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ユダヤ陰謀論 _ 林千勝
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1167.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 11 月 16 日 10:20:47: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ユダヤ陰謀論 _ 宇野正美 投稿者 中川隆 日時 2020 年 4 月 05 日 19:04:43)

ユダヤ陰謀論 _ 林千勝


林千勝の陰謀論を考える _ 八百長の太平洋戦争を策謀したのは昭和天皇ではなく近衛文麿だったのか?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/417.html

林千勝の日米戦争の近衛文麿陰謀説 _ 昭和天皇の戦争主導を隠蔽するのが目的か
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/624.html

昭和天皇はウォール街のエージェントだったので、共産主義者のルーズベルト大統領と対立して対米戦争を起こした
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/614.html

鬼塚英昭著『原爆の秘密〔国内編〕〜昭和天皇は知っていた』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1051.html

鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1052.html

近衛上奏文
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1126.html

寺島英弥 引き裂かれた時を越えて――「二・二六事件」に殉じた兄よ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1128.html

関東軍の中枢は共産主義者の巣窟であった。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1055.html

餓死した英霊たち
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/975.html

東南アジアで日本は何をしたのか 林博史
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1105.html

山本五十六の真実
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1050.html

ヨハンセンと呼ばれた男 戦後最大の裏切り者 吉田茂と白洲次郎
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1049.html

戦後日本のバブル崩壊以前の一億総中流社会は共産主義者ばかりの GHQ が意図的に作ったものだった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/830.html  

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コメント
1. 中川隆[-9611] koaQ7Jey 2020年11月25日 12:22:21 : Hcybxt2cKE : T3FMVEYuT2xielU=[9] 報告
特番『エスタブリッシュメント対反エスタブリッシュメント!米国大統領選挙を米国史から検証する。』ゲスト:近現代史家 林千勝氏
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特番『エスタブリッシュメント対反エスタブリッシュメント!米国大統領選挙を米国史から検証する。』ゲスト:近現代史家 林千勝氏
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3. 2021年1月16日 19:18:24 : rerJEANHFY : aXNjZy9RLkFCLk0=[25] 報告
【ダイジェスト】アメリカ大統領選挙を側で操るロスチャイルド家とゴールドマンサックス(三橋貴明×林千勝)
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4. 中川隆[-8209] koaQ7Jey 2021年1月16日 19:20:36 : rerJEANHFY : aXNjZy9RLkFCLk0=[26] 報告
トランプはロスチャイルドのエージェントで反ロックフェラー(反ディープステート)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/343.html
5. 中川隆[-7737] koaQ7Jey 2021年2月04日 10:21:53 : K6muIrSMR2 : TlUudzl6bDUwWlk=[9] 報告

2021.02.04XML
ナワリヌイにつらなるアングロ・サクソンの対ロシア工作
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102040000/


 西側ではロシアの「民主派」として宣伝されているアレクセイ・ナワリヌイがロシアへ戻り、拘束されたが、​ナワリヌイの側近がイギリスの外交官と接触、不安定化工作について話し合う様子が撮影され、それをロシアのメディアが放送​した。相手のイギリス人はMI6(イギリスの情報機関)の人間だと見られている。

 ナワリヌイはエール大学の奨学生となり、同大学で学んでいるが、その手配をしたのはマイケル・マクフォール。バラク・オバマが大統領だった2010年8月、ムスリム同胞団を使って中東から北アフリカにかけての地域でアメリカ支配層にとって目障りな体制を転覆させるためにPSD-11を承認したが、その計画を作成したチームのひとりがマクフォール。

 この人物は2012年1月に大使としてモスクワへ着任するが、​その3日後にロシアの反プーチン派NGOの幹部が挨拶に出向いている​。その年の2月にはロシアで大統領選挙が予定されていて、その選挙に対する工作を指揮することがマクフォールの任務だったと考えられている。

 NGOの中には「戦略31」のボリス・ネムツォフとイーブゲニヤ・チリコーワ、「モスクワ・ヘルシンキ・グループ」のレフ・ポノマレフ、選挙監視グループ「GOLOS」のリリヤ・シバノーワらがいた。

 戦略31はNEDから、モスクワ・ヘルシンキ・グループはNEDのほかフォード財団、国際的な投機家であるジョージ・ソロス系のオープン・ソサエティ、そしてUSAIDから、GOLOSもやはりNEDから資金を得ている。

 CIAには秘密工作を実行するための資金を流す仕組みが存在する。定番のルートがNED(国家民主主義基金)やUSAID(米国国際開発庁)だ。NEDは1983年にアメリカ議会が承認した「民主主義のための国家基金法」に基づいて創設された組織で、政府から受け取った公的な資金をNDI(国家民主国際問題研究所)、IRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターへ流しているのだが、そうした資金がどのように使われたかは議会へ報告されていない。CIAの活動内容を明らかにすることはできないからだ。USAIDもクーデターや破壊活動などCIAの秘密工作で名前が出てくる。

 アメリカの私的権力は1991年12月のソ連消滅で自分たちの国が唯一の超大国になったと考え、他国に配慮することなく侵略戦争を行い、世界を制覇できると考えた。そして作成されたのがウォルフォウィッツ・ドクトリンだが、そのプランは21世紀に入って大きく揺らぐ。ウラジミル・プーチンを中心とする勢力がロシアを曲がりなりにも再独立させることに成功したのだ。

 ロシアでナワリヌイは支持されていないが、西側ではロシアに対する攻撃を正当化するために利用されている。大多数のロシア人には相手にされない戯言でも西側では信じる人が少なくないだろう。

 イギリスのロシアに対する工作は遅くとも20世紀の初頭から行われている。例えばイギリス外務省は1916年にサミュエル・ホーアー中佐を中心とするMI6のチームをロシアへ送り込んでいる。その中にステファン・アリーとオズワルド・レイナーが含まれていた。

 アリーの父親はロシアの有力貴族だったユスポフ家の家庭教師で、アリー自身はモスクワにあったユスポフの屋敷で生まれている。レイナーはオックスフォード大学時代からフェリックス・ユスポフの親友。イギリスはロシアをドイツとの戦争に引きずり込もうとしていた。

 ロシアの産業資本やユスポフは戦争に賛成していたが、皇后やグレゴリー・ラスプーチンという修道士は戦争に反対、ラスプーチンはイギリスにとって邪魔な存在だ。ラスプーチンの背後には大地主がいた。

 そうした対立の中、皇后は1916年7月13日にラスプーチンへ電報を打つが、それを受け取った直後にラスプーチンは見知らぬ女性に腹部を刺されて入院。8月17日に退院するが、その前にロシアは参戦していた。

 そして1916年12月16日、ラスプーチンは暗殺される。川から引き上げられた死体には3発の銃弾を撃ち込まれていた。最初の銃弾は胸の左側に命中、腹部と肝臓を貫き、2発目は背中の右側から腎臓を通過。3発明は前頭部に命中し、これで即死したと見られている。暗殺に使用された銃弾はイギリスの軍用拳銃で使われていたものだ。

 暗殺したのはユスポフを中心とする貴族グループだとされているが、このグループはMI6のチームと接触していた。イギリスのお抱え運転手だったウィリアム・コンプトンの日記によると、彼はレイナーをユスポフの宮殿へ1916年の10月の終わりから11月半ばにかけて6回にわたり運んだという。またユスポフは1916年12月19日にレイナーと会ったと書き残している。(Joseph T. Fuhrmann, “Rasputin,” John Wiley & Son, 2013)

 ロシアでは1917年3月に二月革命があり、大地主は権力の座から陥落して産業資本家を後ろ盾とする臨時革命政府が成立した。この政府は戦争を継続、ドイツは両面作戦を続けなければならなかった。そこで目をつけたのが即時停戦を主張していたボルシェビキだ。

 二月革命に際、ボルシェビキの指導者は国外に亡命しているか、刑務所に入れられていて、例えば、レーニンはスイスにいた。そうしたボルシェビキの幹部32名をドイツは「封印列車」でロシアへ運んだ。レーニンが帰国したのは1917年4月。その後、紆余曲折を経て11月の十月革命でボルシェビキ政権が誕生、ドイツとの戦争を止める。

 しかし、ドイツ軍は迅速に部隊を西側へ移動させられなかったことから1918年11月には敗北する。その3カ月前にイギリス、フランス、アメリカ、そして日本などはロシア(ソ連)に軍隊を派遣して干渉戦争を始めた。

 そうした経緯があるため、その後もドイツとソ連との関係は悪くなかった。ボルシェビキと米英の金融資本を強引に結びつけようとする人びとがいるが、それよりはるかに強くユニポフを中心とするロシア貴族やケレンスキーの臨時革命政府は結びついていた。この結びつきを現在の西側を支配している勢力は秘密にしたがっている。

 ソ連とドイツとの関係を破壊したのはアドルフ・ヒトラーだ。第2次世界大戦でドイツ軍はソ連へ攻め込むが、スターリングラードでの戦闘で大敗、その直後からウォール街の大物、つまりアレン・ダレスたちとナチスの幹部は接触を始め、善後策を協議している。

 アレン・ダレスが君臨していたCIAが世界各地で買収、恫喝、暗殺、クーデターを含む秘密工作を展開してきたことは広く知られている。ダレスが死んだ後も変化はなく、秘密工作の一端は1970年代にアメリカ議会でも明らかにされた。今でもロシアや中国は勿論、中東、東南アジア、東アジア、ラテン・アメリカ、アフリカなど全世界が活動の舞台だ。

 CIAは第2次世界大戦中に活動していたOSS(戦略事務局)の後継機関として設立された。OSSは1942年6月にウォール街の弁護士だったウィリアム・ドノバンを長官として創設されたが、そのモデルはイギリスの機関だった。特殊工作はSOE(特殊作戦執行部)、通常の情報活動はMI6に基づいて組織されている。

 ドノバンは巨大化学会社デュポンの顧問弁護士を務めていたが、その時の同僚弁護士のひとりがアレン・ダレス。この関係でドノバンはダレスををOSSへ誘い、特殊工作を担当するSOを指揮させた。それ以降、ダレスはアメリカにおける秘密工作のトップとして君臨する。この時からアメリカの情報機関は金融資本と緊密な関係を維持している。

 SOEは1940年にイギリスの首相だったウィンストン・チャーチルの命令で創設され、初代長官は保守党の政治家だったフランク・ネルソンが選ばれた。1942年に長官はチャールズ・ハンブローに交代するが、この人物はハンブロー銀行の人間だ。チャーチルは親の代からロスチャイルド家と緊密な関係にあるが、ハンブローとも親しかった。

 大戦後、OSSは廃止される。アメリカでは平和時に情報機関を持つべきでないとする意見があったが、情報の収集と分析だけにするという条件で1947年7月にポール・ニッツェの執筆した国家安全保障法が発効、9月にCIAは創設された。

 大戦中の1944年、イギリスのSOEとアメリカのSOは西ヨーロッパでドイツ軍と戦っていたレジスタンスに対抗するため、ジェドバラというゲリラ戦の部隊を編成する。レジスタンスの主力はコミュニストだったからである。後にベトナム戦争で住民皆殺し作戦のフェニックス・プログラムを指揮、CIA長官にもなったウィリアム・コルビーもジェドバラに所属していた。

 大戦後にジェドバラも廃止されるが、メンバーの一部は軍の特殊部隊へ流れるが、破壊活動を目的して秘密裏に組織されたOPCの幹部にもなる。この機関は1950年10月にCIAと合体、その翌年の1月にアレン・ダレスが秘密工作を統括する副長官としてCIAへ乗り込んだ。OPCが核になって1952年に作られたのが計画局である。

 この部署はCIAの「組織内組織」になり、今ではCIAを乗っ取ったような形。さらに国務省など政府内に触手を張り巡らせ、政府の外部にも「民間CIA」のネットワークが存在するが、その頭脳は今でもウォール街にあるはずだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102040000/

6. 中川隆[-5590] koaQ7Jey 2021年4月17日 22:47:58 : RSLdzPRb1s : Y0wwMFV6MDlreDI=[54] 報告
【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第1回「民族無き世界を目指す2つのグローバリズム〜ロスチャイルド家とカール・マルクスの繋がり」[桜R3/4/17]




これまでの歴史観とは全く違ったアプローチで、独自の近現代史を構築するノンフィクション作家・林千勝氏と弊社代表の水島が、現代の様々な問題を論じ合い、今後の日本の視座を考える対談番組。

出演:林千勝(近現代史研究家・ノンフィクション作家)・水島総(日本文化チャンネル桜代表)
7. 2021年5月03日 10:00:38 : VB5J2ALj5k : eXZCdXBKRnJBS0U=[4] 報告

【林千勝先生登場vol1】「東京裁判と明治維新の虚構を暴く!」
2021/03/02





【林千勝先生登場vol2】「国際金融資本が目指す世界とマルクスの正体」
2021/03/04








【林千勝先生登場Vol4】「日本の総理の正体と尖閣問題を暴く!」
2021/04/29





【林千勝先生動画Vol5】「70年談話の虚構を暴く!真実に右も左も関係ない!」
2021/05/01




8. 中川隆[-5277] koaQ7Jey 2021年6月27日 06:41:12 : 09g8CAKyOE : dExIekMuL1J3cVk=[14] 報告
日露戦争で最も儲けた男〜国際金融資本による闇賭博の裏側「林千勝」
2021/06/26





【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第3回「ロスチャイルド家の手練、コロナとチャップリンのプロパガンダ戦略」[桜R3/6/19]
2021/06/19






9. 中川隆[-15949] koaQ7Jey 2021年7月29日 15:28:55 : 6D5ARNw16M : Qkh3WTBqZ1UyY00=[22] 報告
林千勝の近衛文麿悪者説はどこがおかしいか?
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/140.html

林千勝のユダヤ陰謀論はどこがおかしいか?
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/139.html

10. 2021年8月27日 15:46:06 : uPBhgG61YE : Q29mZlM4WkdxRE0=[23] 報告

2021年08月27日
黄金の十字架 / 忘れ去られたポピュリスト
金本位制の秘密
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68868984.html


William Jennings Bryan 655Jewish picture 333

(左 : ウィリアム・ブライアンを宣伝するポスター / 右 : ユダヤ人の金貸しを描く風刺画)

8月21日のチャンネル桜で、水島総社長と近代史家の林千勝による対談が放送された。最近、林氏は一般書店やアマゾンで販売されない『ザ・ロスチャイルド』という本を出版したので、色々なYouTubeチャンネルでロスチャイルド家にまつわる話している。(この本は「経営科学出版」から直接販売されており、林氏のツイッターからも購入できるそうだ。) チャンネル桜で定期的な出演をする林氏は、前々からロスチャイルド家の過去や金融資本家の手口など紹介していたが、今回は米国における金本位制や民間銀行、ポピュリズムなどに触れていた。彼はドナルド・トランプ以前にもアメリカには「ポピュリズム(人民主義)」があったと述べ、日本人が誤解している「大衆迎合(ポピュリズム)」を修正するため、1896年に大統領選挙の候補者になったウィリアム・ジェニングス・ブライアン(William Jennings Bryan)を紹介していた。

William Jennings Bryan 667( 左 / ウィリアム・ジェニングス・ブライアン )
  このウィリアム・J・ブライアンは元々、ネブラスカ州選出の連邦下院議員(民衆党)で、“草の根”運動の政治活動をしていた人物。真面目に働く巷の庶民は、倫理道徳のことなら体験的に解るけど、金融とか経済といった複雑な学問にはお手上げだ。だから、狡猾な銀行家をやっつけるブライアンは庶民の味方。彼が民衆から絶大な支持を受けていたのも頷ける。ウィリアム・ブライアンは当選こそしなかったものの、1896年と1900年、そして1908年の三回にわたって大統領選挙に出馬し、通貨発行権を民衆の手に取り戻そうと奔走した。ブライアンの政敵はズバリ、「中央銀行」を私物化しようとする国際金融資本家だ。換言すれば、連邦準備制度の成立を目指すエスタブリッシュメントである。

  アメリカ合衆国は理念上、共和政ローマと同じ統治形態を有するから、王様が国家の「宝箱(fiscus)」を独占することはない。通貨鋳造の権利、すなわち君主の特権(seigniorage / 通貨発行権)」は、アメリカ人民の掌中にあるはず。アメリカ共和国の財務長官や米銀総裁は、国王陛下に仕える大蔵大臣(Exchequer)ではなく、立法府や行政府の管轄下にある金融機関でなければならない。ところが、現在のアメリカはどうなのか? どのくらい儲けているのか全く分からない謎の金融業者が、中央銀行もどきの独立機関にふんぞり返り、そこの理事や総裁に就いているんだから言語道断だ。しかも、アングロ・サクソン人ではないユダヤ人が、こともあろうに名誉ある連邦議員や最高裁判事、財務長官、国防長官、FRBの議長になっているんだから、建国の祖父が蘇ったら死にたくなるだろう。

  利子が附かない政府発行の自国通貨というのは、アメリカの庶民にとって長年の夢である。資産と自由を大切にするアメリカでは、常に公式な中央銀行による無利子の紙幣が求められていたので、1791年に設立された最初の「合衆国銀行(Bank of the United States)」や1816年に再び設立された「第二合衆国銀行」に愛国者は激しく反対した。この第二合衆国銀行は時限立法による暫定的な金融機関であったので、恒久的なチャーターに基づく銀行ではなかった。1833年9月10日、アンドリュー・ジャクソン大統領は銀行継続の更新を許さず、拒否権を用いて銀行から全ての公的資金を取り除いてしまった。当然、旨い汁を吸っていた金融業者は大激怒。俗に言う「銀行戦争(Bank War)」の勃発だ。

  しかし、経済的搾取に苦しむ一般国民は、ポピュリストのジャクソン大統領を熱烈に支持。この庶民派大統領は、一部の特権商人が私腹を肥やし、常識で暮らす勤労者が抑圧されるなんて“けしからん”と思っていた。また、巷の庶民も同じ憤慨を抱いており、紙幣を印刷するだけで巨額な利益を得る銀行を忌々しく思っていた。腹が立っても反抗できない無力な民衆は、第二合衆国銀行の傘下に収まっていた各銀行を「ペット銀行(pet bank)」と呼んでいたくらい。ところが、議会で安逸を貪る政治家というのは、基本的に風見鶏か偽善者。彼らは民衆の声ではなく、札束の量と金貨の音に靡く。合衆国銀行を仕切っていたニコラス・ビドル(Nicholas Bidle)は、飼い馴らした議員連中の尻を叩き、驚いた「先生」方は御主人様のご要望にお応えしようと獅子奮迅。情けないけど、これが現実だ。当時の有力者であったケンタッキー州選出のヘンリー・クレイ(Henry Clay)上院議員は、銀行の旦那衆に媚び諂(へつら)い、ジャクソン大統領の反対者になっていた。

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( 左 : アンドリュー・ジャクソン / 中央 : ニコラス・ビドル / 右 : ヘンリー・クレイ )

  保守派の国民、つまりカタギの平民から愛されるトランプ大統領が、ホワイトハウスの中にジャクソン大統領の肖像画を掲げていたのは、こうした歴史を知っていたからだ。ところが、端っから木偶(でく)の坊で、国際金融資本家のペットになったジョセフ・バイデンは、養老院(ホワイトハウス)に入居するや否や、大統領執務室からジャクソンの肖像画を取り外してしまった。ただし、その本意を隠すために、一応“当たり障りのない”ベンジャミン・フランクリンの肖像画を掲げ、知らぬ顔でお茶を濁していた。ところが、トランプ大統領を徹底的に否定したいバイデンには別の意図があった。この痴呆老人は、重要な政治問題に関する答弁なら直ぐ忘れるのに、左巻きの支持者に対する「胡麻すり」だけは忘れなかったというから凄い。何と、バイデンはあの極左活動家として悪名高い、セザール・チャベス(Cesar Chavez)の胸像を設置したのだ。(Zack Budeyk, "Biden replaces Andrew Jackson portrait in Oval Office, adds Cesar Chavez bust", The Hill, January 20, 2021.)

Cesar Chavez 2Rosa Parks 22Martin_Luther_King,_Jr. 033Eleanor Roosevelt 1

(左 : セザール・チャベス / ローザ・パークス / マーティン・ルーサー・キング / 右 : エレノア・ローズヴェルト )

  もう目が眩んでしまうというか、呆れ果ててしまうじゃないか。共産主義者や反米主義者の労働組合から拍手喝采を浴びる極左分子、というのがチャベスだ。左翼陣営がこぞって崇める英雄の彫像を、よりにもよってホワイトハウスの執務室に置くなんてどうかしている。だが、その両隣には別の胸像が二つ並んでいた。一つは黒い左翼のマーティン・ルーサー・キング牧師。もう一つは白い左翼に惜しまれたロバート・ケネディー司法長官。これを見ればバイデンがどんな連中に媚びているのか、がよく分かる。さらに、ホワイトハウスには限りなく共産主義者に近いエレノア・ローズヴェルト夫人と、公民権運動で有名な黒人活動家のローザ・パークス(Rosa Parks)を描いた肖像画も掛けられていた。これじゃあ、白亜館じゃなくてマルキストのピンク・サロンじゃないか。

  脱線したので話を戻す。エイブラハム・リンカン大統領が南北戦争で必要な戦費を調達するため、政府主導の「グリーンバック(Greenbacks)」紙幣を発行し、人々から好評を博したのは有名な話である。ところが、自前の通貨発行で儲けたい金融業者は、何としても無利子の政府紙幣を葬りたい。そこで、彼らは政府を困らせるために、「国債の償還(返済)は金(gold)で支払え !」と騒ぎ立てた。本来なら、国債の支払いは緑色の紙幣で済むはずなのに、銀行家とツルんだ牧師や教授達は、正義漢を装って一緒に煽り立て、「金で償還すべし !」と要求し始めたのである。

Edmond_James_de_Rothschild 02James_Armand_Edmond_de_Rothschild 01(左 : 父親のアブラハム・エドモンド・ベンジャミン・ジェイムズ・ド・ロスチャイルド / 右 : 息子のジェイムズ・アーマンド・ド・ロスチャイルド )
  ところが、こうした支払い方法になると政府は窮地に陥ってしまう。なぜなら、政府は全ての国債を金で償還できるほどの金を保有していなかったからだ。もしゴールドでの返済になれば、誰かからゴールドを借りなければならない。しかし、大量の金塊を貸してくれる人物となれば数は限られてくる。心当たりと言ったら、先ずイングランドの大富豪であるジェイムズ・ロスチャイルド男爵が浮かんでくるし、他の者といっても、このユダヤ人と同類の銀行家しかいないのだ。これは本当に馬鹿らしい。リンカン大統領以降の合衆国政府は、黄金ではなく紙幣で経済成長や財政の健全化を図ろうとしたのに、国債を償還するためにヨーロッパの金持ちからゴールドを借りて、ゴールドを差し出し、余計な利子まで附けて支払う破目になってしまうんだから。以前、当ブログで紹介したスティーヴン・ザレンガによると、金(gold)というのは究極的に、ロスチャイルド男爵や他の国債保有者から離れ、再びロスチャイルド男爵と国債保有者に戻る、という仕組みになっているそうだ。(Stephen A. Zarlenga, The Lost Science of Money : TheMythology of Money - The Story of Power, New York : American Monetary Institute, 2002, p.487.)

  ブリテンのロスチャイルド家とアメリカにいる国際金融資本家は、何としても自分達の「中央銀行」を合衆国政府に認めさせ、“私的”な銀行を“公的”な銀行のように見せたかった。そして、自分達が独占しコントロールできる「ゴールド」を“裏付け”にし、自らの金本位制を揺るぎないものにしようと謀ったらしい。なぜなら、一部の経済学者やアメリカ人の金融業者は、銀を基にして貨幣を発行してもいいんじゃないか、と思っていたからだ。しかし、大量に流通する銀を使われたら米国や歐洲の金融を支配できないから、どうしても金本位制じゃないとマズかったのである。

August Belmont 002(左 / オーガスト・ベルモント )
  アメリカの輿論が「グリーンバック」紙幣に傾くのを懼れたロスチャイルド家は、現地の手下を動かしてグリーンバック運動の芽を摘んでしまえ、と画策した。その一人がロスチャイルド家に仕える在米エージェントのオーガスト・ベルモント(August Belmont)である。彼はドイツのレニッシュ・ヘッセンに生まれた外国人なのだが、親分と同じ種族のユダヤ人。(ただし、ベルモントはセファラディー系。) ベルモントは当初、キューバにおけるロスチャイルド家の利益を守るために派遣された代理人であったが、ユダヤ人らしく転々と様々な職業に就いた。彼はニューヨークで勤務するオーストリア帝國の総領事になったし、活躍の場を政界に移すと、今度は後に大統領となるジェイムズ・ブキャナン(James Buchanan)に仕え、彼の選挙参謀になっていた。

ちなみに、1852年の大統領選挙では、ペンシルヴァニア州からブキャナンが出馬したが、他にも大物が立候補し、イリノイ州からはスティーヴン・ダグラス(Stephen Douglas)が名乗りを上げた。テキサス州からは大御所の政治家、あのテキサス共和国で大統領を務めたサム・ヒューストン(Sam Houston)も候補者になっていた。ところが、選挙の蓋を開けると、ダークホースのフランクリン・ピアース(Franklin Pierce)が当選。敗れたブキャナンはピアース政権で駐英アメリカ大使となり、ベルモントの方はネーデルランドへ派遣されるアメリカ大使となった。

Franklin Pierce 11Stephen A Douglas 01Sam Houston 3James Buchanan 02


(左 : フランクリン・ピアース / スティーヴン・ダグラス / サム・ヒューストン / 右 : ジェイムズ・ブキャナン )

  こうした経歴を持つベルモントは、1860年、民衆党の全国委員会の委員長に就任する。だが、彼の権力は政界だけでなく、マスコミ界にも及んでいた。このユダヤ人エージェントは、マントン・マーブル(Manton Marble)が主幹となっていたニューヨークの新聞、『The World (or The New York World)』のアシスタントを務めていたのだ。この新聞を購読する者は主に民衆党員であったから、大統領選挙となれば同党から出馬するホレイショ・セイモア(Horatio Seymour)候補を支援するはずであった。ところが、裏でベルモントが動いたから、新聞の論調は一夜にして激変。以前から『The World』紙は「グリーンバック」に賛同しており、元ニューヨーク州知事のセイモア氏を支持すると思われていた。しかし、ロスチャイルド家の権力は見くびれない。1869年、民衆党のセイモア候補は、あえなく敗北。共和党の候補者であったユリシーズ・グラント(Ulysses S. Grant)将軍が勝利を納めた。

Ulysses Grant 1870(左 / ユリシーズ・グラント )
  当選した北軍の大将は、46歳という若さで合衆国大統領になった。普通の日本人は43歳で就任したジョン・F・ケネディーが最も若い大統領と思っているが、セオドア・ローズヴェルトは42歳で就任したから、彼が一番若い。ちなみに、ビル・クリントンが大統領に就任したのは46歳で、バラク・オバマは47歳で大統領になった。逆にアメリカ史上、最も高齢で大統領になったのはジョセフ・バイデンで、普通なら隠居するはずの78歳。でも、ロナルド・レーガンが77歳で就任していたから、それほど驚く事じゃない。トランプ大統領とアイゼンハワー大統領も70歳で就任したし、ジェイムズ・ブキャナンとアンドリュー・ジャクソンが就任したのは69歳の時だった。

  翻って我が国は・・・? 東京都知事の小池百合子は、もしプロフィールが正しければ、昭和27年(1952)生まれの69歳だから、まだまだ総理の椅子を狙える年齢だ。引退しそうな二階俊博は、昭和14年生まれの82歳。自民党の重鎮である麻生太郎も高齢で、昭和15年生まれの81歳だから、そろそろ潮時である。もし、菅総理の側近が“菅院政”のシナリオを作るなら、東京の女帝を“電撃復党”にさせる、という「どんでん返し」も可能だ。保守派国民は高市早苗を望んでいるが、知名度と人気度から言えば小池の方が遙かに上だから、野心家の女帝も「その手があるわよねぇ〜」と微笑む。レイムダックの菅義偉に、役人的な岸田文雄、左翼が持ち上げる不人気の石破茂と河野太郎、という面子を見れば、小池百合子が“勝利”を確信してもおかしくはない。「辞任した都知事が衆院選に出馬 !」となれば、マスコミは小池劇場で大賑わいだ。裏舞台での密約を考えるなら、橋下徹と昵懇の菅総理が日本維新を取り込み、元田中派の二階が小沢一郎と組めば立憲民主党は自民党の下部組織になる。二階と小沢、菅の親分たる習近平にも異論はあるまい。男を変えて出世する小池が、「昔の男」である小沢とヨリを戻し、習近平の妾になっても不思議じゃないし、この女帝なら米国と支那に愛想を振りまく二股交際だって有り得る。

  脱線したので話を戻す。それにしても、なぜ民衆党系の『The World』紙が、共和党のグラント将軍を助けるような真似をしたのか? この答えはグラントが就任早々に行った署名にあった。彼は当時の銀行家が推進した、所謂「債権強化法(Credit Strengthening Act / Public Credit Act of 1896)」を承認し、「金(ゴールド)で政府の債権を支払います」、と誓ったのだ。前任者のアンドリュー・ジョンソン大統領は同法に対し、大統領の拒否権(veto)を以て却下したのに、新たな大統領はパトロンの御機嫌を取っていた。やはり、権力の階段を昇り始めると、金持ちの下僕になるらしい。ちなみに、グラント大統領は元々反ユダヤ主義者で、南北戦争の時は「General Order No. 11」という法令を発して、彼の占領地からユダヤ人を全て追い出したことがある。現在のアメリカ軍人はユダヤ人の権力に怯える意気地無しが多いけど、昔の軍人は勇敢なうえに正直で、遠慮なく反ユダヤ的な発言をしていたから偉い。例えば、陸軍のアモス・フリーズ少将は、ユダヤ人をアメリカの遺産と宗教を侵害する原因と評していたし、「米国ユダヤ人委員会(AJC)」を嫌悪する、ある陸軍大佐は、ユダヤ人を堕落した「下劣な詐欺師」と呼んでいた。参謀本部のJ.S. リチャードソン少佐やドイツ駐在武官のトルーマン・スミス大佐もユダヤ人を侮辱することに躊躇は無かった。(ジョーゼフ・W・ベンダースキー『ユダヤ人の脅威』 佐野誠 / 他 訳、 風行社、2003年、pp.54-57.)

Simon Wolf 22(左 / サイモン・ウルフ )
  ところが、グラント将軍も政界で最高司令官になると、奇妙な具合に態度が豹変した。彼はユダヤ人の御機嫌を取るためか、辣腕の法律家で「ブナイ・ブリス(B'nai B'rith / 有名なユダヤ人団体)の指導者を務めていたサイモン・ウルフ(Simon Wolf)をアドヴァイザーにしたのだ。しかも、ロシアの国境でユダヤ人2千名が排斥されると猛烈に抗議した。ロシアに続いてルーマニアでもユダヤ人に対する迫害が起きたので、グラント大統領は再ひ激怒。もう、ジョン・F・ケネディーかリンドン・B・ジョンソンを髣髴させるような大統領である。(両者とも大のユダヤ人贔屓。) ユダヤ人に奉仕すると御褒美が貰えるようで、1873年、グラント大統領は再選された。ユダヤ人に媚びるグラント大統領を観ると、何となく吐き気がするので、彼のエピソードは省略する。

  林千勝はチャンネル桜の番組で、ウィリアム・ブライアンの貨幣論や民衆運動に言及したが、その情報源やネタ本を披露しなかったので、視聴者の中には不満に思った人もいるはずだ。筆者はアメリカの裏歴史や貨幣論争を知りたい方に、先ほど紹介したスティーヴン・ザレンガの本を推奨したい。この本は720ページにも及ぶ大著であるが、各章が簡潔かつ具体的に書かれているので、アメリカ史を勉強したい人には格好の参考書になると思っている。日本の大学教授が書いた本を読む人なら分かるはずだが、彼らは制度論や法律論ばかりに焦点を絞り、どんな素性の人物が誰と組んで、如何なる法案を作成したのか、どんな意図を持って、あるいは、どのような魂胆で新たな制度を構築したのか、という点を説明しないのだ。それゆえ、参考文献として渡された本を熟読しても、その真意がよく分からないし、授業を聞いている学生も何が何だか解らない。大学で金融の歴史やアメリカ経済の仕組みを勉強した学生でも、生々しいアメリカ史になると中学生程度の無知蒙昧で、「そう言えば、どうなんだろう?」と首を傾げてしまう。こんな塩梅だから、「卒業証書は領収書」と小馬鹿にされるのだ。

  またもや脱線したので話を戻す。林千勝は水島社長を前にして、ウィリアム・ブライアンの「黄金の十字架演説(Cross of Gold Speech)」を紹介したが、引用元を披露しなかったので、勉強熱心な視聴者には不満であろう。日本の評論家は政治や歴史の本を書いても、どこから引用したのかを明かさない人が多い。これでは、著者が本当の事を述べているのか、正確な引用なのかが分からないから、本の価値が著しく低下する。筆者は林氏の新刊本『ザ・ロスチャイルド』を購入したが、詳細な脚注が施されていなかったのでガッカリした。巻末に参考文献を羅列しただけでは読者の利益にならない。

  それはともかく、ブライアンは有名な政治家だったので、彼の演説文は簡単に手に入る。「黄金の十字架スピーチ」は彼の評論集である『The First Battle』の中に納められていた。そこで、ブライアン演説の一部分をちょっとだけ紹介したい。彼は金本位制を維持したい金融業者を非難して、民衆の利益を擁護していた。
  
 これは再び1776年の問題である。我々の祖先は、人口が300万人であった頃、どの国に対しても政治的に独立していると宣言するだけの勇気を持っていた。彼らの子孫である我々は、人口七百万に増大したが、祖父達よりも独立性が少ないといえるのか? 諸君、違うぞ。まだ評決が下りたわけじゃない。それゆえ、どこで闘いが行われているのか、ちっとも構わないのだ。もし、彼らが金銀複本位制(bimetallism)が良いと言っても、我々は他国が手伝ってくれるまで、それを持つことはできない。

  我々はこう答えよう。イングランドが持っている金本位制を持つ代わりに、我々は複本位制を取り戻し、イングランドにもこれを採用させようじゃないか。なぜなら、合衆国がこの制度を取っているからだ。もし、彼らが公の場に出てきて、金本位制を善きものとして擁護するんなら、我々は徹底的に戦おうじぉないか。我々の背後には、この国で働く大衆や、商業的利益に支えられた世界、労働者の利益、各地の苦労人が存在する。金本位制を要求する彼らに答えてやろう。君達は労働者の額に茨の王冠(crown of thorns)をギュっと被せることはできないし、全人類を黄金の十字架で磔にして苦しめることは出来ないんだぞ。("Contest Over the Platform", in William Jennings Bryan, The First Battle : A Story of the Campaign of 1896, Chicago : W.B. Conkey Company, 1896, p.206.)

  日本では無名のブライアンでも、アメリカ本国では今でも人気が高い。ただし、ブライアンの伝記や評論には注意が必要な本もあるので、よく吟味して読まなければならない。一般国民の中にはマイケル・カジン(Michael Kazin)が書いた『A Godly Hero』という伝記を手にする人もいるが、ポヒュリズムを研究するユダヤ人学者には左翼が少なくないので、心の奥にどんな意図を隠しているのか、と疑った方がいい場合がある。また、アメリカの金融や財政を勉強する日本人は、ワシントンやウォール街の地下に流れる“ドス黒い水脈”にも目を向けなければならない。明治大学の海野素央や上智大学の前嶋和弘、慶應義塾の中山俊宏の授業を聞いても、アメリカの実態は解らないぞ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68868984.html

11. 中川隆[-15137] koaQ7Jey 2021年11月25日 01:59:25 : sEqKPZ8ybM : aXRwS3RoVDZsdzY=[9] 報告
2021.11.25
JFK暗殺から58年を経ても真相は隠蔽され、世界はファシズムへ足を踏み入れた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202111240000/


 今から58年前、1963年11月22日にアメリカ大統領のジョン・F・ケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺された。​テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授(経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスの息子)​によると、アメリカの軍や情報機関の好戦派は1963年後半にソ連を先制核攻撃する計画を立てていたが、ケネディはそうした軍事行動に反対している。

 上院議員時代からケネディは戦争や植民地に反対していた。インドシナへカネ、資源、そして人間を投入することは無益であり、自滅的だと主張、1957年7月にはアルジェリアの独立を潰すために戦争を始めたフランスの植民地主義に強く反対していた。

 しかし、ケネディは1958年8月に「ミサイル・ギャップ」という用語を使い、危機感を煽っている。1960年の選挙期間中にもソ連の脅威を宣伝していた。こうした主張を彼に吹き込んだ人物は元空軍省長官のスチュアート・サイミントン上院議員だという。

 1961年当時、ソ連が保有していたICBM(大陸間弾道ミサイル)の数はNIE(国家情報評価)推計によると数機。スパイ衛星によって確認されていたのは4機だけだった。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 また、ソ連軍が保有する長距離爆撃機バイソンの数はCIAが推測していた約100機の3分の1から5分の1にすぎないことも偵察機U2によってわかっていた。(William D. Hartung, “Prophets of War”, Nation Books, 2011)

 ミサイル・ギャップも爆撃機ギャップも事実に反していた。その後の言動から考えると、ケネディのソ連脅威論は選挙向けの発言だった可能性がある。実際、大統領に就任した後、ケネディは戦争の目論見をことごとく阻止する。

 それだけでなく、彼の側近たちはFBIのJ・エドガー・フーバーやCIAのアレン・ダレスを解任するべきだと主張、大統領の父親であるジョセフ・ケネディも大統領の意思を無視して勝手に動くダレス兄弟が危険だと話していたようだが、選挙結果が僅差での勝利だったことから新大統領は両者を留任させ、国務長官にはCFR(外交問題評議会)やロックフェラー基金を通じてダレス兄弟と近い関係にあったディーン・ラスクを任命する。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 しかし、好戦派の工作はドワイト・アイゼンハワー時代から始まっていた。最初に行われたのがキューバ侵攻作戦である。4月15日に4機の爆撃機がキューバの航空機部隊を空爆、3機を除いて使用できない状態にし、17日には1543名の亡命キューバ人を主体とする侵攻部隊がピッグス湾(プラヤ・ギロン)への上陸を試みる。

 侵攻部隊の主力はグアテマラの秘密基地でCIAの訓練を受けた後、戦車、大砲、対戦車砲、自動小銃数千丁などを携えて5隻の商船に乗り込んでグアテマラを出航、途中でニカラグアから来たCIAの改造上陸艦2隻と合流している。(L. Fletcher Prouty, "JFK," Citadel Press, 1996)

 この作戦に関するは事前に漏れていることは公然の秘密で、その行く手でキューバ軍が待ち受けていることは予想されていた。ルシアン・バンデンブロックがプリンストン大学で発見した記録によると、アレン・ダレスは作戦が成功する可能性が小さいと判断、アメリカ軍をキューバへ軍事侵攻させようと目論んでいた。(Lucien S. Vandenbroucke, "The 'Confessions' of Allen Dulles: New Evidence on the Bay of Pigs," Fall 1984)

 侵攻軍の敗北がが明らかになるとCIA副長官だったチャールズ・キャベルは航空母艦からアメリカ軍の戦闘機を出撃させようと大統領に進言したものの、却下されている。(L. Fletcher Prouty, "JFK," Citadel Press, 1996)

 ベルリンで緊張が高まっていた1961年7月、アメリカの軍や情報機関の幹部はケネディ大統領に対し、NSC(国家安全保障会議)で先制核攻撃計画について説明している。テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、1963年の後半にソ連を核攻撃するというスケジュールになっていたという。その頃になれば、先制攻撃に必要なICBMをアメリカは準備でき、ロシアは準備できていないと見通していた。(James K. Galbraith, “Did the U.S. Military Plan a Nuclear First Strike for 1963?”, The American Prospect, September 21, 1994)

 この先制攻撃計画を大統領は拒否する一方、1961年11月にアレン・ダレスCIA長官や秘密工作部門の責任者だったリチャード・ビッセル計画局長を解任、キャベル副長官も62年1月に辞めさせられている。1961年にロバート・ケネディ司法長官はフーバーFBI長官の解任を公言している。

 好戦派は軍にもいた。そのひとりがライマン・レムニッツァー統合参謀本部議長。そのレムニッツァーは1962年3月、国防長官のオフィスでキューバが爆弾テロを実行し、旅客機を撃墜したように見せかける偽旗作戦について説明している。ノースウッズ作戦だ。

 その数カ月後にレムニッツァーはキューバにアメリカ軍が軍事侵攻してもソ連は動けないと大統領に説明する。「脅せば屈する」というわけだが、これも無視された。

 アメリカの内部に先制核攻撃を目論む勢力が存在していることをソ連も知っていたはず。ICBMや長距離爆撃機で圧倒されているソ連としては中距離ミサイルで対抗するしかない。中距離ミサイルでアメリカを攻撃するにはアメリカの近くに発射基地を建設する必要がある。そこでアメリカもソ連も注目したのがキューバだ。

 ソ連がキューバへミサイルを運び込んだことをアメリカは1962年8月に察知する。U2がキューバで地対空ミサイルSA2の発射施設を発見したのだ。ハバナの埠頭に停泊していたソ連の貨物船オムスクが中距離ミサイルを下ろし始め、別の船ボルタワがSS4を運び込んでいることも判明する。(Martin Walker, "The Cold War," Fourth Estate, 1993)

 国防長官だったロバート・マクナマラは1998年のインタビューで、約162発の核弾頭がキューバへすでに持ち込まれていて、そのうち約90発は軍事侵略してくるアメリカ軍に対して使われる戦術核だったと語っている。

 レムニッツァー議長はケネディ大統領から再任を拒否され、9月30日に退任。その時にレムニッツァーへ欧州連合軍最高司令官にならないかと声をかけてきたのがイギリス女王エリザベス2世の側近として知られるハロルド・アレグザンダーだった。

 カーチス・ルメイ空軍参謀長を含む軍の好戦派が大統領に対して空爆を主張したのは10月19日のこと。空爆してもソ連は手も足も出せないはずだと主張したが、ケネディは強硬派の作戦に同意せず、10月22日にミサイルがキューバに存在することを公表、海上封鎖を宣言した。

 10月27日にキューバ上空でU2が撃墜され、シベリア上空でもU2が迎撃されている。この直後にマクナマラ国防長官はU2の飛行停止を命令したが、その後も別のU2がシベリア上空を飛行している。

 同じ日にアメリカ海軍の空母ランドルフを中心とする艦隊の駆逐艦ビールがソ連の潜水艦をカリブ海で発見、対潜爆雷を投下している。攻撃を受けて潜水艦の副長は参謀へ連絡しようとするが失敗、アメリカとソ連の戦争が始まったと判断した艦長は核魚雷の発射準備に同意するようにふたりの将校に求めた。核魚雷は発射されなかったが、これはたまたま乗り合わせていた旅団参謀が発射の同意を拒否したからだ。この核魚雷の威力は広島に落とされた原子爆弾と同程度で、もし発射されていたなら、現場にいたアメリカの艦隊は全滅していたと見られている。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury USA, 2017)

 ルメイなど軍の強硬派は大統領に対し、ソ連を攻撃するべきだと詰め寄っていたが、拒否される。この時に好戦派はクーデターでケネディ大統領を排除し、ソ連に核戦争を仕掛けるつもりだったとも言われているが、10月28日にソ連のニキータ・フルシチョフ首相はミサイルの撤去を約束、海上封鎖は解除されて核戦争は避けられた。

 キューバへ軍事侵攻した場合、アメリカ側の戦死者数は4500名とマクナマラ国防長官は予想していたが、30年後にソ連側の態勢を知り、アメリカ人だけで10万人が死んだだろうと訂正している。アメリカは楽観的な見通しから計算違いをすることがあるが、これもその一例だ。

 ケネディ大統領の親友で最も信頼されていた側近だったケネス・P・オドンネルによると、ケネディと個人的に親しかったマリー・ピンチョット・メイヤーは危機の最中、ソ連と罵り合いに陥ってはならないと強く大統領に訴えていたという。(Peter Janney, “Mary’s Mosaic,” Skyhorse, 2013)

 そして1963年11月22日にケネディ大統領は暗殺され、その暗殺に関するウォーレン委員会の報告書がリンドン・ジョンソン大統領に提出された3週間後の64年10月12日、マリー・ピンチョット・メイヤーは散歩中に射殺された。

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