁ、……ということがよく分かりました。

「ホントかおい!?」と思う方は是非、ご一読ください。きっと多くの方が納得されると思います。

で、こういう「腐りきった医者の態度」(患者を人格のある人間として診るのではなく、単なる臓器や、ウイルスのキャリアと見なす態度)がかの「コロナの専門家達」(例えば、NとかOとか)も共有しており、彼等がTVや政府で超大活躍しちゃったもので、彼等の腐りきった思想が、社会全体に広まったのが、今回のコロナ禍だったんだなぁ……という全体像が、痛いほどに、見えてきた次第です。

それから、最近死生観についての本を出された呉智英さんに、改めて日本人の死生観についてお話しを伺いました。

実に多面的なお話しをお伺いし、実は、死生観は、属している共同体が何かっていうので、全然違ってる、っていう話や、

士族(武士)とそれ以外で、死生観のベースになる準拠する共同体が全然違う、だから、死生観が全然違う、っていう話、

さらに言うと、外国人の死生観と日本人の神道の死生観って意外と近いとこがあるなぁ、って話や、

神道と仏教の死生観って全然違うんだなぁ

なんて話など……あぁかなぁ、とかこうかなぁ、なんて感じで雑談した感じの対談となりましたが、滅茶苦茶に面白かったです。

それから、ここ最近よくご一緒している格闘家の前田日明さんとは、浜崎さんも交えて、大東亜戦争を中心に、死生観込みであれこれお話ししましたが、一番盛り上がったのは、子供の頃、若い頃の「喧嘩」の話(笑)。

言論誌ではなかなか出てこない話ですけど、実は死生観を考える上で、喧嘩してきたかどうか、今もいろんな意味で喧嘩してるかどうかっていうのは、ちょーーー決定的に重要なんだなぁってことを改めて認識した次第です。

それ以外にも、寄稿記事は、それぞれの論者から死生観が論じられており、どれもこれも滅茶苦茶に面白かったです。

・・・ってことで、今回の特集は、特集が多くてホントに編集に大変に手間取ったのですが、とても充実したものとなりました。

このコロナ禍を乗り越えるためにも、そしてこの日本を立て直すためにも、というかそれ以前に、これからどう生きて行くかを考えていくためにも是非、一人でも多くの日本の方々にお読みいただきたいと願っています。

是非、ご一読ください!

追伸;「死生観」が歪むと、過剰に「死」を恐れ、データを全く見なくなって、「言葉だけ」で物事を考える狂気状態になってしまいます。それがどれだけヤバイのか……是非、ご一読ください(特に数字がちょっと苦手かも……と思っておられる方は是非、ご一読下さい!)
「ゼロコロナ病」の本質 〜「言葉だけ」で物事を考えるのは、「数字だけ」で物事を考えるのと同様に完全な「狂気」である〜
https://foomii.com/00178/2021080817472783392

https://38news.jp/economy/19014  

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コメント
1. 中川隆[-17243] koaQ7Jey 2021年8月14日 09:55:33 : gzyd9RRqFI : Z3R2dlZPSEFCOUE=[10] 報告
日本の伝統的な死生観とは

昔の日本人には死は非常に軽かった、死んだらまた新しいのを連れてくればいいという感覚

旭川 中国人墓地 心霊スポット

昔、中国から強制連行されてきた労働者の墓がある。
戦前に一家惨殺された家族の墓がある。
車に無数の手型がつく。
白い車が特に狙われる。
車の上に無数の幽霊が見える。など。
日本人に強制連行され労働させられ死亡した中国人たちのお墓が密集している。とある一つの墓にある裏にある文字を読むと死んでしまうという。
墓の入り口にはなぜか倒れてる地蔵が放置されていてこれだけならよくある心霊スポットなのだが、この中国人墓地が恐ろしいのは目撃した人の多数いることだ。
▲△▽▼
日本の最怖心霊スポット、旭川『中国人墓地』には「お前ら行くな!」
いわゆるホンモノです。
心霊スポットは、全国各地に数多く点在します。オカルト好きは、廃墟や廃病院などに肝試しに行ったこともあるでしょう。
しかし、数ある心霊スポットの中には”ガチ”で行ってはいけないスポットがあります。
その1つは、北海道の「中国人墓地」です。
北海道旭川市近郊にある中国人墓地。地元の方も避けるようなこの場所は、正式名称を「中国人殉難烈士慰霊碑」と言います。

日本に強制連行され、過酷な状況の中労働させられていた中国人のお墓です。
彼らは日本人に強い怒りや憎しみを持ちながら亡くなっているので、特に日本人が軽い気持ちで肝試しに行くのは危険すぎます。

行ってはいけない‼多数の被害
また一部で、墓石にすがる霊や夜に行くと錯乱状態になるなどの話も実しやかに囁かれています。
ここまで見ると「よくあるパターン」と笑ってしまうかもしれません。しかし、軽い話で済まされません。
なぜ、中国人墓地に行ってはいけないのか、それは大きな事件を引き起こした事実があるからです。

▲△▽▼

戦時中、いわゆる1941年11月政府閣議決定にもとづき、中国人を日本国内に強制連行し135事業所で、強制労働にしいられ、多くの中国人がたえられぬ労働とリンチによって死にいたった。

1944年、東川のこの江卸事業所も例外ではなく、338名の中国人が連行され、遊水地工事のために苛酷な強制労働をしいられたのでございます。バラ線の張った高いヘイ、明かりのない窓、見張所が作られ、監獄部屋と同じになってしまったバラックの収容所。

うす氷のはりつめる初冬から真冬に近い季節というのに、ヨレヨレの夏の国防服一枚に、ワラで作ったツマゴグツをはき、ワラの手袋をつけ、忠別川の川底の石を素手でかき集めて運ぶ、手足が凍傷にかかり指がちぎれたり、くさったり、それでも奴れい的作業はつづいていました。

戦時中なので日本人の食糧が不足であったという事で、中国人には、小麦粉のだんごや、野さいのおかずだけ、しかもわずかな量でした。いつも空腹にたえなければならなかったのです。

しかも夏は午前6時より 日が暮れるまで、日本人監視のもとに一寸の休みも認められず、針金や丸棒のムチで打たれながら強制労働をさせられていたのでございます。

残酷なリンチに苛酷な労働は、栄養失調と過労の肉体を自然にむしばみはじめ、病人は食べるものも満足にあたえられず、ただ部屋の中のうすい毛布でうずくまっているだけでした。

▲△▽▼

今回は、過酷な労働から出来た遊水池について。
同じような池がこの他にもあり、それが中国人や朝鮮人を連れてきて掘らせたわけです。Tさんはこう話してくれました。

 「真冬なんてかわいそうなもんだった。布で作った靴しか与えられなくてな、そんなの何回も土を運んでいるうちすぐ穴が開いてしまうわ。足の指真っ赤に腫らしてな、凍傷なんていうもんじゃない、半分腐っていたもんもいたさ。ずいぶん酷いことしたもんだ。見ていられんかったもんな」

 「ずいぶん堤が高いしな、土は他の所へかなり運んだんだけれど、手が間に合わなくて土手に積み上げたんだ」

 堤が高いということは、かなり深くまで掘った土を、掘った人間が上まで運んだということです。当たり前と思うかも知れませんが、現代のようにユンボがある訳もなくすべて手作業です。ましてや、鉄製のも使わせなかったと聞いています。と言うより、鉄が戦車や鉄砲を創るため、拠出させられていたので、鉄そのものが無かったのだと思います。
 それだけを考えただけでも、どれほど重労働だったか推し量れます。

 ここまで酷いことをするのか、人間は出来るのかとーー

 国が違う国を支配する。そうするとこういうことが、何の躊躇もなく行なわれてしまうのかと考えてしまいます。Tさんの話を続けます。

 「冬になっても足には草鞋しかはかせないで、素足のままだ。凍傷になって足は真っ赤に腫れ上がっていた。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ。可哀そうにな」

 「戦争が始まった頃、道路拡張の工事があってだいぶん進んでいた頃なんだわ、こっちの方がもっと悲惨だったんじゃないかな」と話します。

 「強制労働者は、天秤棒を担がされて、その両端には砂袋だ。それに掘り起こした土を詰め込んで運ばされていたんだ。一日に何回も往復させられていたさ。それを続けて何日もやらされるもんだから、肩は真っ赤に腫上がって水脹(ぶく)れになっていた」

 「そりゃ毎日だからな、水脹れが破れて中の肉がでてきてただれてしまっていた。そりゃ酷いもんだったさ。それでも天秤棒を担がされてな、血がたれていたよな」

 そこでも、日本の軍人はただ命令するだけで、誰一人として助けようとはしなかったのですか、と聞くと、「それどころか、その赤く腫れあがったところに、煮えきった油をかけていたのさ。酷いなんちゅうものじゃなかった。そうしたほうが、その水脹れが早く治るっていうんだと言ってな」

 彼らは、その繰り返しだったらしいのです。当然長くは続けることは困難でした。

 「菌が入ったらもうおしまいだ。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ」。 T さんは「可哀そうにな」と、今でも思い出さない日はないと言います。

▲△▽▼

遊水池づくりの作業は、スコップ、ツルハシで平地を二メートル掘り下げた。土や石はモッコに入れ、二人でかつぎ上げた。土を掘るのも、モッコをかつぐのも重労働だった。疲れているうえにろくな食事もとっていないので、ちょっと休んだり、モッコをかついで転んだりすると、八番線ぐらいの太い針金で殴りつけた。

遊水池を掘る工事のほかに、池に水を出し入れする入水溝と排水溝をつくる仕事もあった。土が崩れないように斜面に蛇籠を並べたが、蛇籠につめる石は忠別川に入って集めた。すでに冬が訪れ積雪も深くなった季節に、ワラで編んだワラジで川に入り、素手で石を拾って川岸に運んだ。寒さで手がしびれ、石を落としたりした。中国人の五人がひと組になり、日本人指導員や警察の監視のもとで働いた。石をそりに積んで運び蛇籠につめたが、全身水びたしになって震えながら働いた。

冬は寒さが厳しいうえに重労働で、しかも食糧が少ないので、次々と死んでいった。少しでも生きのびようと、逃走する人が多くでた。六人が集団逃走した時は、地崎組の幹部や警察、村の警防団も駆り出されて翌日に捕らわれた。宿舎の庭に座らされ、「警官が彼らの首をしめて仮死させる。するとカツを入れて蘇生させるのだった。これが何回となく繰り返された。六人共青い鼻汁を出して死んだようになっていた」(佐藤幸子)と目撃した人は語っている。十代の時のことを思い出すと、いまも胸がつまって涙がこぼれるという。  

2. 中川隆[-17242] koaQ7Jey 2021年8月14日 09:56:49 : gzyd9RRqFI : Z3R2dlZPSEFCOUE=[11] 報告
日本の伝統的な死生観とは 2

昔の日本人には死は非常に軽かった、死んだらまた新しいのを連れてくればいいという感覚

明治時代の日本政府は今のウイグルでのジェノサイドと同じ事をやっていた
アイヌ人は縄文人の直系の子孫だというのが遺伝学や考古学の定説、北海道にいた和人は日本海沿岸のニシン漁民だけ。

日本人はこうやってアイヌ人から北海道を乗っ取った、アイヌは日本人ではないから日本の法律に従う必要は無い

▲△▽▼

旭川・釧路は、アイヌの人たちを騙して和人が奪い取った地
そんな土地だから、ろくでもない悪人の子孫しか住んでいない

 「知床日誌」 松浦武四郎

 松浦の実見によれば、たとえば現在の釧路場所においては
 「四十一人の番人三十六人まで土人の女(め)の子を奸奪して妾となし」といった状態であった。
 彼らは情欲に任せてメノコを強姦し、思いのままにならぬ女は、その夫を遠い漁場に強制的に追いやり、
 その留守に犯したりしたのである。犯されたアイヌメノコの多くは感染した梅毒に悩まされた。

 また、これらの和人は、彼女たちが妊娠すると唐辛子やいぼたなどの煎じ薬を飲ませて堕胎させ、
 生まれた子は「鯨針にて刺殺し、また膝の下に敷殺」(松浦武四郎『炉心余赤』)し、病気にかかれば山に棄てたりした。

こうやってできたのが旭川

 江戸時代の上川郡域は西蝦夷地に属する松前藩領となっており、石狩十三場所の範囲に含まれた。天明6年2月、佐藤玄六郎は幕府に提出した蝦夷地調査の報告書(「蝦夷地之儀是迄見聞仕候趣申上候書付」『蝦夷地一件』二)で、
 
蝦夷地は穀物栽培を禁じており、上川郡域でアイヌが米作したところ、和人は籾・種を没収し償いさせた

と書いている


日本人の蛮行の原型が、このアイヌ民族浄化にある

▲△▽▼

とこしえに地上から消えた千島アイヌとその文化―日本人が自ら葬り去った異文化

 アイヌ文化には三つの文化圏がある。すなわち「北海道」島に栄えた北海道アイヌ、樺太(ロシア領サハリン)島南部に栄えた樺太アイヌ、そして、中部千島・北千島(ロシア領クリール諸島)に栄えた千島アイヌである。
 このなかで、千島アイヌはそのひとを含め、文化・言語は今日にまったく伝わらないのである。国際交渉の陰で、しかもきわめて平和裡に、日本人は地上から一つの文化を葬り去ったのである。

「1884年の日露両国間の協定によって、樺太はロシアに、千島列島は日本に帰することになった。その後、日本は総人口わずか九七人のものが群島の各地点に分散している極北の新しい国民の憐れな状態に憐憫の情をもよおし、彼らを絶滅から救うことを願った。そのため、彼ら全員を、はるかに豊で気候も温暖なシコタン島へ移住させた。ここは蝦夷の根室地方とクナシリ島の間にあり、千島列島の最南端に位置する。しかし、憐れな彼らにとってそこが楽園となったであろうか。否、無益であった…」(鳥居竜蔵『千島アイヌ』序)。

 日露間で締結された「樺太千島交換条約」によって、樺太はロシアに割譲され、全千島列島が日本の版図となった。このとき、日本政府は先住民であるアイヌの人びとをも同時に自らの民に加えた。樺太アイヌは北海道に強制移住させられ、当初は樺太に程近い稚内のメグマに居住地が定められたが、じきに札幌近郊の対雁(ツイシカリ、現在の江別市内)に移された。

 シムシュ島、ホロムシリ島などに住む千島アイヌが移された先が、鳥居の序文にあるシコタン島である。

 このいずれもが、かれらがロシア人と通交をおこなって、結果的に日本に不利となる行為を働くことを危惧してのものであった。

 明治36年の戦争の結果、樺太アイヌはそれでも故郷に帰りえた。しかし千島アイヌは、そこが日本領土であったにもかかわらず、帰ることはできなかった。望郷の想いにかられながらも、かれらは北海道とその付属島嶼(島々)のなかで、みずからの文化を放棄せざるを得なかった。今日、千島アイヌの文化を伝えるひとはただのひとりも存在しない。
___

千島アイヌの強制移住
1884年(明治17年)に占守島や幌筵島、及び中部千島の羅処和島に居住していた千島アイヌの人々が色丹島に強制移住させられた。

これは根室から遠く離れた絶海の孤島では監督も行き届かず、当時、盛んに千島に出没する外国の密猟船に対して便宜を与える恐れがあったことと、千島アイヌは風俗・習慣共に著しくロシア化していて、殆どロシア人と変わることなく、こうした者を国境近くに置くことは、日本の領域を確定するにおいて危険な障害と感じられたためである。

移住した千島アイヌに対しては農地が与えられ、また牧畜や漁業も奨励されたが、元々が漁撈民であった彼らは慣れぬ農耕に疲弊し、多くが病に倒れ命を失った。
_____

色丹島移住後のクリル人

 移住の年より漁船や漁網を与えて漁業に従事せしめ、また北千島時代に露人の指導に依って既に試みられていた牧牛と、新たに緬羊・豚・鶏の飼養が相当の計画のもとに始められ、農耕も指導奨励されたが、これらの組織化は彼らにとって未だ経験したことのない急速な生活上の変化であったため、適応は困難であった。農耕についてはやや望みがあるとみられたが、明治27年8月の水害による耕土の流失を機として殆ど廃止され、自家用の野菜を収穫する程度にとどまり、各種漁業も細々ながら唯一の生業として期待されたが、移住後の生活の安定した拠り所とするには至らなかった。

 この間、明治18年より27年まで10カ年間撫育費が計上され、その後も更に期間が延長されて32年まで継続された。また、同年3月より新たに保護法が制定され、その中に特別科目が設けられて救恤事業(救済)が続行された。

強制移住による人口の減少

 移住後、生活の急変に加え風土の変化の為に、彼らの着島後、僅か20日も経たぬうち、3人の死者があり、更にその後も死亡者が続出し、これには彼らも愕然たらざるを得なかった。17年には6名、18年には11名、19年・2名、20年・17名、21年・10名の死亡者があり、出生11人を差し引くも33名の減少をきたし、ついに64名を数えるに過ぎなくなった。それは生活環境の急激な変化、ことに内地風に束縛された生活、肉食より穀食を主とした食物の急変等によるものであるとみられるが、移島当時は動物性食料の欠乏を補充する食物の貯蔵が少なく、冬期野菜類が切れて壊血病にかかり死亡したものとも言われている。事実そうであるとするならば、政府の不用意な強制移住がこの結果を招いたとも言えるであろう。

 明治18年2月22日付色丹戸長役場の日記を見ると、
「此の日土人等具情云、当島は如何にして斯く悪しき地なる哉。占守より当島へ着するや病症に罹る者陸続、加之(これにくわえ)死去する者実に多し。今暫く斯くの如き形勢続かば、アイヌの種尽きること年を越えず。畢竟(ひっきょう)是等の根元は、占守において極寒に至れば氷下に種々の魚類を捕らえ食す。故に死者の無きのみならず、患者も亦年中に幾度と屈指する位なり。然るに当島には患者皆々重く、軽症の者と言えば小児に至るまでなり。見よ一ヶ月に不相成(あいならざる)に死する者3名、実に不幸の極みとす−云々」

故に故郷占守島に帰還したいが、もしそれが不可能ならば得撫島にでも移りたいと嘆願している。

 根室から指呼の間にあるこの島に閉じ込められた彼らクリル人にとって、人口の減少は、この後も重い十字架として背負い続けなければならなかった。
_____

北海道の和人のイジメ体質は今も昔も変わらないんだよ:

「ママ、死にたい」自慰行為強要、わいせつ画像拡散……氷点下の旭川で凍死した14歳女子中学生への“壮絶イジメ”
旭川では町ぐるみで女子中学生に強制売春をさせている
https://www.youtube.com/watch?v=XfwJVgSsbUs  

3. 中川隆[-17241] koaQ7Jey 2021年8月14日 10:00:31 : gzyd9RRqFI : Z3R2dlZPSEFCOUE=[12] 報告
【Front Japan 桜】日本人の死生観を問う[桜R3/8/13]
キャスター:藤井聡・葛城奈海




【ch桜・別館】紳士なスウェーデン人と日本の武士道[桜R3/8/13]
2021/08/13
出演:藤井聡・葛城奈海





藤井聡は下級国民が嫌いなだけだよ、武士は上級国民だからね:

週刊クライテリオンの思想というのは要するに、働けなくなった下級国民は安楽死させろ、という事になりますね。

下級国民は定年で働けなくなったら、国民健康保険で腎臓の透析等の高額治療を受けられなくなって死ぬ事になる。
上級国民は年間何百万円もの民間の超高額医療保険に入って透析を受けるから死なない。


週刊クライテリオンの老人治療と介護は若い人の時間と金の無駄遣いという思い込み

そもそもノーベル賞学者や大芸術家なら100歳になっても殺さないんだろ。
ロックフェラーやジョージ・ソロスも100歳になっても殺さないんだろ。
大西つねき氏はそういう命の選別の不平等を許容するんだね。
上級国民は70歳を過ぎても臓器移植を受けさせて貰い、
若い下級国民は年取った上級国民の為に臓器を提供させられる。
まさにマルクスが預言した階級社会だね。
週刊クライテリオンはそういう階級社会を目指している事になる。

現代では技術の進歩・効率化で生産効率が上がって、労働者は1日2, 3時間も働けば食べて行ける。従って、若い人には老人の介護をするくらいの時間的な余裕は十分ある。

失業者は常に沢山居るんだから、十分な給料さえ出せば介護職に就きたい若者は幾らでも出て来るしね。

週刊クライテリオンは何時も貨幣は幾らでも発行できる、と言っているのに、下級国民の年寄りの医療・介護に使うお金と時間だけは無駄だという主張だね。

人の大切な親も、「政治で決まったんで死んでもらいます」と言って引き剥がして殺処分するんだ。それができれば若い人ももっと奴隷労働に打ち込めるとお考えなんでしょうねえ。
親を殺され自分も殺処分されると知りながらお国のために生きるのはさぞかし充実した生き方になると
笑いが止まらんわ全く

週刊クライテリオンは形のある物を作るのが価値有る仕事だという考え方ですね。

パチンコ屋とかギャンブルは何も生み出さないから、穴を掘ってまた埋めるのと同じ類の後に何も残らない無駄な仕事
スポーツも後に何も残さないから無駄な仕事。

日本語より英語を学ぶ方が世界中で使えるから価値が有る
日本で勉強するよりアメリカに留学した方が世界中で活躍できるから価値が有る

すぐに死ぬ人間の治療や介護も後に何も残さないから無駄な仕事。

要するに週刊クライテリオンは新自由主義的合理主義ですね。

週刊クライテリオンの編集者は世界を知らない、世間を知らない、現実を知らないまま、偉そうなことを言うような人間になって、上から目線であれこれ思いついたことを言っているのだろう。

しかし、この気持ち悪い週刊クライテリオンの編集者だけがそう思っているのかというと、きっとそうではないはずだ。上級国民は貧困に対して鈍感なところがある。それは自分たちには絶対的に無関係だという姿勢からくるものだろう。

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