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(回答先: 韓国への戦争賠償を優遇措置と言ったので永遠に韓国から たかられる事になった 投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 25 日 16:50:17)
2021年01月09日
保導連盟事件 韓国人が隠す犠牲者100万人の闇
http://www.thutmosev.com/archives/73156663.html
事件の多くは米兵立会いのもとで起き、米軍も承認していた
建国と同時に自国民を粛清
韓国人や韓国政府は「日本のせいで100万人が犠牲になった」という話をとても好みます。
ちょっとした事でも「犠牲者数十万人から数百万人」を連呼するのは理由があり、自分がやったある出来事を隠すためです。
韓国建国と同時に、日本帝国の押さえが無くなった朝鮮人は、南北で戦争を始めただけでなく、互いに自国民を粛清した。
北朝鮮の金日成が自国民を弾圧したのは知られているが、南朝鮮も北朝鮮以上に自国民を弾圧しました。
弾圧を始めたのは38度戦以南を占領した在韓米軍で、北朝鮮を支持したり半島統一を主張する者が対象でした。
最初の弾圧は韓国建国前からで、1945年9月7日に連合軍がソウルを占領し、軍政実施を宣言するとすぐ反対運動が起きた。
1945年8月15日に天皇が停戦命令を発し、9月2日に降伏文書調印、9月6日に朝鮮総督府は「朝鮮民主共和国」独立を宣言しました。
日本軍は朝鮮を独立させることで影響力を残し、本土引き上げを円滑にすると共に、戦後も半島で権益を保持しようとした。
そうはさせまいとアメリカ軍はなんと建国翌日にこれを取り消し、朝鮮人たちは「新しい侵略者」を自分たちの敵と認識した。
日本時代には分断されていなかったのに、米軍とソ連軍が勝手に侵略し分割したとして、統一運動が起こりました。
半島統一運動=反米運動であり、1946年には物価高騰やコレラなど疫病蔓延、軍政への反発によって南朝鮮全土で反米暴動が起きました。
1946年10月1日には230万人が参加する反米暴動があり、占領軍は市民に発砲して百数十人がなくなりました。
済州島四・三事件から保導連盟事件へ
朝鮮半島は戦時中の爆撃もほとんどなく、徴兵も徴用もされず食糧不足も無く、第二次大戦とは無縁でした。
空襲から逃れて朝鮮に避難するのが流行になったほどで、第二次大戦にはまったく関係ありませんでした。
そこに米軍がドヤドヤ乗り込んで来て軍事統制と弾圧をやり始め、経済は滅茶苦茶になり、疫病まで蔓延させました。
こうした反発から反米運動が南朝鮮に蔓延し、米軍は警察や軍隊、ヤクザやならず者まで動員して、反対派を襲撃させました。
事態が急激に悪化したのは1948年4月3日で、済州島の統一運動家らをアメリカ陸軍司令部が、ヤクザを使って襲撃させました。
続いて警察や治安部隊、軍隊も動員し、1957年までに島民30万人のうち8万人がなくなったと推測されています。
手に負えなくなったアメリカは南朝鮮を独立させる事にし、1948年8月13日に大韓民国を独立させ、親米運動家の李承晩を任命した。
李承晩は済州島での弾圧を米軍から引き継いで、島民が10分の1に減少するまで続けました。
だがこの済州島での弾圧ですら、その後韓国全土で行われる大弾圧の、最初の始まりに過ぎませんでした。
韓国を独立させるとアメリカは朝鮮半島への興味をすっかり失い、さっさと占領軍を引揚げてしまいました。
1950年6月25日に金日成の北朝鮮軍が38度戦を突破すると、韓国軍はあっという間に釜山まで追い詰められました。
韓国軍が撤退する最中に起こしたのが保導連盟事件で、住民を手当たり次第「スパイ」として粛清しました。
韓国軍は住民を捕まえてはスパイとして粛清した
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引用:http://3.bp.blogspot.com/-HmeKhJ1Eudk/UVpZRGBdTkI/AAAAAAAAG2k/2zHK_P1nDHM/s1600/396.jpg
保導連盟事件で100万人以上が犠牲
朝鮮戦争では韓国側の民間人被害が67万人だが、保導連盟事件の犠牲者は100万人以上と言われています。
スパイ狩りにはまたしても米軍が関わっていて、多くのスパイ粛清を米軍は知っており、見て見ぬふりどころか立ち会っていました。
現存する写真の多くをアメリカ兵が撮影したが、つまり米兵は現場にいて事件に加担していた事になる。
朝鮮戦争の原因のひとつが、反米運動と米軍による弾圧、李承晩による済州島弾圧で韓国国民の反発が大きかったからでした。
北朝鮮軍が「解放者」として南に進軍すれば、南朝鮮の人達は一斉に蜂起すると、金日成は考えていたようです。
北朝鮮軍は6月25日に38度戦を突破し、9月始めには釜山周辺と済州島を除く全土を占領し、戦勝は確実と思われました。
僅かに残った釜山と済州島は在日米軍が守り、日本からの支援によってかろうじて防衛されていました。
李承晩による韓国本土でのスパイ狩りは、北朝鮮軍が侵攻した6月25日に開始され、手当たり次第住民を捕まえては、北のスパイとして粛清しました。
統一運動に参加したものや李承晩に反対したもの、反米運動に加わった者、親日家など誰でも対象にされました。
韓国政府は今日に至るまで事件を認めず、公式な統計もないが、100万人以上というのが定説になっています。
韓国政府は隠すだけではなく、犯行は北朝鮮軍によって行われたとか、日本の占領時代に行われたなどの創作も行いました。
韓国政府が事在るごとに「100万人の韓国人が日本の犠牲に成った」と言いたがるのは、自分が犠牲にした韓国人が100万人以上だからです。
日本を憎ませて目くらまし
済州島の8万人粛清を隠すのにも日本軍が利用され、日本軍が「慰安婦狩り」をした事にして事件を隠そうとしました。
朝鮮半島全土でも日本軍は100万人の慰安婦狩りをした事になっているが、むろんそうした方が保導連盟事件を隠すのに好都合だからでした。
北朝鮮軍と李承晩から逃げ出した韓国人は日本に密航し、朝鮮戦争前後に20万人前後が渡航し、「在日韓国人」になりました。
アメリカ軍側には、米軍立会いの下で「スパイ」の刑執行が行われた記録が数多くあり、米韓は共謀して行っていました。
韓国政府とアメリカ政府はこの事件を追及されたくないために、この後半島における「日本軍の戦争犯罪」追求に執着する事になります。
韓国国民の目を韓国政府の犯罪からそらすためには、どうしても日本軍に罪をかぶってもらい、憎悪を一身に浴びて貰いたかったのです。
こうして日本時代には発展し戦争とも無縁に暮らしていた朝鮮人は、アメリカ軍とアメリカが決めた無能な指導者のために、数年で全てを失い流民になった。
国民全員が無一文のホームレスになった韓国を助けたのが、またしても日本だったのだが、1952年に李承晩は竹島を侵略して自分の手柄にしました。
この時まだ自衛隊や警察予備隊はなく、米軍占領下だったので「侵略しても日本は反撃できない」と見越しての行動でした。
竹島占領後も日本は韓国への援助を続け、1960年代には日本の援助が国家予算の半分も占めていました。
http://www.thutmosev.com/archives/73156663.html
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