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ワーグナー
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/168.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 21 日 09:58:17: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 中川隆 _ 音楽史関係投稿リンク 投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 11 日 19:31:36)


ワーグナー


ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html

ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/812.html

ワーグナー 楽劇「パルジファル」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/813.html  

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コメント
1. 中川隆[-13060] koaQ7Jey 2020年4月06日 09:36:54 : pusBXgIaZg : MVFpUkJNanQydFE=[10] 報告

ニーチェが耽溺したワーグナー トリスタンとイゾルデの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/375.html

アドルフ・ヒトラーの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/374.htm

2. 中川隆[-13298] koaQ7Jey 2020年4月15日 13:14:09 : HgktOnod6s : ZkdSQWE4ZmxFWHc=[8] 報告


ピアニスト・文筆家 青柳いづみこ 2014年5月22日 ·
アルフレッド・コルトーの手

ベルナール・ガヴォティ『アルフレッド・コルトー』(白水社・遠山一行、徳田陽彦訳)にはまっている。

コルトーと言えばショパン弾きで、すばらしい録音を残し、楽譜の校訂もしている。しかし、若いころの彼はワーグナーの指揮者だったのだ。1896年、パリ音楽院で一等賞を得て卒業したコルトーは、プレイエル・ホールの支配人のとりもちで、バイロイト祝祭歌劇場の舞台音楽助手をつとめている。

この年バイロイトでは、こけら落とし後はじめて『指輪4部作』を上演している。ハンス・リヒターとフェリックス・モットル、巨匠の息子のジークフリート・ワーグナーが交替で指揮にあたった。コルトーはコレペティトーアとして、歌唱指導、合唱指導、プロンプター、練習指導などあらゆる役をこなした。裕福なツーリストたちに楽劇の粗筋を説明する仕事まであった。

1861年に『タンホイザー』の初演がスキャンダルを巻き起こして以来、パリではワーグナーの舞台に接することはできなかった。コルトーは師のディエメールと、プレイエルが発明したピアノ・ドゥブル(ひとつの響板に2つの鍵盤をもつ楽器)でワーグナーの楽劇を演奏して名をあげた。

1900年にはようやく『トリスタンとイゾルデ』がパリで上演された。熱狂したコルトーは、自分でもワーグナー作品 を上演したいものだと思い、メセナのグレフュール伯爵夫人(プルースト『失われた時を求めて』のゲルマント侯爵夫人のモデルの一人)に援助を求めた。

1902年5月、ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』初演のひと月後、弱冠25歳のコルトーは、自ら指揮棒をとり、シャトー・ドー劇場で『神々の黄昏』をフランス初演し、6月には『トリスタンとイゾルデ』を再演した。ピアニストとしては繊細なタイプだったコルトーの豪胆な指揮ぶりは評判になったが、財政的には大コケで、35万フランもの借金を背負った。

コルトーが職業演奏家になったのは、この負債を返すためだったのだ。数年間なおざりにしていた練習を始め、1903年から12年までヨーロッパのあらゆる場所で弾いた。「ピアニストが指揮者の軽はずみな行為の代償を払っていたのだ」とコルトーは語る。

コルトーのショパンはルバート(テンポののびちぢみ)が多く、私の学生時代には「くずれるので真似してはいけません」と言われたものだが、そのロマンティックなスタイルにはこんな背景があったのか・・・。

それにしても、登場人物の豪華なこと! コルトーはパリ音楽院の先生ドゥコンブから、数回指導を受けたというショパンの思い出をきいた。コジマ・ワーグナーはまだ存命で、父のリストや夫の話を何度も語ってくれた。クララ・シューマンもまだ生きていた。

アントン・ルービンシュタインの前では『熱情』ソナタを弾いた。巨匠はコルトー少年に、坊や、べートーヴェンは小細工するものではなく再創造するものだよと言い、それがコルトーの演奏指針となった。

ジョルジュ・エネスコはパリ音楽院の同級生だった。13歳の少年は、見事にヴァイオリンとピアノを弾きこなし、「まだ交響的序曲を3曲しか書いてないか、交響曲を書くのが夢だ」と語った。ジャック・ティボー、パブロ・カザルスとは伝説のトリオを組んだ。

1921年に創設したエコール・ノルマル音楽院の公開講座では、この2人の他、チェンバロにワンダ・ランドフスカ、ピアノにブランシュ・セルヴァとマルグリット・ロン、声楽にレイナルド・アーン、オルガンにマルセル・デュプレ、フルートにフィリップ・ゴベール、作曲にストラヴィンスキーらを招いた。
20世紀初頭から第2次世界大戦まで、ヨーロッパのきらびやかな文化的背景と楽壇風景には頭がくらくらする。
https://www.facebook.com/aoyagi.izumiko/photos/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%89%8B%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E7%99%BD%E6%B0%B4%E7%A4%BE%E9%81%A0%E5%B1%B1%E4%B8%80%E8%A1%8C%E5%BE%B3%E7%94%B0%E9%99%BD%E5%BD%A6%E8%A8%B3%E3%81%AB%E3%81%AF%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%81%88%E3%81%B0%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3%E5%BC%BE%E3%81%8D%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84%E9%8C%B2%E9%9F%B3%E3%82%92%E6%AE%8B%E3%81%97%E6%A5%BD%E8%AD%9C%E3%81%AE%E6%A0%A1/275857509252184/

3. 中川隆[-13297] koaQ7Jey 2020年4月15日 13:16:51 : HgktOnod6s : ZkdSQWE4ZmxFWHc=[9] 報告
アルフレッド・コルトー、来日時の会話(1952年)2016-07-06
https://blog.goo.ne.jp/hirochan1990/e/89f69cd72559b456c94e2a0764d6b1ba

芸術新潮1952年11月号に来日中のコルトーへのインタビュー記事がありました。聞き手はコルトーの弟子、本野照子さん。

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恩師コルトオが日本に着いてからもう十日以上となる。その間先生に附添って、親しくその生活にふれ、言葉を交すことが出来たのは、後の日までも私の心に残るに違いない。いま、その会話の数々の中から、とくに個人的に亙るものを除いて、いくつかをコルトオを愛する人々のために記しておこうと思う。


↑ 帝国ホテルにて


― やっと日本へお出になられましたね。

CORTOT 文明の国、芸術の国、詩的な国、日本に来られてこんなにうれしい事はありません。旅行は汽車で出来るでしょうね。芸術的な自然美に接するには、汽車か自動車でなければ駄目です。日本へ来ることについて、私の楽しみの一つは景色をよく眺めることですから。

― 今、フランスでは若い人で音楽をやっている人は沢山いますか。日本では、戦後とくに学生で音楽をやっている人、又やらないでも愛好者が非常にふえたように思われるのですが。

CORTOT 非常に多いです。私は七人のリセ(高等学生)の若い人を集めて音楽サークルをはじめましたが、今では、フランス全体で二百万人もいます。皆、戦争の為に荒だった気持や思想を音楽によって癒されているのです。演奏だけではなく一般の音楽的教養を身につけているのです。

― 御希望どおり学生の為の演奏会を催されるそうですがそれには何をお弾きになりますか。

CORTOT 学生達の好きそうな曲を弾きたいと思います。練習曲(エチュード)はどうでしょう。ピアノをやる学生は皆、一度は弾くでしょうから。

― お気に召すか知れませんがお部屋にピアノを入れておきました。

CORTOT それは有難う。ルービンシュタインが昔言っていたように、「一日弾かないと自分が気がつく、二日弾かないと友達が気がつき、三日弾かないと聴衆みながそれに気がつき」ますからね。

― もし大阪で一回しか演奏会が出来なかったとしたら、どのプログラムをお選びになりますか?

CORTOT 大阪は大きな町ですから、プログラムA(前奏曲と練習曲)を選びます。

― 地方でしたら?

CORTOT 皆に知られていて、偉大な作品ばかり入っている、プログラムC(ショパン、シューマン)を選びましょう。この中には、シューマンの謝肉祭、葬送行進曲の入っているショパンのソナタなどがあります。

― ただ一度の演奏会の時、聴衆の希望によりショパンの物、たとえばフランスの近代作曲家の曲をまぜる事は出来ますか?

CORTOT 絶対に出来ません。そんな事をしたら作曲家が泣きますよ。食事の時にスープとデザートをまぜて食べられないように、ロマンチックと近代をまぜることはできません。演奏する時は自分を輝かせることを考えてはいけません。それから聴衆のことを考えるより前に、作曲家のことを考えないといけません。

― お好きな作曲家はやはりショパンとシューマンですか。

CORTOT いいえ、バッハ、ベートーヴェン、ワーグナーです。無論ショパン、シューマンは好きですが、全然違った意味で好きなのです。あの三人(バッハ、ベートーヴェン、ワーグナー)は偉大なる音楽家ですからね。バッハの中には、何でも入っています。バッハ以後の作曲家の曲には彼の何かが入っています。たとえば、世界中の楽譜がなくなってバッハの平均律の一、二がどこかの島に残ったとしたら、今までの作曲家達の作品を全部つくりなおすことが出来るに違いありません。シューマンの作品の中にはシューマン自身が入り込んでいます。クレイスレリアーナを作曲したとき、クララに、この曲の中には、君に対しての喜び、悲しみ、淋しさ、怒りのすべてが入っていると言ったそうですね。

― 近代音楽では、誰の作品がお好きですか。やはりドビュッシーですか?

CORTOT 良い曲であれば誰のものでも好きです。別に好き嫌いはありません。ラヴェル、フォーレなど好きですね。ドビュッシーは日本の俳句と同じです。とてもきれいな曲があります。好きな曲では、ドビュッシーのプレリュード、ラヴェルの夜のガスパール、まだ他にもありますが。

― バッハを本当に弾くには宗教がなければいけないのではないでしょうか、教会の中での厳粛な空気にひたらないとバッハの気持が分からないように思われるのですが?

CORTOT バッハはアンテルプレタシオン(解釈)が非常にむずかしいですね。何時も天にむかって上へ上へと行く建物......これが教会の――どの宗教でも同じですが――スタイルです。それと同じようにバッハの音楽は天にむかって弾くものです。神への賛美、神への訴え。バッハでも他の作曲家の曲でもすべて音楽は指で弾くものでなく、魂と心で弾かなければなりません。それを現すために手首のやわらかさが手伝ってくれるのです。西洋の音楽は、すべて感情の現れです。だから、弾く時には当然、自分の感情を、現わさなければなりません。大きな鼻を持っているとか小さな口を持っているというようにその曲に対して持っている感情は各々違うものですからそれを現すのが、アンテルプレタシオンです。

― 今度の演奏会でバッハをお弾きにならないのは非常に残念です。

CORTOT バッハは自分の為にだけ弾くのです。

― 小さい時から曲を弾く時にその曲のイメージを描いて弾いていたのですが、同じ曲を弾いても子供の時と今とでは、イメージが全然、違ってしまっています。やはり子供の時は、童話に出てくるようなイメージを描いていたのですね。自分勝手なイメージですから作曲家自身の考えていたのとは違うのかもしれませんが、自分のイメージで弾くと弾きやすいのです。いけないことですか?

CORTOT いいえ、それは非常に良いことです。指を忘れて、曲のイメージを作って弾くものです。アンテルプレタシオンは前にもいったように自分の気持ちの現れですからね。

― 暗譜で弾く時一人の折は良いのですが、人の前では、何となく不安で困ります。どうしたら良いでしょう?

CORTOT 演説家が書いたものを見ないで話す時、話そうとしている内容を前からよく知っていれば、先へ先へと何のこだわりもなく話していくことができます。それと同じように音楽も曲の内容を前もって良く知っていれば、心配なく弾けます。内容とイメージだけで後のことは、忘れて良いのです。楽譜を目の前に置いて弾くのだと、見るということを意識するので、本当のアンテルプレタシオンを現すことはむずかしいのです。

― 「舞踏への勧誘」のナマをうかがうのは今度が初めてです。レコードではよくうかがいました。

CORTOT 可愛い美しい曲でしょう。レコードと今度弾くのとではアンテルプレタシオンが少し変わっていますよ。あれを吹き込んだのは1918年頃だったでしょう。

― たとえばどういう風に....

CORTOT レコードに吹き込んだ頃の私が想像(感じ)していたイメージは、大勢の人が舞っている風景でした。だからブリリアントに弾いていたのですが、今は違います。大勢舞っている中から、一組だけ抜け出した、恋人達の様子が目に浮かびます。そして、踊りながらする恋物語、私はこの曲が大好きです。この曲ではどこでも聴衆が失敗をするのですよ。最後の一寸前で曲が終わったように思われるので拍手をしてしまうのです。そうして実際に終ったときは拍手をしないのですよ。

― 戦後若いピアニストは女と男に区別してどちらが多いのですか。

CORTOT どちらが多いか知りませんが多分女でしょう。女といえば面白いことがあります。女の人が一番良く勉強するのは14、5の時ですよ。年頃になるとお化粧、ダンス、初恋などに忙しくて不勉強になりがちです。音楽の勉強には、必ず努力、根気、(遊ぶことへの)犠牲が必要ですからね。

― 手が小さくて、本当に困る事があります。

CORTOT 手が小さくて良いこともあるのですよ。三度などが美しく弾けるでしょう。私などは三度が美しく弾けなくて困ります。

― ポロネーズなど弾けなくて困っております。

CORTOT 自分の肉体にマッチした作品を選ばねばいけません。そうしないと手にこだわって本当に弾くことは出来ないものです。

― では手の小さな人には何がよいのでしょう?

CORTOT ドビュッシー、モーツァルト、ヴィヴァルディなどがいいでしょう。モーツァルトのファ・ディエーズを含むソナタなどがよい。【←嬰ヘの楽章ありましたっけ?】

― リストのハンガリー狂詩曲をお弾きになってお疲れになったでしょう。

CORTOT 私はピアノを弾いて疲れたことはありません。第一、狂詩曲を弾くのはベートーヴェンのアンダンテを弾くのよりずっと楽です。

― ショパンのプレリュードの中ではどれがお好きですか。

CORTOT 2番です。何とすばらしい曲でしょう。

― エチュードの最後の三つはひどく疲れる曲でしょう。お疲れになりません?

CORTOT そう、確かに全身の神経を必要とする曲ですね。

― お能をご覧になったご感想は....

CORTOT 何とすばらしいものでしょう。音楽ではありませんが、魂を圧倒する何かがあります。そして重みのあるもの、クローデルの詩みたいです。

― 文楽はいかがですか。人形をあやつる人は邪魔になりませんでしたか?

CORTOT これもまた違った意味ですてきです。動かない顔が体や手の動きのために、生きた表情に見えるのには感心しました。あやつる人と人形は一つになっていますね。そして、三味線が非常に美しかった。とても上手です。神経質なテンポに変わる所など、音楽家として立派ですね。あの日本の音楽家達に非常に感心したと伝えておいてください。

― 東洋人の音楽は、何となく冷たいような気がするのですが。

CORTOT 我々は日常の生活で喜び悲しみすべて感情を外に現していますが、東洋人は今までの教育で自分の感情に出さないように育っているようですから音楽に現わすのもむずかしいのではないのでしょうか。今までの習慣のために.....

― 日本固有の芸術家に対して何かご意見がありますか。

CORTOT 日本みたいに古い歴史と芸術をもっている国ではそれ自体の美を生かすべきだと思います。音楽にしろ絵にしろ自分の国の個性を出さずに西洋のまねをすることは非常に惜しいことです。もっともっと日本の個性を出してほしいですね。スペインの音楽、ポーランド、ハンガリーの音楽のように祖国の個性を出したものの作曲家を私は聞いてみたいと思います。

― 日本の景色はいかがでしたか?

CORTOT すばらしい自然の美、まるで手入れを良くしてある庭みたいです。そして清潔な緑の田畑の瑞々しさ、東京から大阪の間、一瞬も窓から目を離すことが出来なかった程美しかった。

― 日本で今まで目にお付きになったことは?

CORTOT 和服の色彩の美しいこと、陶器のしぶさ。それから書の美しさ、あれはまさに絵です。柔らかい感じと固い感じの調和が実に良く筆で現れています。ペンで書かれると美しさが少し落ちるようですね。

― 先生がお好きな楽器は何ですか。

CORTOT スタインウェイ。昔からです。何と素晴らしいピアノでしょう。ピアニストにとって良い楽器はかけがえのない物ですからね。楽器が本当に良くないと自分の気持を外に現すことが出来ません。自分の気持が聞いている人の心に伝わるのが音楽なのですから楽器の役目は非常に偉大なのです。

― どういうのが本当に良いピアノなのでしょう。

CORTOT 弾き出す時に、まず一寸抵抗があってそれからやわらかくなることと、ペダルが怠け物でないことです。前にいったように、はじめの抵抗だけでかるいパッセージは弾けなければなりません。美しいピアノ(弱い美しい音)を出すのには、色々の研究を必要とします。楽器、そして自分の経験。日本の楽器が非常に良い楽器なのには感心しました。普通新しい楽器ピアノを作る時は自分の家特有なものを作りたがるものです。だから本当に他のピアノを研究して、その良いところを取り上げて作るピアノは珍しいです。

― フランスのプレイエル、ガボ、エラールはどうなりましたか。

CORTOT 戦後は駄目です。エラールは全然終ってしまい、プレイエルもほとんど下り気味で駄目です。昔、あなたも会ったことがあるでしょう。三十年間私についていた調律師、あれが死んでからおちてしまいました。努力をしているピアノ、しかし儚い努力をしているピアノはガボです。その努力には頭が下ります。

― 日本の聴衆をどうお思いになりましたか。

CORTOT 実に真面目で礼儀正しいです。そうして音楽を愛していることが良く判りました。私のピアノ演奏など問題ではありません。作曲家達の気持をよく判ってくれていることが弾いている私に通じて本当にうれしいです。そして、音楽を愛している人達がこれから先の長い若い人々であることはこの年取った私をどんなに喜ばせてくれていることかお分かりになるでしょうか。

― 最後に、若いピアニストへ何かご忠告を頂けませんでしょうか。

CORTOT ピアノを忘れて音楽にひたること、それだけです。

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このときのコルトーは目を引くような、刺激的なことは言っていませんが、優しいひとだったんだな〜と思いました。

https://blog.goo.ne.jp/hirochan1990/e/89f69cd72559b456c94e2a0764d6b1ba

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