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新自由主義の教祖 ミルトン・フリードマン
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1150.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 11 月 04 日 06:35:09: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 独裁者列伝 _ アドルフ・ヒトラー 投稿者 中川隆 日時 2020 年 4 月 16 日 18:50:14)


新自由主義の教祖 ミルトン・フリードマン


イギリスやアメリカの支配者はシティやウォール街を拠点にして新自由主義を世界に広めてきた。
この信仰で教祖的な役割を果たしたのがシカゴ大学の教授だったミルトン・フリードマンであり、その先輩とも言える学者がフリードリッヒ・フォン・ハイエク。このハイエクの教え子にはデイビッド・ロックフェラーも含まれている。

彼らは社会や民主主義を否定、強大な私的権力が支配する市場と支配者が定める道徳を「新しい生活様式」の柱にしようとしている。そうした「リセット」を実現する上でCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)は重要な役割を果たしている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010250001/


▲△▽▼


2020.11.03
言論や学問の自由は支配者による買収と恫喝を乗り越えて実現しなければならない
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202011030000/

 日本学術会議の新会員任命を巡り、会議側と菅義偉首相の対立が続いているようだが、本ブログでも書いたように、学問や言論の自由を侵害する動きに学者達が抵抗らしい抵抗をしてこなかったひとつの結果にすぎない。

 記者や編集者と同じように、学者は支配システムの中で萎縮、迎合してきた。現在の日本は天皇制官僚システムに支配されているわけだが、そうした枠組みの中で経済的、あるいは社会的に成功しようと願えば、その枠組みから外へ踏み出すことはできない。その枠の中にも右や左というタグのつけた人もいるが、「右翼キャラ」と「左翼キャラ」だと言うべきだろう。

 現在、西側の支配システムは新自由主義や新保守主義(ネオコン)というイデオロギーが軸になっていると言える。「自由」と「保守」という表現になっているが、これはタグにすぎず、この表現を深く考えても意味はない。

 このイデオロギーは社会や民主主義を否定し、市場と道徳を「新しい生活様式」の柱にしようとし、富の集中を当然だと考える。その信者たちによると、貧富の差を拡大させる政策に反対する意見は「ねたみ」にすぎない。平等や公正といったことを彼らは考えないのだ。不平等や不公正を当然のことだと彼らは考える。

 マックス・ウェーバーによると、プロテスタンティズムの禁欲は「心理的効果として財の獲得を伝統主義的倫理の障害から解き放」ち、「利潤の追求を合法化したばかりでなく、それをまさしく神の意志に添うものと考えて、そうした伝統主義の桎梏を破砕してしまった」。(マックス・ウェーバー著、大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波書店、1989年)

 そうした考え方を広めたジャン・カルバンらによると、「神は人類のうち永遠の生命に予定された人びと」を選んだが、「これはすべて神の自由な恩恵と愛によるものであって、決して信仰あるいは善き行為」などのためではない(ウェストミンスター信仰告白)。つまり、人間にとって善行は無意味であり、自分が「選ばれた人間」だと信じる人びとは何をしても許されるということになる。侵略、破壊、殺戮、略奪も神が書いた予定表に載っていると彼らは考えるわけだ。

 キリスト教の聖典である新約聖書のマタイによる福音書やマルコによる福音書では「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と書かれているのだが、これも否定されている。金持ちになったのは神に選ばれたからだというわけだろう。この考え方から新自由主義や新保守主義と呼ばれているイデオロギーが生じたようにも思える。

 こうしたイデオロギーの信奉者は1970年代から自分たちへ富が集中する仕組みを築いてきた。サッチャーイズムやレーガノミクスとも呼ばれている。政府や議会への支配力を強め、学者の世界やメディアも従属させることに成功したと言えるだろう。

 支配の仕組みを作り上げる手口は飴と鞭、あるいは買収と恫喝。どうしても屈服しない相手の場合、「消す」ということもあるだろう。かつては射殺することが少なくなかったが、暗殺が明らかになると、消した相手を英雄にしかねない。そこで事故や自殺を装ったり、病死のように見せかけて毒殺したり、有力メディアを使ってスキャンダルで葬り去るようになったと言われている。暗殺が露見しかけると、西側の有力メディアはある呪文と繰り返す。「陰謀論」だ。事実を封印するために彼らのすることが「ファクト・チェック」だ。

 犯罪組織の場合、買収の効果を高めるために相手を経済的に追い込むという話を聞く。弱った相手の前に「救世主」として現れ、コントロールするというわけだ。スキャンダルを作り、脅し、助けるという仕組みは日本にもあると言われている。その仕組みの中には女性や麻薬も組み込まれているようだ。

 本ブログではワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムがCIAの中枢で活動するアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズと情報操作プロジェクト、モッキンバードを実行したことは書いてきた。ダレス、ウィズナー、ヘルムズ、そしてグラハムの妻はウォール街の住人だ。

 また、ワシントンポスト紙の記者としてウォーターゲート事件を取材したカール・バーンスタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書き、いかにメディアがCIAから大きな影響を受けているかを書いた。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 アメリカでも日本でも支配者は学者、記者、編集者などを支配システムに組み込むこともしてきた。例えば、メディアへの支配力を強めたかったロナルド・レーガン米大統領は1983年にメディア界に大きな影響力を持つルパート・マードックとジェームズ・ゴールドスミスと会談、軍事や治安問題で一緒に仕事のできる「後継世代」について話し合っている。それがBAP(英米後継世代プロジェクト、後に米英プロジェクトへ改名)だが、そこには編集者や記者も参加していた。

 こうした支配者の工作結果をジャーナリストのむのたけじは1991年に開かれた「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」主催の講演会で冒頭に語っている。「ジャーナリズムはとうにくたばった」。(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)くたばったのは学会も同じである。

 言論の自由を守れ、学問の自由を守れ、民主主義を守れといったスローガンを何度叫んでもむなしいだけ。そのようなものは奪われてしまった、あるいは放棄してしまった。今できることは守ることでなく、実現することである。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202011030000/  

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コメント
1. 中川隆[-10259] koaQ7Jey 2020年11月04日 06:43:01 : AJ5Znu7Ezo : RUhuckZmTnhWWDI=[3] 報告
ミルトン・フリードマン(英: Milton Friedman、1912年7月31日 - 2006年11月16日)は、アメリカ合衆国の経済学者。

古典派経済学とマネタリズム、市場原理主義・金融資本主義を主張しケインズ的総需要管理政策を批判した。ケインズ経済学からの転向者。共和党支持者。1976年、ノーベル経済学賞受賞。


20世紀後半におけるマネタリスト、新自由主義を代表する学者として位置づけられている[1]。戦後、貨幣数量説を蘇らせマネタリストを旗揚げ、裁量的総需要管理政策に反対しルールに基づいた政策を主張した。

1970代までは先進国の各国政府は、「スタグフレーション」に悩んでいた。フリードマンは、スタグフレーションのうちインフレーションの要素に対しての姿勢や政策を重視した。また、経済に与える貨幣供給量の役割を重視し、それが短期の景気変動および長期のインフレーションに決定的な影響を与えるとした。特に、貨幣供給量の変動は、長期的には物価にだけ影響して実物経済には影響は与えないとする見方であり、(貨幣の中立性[2])、インフレーション抑制が求められる中で支持された。
1976年 これらの主張により、ノーベル経済学賞を受賞した[2]。


経歴

「マネタリズム」も参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88

ハンガリー東部(現在はウクライナの一部となっているザカルパッチャ州Berehove)からのユダヤ系移民の子としてニューヨークで生まれる。父親は工場経営者・資本家で、ナオミ・クラインは絶望工場的な場所だったと指摘している[3]。

奨学金を得て、15歳で高校を卒業した。ラトガーズ大学で学士を取得後、数学と経済学のどちらに進もうか悩んだ結果、世界恐慌の惨状を目にしたこともあって、シカゴ大学で経済を専攻し、修士を取得した。さらに、コロンビア大学でサイモン・クズネッツ(1971年ノーベル経済学賞受賞)の指導を受け博士号を取得した。コロンビア大学と連邦政府で働き、後にシカゴ大学の教授となる。また、アーロン・ディレクターの妹であるローズ・ディレクターと結婚し、一男(デイヴィッド・フリードマン)一女をもうけた。

後に反ケインズ的裁量政策の筆頭と目されるようになったが、大学卒業後の就職難の最中で得た連邦政府の職は、ニューディール政策が生み出したものであった(国家資源委員会における大規模な家計調査研究は、クズネッツの助手として全米経済研究所で行った研究と併せて、後の『消費の経済理論』と恒常所得仮説につながった[4])。後に振り返って、ニューディール政策が直接雇用創出を行ったことは、緊急時の対応として評価するものの、物価と賃金を固定したことは適切ではなかったとし[4]、大恐慌の要因を中央銀行による金融引締に求める研究を残している。ただし、第二次世界大戦が終わって、連邦政府の職を離れるまでは、自身の経済学上の立場は、一貫してケインジアンであった。

1969年、リチャード・ニクソン政権の大統領経済諮問委員会で、変動相場制を提案[5]した(後にニクソンとは決裂している)。また、1975年のチリ訪問や1980年から中国を訪問するなど世界各国で政策助言を行ったことでも知られ、特に「資本主義をみたければ香港に行くべき」と香港を称えており[6]、香港の積極的不介入を自由経済の最適なモデルと評価した[7]。日本では、1982年から1986年まで日本銀行の顧問も務めていた[8]。

シカゴ学派のリーダーとして、ノーベル経済学賞受賞者を含め多くの経済学者を育てた。マネタリストの代表者と見なされ、政府の裁量的な財政政策に反対した。政府の財政政策によってではなく、貨幣供給量と利子率によって、景気循環が決定されると考えた。また、1955年には、教育バウチャー(利用券)制度を提唱したことでも知られる。これは公立学校を減らす、または廃止して民営化を最終目的としたものであり、教育における学力と貧富の格差を最大化するものであった。主著は『A Monetary History of the United States, 1867-1960』、『資本主義と自由』。

1951年ジョン・ベーツ・クラーク賞、1967年米経済学会会長、1976年にノーベル経済学賞を受賞。1986年に保守派の中曽根康弘内閣から「勳一等瑞宝章」、1988年にはフリードマンが支持した右派のロナルド・レーガンからアメリカ国家科学賞と大統領自由勲章を授与される。

2006年11月16日 、心臓疾患のため自宅のあるサンフランシスコにて死去。94歳。

思想・主張

フリードマンはリチャード・ニクソンとロナルド・レーガンを熱烈に支持した[9]。ニクソン、レーガンともに、50年代にジョセフ・マッカーシーの「赤狩り」に全面協力した人物である。この段階で、フリードマンの思想が「新」自由主義であるかどうかに疑問符がつく。ただし、フリードマンが政権の顧問を一時務めていたニクソンについては、「我々はもうみんなケインジアンだ(英語版)」(もともとはフリードマンに由来し、実際のニクソンの言葉は「私はもう経済学で言うケインジアンだ」とされる[10])と有名な発言をしてケインズ政策を行ったため、フリードマンは激怒し、「史上最も社会主義的な大統領」であると猛烈に批判することとなった。また、軍事独裁政権アウグスト・ピノチェトが大統領時代のチリを支持し、訪問もした。ピノチェトの独裁で数千人の死者と、それを上回る行方不明者が出た。フリードマンの弟子の「シカゴ・ボーイズ」はチリに入り、ピノチェトの経済政策についてアドバイスをした。しかし、経済が低迷しのちにはピノチェトですら、彼らの意見に耳を傾けなくなった。フリードマンにとっての理想は、規制のない自由主義経済の設計である。フリードマンは、あらゆる市場への制度上の規制は排除されるべきと考えた。そのため、公正な民主主義を支持する人々は、フリードマンを新自由主義(Neo Liberalism)、反ケインズ主義(アンチ・ケインジアン)の筆頭格として批判した。フリードマンは元ケインズ主義からの転向者であり、理念の一部はケインズと共通点もあった[11]。

フリードマンは、基本的には、市場に任せられるところはすべて任せるが、いくつか例外があり、自由主義者は無政府主義者ではないとして[12]、政府が市場の失敗を是正することを認める[13]。また、中央銀行の仕事だけは市場に任せるわけにはいかないという考えであり、中央銀行を廃止して、貨幣発行を自由化する、金本位制のように外部から枠をはめるような制度を作るといった代案を提示している[12]。フリードマンは、連邦準備銀行がマネーサプライを一定の割合で機械的に増やせば、インフレなしで安定的な経済成長が見込めると述べており(Kパーセントルール)[14]、コンピュータに任せてもよいとした[15][16]。

財政政策批判

政府によって実施される財政政策は、財政支出による一時的な所得の増加と乗数効果によって景気を調整しようとするものである。しかし、フリードマンによって提唱された恒常所得仮説[17]によると、一時的な変動所得が消費の増加に回らないため、ケインジアンの主張する乗数効果は、その有効性が大きく損なわれる。そのため、恒常所得仮説は、中央銀行によって実施される金融政策の復権を求めたマネタリストの重要な論拠の一つになった。また、経済状況に対する政府中銀の認知ラグや政策が実際に行われるまでのラグ、および効果が実際に波及するまでのラグといったラグの存在のために、裁量的に政策を行ってもそれは適切に機能せず、かえって不要の景気変動を生み出してしまうことからも、裁量的な財政政策を批判した。

フリードマンは、ケインズ政策はスタグフレーションに繋がるとし、ケインズ政策の実行→景気拡大→失業率の低下→インフレ期待の上昇→賃金の上昇→物価の上昇→実質GDP成長率の低下→失業率の再上昇というメカニズムで、結果的に物価だけが上昇すると主張している[18]。


大恐慌

フリードマンは、金本位制が問題であったと理解しており[19]、著書『A Monetary History of the United States, 1867-1960』の中で、大恐慌はこれまでの通説(市場の失敗)ではなく、不適切な金融引き締めという裁量的政策の失敗が原因だと主張した。金融政策の失敗を世界恐慌の真因としたフリードマンの説は、現在も有力な説とされており[1]、その後の数多くの研究者が発表した学術論文によって、客観的に裏付けされている[20]。ベン・バーナンキFRB理事(当時)は、2002年のフリードマンの誕生日に「あなた方は正しい。大恐慌はFRBが引き起こした。あなた方のおかげで、我々は二度と同じ過ちを繰り返さないだろう」とこの主張を認めている[21]。


麻薬合法化

麻薬政策について、フリードマンは、麻薬禁止法の非倫理性を説いている。1972年からアメリカで始まったドラッグ戦争(麻薬の取り締り)には「ドラッグ戦争の結果として腐臭政治、暴力、法の尊厳の喪失、他国との軋轢などが起こると指摘したが、懸念した通りになった」と語り大麻の合法化を訴えていた[22]。また、別の主張では、大麻にかぎらずヘロインなども含めた麻薬全般の合法化を主張した[23]。

主張した具体的政策

義務教育、国立病院、郵便サービスなどは、公共財として位置づけるのではなく、市場を通じた競争原理を導入したほうが効率的であると主張していた[24]。1962年、フリードマンは、著書『資本主義と自由』において、政府が行うべきではない政策、もし現在政府が行っているなら『廃止すべき14の政策』を主張した。下記を参照[25]。

農産物の買い取り保障価格制度。
輸入関税または輸出制限。
商品やサービスの産出規制(生産調整・減反政策など)。
物価や賃金に対する規制・統制。
法定の最低賃金や上限価格の設定。
産業や銀行に対する詳細な規制。
通信や放送に関する規制。
現行の社会保障制度や福祉(公的年金機関からの購入の強制)。
事業・職業に対する免許制度。
公営住宅および住宅建設の補助金制度。
平時の徴兵制。
国立公園。
営利目的の郵便事業の禁止。
国や自治体が保有・経営する有料道路。

提案・支持したアイディア
負の所得税 [26]
教育バウチャー [27]
郵政民営化・道路公団民営化 [28]


日本のバブルについての見解

日本のバブル景気について、1980年代に日銀の顧問も務めたフリードマンは「日本は、円通貨の供給を増やしてドルを買い支えた結果、通貨供給量の急増を招いた。私はこの通貨供給量の急激な伸びが『バブル経済』を引き起こしたと見ている。日本銀行は長期間にわたってこのような金融緩和路線をとり続け、納税者に莫大な損害を与えた。最後には日銀もブレーキをかけたが、今度は急ブレーキをかけすぎた。金利を引き上げ、通貨供給量の伸びを急激に抑え、深刻な景気後退を引き起こしてしまった。これはどんなによい意図から出たものであれ、不適切な金融政策は悲惨な結果をもたらし得るという最たる例だ。日銀は誤りを正すのが遅くて、そのためにリセッションを長引かせ、深刻なものにしてしまったように思われる」と指摘している[29]。


日本への提言

フリードマンは日本の「平成大停滞」でも、積極的な金融緩和政策の適用をかなり早い段階から提唱していた[30]。日本銀行政策委員会審議委員としてゼロ金利や量的緩和を考案するなどフリードマンの信奉者であったベン・バーナンキから唯一日銀幹部で「ジャンク」ではないとされた中原伸之とも連絡をとりあっていた[31]。

1998年9月11日の読売新聞でのインタビューで日本について「(景気を拡大させるために)減税と歳出削減を通じて小さな政府にする。また、日本銀行が通貨供給量を急速に増やすことが欠かせない」「日銀がもっとお札を刷り、通貨供給量の平均伸び率を5-7%程度まで引き上げることが景気回復の決め手となる。1990年から今日までの日本の状況は、1929年から1933年まで通貨供給を約三分の一減らして大恐慌となったアメリカと似ている」「財政政策で景気のテコ入れを図るケインズ主義的な手法は誤り」と述べている[32]。


ノーベル経済学賞受賞
経済学者のマーク・ブローグは「ミルトン・フリードマンが執筆した論説・書物は、あらゆる真面目な経済学研究者に研究されている。彼は、技術的な経済学への多くの貢献によって、ノーベル経済学賞を受賞している」と述べている[33]。

フリードマンは、ノーベル賞受賞を知らされたとき「これは私のキャリアの頂点ではない」「7人の委員会は、私が科学的な研究の評価を委ねる陪審員としてふさわしくない」と述べている[34]。その後、フリードマンは、考えを改め、賞金を受け取った後は喜んだとされている[34]。しかし、フリードマンは、「私は、ノーベル賞がよいことであるのかどうかについて、大きな疑問を抱いている。ただし、そのようなノーベル経済学賞についての疑問は、ノーベル物理学賞についても同じく当てはまる」と述べている[35]。

ノーベル医学賞を受賞したジョージ・ワルドは、化学賞・平和賞を受賞したライナス・ポーリングと連名で、フリードマンの受賞に反対する投書を送った[36]。フリードマンが、チリの軍事政権と密接な関係にあったことを問題視したからである[36]。医学賞受賞者のデヴィッド・ボルティモア、サルバドール・エドワード・ルリアもフリードマンの受賞に反対した[36]。

フリードマンの受賞に抗議して、スウェーデンでは、数千人規模のデモ行進が行われ、事態制圧に300人の警察官が動員された[37]。

フリードマンは反対派を弾圧し、殺害・行方不明多数のピノチェト政権のチリを訪問。1976年のノーベル経済学賞受賞時には、彼がピノチェト政権のアドバイザーと見た大衆から受賞抗議デモを受けることとなった。ピノチェトのアドバイザーは、フリードマンの弟子の「シカゴ・ボーイズ」である。フリードマンも、もちろんピノチェトを全面的に支持していた[38]。フリードマンは、チリ政府の顧問を務めたことはないとしており、1975年にチリに6日間訪れたのを最後に「一切接触を断った」と述べた[37]。 フリードマンは、授賞式の日に行われたストックホルムでの抗議デモに対して、「ごろつき」だと非難し、「ナチズムの匂いが漂っており、鼻が腐りそうだ。言論の自由において、都合の悪い発言を抑え込むようなやり方は許されない」と述べた[39]。


評価
経済学者の竹森俊平は、「マクロ経済学についてのフリードマンとケインズの考え方の差は意外に僅かであり、二人はともに状況を見て理論を説く。ハイエクは、それはしてはならないという立場であり、二人と大きく異なる」と評している[40]。

著作

単著
Milton Friedman (1953). Essays in Positive Economics. University of Chicago Press
『実証的経済学の方法と展開』佐藤隆三・長谷川啓之訳、富士書房、1977年。ASIN B000J8Y2AC。
Milton Friedman (1957). A theory of the consumption function. Princeton University Press
『消費の経済理論』今井賢一・宮川公男訳、巌松堂、1961年。ASIN B000JANEVI。
Milton Friedman (1959). A Program for Monetary Stability. Fordham University Press
『貨幣の安定をめざして』三宅武雄訳、ダイヤモンド社、1963年。ASIN B000JAIRO2。
Milton Friedman (1962). Capitalism and Freedom. University of Chicago Press
『資本主義と自由』熊谷尚夫・西山千明・白井孝昌訳、マグロウヒル好学社、1975年。ISBN 4895010848。
『資本主義と自由』村井章子訳、日経BPクラシックス、2008年。ISBN 4822246418。
Milton Friedman (1963). Inflation: Causes and consequences. Asia Pub. House
Milton Friedman (1969). The Optimum Quantity of Money and Other Essays. Macmillan
ミルトン・フリードマン『インフレーションとドル危機』新開陽一訳、日本経済新聞社、1970年。ASIN B000J9TPSU。
Milton Friedman (1970). The counter-revolution in monetary theory. Institute of Economic Affairs
ミルトン・フリードマン『価格理論』内田忠夫・西部邁・深谷昌弘訳、好学社、1972年。ASIN B000J9TON6。
Milton Friedman (1974). Monetary Correction: A proposal for escalation clauses to reduce the cost of ending inflation. Institute of Economic Affairs
ミルトン・フリードマン『インフレーションと失業』保坂直達訳、マグロウヒル好学社、1978年。ASIN B000J8QFZM。
ミルトン・フリードマン『政府からの自由』土屋政雄訳、中央公論社、1984年。ISBN 4120012719。新版・中公文庫、1991年
ミルトン・フリードマン『貨幣の悪戯』斎藤精一郎訳、三田出版会、1993年。ISBN 489583123X。

共著
Milton Friedman; Anna Schwartz (1963). A Monetary History of the United States, 1867-1960
抄訳『大収縮1929-1933「米国金融史」第7章』久保恵美子訳、日経BPクラシックス、2009年。ISBN 482224766X。
ウォルター・ヘラー共著『インフレなき繁栄--フリードマンとヘラーの対話』海老沢道・小林桂吉訳、日本経済新聞社、1970年。ASIN B000J9SSLK。
Milton Friedman; Anna Schwartz (1970). Monetary Statistics of the United States: Sources. National Bureau of Economic Research
ニコラス・カルドア/ロバート・ソロー共著『インフレーションと金融政策』新飯田宏訳、1972年。
Milton Friedman; Rose Friedman (1980). Free to Choose: A personal statement. Penguin Books
ローズ・フリードマン共著『選択の自由―自立社会への挑戦』西山千明訳、日本経済新聞社、1980年。講談社文庫(上下)、1983年。日経ビジネス人文庫、2002年
ポール・サミュエルソン共著『フリードマンとサミュエルソンの英文経済コラムを読みとる』西崎哲郎・石川博友訳、グロビュー社、1981年。
Milton Friedman; Anna Schwartz (1982). Monetary Trends in the United States and the United Kingdom: Their relations to income, prices and interest rates, 1876-1975. University of Chicago Press
ローズ・フリードマン共著『奇跡の選択』林直嗣・大岩雄次郎訳、三笠書房、1984年。
Milton Friedman; Rose D. Friedman (1998). Two Lucky People: Memoirs. University of Chicago Press. ISBN 0226264157
ジェームズ・M・ブキャナン共著『国際化時代の自由秩序--モンペルラン・ソサエティの提言』佐野晋一・白石典義・田谷禎三訳、春秋社、1991年。


学術論文/動画
"Professor Pigou's Method for Measuring Elasticities of Demand From Budgetary Data" The Quarterly Journal of Economics Vol. 50, No. 1 (Nov., 1935), pp. 151–163 JSTOR
"Marginal Utility of Money and Elasticities of Demand," The Quarterly Journal of Economics Vol. 50, No. 3 (May, 1936), pp. 532–533 JSTOR
"The Use of Ranks to Avoid the Assumption of Normality Implicit in the Analysis of Variance," Journal of the American Statistical Association Vol. 32, No. 200 (Dec., 1937), pp. 675–701 JSTOR
"The Inflationary Gap: II. Discussion of the Inflationary Gap," American Economic Review Vol. 32, No. 2, Part 1 (Jun., 1942), pp. 314–320 JSTOR
"The Spendings Tax as a Wartime Fiscal Measure," American Economic Review Vol. 33, No. 1, Part 1 (Mar., 1943), pp. 50–62 JSTOR
Taxing to Prevent Inflation: Techniques for Estimating Revenue Requirements (Columbia U.P. 1943, 236pp) with Carl Shoup and Ruth P. Mack
Income from Independent Professional Practice with Simon Kuznets (1945), Friedman's PhD thesis
"Lange on Price Flexibility and Employment: A Methodological Criticism," American Economic Review Vol. 36, No. 4 (Sep., 1946), pp. 613–631 JSTOR
"Utility Analysis of Choices Involving Risk" with Leonard Savage, 1948, Journal of Political Economy Vol. 56, No. 4 (Aug., 1948), pp. 279–304 JSTOR
"A Monetary and Fiscal Framework for Economic Stability", 1948, American Economic Review, Vol. 38, No. 3 (Jun., 1948), pp. 245–264 JSTOR
"A Fiscal and Monetary Framework for Economic Stability," Econometrica Vol. 17, Supplement: Report of the Washington Meeting (Jul., 1949), pp. 330–332 JSTOR
"The Marshallian Demand Curve," The Journal of Political Economy Vol. 57, No. 6 (Dec., 1949), pp. 463–495 JSTOR
"Wesley C. Mitchell as an Economic Theorist," The Journal of Political Economy Vol. 58, No. 6 (Dec., 1950), pp. 465–493 JSTOR
"Some Comments on the Significance of Labor Unions for Economic Policy", 1951, in D. McC. Wright, editor, The Impact of the Union.
"Commodity-Reserve Currency," Journal of Political Economy Vol. 59, No. 3 (Jun., 1951), pp. 203–232 JSTOR
"Price, Income, and Monetary Changes in Three Wartime Periods," American Economic Review Vol. 42, No. 2, Papers and Proceedings of the Sixty-fourth Annual Meeting of the American Economic Association (May, 1952), pp. 612–625 JSTOR
"The Expected-Utility Hypothesis and the Measurability of Utility", with Leonard Savage, 1952, Journal of Political Economy Vol. 60, No. 6 (Dec., 1952), pp. 463–474 JSTOR
"Choice, Chance, and the Personal Distribution of Income," Journal of Political Economy Vol. 61, No. 4 (Aug., 1953), pp. 277–290 JSTOR
"A Memorandum to the Government of India November 1955", MS first published at University of Hawaii May 21, 1989; first published in the book Foundations of India's Political Economy, edited by Subroto Roy & WE James, Sage 1992
"The Quantity Theory of Money: A restatement", 1956, in Friedman, editor, Studies in Quantity Theory.
"A Statistical Illusion in Judging Keynesian Models" with Gary S. Becker, Journal of Political Economy Vol. 65, No. 1 (Feb., 1957), pp. 64–75 JSTOR
"The Supply of Money and Changes in Prices and Output", 1958, in Relationship of Prices to Economic Stability and Growth.
"The Demand for Money: Some Theoretical and Empirical Results," Journal of Political Economy Vol. 67, No. 4 (Aug., 1959), pp. 327–351 JSTOR
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以下は動画

The Power of Choice (2007) Free to Choose Media.
Free to Choose (1980) (1990) Free to Choose.
Free to Choose (1980) (1990) ideachannel.tv
PRC Forum: Milton Friedman (1987) The Idea Channel.
Milton Friedman interviewed (1991) about America's drug war.
Monetary Revolutions (1992) The Idea Channel.
Money (1992) The Idea Channel.
Efforts in Eastern Europe to Localize Government (1993) The Idea Channel.
Privatization Trends in Eastern Europe (1993) The Idea Channel.
Health Care Reform (1992) The Idea Channel.
Economically Speaking -- Why Economists Disagree (1978) The Idea Channel.
Milton Friedman Speaks: Lecture 01, "What is America?" and Q & A (1978) The Idea Channel.
Milton Friedman Speaks: Lecture 02, "Myths That Conceal Reality" and Q & A (1978) The Idea Channel.
Milton Friedman Speaks: Lecture 03, "Is Capitalism Humane?" and Q & A (1978) The Idea Channel.
Milton Friedman Speaks: Lecture 04, "The Role of Government in a Free Society" and Q & A (1978) The Idea Channel.
Milton Friedman Speaks: Lecture 05, "What Is Wrong with the Welfare State?" and Q & A (1978) The Idea Channel.
Milton Friedman Speaks: Lecture 06, "Money and Inflation" and Q & A (1978) The Idea Channel.
Milton Friedman Speaks: Lecture 07, "Is Tax Reform Possible?" and Q & A (1978) The Idea Channel.
Milton Friedman Speaks: Lecture 08, "Free Trade: Producer vs. Consumer" and Q & A (1978) The Idea Channel.
Milton Friedman Speaks: Lecture 09, "The Energy Crisis: A Humane Solution" and Q & A (1978) The Idea Channel.
Milton Friedman Speaks: Lecture 10, "The Economics of Medical Care" and Q & A (1978) The Idea Channel.
Milton Friedman Speaks: Lecture 11, "Putting Learning Back in the Classroom" and Q & A (1978) The Idea Channel.
Milton Friedman Speaks: Lecture 12, "Who Protects the Consumer?" and Q & A (1978) The Idea Channel.
Milton Friedman Speaks: Lecture 13, "Who Protects the Worker?" and Q & A (1978) The Idea Channel.
評伝
西山千明編「フリードマンの思想」東京新聞出版局、1979年
ローズ・フリードマン「ミルトン・フリードマン わが友、わが夫」鶴岡厚生訳、東洋経済新報社、1981年
ラニー・エーベンシュタイン「最強の経済学者ミルトン・フリードマン」大野一訳、日経BP社、2008年

参考文献

他の文化人・経済学者による著書
「ショック・ドクトリン」、ナオミ・クライン、岩波書店(上・下)
「国富論」、アダム・スミス、岩波書店ほか
「雇用・利子および貨幣の一般理論」、ジョン・メイナード・ケインズ、岩波書店ほか
「資本論」、カール・マルクス、岩波書店ほか
「クルーグマン教授の経済入門」、ポール・クルーグマン、筑摩書房
「21世紀の資本」、トマ・ピケティ、みすず書房
「グローバリズムが世界を滅ぼす」、エマニュエル・トッド、ハジュン・チャンほか、文春新書
「経済ジェノサイド フリードマンと世界経済の半世紀」。中山智香子:平凡社新書
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3

2. 中川隆[-10258] koaQ7Jey 2020年11月04日 06:45:24 : AJ5Znu7Ezo : RUhuckZmTnhWWDI=[4] 報告
ミルトン・フリードマンがベーシックインカムを提唱してからすでに半世紀以上
ベーシックインカムというと、とにもかくにもまず思い出されるのが、1976年にノーベル経済学賞を受賞した競争的市場を信奉するいわゆるシカゴ学派のミルトン・フリードマンの存在です。

同氏は1962年にすでにベーシックインカムを含む発想を書籍として出版していますし、その前から欧州圏ではこの手の発想がしたためられてきていますので、決して歴史の浅い富の分配案ではないことがわかります。

竹中平蔵氏のドケチベーシックインカム月7万、コレじゃない感の危険な正体=今市太郎
2020年9月29日
https://www.mag2.com/p/money/968355

菅新内閣の強力なアドバイザーとして機能しはじめている経済学者の竹中平蔵氏は、テレビ番組で驚きのベーシックインカム案を提唱。物議を醸す状況となっています。自助努力を促す貧民政策の柱なのでしょうか。(『今市太郎の戦略的FX投資』今市太郎)
「月7万円で暮らせ」という乱暴な提案
菅新内閣が誕生してから、おぼろげながらも具体的な政策方針が見えはじめています。

この内閣の強力なアドバイザーとして機能しはじめている経済学者の竹中平蔵氏は、TBSのBSテレビ番組に登場して驚きの「ベーシックインカム案」を提唱したことから、市場では大変な物議を醸す状況となっています。

ベーシックインカムの議論のたたき台と考えるならば、それほど厳しく追及すべきものではないのかもしれません。しかし、竹中氏の提案内容は、医療・年金・介護・生活保護などの社会保障給付費をすべてぶった切り、捻出した120兆円あまりを原資として、1人当たり7万円を支給すれば101兆円弱で収まるので、それ以外の保証はすべて廃止するというもの。あとは個人の自助努力で勝手にやってくれ、というかなり大雑把で乱暴な提案となっています。

とくに公的医療保険の領域でのサポートがまったくなくなった場合、高齢者は本当に生きていけるのかという大問題が浮上することになります。そもそも、シビルミニマムといっても金額が小さすぎて、リアルな生活では暮らしていかれないという絶望的な気分にさせられます。

ドイツではすでに同国の経済研究所がユニバーサル・ベーシックインカム研究の一環として、向こう3年間に渡って120人のドイツ人に月間1200ユーロ(日本円にして15万円)を支給する実験をはじめています。この実験の月額金額でも、竹中氏の口走る提案内容の2倍強の金額ですから、7万円というのがいかに安くて、多くの国民を棄民に追いやる超低レベルの水準なのかは、実施しなくてもよくわかる状況です。

貧困ベーシックインカムは実現するのか?
今のところ、竹中平蔵氏が勝手にメディアで話した提案内容なのだから、騒ぐ必要はないと言う方も多いようです。

しかし、菅官房長官は、竹中平蔵氏が小泉政権時に民間から総務大臣として登用された時の副大臣であり、両者は極めて近しい関係にあります。しかも総理就任後の直近、9月18日には、さっそく竹中氏と都内のホテルで朝食をとりながら懇談をしており、実際にはかなりシンクロナイズされている可能性も高まります。

まずは竹中発言で観測気球を上げてみて、世間やメディアの反応を見始めている可能性は十分にあります。

ひょっとすると、これまでも自助・共助・公助がどうのと散々言い触れていたものの、究極の目標はこれだったのかという気もしてくるわけで、なんとも気分の悪くなるのは私だけでしょうか。

世界的に先進国は社会主義化し、ベーシックインカムを検討する傾向が強い
世界的に見ますと、MMT(現代貨幣理論)などが流行っていることもあり、米国や欧州圏でこのベーシックインカムについて真剣に導入を口にする政治家が非常に増えているのは厳然たる事実です。

米国民主党でこの手の話を積極導入しようとするアレクサンドリア・オカシオ=コルテス氏などは、実証実験は行っていないものの、日本がどれだけ財政投資を行っても30年もデフレが続き、何の問題も起こらなかったことをベンチマークの基礎にするなど、かなりお粗末な検証しかされていないのもまた事実。

今のところベーシックインカムの実証化で、ベストプラクティスとなっているものはないのが実情です。

ミルトン・フリードマンがベーシックインカムを提唱してからすでに半世紀以上
ベーシックインカムというと、とにもかくにもまず思い出されるのが、1976年にノーベル経済学賞を受賞した競争的市場を信奉するいわゆるシカゴ学派のミルトン・フリードマンの存在です。

同氏は1962年にすでにベーシックインカムを含む発想を書籍として出版していますし、その前から欧州圏ではこの手の発想がしたためられてきていますので、決して歴史の浅い富の分配案ではないことがわかります。

しかし、ベーシックインカムは、その利点として「貧困の一掃」「将来不安の緩和」「長期的な需要創出と経済拡大」「セーフティネットで何度でも挑戦できる社会の実現」「ブラック企業など経済理由の犯罪の減少」などが語られる一方、デメリットについても多くの指摘があります。

デメリットの代表例は、「国民全般の労働意欲の低下」「財政負担の増加で、インフレ時に借金が拡大した場合の持続可能性の低下」「金銭だけで解決しない社会保障サービスの喪失」などで、今のところ最適なプランというものはどの国でも実現できていないのが現実です。

また計画経済と社会保障の実現を掲げていた社会主義国は90年代までにほぼ消滅し、こうした枠組みでうまく機能している国は世界中見渡してもどこにもないという、かなり大きな現実が存在するのもまた事実です。この手の政策、本当に経済学者だけで枠組みを決めていいのか?という問題も浮上することになります。

そういう意味で思い浮かぶのが、1998年のロングターム・キャピタル・マネジメントの破綻問題です。当時、ノーベル賞学者による完璧な予測と投資を売り物にしていたにもかかわらず、レバレッジをかけすぎた取引で、ロシア危機で完全に破綻に追いやられるほど危機的な状況に陥ったことは記憶に新しいところです。

つまり、学術的な枠組みを設定して運用を開始しても、実態経済の中ではうまく機能しなくなることは十分にあるもので、学者任せにするのは相当危険であることを感じさせられます。

中間所得層が絶滅すれば資本主義はおしまい
今のところ竹中案がそのまま実行に移されるとは思いませんが、これをまともに実施した場合、1億総国民貧民化となるのはほぼ間違いない状況です。

ベーシックインカムの実施にあたっては、より多角的な分析と計画を進めることが必須の状況と思われます。

ただ、この段階で1つだけはっきりしていることは、あまりに低金額レベルのベーシックインカムを実施してしまうと、資本主義を継続するために必要な中間所得層という存在が完全に消滅しかねないことで、1億総貧民化が進めばもはや取り返しのつかないところに追い込まれてしまうということです。

これは日本に限ったことではありませんが、過去20年あまりでこの国から中間層というものは確実に消滅しつつあり、多くの国民が自らをまだ中間層であると錯覚していることが、なんとか社会を支えているというのが現実です。

60代後半の学者や政治家が安易に決定する政策は、せいぜい先行き20年を超えれば本人にとってはまったく関係のない世界の話となりますから、現状のように老人ばかりで構成されているような政権に安易に決めさせてはけっしてならないものであり、広範な国民的議論が湧き上がることを期待したいものです。

日本経済のこれからに期待するのは難しい
これで超没落社会が現実のものになれば、内需で発展を遂げなくてはならない企業で構成される日経平均株価などがここから大きく上昇するなどという期待はまったくの夢になりかねない状況です。

海外投資家はまったく買わなくなり、日経平均がここから4万だなんだと荒唐無稽なことを口走っていた向きは完全に撤退を余儀なくされそうです。

竹中氏はこの政権では中枢的な役割を果たしてかなり活躍しそうな嫌な予感しかしませんが、その同氏がこのタイミングでベーシックインカムについて語るというのは、単なる偶然ではないのではないでしょうか。

またしても新自由主義の出来損ないがこの政権で跋扈(ばっこ)することになるのかと思うと、お先真っ暗な気分です。

3. 中川隆[-10257] koaQ7Jey 2020年11月04日 06:46:15 : AJ5Znu7Ezo : RUhuckZmTnhWWDI=[5] 報告
自己責任論 2020年10月01日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1265.html

 「自己責任論」を日本で吹聴しているのは、竹中平蔵・菅義偉ら新自由主義者である。
 どこの、どんな記事を見ても、日本における元祖「自己責任論者」こそ竹中平蔵であると指摘している。
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/55521

 https://note.com/pond_kop/n/n1210704fbfe4

 https://twitter.com/search?q=%E8%87%AA%E5%B7%B1%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E8%AB%96&src=typed_query

 https://biz-journal.jp/2020/09/post_181364.html

 そもそも、「自己責任論」の大元は、竹中の師匠であり、新自由主義思想の創設者、ミルトン・フリードマンである。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3

 フリードマンは、「自己責任」のことを「自由」と言い換えている。
 人間には自由がある。それは政府の規制を受けないで、社会原理で淘汰されるのがもっとも合理的であるという主張なのだが、よく読んでみると、フリードマンの自由とは「金儲けの自由」であり、それは自己責任において、何をやっても許される。
 それを政府や国際協議が規制してはならない。ただ「市場原理に任せておけば、自然に淘汰洗練されてゆく」という主張である。

 要するに、「自己責任で金儲けをやるのだから、周囲は、それを規制するな」というわけで、その金儲けのプロセスが、人々を苦しめているとしても、放置しておけば市場原理によって勝手に収束するというわけだ。

 これは、フリードマンが守ろうとしたユダヤ系国際金融資本にとって、もっとも都合の良い屁理屈である。
 世界中の金という金を洗いざらい独占しようとする国際金融資本にとって、もっとも邪魔になるのが、貿易障壁であり、国家権力による規制なのだ。
 だから、国の枠組みを超えた「グローバルスタンダード」を国際社会に強要することにより、自分たちの国際的な利権を極限まで追求しようとした。

 そのために、1970年代にフリードマンの新自由主義思想が誕生し、80年代になって、レーガンや中曽根義弘、サッチャーによって世界的に拡散された。
 日本に持ち込まれた新自由主義を具現化して、資本家、国際金融資本の利権を極限にまで高めようとしたのが、小泉純一郎・竹中平蔵コンビである。
 そして今、竹中のダミーといわれる菅義偉が政権をとり、再び、「自己責任論」=自助努力を強調して、民衆からあらゆる資産を奪い取って、国際金融資本に貢ごうとしている。

 以下が、菅義偉の「自己責任論」イメージ図だ。
  
jikosekininn01.jpg


 これが何を意味しているかというと、日本国民は、何事もすべて政府や公的機関に頼らず、自分で自分を守れ、政府は最低のセーフティネットしか与えない。
 竹中は、その生活保護や年金、健康保険も廃止し、月7万円で生活しろといってる。これがセーフティネットなのだと……。
 https://www.mag2.com/p/money/968355

 普通に稼いでいる国民は、その7万円を返却しろとも言う。いったい、今現在、日本のどこで7万円で生活できる人がいる?
 公園で寝泊まりするホームレスくらいだろう。家を借りれば、7万円など瞬時に飛び去ってしまう。ちなみに竹中自身の年収は、パソナ会長や数十の団体利権で、30億円は下らないといわれている。

 おまけに、年金も健康保険も廃止というのだから、とてもじゃないが正常な精神性ではない。安倍晋三が、パート労働者の月収は25万円と決めつけて話題になったが、竹中は、国民が家賃1万円の家に住んで、月に3万円もあれば食費が出ると思い込んでいるにちがいない。病気になれば、アメリカと同じで、死ぬまで我慢させる。医療サービスは大金持ちに限定するというわけだ。

 この竹中平蔵を忠実にコピーした政策を行おうとしているのが菅義偉政権なのだ。
 菅は、首相就任後、最初に竹中と会談し、政策の最高ブレーンに任命するらしい。
 結局、国民から年金給付を強奪し、日本国民が数十年にわたって爪に火を点すようにコツコツと貯めて支払ってきた年金基金は、全部、国際バクチに注ぎ込む。

 実際に、すでに年金は安倍政権によって、それ以前まで危険性から絶対に排除されてきた高リスク金融(詐欺)商品(例えば、サブプライムローンのような)に全額投入されてきたせいで、現在、残高は隠されていてはっきりわからないが半分は欠損してしまっていると噂されている。

 GPIFの、この報告には、都合の良い数字ばかりが出ていて、全投資額と全損失の具体的な数字がないので、信用できない。
 https://www.gpif.go.jp/operation/the-latest-results.html

 政府は、国民の年金基金を投機性の極めて強いバクチ運用に、ほぼ全額を放りこんだので、巨大な損失を被り、都合の良い数字だけを出して、全体像を見せようとしない。
 https://kumitateru.jp/media/topic/public_pension/15-trillion-yen-loss

 つまり、政府が国民の預金を勝手に使い込んで大穴を開けてしまったので、これ以上、年金を支払い続ける原資が不足し、これ以上年金を支払わない、健保にもカネを出さない、代わりに、毎月7万円で、何もかも自己責任でやってゆけと言っている。
 これが自己責任の正体だ。

 そもそも、我々人間は、誰一人、自己責任だけで生きている者などいない。
 人類は助け合わねば生きてゆけないようにプログラムされている。
 生まれて、少なくとも10才くらいに達するまでは、自己責任も糞もない。誰かが助けてあげなければ死んでしまうのだ。また70才以降も同じだ。
 本当に、自己責任で生きて行けるのは、せいぜい20才〜50才くらいまでの30年程度だろう。

 「自己責任」という概念が通用するのは、極めて限られた強い立場の人間だけであり、その人ですら、他人の助けなしに、強い立場を作り出すことも、維持することもできないのだ。
 自己責任論は、まさに新自由主義を利用して利己的ボロ儲けを狙う者たちの詭弁である。それは、人間社会を破綻させる屁理屈なのだ。

 我々は、自助ではなく、共助でなければ生きられない。消費税に10%もの罰金をかけたこの国のなかでは、公助がなければ悲惨な事態になる。
 人々が、医療を利用するには、公助がなければ不可能なのだ。そのために、もの凄い罰金としての消費税を国民に強要しているではないか!

 何が「公助に頼るな」だ、ふざけるな! ならば、税金を取るのをやめよ!

 我々は「助け合い社会」によって生かされている。このことを忘れてはならない。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1265.html

4. 中川隆[-10256] koaQ7Jey 2020年11月04日 06:46:51 : AJ5Znu7Ezo : RUhuckZmTnhWWDI=[6] 報告
2020.09.12
2001年と1973年の9月11日に世界はファシズム体制へ向かって加速した
 9月11日には歴史の節目になる出来事が引き起こさている。


 例えば、2001年にはニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃された。そのショックを利用してアメリカ支配層の好戦派は国外での侵略戦争と国内での収容所化を加速させている。ステージをひとつ進めたとも言えるだろう。


 もうひとつは1973年にチリであった軍事クーデター。サルバドール・アジェンデ政権を倒したクーデターはオーグスト・ピノチェトに率いられたのだが、その後ろ盾はCIAの秘密工作部門、その背後には国家安全保障補佐官だったヘンリー・キッシンジャーがいた。


 ピノチェト体制はクーデター後、アメリカを拠点とする巨大資本のカネ儲けにとって邪魔な人々を殺害していく。邪魔者がいなくなった段階で導入したのが新自由主義だ。このシステムは強者総取りが基本で、大企業は税金と賃金を払わず、国民の資産を盗むことを認めている。労働者の権利は剥奪され、経済活動の仕組みは破壊されいくということでもある。


 フランクリン・ルーズベルトは1938年、強大な私的権力が政府を所有している状態をファシズムと定義した。私的権力が民主的国家そのものより強大になることを人びとが許すなら民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのだ。こうした状態を目指しているのが新自由主義にほかならない。


 新自由主義はマーケットを絶対視、その正当性は議論しない。その理屈は循環論法で、理論とは言いがたい代物。信仰と言うべきだろう。


 この信仰で教祖的な役割を果たしたのがシカゴ大学の教授だったミルトン・フリードマンであり、その先輩にあたる学者がフリードリッヒ・フォン・ハイエクだ。ハイエクの教え子にはデイビッド・ロックフェラーも含まれている。


 新自由主義が庶民を疲弊させ、国力を衰えさせることは明かで、ニクソン大統領でさえ自国へ導入することをためらった。この信仰に基づく体制を最初に導入した国がチリだ。


 欧米で初めて新自由主義を政策として取り入れたのはイギリスのマーガレット・サッチャー政権。サッチャーはハイエクと親しかった。日本へ新自由主義を導入したのは中曽根康弘であり、その政策をさらに進めたのが小泉純一郎、菅直人、野田佳彦。それを安倍晋三が引き継いだ。


 ピノチェトと親交があったひとりにステファノ・デレ・キアイエなるイタリア人がいる。アメリカとイギリスの情報機関は第2次世界大戦の後、西ヨーロッパに秘密工作を実行するための部隊を編成した。その部隊をイタリアではグラディオと呼ぶ。このグラディオにデレ・キアイエも参加していたのだ。


 グラディオなどは後にNATOの秘密部隊と呼ばれるようになるが、実際の命令はイギリスやアメリカの情報機関、つまりMI6やCIAから出ていた。ニューオリンズの地方検事だったジム・ギャリソンは1967年にクレイ・ショーなる人物をジョン・F・ケネディ暗殺に絡んで逮捕するが、このショーが理事を務めていたパーミンデックスも、そのネットワークの一部。


 グラディオは1969年12月にミラノのフォンタナ広場にある国立農業銀行で極左を装った爆弾テロを実行している。その1年後にはバレリオ・ボルゲーゼを中心とするクーデターが試みられて失敗するが、それらにもデレ・キアイエは参加していた。


 デレ・キアイエはクーデターに失敗した後、スペインへ逃げ込むのだが、その後もイタリアとスペインとの間を自由に行き来している。そして1973年、クーデター直後のチリを彼は訪問したのだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009110000/

5. 中川隆[-10255] koaQ7Jey 2020年11月04日 06:48:10 : AJ5Znu7Ezo : RUhuckZmTnhWWDI=[7] 報告
2020.08.14
生活に余裕がなければ国際問題も国内問題も考えられない
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008130000/


 日本の庶民は自分たちを貧困化させ、社会を破壊する政治家を当選させてきた。最近あった東京都知事選挙も例外ではない。日々の生活に追われ、国際問題は勿論、国内の政治や経済についても考える余裕がないからだと考えている人もいるようだが、おそらく、それは正しい。


 「革命的人民」は「人民」に生活の余裕がなければ存在できない。だからこそ権力者は庶民を貧しくし、公教育を破壊し、メディアを支配しようとするのだ。そうしておけば、庶民の不満が高まってもコントロールできる。ターゲット国の庶民を操ることもできる。


 日本では1970年代から富の集中が加速度的に進んだ。マーケットを崇拝、「民営化」という名目で私的権力を強大化して国を上回る力を彼らに与えた結果だ。それにともない、大多数の庶民は貧困化していく。世界をこうした方向へ導いた信仰は「新自由主義」と呼ばれている。


 この信仰で教祖的な役割を果たしたのがシカゴ大学の教授だったミルトン・フリードマン。その先輩とも言える学者がフリードリッヒ・フォン・ハイエクだ。ハイエクはアメリカの株式相場が暴落した後、1930年代に私的な投資を推進するべきだとして、政府の介入を主張するジョン・メイナード・ケインズと衝突した。そのハイエクの教え子にはデイビッド・ロックフェラーも含まれている。


 新自由主義が庶民を疲弊させ、国力を衰えさせることは明かだったことからリチャード・ニクソン大統領でさえアメリカへ導入することをためらった。この信仰に基づいて体制を最初に作り替えたのはチリだ。


 チリでは1973年9月11日にCIAを後ろ盾とするオーグスト・ピノチェトが軍事クーデターを成功させ、サルバドール・アジェンデ政権は倒された。その際、アジェンデ大統領は死亡している。CIAの背後にはヘンリー・キッシンジャーがいた。


 1979年から90年にかけての時期にイギリスの首相を務めたマーガレット・サッチャーもハイエクと親しかった。「先進国」と呼ばれている国の中で最初に新自由主義を導入したのはサッチャー時代のイギリスである。1970年代にイギリスはシティを中心にしてオフショア市場/タックス・ヘイブンのネットワークを作り出している。その中心は言うまでもなく金融の中心地、シティだ。


 日本へ新自由主義を導入したのは中曽根康弘であり、その政策をさらに進めたのが小泉純一郎、菅直人、野田佳彦。それを安倍晋三が引き継いだ。中曽根の民営化を象徴するのが「国鉄」だとするならば、小泉は「郵政」だ。現在、年金や健康保険の仕組みが破壊されようとしているが、それだけでなく食糧や水も私的権力へ渡されようとしている。


 郵政民営化には三井住友出身の西川善文をはじめ、竹中平蔵、ゴールドマン・サックスのCEO(最高経営責任者)を務めていたヘンリー・ポールソン、そしてCOO(最高業務執行責任者)だったジョン・セインが深く関与している。その後、竹中は人材派遣会社、パソナの会長に就任する。


 言うまでもなく、人材派遣会社は非正規社員の増大で大儲けした。そうしたことを可能にする政策に竹中も深く関与している。そうした政策が庶民を貧困化させている原因のひとつだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008130000/  

6. 中川隆[-10254] koaQ7Jey 2020年11月04日 06:49:55 : AJ5Znu7Ezo : RUhuckZmTnhWWDI=[8] 報告
独裁者とイエスマン - 内田樹の研究室 2020-10-30
http://blog.tatsuru.com/2020/10/30_1049.html
 日本学術会議の新会員任命拒否に私はつよく反対する立場にある。それは私がこの問題で政府への抗議の先頭に立っている「安全保障関連法に反対する学者の会」の一員であるということからもご存じだと思うけれど、私は一人の学者としてと同時に、一人の国民として、それも愛国者としてこのような政府の動きに懸念と怒りを禁じ得ないでいる。その理路について述べる。

 任命拒否はどう考えても「政府に反対する学者は公的な承認や支援を期待できないことを覚悟しろ」という官邸からの恫喝である。政権に反対するものは統治の邪魔だからである。

「統治コストを最少化したい」というのは統治者からすれば当然のことである。だからその動機を私は(まったく賛成しないが)理解はできる。
 けれども、統治コストの最少化を優先すると長期的には国力は深く損なわれる。そのことは強く訴えなければならない。

 これまでも繰り返し述べてきた通り、 統治コストと国の復元力はゼロサムの関係にある。統治コストを最少化しようとすれば国力は衰え、国力が向上すると統治コストがかさむ。考えれば当たり前のことである。

 統治者は国力を向上させようと望むときはとりあえず国民を締め付ける手綱を緩めて好きなことをさせる。統制がとれなくなったら経済発展や文化的創造を犠牲にしても、国民たちを締め上げる。飴と鞭を使い分ける。そういうさじ加減は為政者には必須の能力であり、すぐれた政治家はこの緩急のつけ方についてのノウハウを熟知している。

 日本の場合、60〜70年代の高度成長期は国力向上のために、国民に気前よく自由を譲り渡した時期である。「一億総中流」はそれによって実現した。おかげで私は10代20代をまことに気楽な環境の中で過ごすことができた。けれども、その時期は同時に市民運動、労働運動、学生運動の絶頂期であり、革新自治体が日本全土に生まれ、あきらかに中央政府のグリップは緩んでいた。その後、バブル期が訪れたが、このときは日本人全員が金儲けに熱中していた。たしかに社会規範は緩み切っていたけれど、とにかく「金が欲しい」というだけだったので、市民の政治意識は希薄だった。足元に札束が落ちているときに、「坂の上の雲」を見上げるやつはいない。

 そして、バブルが終わって、日本が貧しくなると、政治意識はさらに希薄化した。

 ふつうは中産階級が没落して、階層の二極化が進み、貧困層が増えると、社会情勢は流動化し、反政府的な機運が醸成され、統治が困難になるはずだけれども、日本はそうならなかった。市民たちはあっさりと政治的関心を失ってしまったのである。「自分たちが何をして政治は変わらない」という無力感に蝕まれた蒼ざめた市民たちほど統治し易い存在はない。そのことを7年8カ月におよぶ安倍政権は私たちに教えてくれた。

 なんだ、簡単なことだったんじゃないか。統治者たちはそれに気がついた。
 統治コストを最少化したければ、市民たちを貧困化させ、無権利状態に置けばよいのだ。マルクスやレーニンはそれによって「鉄鎖の他に失うべきものを持たない」プロレタリアート的階級意識が形成され、彼らが蜂起して、革命闘争を領導するだろうと予言したけれど、そんなことはイギリスでもフランスでもアメリカでも起きなかった。もちろん日本でも。

 市民を無力化すれば、市民は無力になる。わかりやすい同語反復である。無力化した市民たちはもう何か新しいものを創造する力がない。ただ、上位者の命令に機械的に従うだけである。当然、総合的な国力は低下し、やがて一握りの超富裕層=特権層と、それにおもねるイエスマンの官僚・ジャーナリスト・学者、その下に圧倒的多数の無権利状態の労働者という三層で構成される典型的な「後進国」の風景が展開することになる。

 今の日本は「独裁者とイエスマン」だけで形成される組織に向かっている。少なくとも、官邸は日本中のすべての組織をそのようなものに改鋳しようと決心している。そういう組織なら、トップの指示が末端まで遅滞なく伝達され、ただちに物質化される。どこかで「これは間違い」と止められたり、「できません」と突き返されたりすることが起こらない。たいへん効率的である。

 だが、この組織には致命的な欠点がある。創造力がないこと、そして復元力がないことである。

「独裁者とイエスマン」だけから成る組織では、トップは無謬であることが前提になっている。だから、メンバーにはシステムの欠陥を補正することも、失敗事例を精査することも許されない。システムのトラブルというのは、同時多発的にシステムの各所が不調になることである。そういうトラブルは、トラブルの予兆を感じたときに自己判断で予防措置をとれる人間、トラブルが起きた瞬間に自己裁量で最適な処置をできる人間たちをシステムの要所にあらかじめ配置しておかないと対処できない。けれども、「独裁者とイエスマン」の組織では、それができない。トップが無謬であることを前提にして制度設計されているシステムでは、そもそもトラブルが起きるはずがないので、トラブルを自己裁量で処理できるような人間を育成する必要がない。だから、「何も問題はありません」と言い続けているうちにシステムが瓦解する。

 トラブルが致命的なものになるのを回避し、崩れかけたシステムを復元するのは、トップとは異なるアジェンダを掲げ、トップとは異なる「ものさし」でものごとを価値や意味を衡量することのできる者たち、すなわち「異端者」の仕事である。

 けれども、「独裁者とイエスマン」から成るシステムはそのような異物の混入を許さない。

 たしかに、短期的・効率的なシステム運営を優先するなら「独裁者とイエスマン」は合理的な解である。しかし、長いタイムスパンで組織の存続とメンバーたちの安寧を考慮するならば、異物を含む組織の方が安全である。

 異物を含む組織は統率がむずかしい。合意形成に手間暇がかかる。

 だから、安全保障のために異物を包摂したシステムを管理運営するためには、成員たちに市民的成熟が求められる。「大人」が一定数いないと堅牢で復元力のある組織は回せないということである。だから、異物を含むシステムでは、成員たちに向かって「お願いだから大人になってくれ」という懇請が制度的になされることになる。

「独裁者とイエスマン」の組織では成員が未熟で無力であることが望ましい。それが統治コストの最少化をもたらすからである。

 今の日本社会では、統治者のみならず、市民たちまでもが「統治者目線」で「統治コストの最少化こそが最優先課題だ」と信じて、そう口にもしている。それは言い換えると「私たちを未熟で無力のままにとどめおくシステムが望ましい」と言っているということである。

 彼らは「大人が一定数いないと回らないシステム」は「統治コストを高騰させる」と思っているので(事実そうなのだが)、「大人がいなくても回せるシステム」への切り替えをうるさく要求する。「対話だの調停だの面倒なんだよ。トップが全部決めて、下はそれに従うだけの組織の方が楽でいい。」それが今の日本人の多数意見である。

 今、行政も、営利企業も、学校も、日本中のあらゆる組織が「管理コスト最少化」に血眼になっているのは、そのためである。「独裁者とイエスマン」の国はそういう日本人の多数派の願望がもたらしたものである。
 たしかにそういう国は統治し易いだろう。市民たちは何も考えず、鼓腹撃壌して、幼児のままで暮らすことができる。けれども、そのような国は長くは生きられない。それは歴史が教える通りである。

http://blog.tatsuru.com/2020/10/30_1049.html

7. 中川隆[-10253] koaQ7Jey 2020年11月04日 06:51:05 : AJ5Znu7Ezo : RUhuckZmTnhWWDI=[9] 報告
2020.05.28
コロナを流行らせた意味 超管理社会法案=スーパーシティ法案
https://golden-tamatama.com/blog-entry-super-city-law-start.html

すっかり騙されたぁぁ。
コロナ流行らせた目的はこれだったのか。

スマホ個人情報収集も
コロナ対応 政府想定、本人同意なく
新型コロナウイルスの感染拡大防止を目的に政府は3月31日、携帯電話会社やIT(情報技術)企業に対し、携帯電話の位置情報や検索履歴などの統計データを提供するよう要請しました。

さらに、必要となった場合に個人情報保護法第23条の例外規定を適用し、本人の同意を得ずに個人データの提供を要請することも想定しています。

政府は楽天、ヤフー、グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルの大手IT企業やNTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの携帯電話会社に提供を要請。
各社が保有するスマートフォンの位置情報や検索履歴を、個人が特定されない統計情報として提出するよう求めています。外出自粛要請の実効性の検証や、今後の対策に活用するとしています。

政府は個人の特定につながる情報の提供は求めないとしています。
しかし、政府の要請文には「今後必要となった場合」に、個人情報保護法第23条が定める例外規定の適用を「想定している」と明記し、個人情報の提供を求める可能性があると表明しました。

個人データは原則的に本人の同意を得なければ第三者に提供できませんが、同法は

▽人の生命、身体または財産の保護
▽公衆衛生の向上、児童の健全な育成
▽国等への協力―などの場合には、本人の同意を得ずに個人データを第三者に提供できる

としています。

新型コロナ対応で海外では、通信会社と政府が顧客のスマートフォンの位置情報を共有・追跡する動きが広がっています。

ロイター(3月18日付)によると、中国や韓国、台湾ではスマートフォンの位置情報から陽性と診断された人が誰と接触したのかを追跡。

ドイツやイタリア、オーストリアなどの欧州では市民が移動制限に従っているか監視するために携帯電話会社から位置情報の提供を受けています。

提供されるデータは匿名に加工してありますが、プライバシーが侵害される恐れがあると懸念の声も広がっています。

で、これに続いて昨日、スーパーシティ法案が通っちゃいますたよね。
緊急事態宣言が解除されると同時に可決ってタイミング良すぎだろう。
個人情報掌握の危険 共産党など反対 スーパーシティ法案可決

人工知能(AI)やビッグデータなど最先端技術を用いた事業を特例的規制緩和で導入するスーパーシティ法案(国家戦略特区法改定案)が22日の参院地方創生・消費者問題特別委員会で、自民、公明、維新などの賛成多数で可決されました。

日本共産党と、立憲民主党などの共同会派は反対しました。

スーパーシティでは、先端サービスの実現を理由に、商品購入履歴や健康などの個人情報が集積され、全人格まで掌握される危険があります。

また事業計画立案に伴う住民合意の方法が定められておらず、住民合意のあり方はあいまいです。

日本共産党の大門実紀史議員は討論で「個人情報をまるごと管理してサービスを提供する社会は、一方で監視社会という側面を持つために日本の未来社会のあり方を問う大きな問題だ」と指摘。

「そうした問題意識も分析もなく法案を提案したことに厳しく反省を求める」と述べました。

そのうえで、最先端技術に対して個人情報を保護する仕組みが確立されていないのに、個人データを管理する都市構想など危険すぎるとして、法案撤回を求めました。

大門氏は採決に先立つ質疑で、プライバシー保護と両立する技術の活用こそ考えるべきだと指摘。

スペイン・バルセロナの街づくりは長い時間をかけて住民と話し合い、最先端技術の活用を交通などに限ったことで反発が起きていないと紹介し、住民合意の確保が担保されていない同法案は「欠陥法案だ」と批判しました。

スーパーシティ法案とは、元々は2019年に廃案になったもので、
それが修正されて2020年1月に国会に提出されたものでした。

個人情報まるごと管理法案=スーパーシティ法案。

誰も気づかない間に、こんな重要な法案が通ってしまったぁ。
何たる不覚。

そういえば最近、検察がどうのこうの。
騒がしかったですよね。
こっちは目くらましだったのかぁ。
ヒャッハーー!
家族全員で70万ゲットぉ。
以下は喜ぶ磯野家の皆様です。

給付金10万はマイナンバーカードと銀行口座の紐づけしないと貰えないですよね。
これでスマホの位置情報から銀行口座情報まで。
全部紐づいてしまいますた。

我々は10万を餌にすっかりヤラレてしまったのではないでしょうか。
ワタスはこのコロナ騒動が壮大なやらせだとしたら。
なぜこんなことをやるのか不思議だったのですが。

これが目的だったのか。
これからやってくる完全人間のロボット化社会の準備だったのですた。
以下は、前から載せてるヒットラーさんの予言です。

残りの大部分は、これも進化なのか退化というべきかわからないが、一種の機械になっている。ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的な、機械的な反応しか示さない『ロボット人間』になっているのだ。

それまでの気候異変と環境異変、政治と娯楽と食物、それから起こる突然変異が、そのようなロボットのような人間を大量に生み出す。
・・

ロボット人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。

これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、ロボット人間たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。

食物と住居も、職業も娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。

ただロボット人間たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。
自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の『家畜』のように彼らを育て飼うことになるのだ。

こうして人類は、完全に2つに分かれる。

天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械的生物に近いものへ。

これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。

トヨタさんも何故か富士山の裾野でスマートシティ構想やってます。

【トヨタが街をつくる】なぜ富士山麓に未来の街「WovenCity」2021年着工を決断した?

トヨタは未来型都市「WovenCity(ウーブン・シティ)」を2021年に着工すると発表。いわゆる「スマートシティ」です。人とクルマ、そして人と社会(コミュニティ)が通信でつながることになっています。

トヨタはアメリカ現地時間の1月6日、世界最大級のIT・家電見本市CES(ネバダ州ラスベガス)で未来型都市「WovenCity(ウーブン・シティ)」を2021年に着工すると発表した。

場所は、トヨタの先進開発拠点である東富士研究所(静岡県裾野市)に隣接する広大な土地。設計はデンマークの著名建築家であるビャルケ・インゲルスが担う。
総工費については未公開だが、ラスベガスでの発表内容を見ると、数千億円規模の巨大プロジェクトという印象だ。

今後、5Gで位置情報が完膚なきまでに把握されてしまう。
そして紙幣も電子通貨化する。

今後、あなたが何かを買ったか、個人の位置情報、購買情報、趣味趣向などなど。
全てがAIによって紐づけられ把握される。

政府に逆らうと売ったり買ったりできなくなる。
超絶管理社会=完全ロボット化社会。

コロナはそのためだった。
ちゃんちゃん。
もうこれで、完全そっちに動いてるのが分かった。
これは妄想でなかった。

https://golden-tamatama.com/blog-entry-super-city-law-start.html  

8. 中川隆[-10252] koaQ7Jey 2020年11月04日 07:13:07 : AJ5Znu7Ezo : RUhuckZmTnhWWDI=[10] 報告
カラマゾフの兄弟  ドストエーフスキイ / 中山省三郎訳 (角川文庫・上巻)
第五編 Pro et contra
大審問官
http://www013.upp.so-net.ne.jp/hongirai-san/pro/pro3.html
http://www013.upp.so-net.ne.jp/hongirai-san/pro/pro4.html


 「ところで、これには、前置きを省くわけにはいかないんだよ、つまり、文学的序文というやつをな、ふん」とイワンは笑った、「それにしても、たいした作者になったものだ! さて、舞台は十六世紀に起こったことになっているんだが。

それはちょうどあの、――もっともこんなことはおまえも学校で習って、ちゃんと知ってる話だが、――詩の中で、天上界の力を地上に引きおろすことが流行した時代なんだ。

ダンテのことは言わずもがな。フランスでは裁判所の書記や修院の坊さんが、マドンナや、聖徒や、キリストや、神様御自身までも舞台へ引っぱり出して、いろんな芝居をやらせたものだ。当時はそれがすべて至極単純に取り扱われていたものだ。

ユゴオの Notre-Dame de Paris (ノトル・ダム ド パリ)のなかには、ルイ十一世の時代に王子誕生祝賀のため、パリの市会議事堂で Le bon jugement de la très saint et gracieuse Vierge Marie (いとも神聖にして優しき、処女マリヤのねんごろなる裁判)という外題(げだい)の教化的な演劇が、人民のために無料で公開されたことが書いてある。

この劇では、聖母がみずから舞台に現れて、そのいわゆる bon jugement を宣告することになっているのだ。ロシアでもピョートル大帝以前の昔には主として旧約聖書から題材を取った同じような劇が、やはりときどき演ぜられていたんだが、こうした演劇のほかにも、作中に聖徒や、天使や、あらゆる天国の力を必要に応じて活躍させた、いろんな小説や『詩』が世上に現われたものだよ。ロシアの修院でもやはりそうした物語の翻訳をやったり、写本をとったり、中には創作にまで手を出す者があったけれど、しかも、それがダッタン侵入時代のことなんだからな、その一例として、ある修院でできた(と言っても、むろん、ギリシア語からの翻訳だが、)小劇詩に、『聖母の苦難の道』というのがあるが、それはダンテにも劣らぬ大胆な場面の描写に満ちている。

聖母が大天使ミハイルに導かれて、地獄の中の苦難の道を遍歴する。そして聖母が罪人やその苦難を目撃するのだ。その中に、火の湖に落とされている、実にすさまじい罪人の一群れがある。その連中のなかには、火の湖の底深く沈んで、もはや浮かび上がることができず、ついに『神様にも忘れられる』罪人もあるのだ、――実に深刻な力強い表現じゃないかよ。そこで聖母はそれを見て驚き悲しみながら、神の御座の前に身を伏せて、地獄に落ちたすべての人――彼女の目撃したすべての罪人に対していっさい平等に憐憫(れんびん)をたれたまえと哀願する。

この聖母と神との対話が非常に興味があるんだ。聖母は一心に哀願して、かたわらを離れようとしない、神はその子キリストの釘づけにされた手足を指して尋ねる、『彼を苦しめた者どもを、どうして許すことができようぞ?』聖母はすべての聖者、すべての殉教者(じゅんきょうしゃ)、すべての天使、すべての大天使に向かって、自分と共に神の御前にひれ伏して、あらゆる罪人の平等なる赦免を哀願してくれと頼むのだ。そこで、結局、聖母は神から毎年神聖金曜日から三位一体祭までの間の五十日間は、すべての苦患(くげん)を中止するという許しを得る。

すると、罪人たちは地獄の底から主に感謝して、『主よ、かく裁(さば)きたるなんじは正し』と叫ぶのだ。ところで、僕の劇詩としても、そのころに現われたとしたら、これと同じ部類に属したことだったろうよ。

僕の劇詩でも、キリストが舞台へ出て来るが、なんにも言わずに、ただ現われるだけで、通り過ぎてしまうのだ。彼が『われすみやかに来たらん』と言って、みずからの王国へ再び出現すると約束してから、もう十五世紀もたっている。

『われその日と時を知らず、神の子みずからも知らざるなり、ただ天にましますその父のみ知りたもう』と予言者もしるし、キリスト自身もまだ地上に生きているころこう言った時からだ。

だが、しかし、人類は以前と同じ不変の信仰と不変の感激をもって彼の出現を待っている。おお、さらに大きな信仰をもって待っているのだ。なにしろ人間が天国からの証(あか)しを見なくなってから、もう十五世紀もたっているんだよ。


  信ぜよ胸のささやきを
  天よりの証(あか)し今はなければ、

 胸のささやきを信ずるよりほかないわけだよ! もっともその当時にも、多くの奇跡があったのは事実だ。奇跡的な治療を行なった聖者もあったし、その伝記によれば、聖母の訪れを受けたような人々もあった。しかし、悪魔も居眠りをしてはいなかったから、これらの奇跡の真実さを疑う者が、人類の中に現われだしたのだ。

ちょうどそのころ、北方ゲルマニヤに恐ろしい邪教が現われた。『燃火(ともしび)のごとき』(つまり教会のごときだ)大いなる星が『水の源泉(みなもと)に落ちて水は苦くなりぬ』だ。これらの邪気が不敵にも奇跡を否定し始めたのだ。

しかし、信仰に残った人々は、さらに熱烈に信じ続けていった。人類の涙が天国のキリストのもとまで昇って行って、依然として彼を待ち彼を愛(いつく)しみ、相も変わらず彼に望みをつないで、神のためには苦しみかつ死ぬべくあこがれていたのだ、……こうして幾世紀も、幾世紀も人類が信仰と熱情をもって、『おお、主なる神よ、とくわれらに現われたまえ』と祈念したため、広大無辺の慈悲をもたれたキリストは、ついに祈れる人々のところへ天降(あまくだ)ってやろう、という御心になったのだ。

その前にも彼は天国へ降(くだ)って、まだこの地上に生きている義人や、殉教者や、気高い隠者たちを訪れたということは、それらの人たちの伝記にも見えている。わが国でも、自分の言いぐさの真実を深く信じきっていたチュッチェフがこんな風に歌っている。

  十字架の重荷に脳まされ、
  奴隷(しもべ)のすがたに身をやつし、ああ、生みの地よ、
  主キリストは、汝が土のいやはてまでも、
  祝福(みめぐみ)をたれたまいつつ、ゆかせたまいぬ

 それは実際そのとおりだったに違いない、全くだ。そこで、キリストはほんのちょっとでも、人類のところへ降ってやろうという御心を起こしたんだよ、暗い罪に陥って、苦しみ悩みながらも幼児のように彼を愛慕している人類のところへさ。僕の作はスペインのセヴィリヤを舞台にとって、神の栄光のために日ごとに国内に炬火(たいまつ)が燃えて、

  華麗なる火刑の庭に
  おぞましき異教の者が焼かれたる

恐ろしい宗教裁判のときのことを扱ったものなんだ。もちろん、このキリスト降臨は、彼がかつて約束したように天国の栄光につつまれて、最後に出現したのとは全然、違っている。けっして、東から西へと輝きわたる、稲妻のような出現ではないんだ、キリストはほんの一瞬間でもいいから、わが子らを訪れてみようと思ったのだ。そして、いたずらに異教の輩(やから)を焼く炬火の爆音のすさまじい土地を選んだわけなのだ。

きわまりない慈愛をもったキリストは、十五世紀前に三十三年のあいだ、人類のあいだを歩き回ったときと同じ人間の姿をかりて、もう一度、民衆の中へ現われたのだ。彼は南方の市の『熱き巷(ちまた)』へ降臨したが、それはちょうど、『華麗なる火刑の庭』で、ほとんど百人に近い異教徒が、 ad majoriam Dei (神の栄光を大ならしめんがため)国王をはじめ、朝臣や、騎士や、僧正や、艶麗な女官や、その他セヴィリヤの全市民の眼の前で、大審問官の僧正の指揮のもとに、一挙に焼き殺されたあくる日であった、キリストはこっそりと、人知れず姿を現わしたのだ

が、人々は――不思議なことに、――キリストだとすぐに感づいてしまう、ここが僕の劇詩の中ですぐれた部分の一つなんだ、――つまり、どうして人々がそれを感づくかというところがさ。

民衆は不可抗力に引きずられて、彼の方へどっと押し寄せたかと思うと、たちまちにしてそのまわりを取り囲み、しだいに厚い人垣を築きながら、その後ろについて行くのだ。彼は限りない憐憫のほほえみを静かにたたえながら、黙々として群集の中を進んで行く、愛の太陽はその胸に燃え、光明と力とはその眼からほとばしり、その輝きが人々の上に照り渡り、彼らの心はそれにこたえるような愛におののく。

キリストは人々の方へ手をさし伸べて祝福を与えたが、その体どころか、着物の端に触れただけで、すべてのものを癒(い)やす力が生ずるのだった。と、その時、幼少からの盲目であった一人の老人が群集の中から、『主よ、わたくしをおなおしくださりませ、さすれば、あなた様を拝むことができまする』と叫んだのだ。と、たちまち眼から鱗(うろこ)でも落ちたように、盲人には主の顔が見えるようになった。

民衆は泣きながら、彼の踏んで行く土を接吻する。子供たちは彼の前に花を投げて、歌をうたいながら、『ホザナ!』と叫ぶ。『これはキリスト様だ、キリスト御自身だ』とみんながくり返す。『これはキリスト様に違いない、キリスト様でなくて誰だろう?』

彼はふと、セヴィリヤ寺院の入口に立ち止まった。ちょうどその時、蓋(ふた)をしない小さな白い棺(かん)が泣き声に送られて寺院へかつぎこまれるところだった。その棺には、ある有名な市民の一人娘で、七つになる女の子が眠っていた。その幼い死骸は花に埋まっている。

『あのおかたが、あなたの子供さんを生き返らせてくださいますぞ』と、悲嘆にくれた母に向かって、群集の中から叫ぶ声が聞こえた。棺を迎えに出た寺僧は、けげんな顔をして眉をひそめながら、それを眺めている。すると、その時、死んだ子供の母のけたたましい叫び声が聞こえる。彼女は、主の足もとへ身を投げて、

『もし主キリストでいらっしゃいますならば、この子を生き返らせてくださいませ』

と彼の方へ両手を差し伸べながら、叫ぶのだ。葬列は立ち止まって、棺は寺の入口へ――彼の足もとへおろされた。

彼は憐憫の眼でそれを見守っていたが、その口は静かに、あの『タリタ・クミ』(少女よ、われなんじに言う、起きよ)をいま一度くり返した。すると、娘は棺の中で起き上がって坐ると、びっくりしたような眼を大きく見開いて、にこにことあたりを見回す。その手には白ばらの花束が握られていたが、それは彼女と共に棺の中へ入れてあったものだ。

群集のあいだには動揺と叫喚と嗚咽(おえつ)が起こる。

この瞬間、寺院の横の広場を、大審問官である僧正が通りかかる。
それはほとんど九十に近い老人で、背の高い腰のしゃんとした人で、顔は痩せこけ眼は落ちくぼんでいるが、その中にはまだ火花のような光がひらめいている。

彼の着物は、昨日ローマ教の敵を焼いたときに、人民の前で着ていたような、きらびやかな大僧正の袍衣(ほうい)ではなく、古い粗末な法衣であった。その後ろからは陰気な顔をした補祭や、奴隷や、『神聖な』警護の士などが、かなりの距離をおいて続いていた。僧正は群集の前に立ち止まると、遠くから様子を眺めていた。

彼は何もかも見てしまったのだ、キリストの足もとへおろされて女の子がよみがえったのを見たのだ、そして、彼の顔は暗くなった。その白い濃い眉はひそめられ、眼は不吉な火花を散らし始めた。彼はその指を伸ばして、警護の士に向かい、かの者を召し捕れと命令した。

彼はそれほどの権力を持ち、群集はあくまでも従順にしつけられ、戦々恐々として彼の命に服することに慣らされていたので、さっと警護の者に通路をあけた。そして、急にしいんと墓場のように静まり返った沈黙の中で警護の者はキリストに手をかけて引き立てて行く。

群集はまるでただ一人の人間のように、いっせいに土下座せぬばかりに老審問官の前にひれ伏す。彼は無言のまま一同を祝福しつつ通り過ぎて行く。警護の者は囚人(めしうど)を神聖裁判所の古い建物内にある、陰気で狭苦しい丸天井の牢屋へ引きたてて来ると、その中へ監禁してしまった。

その日も暮れて、暗くて暑い、『死せるがごとき』セヴィリヤの夜が訪れた。空気は『月桂樹とレモンの香に匂(にお)って』いる。暗い闇の中で、不意に牢獄の鉄扉があいて、老大審問官が手に明かりを持って、そろそろと牢屋の中へはいって来た。彼はたった一人きりで、扉はすぐに閉ざされた。

彼は入口に立ち止まると、しばらくのあいだ、一分か二分、じっとキリストの顔に見入っていた。とうとう静かにそばへ近寄って、明かりをテーブルの上に載せると、口をきった。

『そこに御座るのはキリストかな? キリストかな?』

しかしなんの答えもないので、すぐにまたつけ足した、

『返事はしないがいい。黙っておるがいい。それにおまえは何を言うことができよう? わたしにはおまえの言うことがわかりすぎるくらいわかっているのだ。それにおまえは、もう昔、言ってしまったことよりほかには何一つ言い足す権利も持っていないのだ。

それにしても、なぜおまえはわしらの邪魔をしに来たのだ? 
おまえはわしらの邪魔をしに来たのだ。

それはおまえにもわかっておるはずだ。しかし、おまえが明日どんなことが起こるか知っておるかな? 

わしにはおまえが何者かは知らぬ、また知りたくもない。おまえは本当のキリストか、それとも贋者(にせもの)か、そんなことはどうでもよい、とにかく、明日はおまえを裁判して、邪教徒の極悪人として火烙(ひあぶ)りにしてしまうのだ。

すると今日おまえの足を接吻した民衆が、明日は、わしがちょっと合い図をしさえすれば、おまえを焼く火の中へ、われ勝ちに炭を掻(か)きこむことだろう、おまえはそれを知っておるのか? おそらく知っていられるであろうな』と彼は片時も囚人(めしうど)から眼を離そうとしないで、考えこむような風に、こう言い足したのだ」

 「僕にはなんのことだかよくわかりませんよ、兄さん、いったいそれは何のことです?」ずっと黙って聞いていたアリョーシャは、ほほえみながら、こう尋ねた、「それはただでたらめな妄想(もうそう)なんですか、それとも何か老人の考え違いなんですか。なんだか本当にはなさそうな、 qui pro quo (矛盾)じゃありませんか」

 「じゃ、そうしておくさ」とイワンは笑いだした、「もしも、おまえが現代のリアリズムに心酔していて、幻想的なことには全然我慢することができないで、それを qui pro quo と考えたいというんなら、まあ、そんなことにしといてもいいよ、ほんとに」

と彼はまた笑った、

「その老人はもう九十という年なんだから、いいかげんにもう気ちがいじみた観念になっているかもしれない。それに囚人の風貌だって老人の心を打ったはずだからな。いや、ことによったら、それは九十になる老人の臨終(いまわ)のきわのうわごとかもしれない。幻想かもしれない。

おまけに昨日火刑場で百人からの異教徒を焼き殺したため、まだ気が立ってるのかもしれないよ、しかし、僕にとっても、おまえにとっても、 qui pro quo だろうが、でたらめな妄想だろうが、それはどうせ同じことじゃないかな、要するに、老人は自分の腹の中を、すっかり吐き出してしまいたかっただけの話だ。九十年のあいだ、だまって腹の中にしまっていたことを、すっかり吐き出してしまいたかっただけの話さ」

 「で、囚人はやっぱり黙っているんですか? 相手の顔を見つめながら、一言も口をきかないのですか?」

 「そりゃあ、そうなくっちゃならないよ、どんな場合でもね」と、イワンはまた笑いだした、

「老人は自分から、キリストは昔言ってしまったこと以外には、何一つ言い足す権利を持っていないと断言しているじゃないか。なんなら、その中にローマン・カトリックの最も根本的な本質が含まれているといってもいいくらいだ、少なくとも僕の意見ではね。

『もうおまえはいっさいのことを法王に任せてしまったのじゃないか、今はいっさいが法王の手に握られているのだ、だから、今ごろになって、のこのこ出て来ることだって、よしてもらいたいものだ、少なくとも、ある時期までは邪魔をしてもらいたくはない』

と、こう言うのさ。こんな意味のことを少なくともエズイタ派の連中は、口で言うばかりではなく、本にまで書いているのだよ。僕は自分でもこの派の神学者の書いたものを読んだことがある。

『いったいおまえは、自分が出て来たあの世の秘密を、たとい一つでもわれわれに伝える権利をもっておるのか?』

と大審問官はキリストに尋ねておいて、すぐ自分で彼に代わって答えたのだ、

『いや、少しも、もっていない。それはおまえが前に言ったことばに、何一つつけ足すことができないためだ。それは、おまえがまだこの地上におったころ、あれほど主張した自由を、人民から奪わないためだ。おまえが、今新しく伝えようとしていることは、すべて人民の信仰の自由を犯すものだ。なぜならば、それは奇跡として現われるから。

しかも、人民の自由は、まだあのころから、千五百年も前から、おまえにとっては何より大切なものだったではないか、あの当時、《われなんじらを自由にせん》と、よく言っていたのはおまえではなかったか、ところが今、おまえは彼らの《自由な》姿を見たのではないのか』

と、物思わしげな薄ら笑いを浮かべながら、老人は急にこう言い足したのだ、

『ああ、この事業はわれわれにとって高価なものについた』

いかめしい眼眸(まなざし)で相手を見つめながら、彼はことばを続けて、

『だが、今われわれはおまえの名によって、この事業を完成した。十五世紀のあいだ、われわれはこの自由のために苦しんできたが、やっと今は完成した。立派に完成した、おまえは立派に完成したといっても本当にはしないだろうな? 

おまえはつつましやかにわしを見つめたまま、憤慨するのもおとなげないというような顔をしておる、しかし、人民は今、いつにもまして、現に今、自分たちが完全に自分になったと信じておるのだ。

しかも、その自由を、彼らはみずから進んでわれわれに捧げてくれた。そして、ねんごろにわれわれの足もとへそれを置いてくれたのだ。けれど、それを成し遂げたのはわれわれなのだ。そしておまえが望んだのはこんなことではなかったのかい、こんな自分ではなかったのか』

と言ったのだ」
 「僕は、またわからなくなりましたよ」とアリョーシャがさえぎった、「老人は皮肉を言ってるんですか、あざけっているんですか?」

 「けっしてそうじゃないんだ、彼はついに自由を征服して、人民を幸福にしてやったのを、自分や仲間の者の手柄だと思っているのさ。『なぜなら、今(もちろん、彼は審問のことを言ってるんだよ)、はじめて人間の幸福を考えることができるようになったからだ。

人間はもともと反逆者にできあがっておるのだが、反逆者が幸福になると思うか?

 おまえはよく警告を受けた――と彼はキリストに向かって言ったのだよ――おまえは注意や警告を飽くほど聞かされながら、それに耳をかさないで、人間を幸福にすることのできる唯一の方法をしりぞけてしまったではないか。

しかし、仕合わせにも、おまえがこの世を去るときに、自分の事業をわれわれに引き渡して行った。おまえはその口から誓って、人間を結びつけたり解いたりする権利をわれわれに授けてくれた。だから、もちろん、今となっては、その権利はわれわれから取りあげるというわけにはいかぬ。なんのためにおまえはわれわれの邪魔をしに来たのだ?』」

 「注意や警告を飽くほど受けた、というのはいったい何のことでしょう?」と、アリョーシャは聞いた。

 「そこが老人の言おうとした肝心な点なんだよ。」

 「『恐ろしくて、しかも賢明なる精霊が』と老人は語り続けるのだ、

『自滅と虚無の精霊――偉大なるあの精霊が、荒野でおまえと問答をしたことがあるだろう、書物に書いてあるところでは、それがおまえを《試みた》ことになるのだそうだ。それは本当のことかな? 

しかし、その精霊が三つの問いの中でおまえに告げて、おまえに否定されたあの、書物の中で《試み》と呼ばれていることば以上に、より真実なことが何か言い得られるだろう? 

もしいつかこの地上で、本当に偉大な奇跡が行なわれる時があるとすれば、それこそあの三つの試みの中に奇跡が含まれているのだ。もし仮りにこの恐ろしき精霊の三つの問いが、書物の中から跡かたもなく消失してしまったとして、再びこれを元どおり書物の中へ書き入れたるため新たに考案して書き上げねばならなくなったとする。

そのために世界の賢人――政治家、長老、学者、哲人、詩人などを呼び集めて、さあ三つの問いをくふうして作り出してくれ、しかし、それは事件の偉大さに適合しているのみならず、ただ三つのことばでもって、三つの人間のことばでもって、世界と人類の未来史をことごとく表現していなくてはならぬ、という問題を提出したとする。そうしたら世界中の知恵を一束にしてみたところで、力と深みにおいて、かの強くて賢い精霊が荒野でおまえに発した、三つの問いに匹敵するようなものを考え出すことがはたしてできるかどうか、それはおまえにだってわかりそうなものではないか? 

この三つの問いだけから判断しても、その実現の奇跡だけから判断しても、移りゆく人間の知恵でなくて、絶対不滅の英知を向こうに回している、ということがわかるではないか。なぜなら、この三つの問いの中に人間の未来の全歴史が、完全なる一個のものとなって凝縮しているうえに、地上における人間性の歴史的矛盾をことごとく包含した、三つの形態が現われているからである。

もちろん、未来を測り知ることはできないから、その当時こそ、それはよくわからなかったのだけれど、それから十五世紀を経た今日になってみれば、もはや抜き差しならぬほど安全に、この三つの問いの中にいっさいのことが想像されて、予言されて、しかもその予言がことごとく的中していることが、よくわかるではないか。

 『いったいどちらが正しいか、自分で考えてみるがよい――おまえ自身か、それともあの時おまえに質問をしたものか? 第一の問いはどうだろう、ことばは違うかもしれぬが、こういう意味だった。

《おまえは世の中へ行こうとしている、しかも自由の約束とやらを持ったきりで、空手で出かけようとしている。しかし生来単純で粗野な人間は、その約束の意味を悟ることができないで、かえって恐れている。なぜなら、人間や人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものは他にはないからである! 

このむき出しになって焼け果てた荒野の石を見よ。もしおまえがこの石をパンに変えることができたら、人間は上品で従順な羊の群れのように、おまえの後を追うだろう、そうしておまえが手を引いて、パンをくれなくなりはせぬか、とそのことばかりを気づかって、絶えず戦々恐恐としておるに違いないぞ》といった。

ところが、おまえは人民の自由を奪うことを欲しないで、その申し出をしりぞけてしまった。おまえは、もし服従がパンで購(あがな)われたものならば、どうして自由が存在し得るか、という考えだったのだ。

そのときおまえは人はパンのみにて生くるものにあらずと答えたが、しかし、この地上のパンの名をもって、地の精霊がおまえに反旗を翻し、おまえと戦って勝利を博するのだ。そしてすべてのものは、

《この獣に似たるものこそ、天より火を盗みてわれらに与えたるものなり》

と絶叫しながら、その後に従って行くのをおまえは知らないのか。長い年月の後に、人類はおのれの知恵と科学の口をかりて、犯罪もなければ、罪障もない、ただ飢えたる者があるばかりだ、と公言するだろうことをおまえは知らないのか。

《食を与えよ、しかる後われらに善行を求めよ!》

と書いた旗を押し立てて、人々はおまえに向かって暴動を起こす。そしてその旗がおまえの寺を崩壊するのだ。おまえの寺の跡には、やがて新しい建築ができる。そしてさらに恐ろしいバビロンの塔が築かれるのだ。

もっとも、この塔も以前の塔と同じように落成することはあるまいが、それにしても、おまえはこの新しい塔の建築を差し止めて、人類の苦痛を千年だけ短縮することができるはずなのだ。なぜならば、彼らは千年のあいだ、自分の塔のために苦しみ通したあげく、われわれの所へ帰って来るに違いないからだ! 

そのとき彼らは再び地下の墓穴の中に隠れているわれわれを捜し出すだろう(われわれは再び迫害を受け、苦しめられるからだ)。彼らは捜し出したらわれわれに向かって、

《わたくしどもに食物をください、わたくしどもに天国の火を取って来てやると約束した者が、嘘をついたのです》

と絶叫するだろう。その時、はじめてわれわれが彼らの塔を落成さしてやるのだ。なぜなら、それを落成さすことのできるのは、彼らに食を与える者のみで、われわれはおまえの名をもって、彼らに食を与えてやるからだ。しかしおまえの名をもってと言うのは、ほんの出まかせにすぎないのだ。

そうとも、われわれがいなかったら、彼らは永久に食を得ることができないのだ!

 彼らが自由であるあいだは、いかなる科学でも彼らにパンを与えることはできない。結局、彼らは自分の自由をわれわれの足もとに投げ出して、

《わたくしどもを奴隷になすってもかまいませんから、どうか食べ物をください》

というようになるだろう。つまり、自由とパンはいかなる人間にとっても、両立しがたいことを、彼らはみずから悟るだろう。

実際どんなことがあっても、けっして彼らは自分たちのあいだで、うまく分配するということができないに決まっているから、また彼らは無力で、不徳で、無価値な暴徒にすぎないのだから、けっして自由になり得ないことも悟るだろう。

おまえは彼らに天上のパンを約束したが、何度もくり返すようだが、はたしてあの無力で、永久に不徳な、永久にげすばった人間の眼から見て、天上のパンが地上のパンと比べものになるだろうか?

 よし幾千万の人間が、天上のパンが欲しさに、おまえの後からついて行くにしても、天上のパンのために地上のパンを捨てることのできない幾百、幾千万の人間は、いったいどうなるというのだ? 

それともおまえに大切なのは、立派な、力強い幾万かの人間だけで、その他の弱い、けれどもおまえを愛している幾百万の人間、いや、浜の真砂(まさご)のように数えきれない人間は、すぐれた力強い人間の材料とならなければならぬというのか? 

いや、われわれには弱い人間も大切なのだ、彼らは不徳感で反逆者ではあっても、最後にはかえってこういう人間が従順になるのだ。彼らはわれわれに感嘆して、神とまで崇(あが)めるに至るだろう。なぜならば、われわれは彼らの先頭に立って、彼らの恐れている自由に甘んじて耐えて、彼らの上に君臨することを諾(うべな)うからだ。かくして、結局、彼らは、自由になることを恐ろしいと感じだすに違いない! 

しかしわれわれは彼らに向かって、自分たちもやはりキリストに従順なものだから、おまえたちの上に君臨するのはキリストの御名によるのだ、と言って聞かせる。こうしてわれわれはまた彼らを欺くが、もはや断じておまえを自分たちのそばへ近づけはしないのだ。この偽りのなかにわれわれの苦悩がある。しかもわれわれは偽らざるを得ないのだ。

荒野における第一の問いはこういう意味を持っているのだ。おまえは自分が何にも増して尊重した自由のために、これだけの物を拒否したのだ。さらに、この問題のうちには、この世界の大きな謎(なぞ)が潜んでいるのだ。おまえがもし『地上のパン』を受け入れたなら、個人および全人類に共通な永遠の悩み、――《何人を崇拝すべきか?》という疑問に対して、回答を与えることになったのだ。

自由になった人間にとって、最も苦しい、しかも絶え間なき問題は、一刻も早く自分の崇むべき者を捜し出すことである。しかし、人間という者は議論の余地なく崇拝に値する者を求めている、万人ことごとく打ちそろって、一時にその前にひざまずき拝し得るような、絶対的に崇むるに足る対象を求めているのだ。これらの哀れな被造物の心労は、めいめい勝手な崇拝の対象を求めるだけではなく、万人が信服してその前にひざまずくことのできるような者を捜し出すことにあるのだ。どうしても、《すべての人といっしょ》でなければ承知しないのだ。

この共通な崇拝の要求が、この世の初まりから、各個人および全人類のおもなる苦悩となっている。崇拝の共通ということのために、彼らは互いに剣をもって殺戮(さつりく)し合った。彼らはおのおのの神を創り出して互いに招き合っている。つまり、

《おまえたちの神を崇めないか、そうしなければ、おまえたちもおまえたちの神も死あるのみだぞ!》

というのだ。これは世界の終わるまでこのとおりだ。神というものが地上から消え失せてしまった時でも、やはり同じことだ。彼らは偶像の前にでも、ひざまずくだろうから。おまえはこの人間性の根本の秘密を知っていたろう、いや知らないはずはない。ところが、おまえはすべての人間を無条件で自分の前にひざまずかせるため、精霊がおまえにすすめた唯一絶対の旗幟――つまり地上のパンという旗幟――を拒否したのだ、しかも天上のパンの名をもって拒否したではないか。

それからさきにおまえはどんなことをしたか、考えてみるがよい。何事によらず、例によって、自由の名をもって行なったではないか! 

わしがおまえに言っておるとおり、人間という哀れな生き物は、生まれ落ちるとより授けられている自由の賜物を、いちはやく誰かに譲り渡そうとして、その相手を捜し出すことにきゅうきゅうとしていて、この苦しみほど人間にとって切実なものはないのだ。それにしても、人間の自由を支配し得るのは、彼の良心を安んずることのできる者に限ることだ。ところで、おまえにはパンという絶対的な旗幟が与えられたのだから、パンさえ与えれば、人間はおまえの足もとにひざまずくに決まっている。なぜといって、パンほど確実なものはないからだ。

が、もしその時おまえのほかに、人間の良心を支配する者が出現した暁には、――おお、その時こそは、おまえのパンを捨てても、人間は自分の良心を籠絡(ろうらく)する者について行くに違いない。この場合においてはおまえも正しかったのだ。なぜなら、人間生活の神秘はただ生きるということに存するから。何のために生きるかという確固たる観念がなかったら、人間はたとえ周囲にパンの山を積まれても、生くることを楽しとせずに、こんな地上にとどまるよりは、むしろ自殺の道を選んだに相違ない。これは確かにそのとおりだったろう。

ところが、実際はどうであったか。おまえは人間の自由を支配するどころか、かえっていっそう彼らに自由を増してやったではないか! 

それとも、おまえは人間にとって、安らいのほうが時としては死でさえも、善悪の認識界における自由の選択よりは、はるかに高価なものであることを忘れたのか? それは、むろん人間としては、良心の自由ほど愉快なものはないのだけれど、これはどまた悩ましいものもないのだ。しかるに、おまえは人間の良心を永久に慰める確固たる根拠を与えないで、あるとあらゆる異常な謎のような、しかも取り留めもない、人間の力にはそぐわぬ代物を取って与えた。それゆえ、おまえの行為は全然人類を愛することなくして、行なったと同じ結果になってしまった、しかも、それが誰かといえば、人類のために一命を投げ出した人なのだ! 

おまえは人間の自由を支配しようとして、かえってその自由を多くして、その苦悩によって永久に、人間の心の王国の負担を多くしてやったではないか。おまえは自分でそそのかして俘(とりこ)にした人間が、自由意志でおまえについて来るために、人間に自由の愛を求めたのだ。人間はこれからさき、確固たる古代の掟(おきて)を捨てて、自分の自由意志によって何が善で何が悪であるかを、一人で決めなければならなくなった。しかも、その指導者としては、おまえの姿が彼らの前にあるだけなのだ。

だがおまえはこんなことを考えはしなかったか、――もしも、選択の自由というような、恐ろしい重荷が人間を圧迫するとすれば、ついにはおまえの姿やおまえの真理を排斥するに至る。そして《真理はキリストの中にはない》と叫ぶようになる。というのは、おまえがあまりに多くの心労と、とても解決できない問題を課したため、人間は困惑と苦痛の中にとり残されたからだ。実際、これ以上に残酷なことはとてもできるものではない。こうしておまえは自分で自分の王国の崩壊する根本を作ったのだから、誰も他人をとがめることはできない。

とはいえ、おまえがすすめられたのは、はたしてこんなことであったろうか?

 ここに三つの力がある。つまり、これらのいくじない反逆者の良心を、彼らの幸福のために永久に征服して、俘(とりこ)にすることのできる力は、この地上にたった三つよりないのだ。その力というのは、奇跡と神秘と政権である。

おまえは第一も第二も第三も拒否して、みずからその先例を作った。あの恐ろしくも、おぞましい精霊が、おまえを宮殿の頂きに立たせて、

《もしも、おまえが神の子か否かを知りたいなら、試みに下へ飛んでみよ。なぜなら、下へ落ちて身を粉砕しないように、中途で天使に受け止めてもらう人の話が本にも書いてあるから、その時おまえは自分が神の子かどうかを知ることができるし、天なる父に対するおまえの信仰のほども知れるわけだ》

しかし、おまえはそれを聞くと、そのすすめをしりぞけ、かかる術策に引っかかって下へ身を投げるようなことをしなかった。それはもちろん、おまえは神としての誇りを保って、立派にふるまったに違いない。しかし人間は――あのいくじのない反逆者の種族はけっして神ではないからな。おお、もちろんあの時、あまえがたった一足でも前へ進み出て、下へ身を投ずる構えだけでもしたのなら、神を試みたことになって、たちまちすべても信仰を失い、おまえが救うためにやって来た土に当たって粉砕し、おまえを誘惑したさかしい精霊を喜ばしたに違いない、わしはそれを知っていたのだ。が、くり返して言うが、いったいおまえのような人間がたくさんいるだろうか? 

このような誘惑を持ち耐える力がほかの人間にもあるなどと、おまえは本当にただの一分間でも考えることができたか? 

人間の本性というものは、奇跡を否定するようにはできていないのだ。いわんや、そのような生死に関する恐ろしい瞬間に、――最も恐ろしい、根本的な、苦しい精神的疑問の湧き起こった瞬間に、自由な心の決定にのみ頼っていくようにはできていないのだ。

おまえは自分の言行が書物に記録されて、時の窮み、地の果てまで伝えられることを知っていたので、すべての人間も自分の例にならって、奇跡を必要としないで神と共に暮らすだろう、そんなことを当てにしていたのだ。けれども、人間は奇跡を否定すると同時に、ただちに神をも否定する。なぜならば、人間は神よりもむしろ奇跡を求めているのだから、――この理(ことわり)をおまえは知らなかったのだ。人間というものは奇跡なくして生きることができないから、自分で勝手に新しい奇跡を作り出して、果ては祈禱 師(きとうし)の奇跡や、巫女(みこ)の妖術(ようじゅつ)まで信ずるようになる。そして相手が百倍もひどい悪党で、邪教徒で、不信心者であっても意としないのだ。おまえは多くの者が、

《十字架からおりてみろ、そうしたらおまえが神であることを信じてやる》

と、ひやかし半分にからかった時、おまえは十字架からおりて来なかった。つまり、またしても人間を奇跡の奴隷にすることを潔しとせず、自由な信仰を渇望したから、おりなかったのだ。おまえは自由な愛を渇望したが、恐ろしい偉力によって、凡人の心に奴隷的な歓喜を呼び起こしたくなかったのだ。しかしおまえは人間をあまりに高く見積りすぎたのだ。

それは天性彼らは暴徒にできあがっていても、やはり奴隷に違いないからだ。まあよく観察して判断するがよい。もう十五世紀も過ぎたのだから、よく人間を観察するがよい。あんなやつらをおまえは自分と同じ高さまで引き上げたのだ。わしは誓って言うが、人間はおまえの考えたより、はるかに弱くて卑劣なものなのだ! 

いったいおまえのしたと同じことが人間にできると思うのか? あんなに人間を尊敬したために、かえっておまえの行為は彼らに対して同情のないものになってしまったのだ。それはおまえがあまりにも多くのものを彼らに要求したからである。これおが人間を自分の身より以上に、愛した、おまえのなすべきことといえるだろうか? 

もしもおまえがあれほど彼らを尊敬さえしなかったら、あれほど多くのものを要求もしなかったろう。そしてこのほうがはるかに愛に近かったに違いない。
つまり人間の負担も軽くて済んだわけだ。

人間というものは弱くて卑しいものだ。今彼らはいたるところで、われわれの教権に反抗して、それを誇りとしているがそんなことはなんでもない。それは赤ん坊か小学生の自慢だ。それは教室で騒動を起こして、教師を追い出すちっぽけな子供なのだ。しかし今にそんな子供らしい喜びは終わりを告げて、それに対して彼らは高い支払いをしなければならない。彼らは寺院を破壊して地上に血を流すことだろう。

しかし、結局はこの愚かな子供たちも、自分らは暴徒とはいっても、最後まで反抗を持続することのできない、いくじない暴徒にすぎないことを悟るだろう。やがては、愚かな涙を流しながら、自分たちを暴徒として創った者は、疑いもなく自分たちを冷笑するためだと自覚するだろう。彼らがこんなことを言いだすのは絶望に陥った時、そのことばは神を冒瀆(ぼうとく)するものとなり、それによって彼らはいっそう不幸に陥るだろう。それは、人間の本性がとうてい、冒瀆 を耐え忍ぶことのできないもので、結局、自分で自分にその復讐(ふくしゅう)をするに決まっているからだ。

かかるがゆえに、不安と惑乱と不幸と――これがおまえが彼らの自由のためにあれだけの苦しみを忍んだ後で彼らに与えられた、今の人間の運命なのだ! おまえの偉大なる予言者はその幻想と譬喩(ひゆ)の中で、最初の復活に参与したすべての人を見たが、その数はあらゆる種族を通じて一万二千人ずつあったといっておる。

しかし、それほど多くの者がいたとしても、それは人間ではなくて神であったといってもいいくらいだ。彼らはおまえの十字架を耐え忍び、荒れ果てた不毛の広野の幾十年を、蝗(いなご)と草の根によって露命をつないできたのだから、もちろん、自由の子、自由な愛の子、おまえの名のために自由と偉大なる犠牲となった子として、大威張りでこれらの人々を指すことができるだろう。

しかし、考えてもみるがいい。それはわずか数千人の、しかも神ともいうべき人間だけである。あとの人間はどうなるのだ? 

そうした偉大な人々の耐え忍んだことを、他の弱い人間が同じように耐え忍ぶことができなかったからとて、彼らになんの罪があろう? 

そのような恐ろしい賜物を、受け入れることができなかったとて、弱い魂を責めるわけにはいくまい。それともおまえは、ただ選ばれたる者のために、選ばれたる者のもとへ来たのにすぎなかったのか? 

仮にそうだとすれば、それこそ神秘で、もはや、われわれにはわからないことだ。しかし本当に神秘だとすれば、われわれは神秘を伝道して、彼らに向かって、いちばん肝要なものは良心の自由なる判断でもなければ、愛でもなく、ただ一つの神秘あるのみだ、すべての人間は自分の良心にそむいてまでも、この神秘に盲従しなければならないと教える権利を持っているわけだ。

実際われわれはそのとおりにしてきた。われわれは、おまえの事業を訂正して、それを奇跡と神秘と教権の上にすえつけたのだ。すると民衆は、再び自分たちを羊の群れのように導いてくれる者ができ、それほど彼らに苦痛をもたらしたあの恐ろしい贈り物を。ついに取りのけてもらえる時が来たのを喜んだのだ。われわれがこんな風に教えたのは間違っているかどうか、ひとつ聞かせてもらいたい。われわれが優しく人間の無力を察して、情をもって彼らの重荷を減らしてやり、弱い彼らの本性を、たといそれが悪いことであっても大目に見て許してやったのが、はたして人類を愛したことにならぬのだろうか? 

いったいおまえは、今ごろになってなんのためにわれわれの邪魔をしにやって来たのだ? どうしておまえはそのやさしい眼でじっと見抜くように、黙ってわしを見つめておるのだ? 

怒るのなら勝手に怒るがよい、わしはおまえの愛なんか欲しくはない、わしのほうでもおまえを愛してはいないのだから。それにわしは、何もおまえに隠しだてをする必要もない。それともわしが今、誰と話をしているか、知らないとでも思うのか? 

わしが今言おうと思っていることは、何もかもおまえにわかっているはずだ。それはおまえの目つきでちゃんと読める。しかし、わしはおまえにわれわれの秘密を隠そうとは思わぬ。ことによると、おまえはぜひわしの口からそれが聞きたいのかも知れぬ。

それなら、聞かせてあげよう。われわれの仕事仲間はおまえでなくてやつ(悪魔)なのだ。これがわれわれの秘密だ! 

われわれはすでにずっと前から、もう八世紀のあいだもおまえを捨てて、やつといっしょになっているのだ。ちょうど八世紀以前、われわれは彼の手からおまえが憤然としてしりぞけたところのものを取ったのだ。それは地上の王国を示しながら、やつがおまえにすすめた最後の賜物だったのだ。

われわれは彼の手からローマとシーザーの剣を取って、われわれこ地上の唯一の王者だと宣言したのだ。もっとも、いまだこの事業を十分に完成することはできなかったが、それはわれわれの罪ではない。この事業は今日に至るまで、ほんの初期の状態にあるけれど、とにかく緒についてはいるのだ。その完成はまだまだ長く待たねばならぬし、まだまだこの地球も多くの苦しみをなめなければならないが、しかし結局、その目的を貫徹してわれわれは皇帝となり、やがては人類の世界の世界的幸福を企てることができるのだ。ところが、おまえはまだあの時にシーザーの剣を取ることができたのだ。どうしておまえはこの最後の贈り物をしりぞけたのだ?

 おまえがこの偉大なる精霊の第三の勧告を受け入れていらなら、人類が地上で捜し求めているいっさいのものを満たすことができたはずだ。言い換えれば、崇(あが)むべき人と良心を託すべき人と、すべての人が世界的に一致して、蟻塚(ありづか)のように結合する方法である。なぜというに、世界的結合の要求は、人間の第三にしてかつ最後の苦悩だからである。

全体としての人類は常に世界的に結合しようと努力している。偉大な歴史を持った偉大なる国民が多くあったにはあったけれど、これらの国民は高い地歩を占めれば占めるほど、いっそう不幸になってゆくのだった。というのは人にすぐれて強い者ほど、人類の世界的結合の要求をより激しく感じるからである。チムールやジンギスカンというような偉大な征服者は、さながら疾風のように地上を席捲(せつけん)して、宇宙を併合しようと努力した。そして、これらの人々も無意識にではあるが、やはり、人類の世界的結合の要求を表現したのだ。全世界とシーザーの紫色の袍(ほう)をとってこそ、はじめて、世界的王国を建設して、宇宙的平和を設定することができるのだ。

なぜというのに、人類の良心を支配し、かつ、人類のパンをその手に把握している者でなくしては、人類を支配することができないからだ。われわれはもちろん、おまえを捨ててやつの後について行った。おお、人類の自由な知恵と、科学と、人肉啖食(じんにくたんしょく)の放肆(ほうし)きわまりなき時代が、まだこのうえに幾世紀も続くだろう。まさしく人肉啖食だ。なぜなら、彼らは、われわれの力をかりずして、バビロンの塔を建て始めたのだから、彼らはついに人肉啖食で終わるのは当然なのだ。しかし、最後にはこの獣が、われわれのもとへはい寄って、われわれの足をなめまわしながら、血の涙を注ぐことだろう。

そこで、われわれはその獣にまたがって杯を挙げる。そして、その杯には《神秘》と書かれているだろう。しかし、その時になって、はじめて平和と幸福の王国が人類を訪れるのだ。おまえは自分の選ばれた者ども以外にはないのだ。ところが、われわれは、すべての者をいこわせることができる。まだまだそれくらいのことではない、これらの選ばれた者どもや、選ばれたる者になり得る強者の多くは、もはやおまえの出現を待ちくたびれて、自分の精神力や情熱をまるで見当違いの畑へ移してしまっている。まだこれからも移してゆくだろう。

そしてついには、おまえにそむいて自由の反旗を翻すに違いない。しかし、おまえ自身もこの反旗を翻したではないか。ところが、われわれのほうでは万人が幸福になって、もはや反逆を企てる者も、互いに殺傷し合う者もなくなるのだ。これに反して、おまえの自由な世界では、それが随所に行なわれている。おお、われわれは、彼らがわれわれのために自分の自由を捨てて、われわれに服従したとき、はじめて彼らは幸福になれるのだとよく皆のものに聞かしてやろう。

ところで、どうだろう、われわれの言うことは正しいだろうか、正しくないだろうか? いや彼ら自身でわれわれの言うことが正しいことを悟るに違いない。それは、おまえの自由のおかげで、どれほど恐ろしい奴隷状態と混乱に落とされていたかを思い出しさえすれば十分だからな。自由だとか、自由な知恵だとか、科学だとかは、彼らをものすごい渓谷に連れこんで、恐ろしい奇跡や、解きがたい神秘の前に立たせるため、彼らのうち頑強(がんきょう)で獰猛(どうもう)な者は自殺してしまうし、頑固であっても弱い者は互いに滅ぼし合うだろう、その他のいくじのない不仕合わせな者たちは、われわれの足もとへはい寄って、こう叫ぶのだ、

《あなたがたは正しゅうございました。あなたがたのみがキリストの神秘を持っていらっしゃいます。でありまするから、わたくしどもはあなたがたのところへ帰ります。どうか、わたくしどもを自分自身から救ってくださいまし》

そこで、われわれは彼ら自身の得たパンをその手から取り上げると、石をパンに変えるというような奇跡などは何も行なわないで、再び彼らにそれを、分配してやる、彼らはパンを受け取る時に、このことをはっきり承知しているけれど、彼らが喜ぶのはパンそのものよりも、むしろ、それをわれわれの手から受け取るということなのだ! 

なぜならば、以前われわれのいなかったころには、彼らの得たパンがその手の中で石ころになってしまったが、われわれのところへ帰って来てからは、その石がまた彼らの手の中でパンになったことを、悟りすぎるくらい悟っているからである。永久に服従するということがどんな意味を持っているかも、彼らは理解し過ぎるほど理解するに違いない! 

この理に合点のゆかぬあいだは、彼らはいつまでも不幸なのだ。だが、これを彼らに知らさないようにしたのは第一誰なのか、それが聞きたい。羊の群れを散り散りにして、不案内な道へ追いやったのはのは誰だ? 

でも、羊の群れもまた再び呼び集められて、今度こそ永久に服従することだろう。その時になって、われわれは彼らに穏やかなつつましい幸福を授けてやる。彼らの本来の性質たるいくじのない動物としての幸福を授けてやるのだ。おお、われわれは最後に彼らを説き伏せて、けっして誇りをいだかないようにしてやる。つまり、おまえが彼らの位置を高めるために、彼らに誇りを教えこんだからだ。

そこでわれわれは彼らに向かって、おまえたちはいくじなしでほんの哀れな子供のようなものだ、そして子供の幸福ほど甘いものはないと言い聞かせてやる。すると、彼らは臆病になって、まるで巣についた牝鶏(めんどり)が雛(ひな)に寄り添うように、恐ろしさに震えながら、われわれのほうへ身をすり寄せて、われわれを振り仰ぐに違いない。彼らはわれわれのほうへ詰め寄りながらも、同時にわれわれを崇(あが)め恐れて、荒れさわぐ数億の羊の群れを鎮撫(ちんぶ)することのできる偉大な力と知恵とをもったわれわれを、誇りとするに至るだろう。

彼らはわれわれの怒りを見て、哀れにも震えおののいて、その心は臆(おく)し、その眼は女や子供のように涙もろくなるだろう。しかし、われわれがちょっと合い図さえすれば、たちまち身も軽々と、歓楽や、笑いや、幸福の子供らしい歌へ移るのだ。むろん、われわれは彼らに労働を強いるけれど、暇なときには彼らのために子供らしい歌と合唱と、罪のない踊りの生活を授けてやる。ちょうど子供のために遊戯を催してやるようなものだ。

もちろん、われわれは彼らに罪悪をも許してやる。彼らは弱々しい力ない者だから、罪を犯すことを許してやると、子供のようにわれわれを愛するようになる。どんな罪でもわれわれの許しさえ得て行なえばあがなえる、とこう彼らに言い聞かせてやる。罪悪を許してやるのは、われわれが彼らを愛するからだ。その罪悪に対する応報は、当然われわれ自身で引き受けてやるのだ。そうしてやると、彼らは神様に対して自分たちの罪を引き受けてくれた恩人として、われわれをますます崇めるようになる。したがってわれわれに何一つ隠しだてをしないようになる。

彼らが妻の他に情婦と同棲(どうせい)することも、子供を持つことも、持たぬことも、すべては彼らの従順であるか従順でないか、したがって、許しもすれば、とがめもする。こうして彼らは楽しく喜ばしくわれわれに服従してくるのである。最も悩ましい良心の秘密も、それから――いや、何もかも、本当に何もかも、彼らはわれわれのところへ持って来る。するとわれわれはいっさいのことを解決してやる。この解決を彼らは喜んで信用するに違いない。というのは、それによって大きな心配を免れることもできるし、今のように自分で勝手に解決するという恐ろしい苦痛を免れることができるからだ。

かくてすべての者は、幾百万というすべての人類は幸福になるだろう。しかし、彼らを統率する十数万の者は除外されるのだ。すなわち、秘密をほじしているわれわれのみは、不幸に陥らねばならぬのだ。何億かの幸福な幼児と、何万人かの善悪の知識ののろいを背負うた受難者ができるわけだ。

彼らはおまえの名のために静かに死んでゆく、静かに消えてゆく。そうして、棺(かん)のかなたにはただ死以外の何ものをも見いださないだろう。しかも、われわれは秘密を守って、彼ら自身の幸福のために、永遠の天国の報いを餌(えさ)に彼らを釣っていくのだ。なぜといって、もしあの世に何かがあるにしても、とうてい彼らのごとき人間に与えられるはずはないからだ。

人の話や予言によると、おまえは再びこの世へやって来るそうだ。再びすべてを征服して、選ばれたる人や、誇りと力を持った者たちを連れてやって来るそうだ、けれどわれわれはこう言ってやる――彼らはただ自分を救ったばかりだが、われわれはすべての者を救ってやった、とな。またこんな話もある。やがてそのうちにいくじのない連中がまたもや蜂起(ほうき)して、獣の上にまたがって、《秘密》を手にした姦婦(かんぷ)の面皮を引っ剥(ぱ)がし、その紫色のマントを引き裂いて、《醜い体》を裸にするということだ。もっとも、その時はわしが立ち上がって、罪を知らぬ何億という幸福な幼児を、おまえに指して見せてやる。彼らの幸福のために彼らの罪を一身に引き受けたわれわれは、おまえの行く手にたちふさがって、

《さあできるものならわれわれをさばいてみろ》

と言ってやる。いいかえ、わしはおまえなんぞを恐れはしないぞ。いいかえ、わしもやはり荒野へ行って、いなごと草の根で命をつないだことがあるのだぞ。おまえは自由をもって人間を祝福したが、わたしもその自由を祝福したことがあるのだ。

わしも《数の埋め合わせ》をしたいという渇望のために、おまえの選ばれたる人々の仲間へ――偉大なる強者の仲間へはいろうと思ったこともある。しかしあとで眼がさめたから、気ちがいに仕えることが嫌になったのだ。それでまた引き返して、《おまえの仕事を訂正した》人々の群れに投じたのだ。つまり、わしは傲慢(ごうまん)な人々のかたわらを去って、謙遜(けんそん)な人々の幸福のために、謙遜な人々のところへ帰って来たのだ。今わしの言ったことは実現されて、われわれの王国は建設されるだろう。

くり返して言うが、明日はおまえもその従順な羊の群れを見るだろう。彼らは、わしがちょっと手で合い図をすれば、われがちにおまえを焼く炬火へ炭を掻(か)きこむことだろうよ。

それはつまり、おまえがわれわれの邪魔をしに来たからだ。実際、もし誰が、最もわれわれの炬火に焼かれるにふさわしい者があるとすれば、それはまさしくおまえだ。明日はおまえを焼き殺してくれるぞ。Dixi(これでおしまいだ)』」


 イワンは口をつぐんだ。彼は話しているうちにすっかり熱して、酔ったようになって話を続けたが、語り終わった時、不意ににやりとした。

 黙々としてずっと聞き入っていたアリョーシャは、しまいには異常な興奮を覚えて幾度も躍起に兄のことばをさえぎろうとする衝動をかろうじて押えていたのであるが、突然、その場から飛び上がりざまに口をきった。

 「しかし……それはばかばかしい話ですよ!」と彼はまっかになって叫んだ、

「兄さんの劇詩はイエスの賛美です、けっして非難じゃありません……、兄さんが期待した結果にはなっていません、それに誰が兄さんの自由観なんか信じるものですか! そんな、そんな風に自由というものを解釈してもいいものでしょうか! 

それがはたして正教の解釈でしょうか……それはローマです、いやローマ全体を尽くしたものではありません、それは嘘(うそ)です、それはカトリック教の中でもいちばん良くないものです、審問官や、エズイタ思想です!……それに兄さんのおっしゃる審問官のような奇怪な人間はとうていあり得るものではありません。自分の一身に引き受けた人類の罪とは、いったい何のことですか? 

人類の幸福のために何かのろいを背負った、秘密の保持者とはいったいどんなものです? いつそんな人がありましたか? 

僕らはエズイタ派のことは知っていますが、彼らはずいぶんひどいことを言われてますけれど、兄さんの考えてるようなものではありません! 

まるで違いますよ、全然そんなものじゃありません……、彼らはただ頭に皇帝を――ローマ法王をいただいた、未来の世界的王国の建設に向かって邁進(まいしん)するローマの軍隊にすぎません。それが彼らの理想で、そこにはなんの神秘もなければ、高遠な憂愁もありません……、権力と、卑しい地上の幸福と、隷属に対する最も単純な希望があるにすぎないのです……、いわば、未来の農奴制度というべきものですが、それには彼ら自身が地主になろうとしているのです……これっくらいが彼らのもっているすべての考えですよ、おそらく彼らは神だって信じてはいないでしょう。兄さんの言う苦しめる審問官はただの幻想ですね……」

 「まあ、待てよ、待てっ」とイワンは笑って、「いやに逆(のぼ)せ上がるじゃないか、おまえが幻想というんなら、それでもいいよ! 

むろん、幻想さ、だがな、おまえは本当に、近世のカトリック教の運動の全部が、けがれた幸福のみを目的とする権力の希望にすぎないと思ってるのかい? 
そいつはパイーシイ神父にでも教わったことじゃないかな?」

 「いいえ、いいえ、反対に。パイーシイ神父はいつだったか、兄さんと同じようなことを言われたことさえありますよ……しかし、むろん違います、まるで違いますよ」

と、アリョーシャはあわてて言いなおした。

 「いや、そいつは、おまえが『まるで違う』と言ったところで、なかなか貴重な報告だぜ。そこで一つおまえに聞きたいのはね、どういうわけでおまえのいうエズイタや審問官たちは、ただ物質的な卑しい幸福のためのみに団結したというんだい? 

なぜ彼らのなかには、偉大なる憂鬱に悩みながら、人類を愛する受難者が一人もいないというのだい? ね、けがれた物質的幸福のみ渇仰(かつごう)している、こういう連中のなかにも、せめて一人ぐらい、僕の老審問官のような人があったと想像してもいいじゃないか、彼は荒野で草の根を食いながら、みずから自由な完全なものになるために、自分の肉体を征服しようとして狂奔したのだが、人類を愛する念には生涯変わりがなかったのさ。ところが、一朝、忽然として意志の完成に到達するという精神的な幸福はそれほど偉大なものではない、ということを大悟したのだ。それは、意志の完成に到達した時には、自分以外の数億の神の子が、ただ嘲笑の対象物となってしまう、ということを認めざるを得ないからだ。

全く彼らは自分の自由をどう処理していいかもわからないのだ、こういう哀れな暴徒の中から、バビロンの塔を完成する巨人が出て来ようはずはない、『偉大なる理想家』が、かの調和を夢みたのは、こんな鵞鳥(がちょう)のような連中のためではない、こういうことを悟ったので、彼は引っ返して……賢明なる人々の仲に加わったわけだが、そんなことはあり得ないというのかぇ?」

 「誰の仲間へ加わるのです、賢明なる人とは誰のことですか?」アリョーシャはほとんど激情にかられながら、こう叫んだ、

「彼らにはけっしてそんな知恵もなければ、そんな神秘だの秘密だのというものもありません……あるのはただ、無神論だけです、それが彼らの秘密の全部です、兄さんの老審問官は神を信じていやしません、それが老人の秘密の全部です!」


 「そうだとしても、かまわんよ! やっとおまえも気がついたってわけだね、いや、本当にそのとおりなんだ、本当に彼の秘密はただその中にのみ含まれているのだよ、しかし、それは彼のような人間にとっても苦しみではないだろうか。彼は荒野における苦行のために自分の一生を棒に振ってしまいながら、それでも人類に対する愛という病を、癒(い)やすことができなかったのだよ。

やっと自分の生涯の日没ごろになって、あの恐ろしい精霊の勧告だけが、いくじのない反逆者どもを――『嘲笑(ちょうしょう)のために作られた、未完成な試験的生物』を、幾らかしのぎよい境遇におくことができる、ということをはっきりと確信したのだ。それを確信すると同時に、賢明なる精霊、恐ろしい死と破壊の精霊のさしずに従って進まねばならぬということを悟ったのだ。このために虚偽と詐欺とを取り入れて、人間をば故意に死と破壊へ導き、しかも彼らがどうかしたはずみで、自分らの行く手に感づかないようにする必要がある、つまり、せめてそのあいだだけなりと、この哀れな盲人どもに、自分を幸福なものと思わせておくためなんだ。だが、注意して欲しいことは、この虚偽もキリストの名のためだという点だよ。老人は生涯、熱烈にキリストの理想を信じていたのさ! 

これでも不幸ではなかろうか? もしもあの『けがれた幸福のためのみの権力に渇している』軍隊の頭に、ほんの一人でも、こんな人物が現われたら――その一人だけでも悲劇を生むに十分じゃないか? そればかりか、こんな人がたった一人でも頭に立っていたら、ローマの事業(その軍隊もエズイタ派もみんな引っくるめて)ローマの事業に対する本当の指導的な理想を生むに十分じゃないか、僕はこう断言する――こうした『唯一人者』は、あらゆる運動の指導者のあいだに、今までけっして絶えたことがない。ことによったら、ローマ僧正のあいだにも、この種の唯一人者がなかったとも限らないからなあ。

それどころか、こうして執拗(しつよう)に、非常に自己流に人類を愛しているこの呪うべき老人は、同じような『唯一人者的』老人の大群集の形をとって、今も現に存在しているかもしれないのだ、そかもそれはけっして偶然ではなく、ずっと前から秘密を守るために組織された同盟、もしくは秘密結社として存在しているかもしれない、この秘密を不幸ないくじのない人間どもから隠すのは、つまり彼らを幸福にするためなんだ。つまり、彼らを幸福にするためなんだ、これは必ず存在する、また存在しなければならないはずだよ、僕はなんだかメーソンの基礎にも、何かこんな秘密に類したものがあるんじゃないか、というような気がする、カトリック教徒がメーソン組合員を憎むわけは、彼らを自分の競争者、つまり、自分の理想の分割者と見るからだ、羊の群れも一つでなくちゃならないし、牧者も一人でなくちゃならないからな……それはそうと、こんな風に僕が自分の思想を弁護していると、どうやらおまえの批評をたたきつけたれてしまった作者のようだね、さあ、こんなことはもうたくさんだよ」

 「兄さんは、もしかしたら自分がメーソンかもしれませんね!」と、不意にアリョーシャは口をすべらせた、「兄さんは神を信じていないのですよ」と彼は言い足したが、その声はもう非常に強い悲しみを帯びていた。そのうえ彼には、兄が冷笑的に自分を眺めているように感じられた。

「それで、兄さんの劇詩はどんな風に完結するんです?」と、不意に彼は地面を見つめながら尋ねた。「それとも、もう完結してるんですか?」

 「僕はこんな風に完結させたいと思ったのさ、審問官は口をつぐんでから、しばらくのあいだ囚人がなんと答えるかを待ち設けていた。彼には相手の沈黙が苦しかったのだ。見ると囚人は始終しみ入るように、静かにこちらの顔を見つめたまま、何一つことばを返そうとも思わぬらしく、ただじっと聞いているばかりだ。

老人は、どんな苦しい恐ろしいことでもかまわないから、何か言ってもらいたくてたまらないのだ。が、不意に囚人は無言のまま老人に近づいて、九十年の星霜を経た血の気のない唇をそっと接吻したのさ。それが回答の全部なのだ、老人はぎくりとした。なんだか唇の両端がぴくりと動いたようであった。と、彼は扉(とびら)のそばへ近づいて、それをさっとあけ放しながら、囚人に向かって、

『さあ、出て行け、そしてもう来るな……二度と来るな……どんなことがあっても!』

と言って、『暗い巷(ちまた)』へ放してやる。すると囚人はしずしずと歩み去るのだ」

 「で、老人は?」

 「例の接吻が胸に燃えさかっていたのだけれど、やはり、元の理想に踏みとどまったんだ」

 「そして兄さんも老人といっしょなんでしょう、兄さんも?」とアリョーシャは憂わしげに叫んだ。イワンは笑いだした。

 「だって、アリョーシャ、こんなものはほんのでたらめじゃないか、これまで二行の詩も書いたことのない、無分別な学生のとりとめもない劇詩にすぎないんだよ、なんだってそうおまえはきまじめにとるんだい? 

ほんとにおまえは僕がエズイタ派の仲間へ走って、キリストの事業を訂正しようとしている連中の群れへ投じるだろうなんて、思ってるのかい? 

とんでもないこったよ! 僕はおまえに言ったとおり、三十まではこうしてだらだらと生きのびるんだ、そして三十が来たら杯を床へたたきつけるまでさ!」

 「じゃ、粘っこい若葉や、立派な墓や、青空や、愛する女はどうなんです! それじゃ兄さんは何をあてに生きてゆくのです、どうしてそういうものを愛してゆくつもりなんです?」

アリョーシャは痛ましげに叫んだ、

「胸や頭にそんな地獄を持ちながら、兄さんはどうしてやってゆくのです? いいえ、兄さんはきっとああいう仲間にはいるために出かけて行きます……でなかったら自殺しますよ、とてもしんぼうしきれたものはありません!」

 「なんでもしんぼうすることのできる力があるさ!」と、もうひややかな嘲笑を帯びた声でイワンが言った。

 「どんな力が?」

 「カラマゾフの力さ……カラマゾフ式の下劣な力なのさ」

 「それは淫蕩(いんとう)に溺(おぼ)れて、堕落の中に魂を押しつぶすことですね、ね、ね?」

 「まあ、そうかもしれんな……、しかし、ただ三十までだ。ひょっとしたら、逃げ出せるかもしれんが、しかしそのときは……」

 「どんな風に逃げ出すんです? どうして逃げ出すんです? 兄さんのような考えを持っていたんでは、とてもだめです」

 「こいつもやっぱりカラマゾフ式にやるさ」

 「それはあの『すべてが許されている』というやつですか? 本当にすべてのことが許されているというのですか、そうなんですか、そうなんですか?」

 イワンは眉をひそめたが、急に不思議なほどまっさおな顔になった。

 「あ、おまえは、昨日ミウーソフが腹を立てた、例の文句をもちだしたんだな……、あのとき、ドミトリイが不細工に飛び出して、あの文句をくり返したっけな」と彼はゆがんだような薄笑いを漏らした、

「ああ、ことによったら、『すべてが許されてる』かもしれないよ。綸言(りんげん)汗のごとしさ、それにミーチカのこじつけもなかなかうまいぞ」

 アリョーシャは黙って兄を見つめた。

 「僕はね、アリョーシャ、ここを去るに当たって、世界じゅうでおまえだけは親友だと思っていたんだが」と、突然思いがけない真情をこめてイワンが言った、「今となってはおまえの胸にも、僕をいれる場所がないことに気がついたよ、可愛(かわい)い隠者さん。だがね、『いっさいのことが許されている』という定義は否定しないよ、ところで、どうだい、おまえはこの定義のためには僕を否定するだろうね、え、え、そうだろう?」

 アリョーシャは立ち上がってそばに近寄ると、無言のまま静かにその唇に接吻した。

 「文学的剽竊(ひょうせつ)だぞ!」と、イワンは急に一種の歓喜に浸りながら、叫んだ、「おまえはその接吻を僕の劇詩から盗み出したな! でも、まあ、ありがとう、さあお立ち、アリョーシャ、出かけようよ、僕にもおまえにももう時間だから」

 二人は外へ出たが、居酒屋の戸口のところで立ち止まった。

 「なあ、おい、アリョーシャ」とイワンはしっかりした語調で言いだした。「もしも、本当に粘っこい小さい葉を愛するだけの気力が僕にあるとしたら、それはおまえを思い起こしたためにそれを愛するということになるんだ。おまえがこの世界のどこかにいると思っただけで、もう僕にはたくさんだ。そしたら僕は人生に全く愛想をつかさないでいられる。しかし、おまえはこんなこと飽き飽きしたろうな?

 なんなら、これは恋の打ち明け話と思ってくれてもいい、でも、もうこれで、おまえは右へ、僕は左へだ、――それでたくさん、ねえ、もうたくさんだよ。つまり、もし僕が明日立たないで(しかし、きっと立ちそうなんだが)、まだどうかしておまえに会うことがあっても、この問題については、もうなんにも言わないようにしてくれ。くれぐれも頼んだぞ。

それから、ドミトリイのことについても、特に頼んでおくが、どうか二度と僕に口をきかないでくれ」と、急に彼はいらいらした調子でこういい足した、「もう話すこともなくなったよ、言うべきことは言ってしまったんだ、そうだろう? ところで、僕のほうからも一つおまえに約束をしておこう。三十近くなって、『杯を床へたたきつけ』たくなった時には、僕はどこにおまえが住んでいようと、もう一度おまえのとことへ話しに来るよ……たとえアメリカからでもやって来る。

覚えておいてくれ、わざわざやって来るんだから。それにおまえが、その時分に、どんなになっているかを、ちょっと見に来るだけでも、ほんとに愉快だろうからな。いや、ずいぶん大げさな約束だ。しかし、実際に七年か、十年も別れることになるかもしれない。さあ、もうおまえの Pater Seraphicus (ペーター・セラフィカス)のところへ行ったほうがよかろうぜ、もう今は死にかかってるんだからね、おまえの帰らないうちに死んだら、僕が引きとめてたからだといって、腹を立てるかもしれないよ、さようなら、もう一度接吻してくれ、そうだ、そうだ、じゃ行けよ……」

 イワンは不意に身をかわすと、もうふり返ろうともせずに、思う方をさしてずんずん歩き出した。それはちょうど昨日兄ドミトリイが、アリョーシャのそばを離れて行った時の様子に似てはいたが、その性質においては全く趣を異にしていた。この奇妙な印象は、ちょうどそのとき、憂いに閉ざされたアリョーシャの顔を、矢のようにかすめ過ぎたのであった。彼は兄の後ろ姿を見送りながら、しばしのあいだ、ただずんでいた。

ふっと、イワンが妙にふらふらしながら歩いて行くのに気がついた。それに、後ろから見ると右肩が左肩より少し下がっている。こんなことは、これまでについぞ見たことのないことである。が、彼もくるりと身を転ずると、ほとんど駆け出さんばかりにして、修道院を指して急いで行った。

すでにあたりは、急にたそがれて、無気味に思われるくらいであった。自分にもはっきりと説明することのできない、何かしら新しいあるものが、彼の心のうちにわきあがっていた。彼が庵室の森へはいった時、また昨日のように風が吹き起こって、松の老い木がものすごく、彼の身のまわりに、ざわめきだした。彼はほとんどはしらないばかりであった。

 『Pater Seraphicus――兄さんはこんな名まえをどこから、……』こんな考えがアリョーシャの頭に浮かんできた、『イワン、イワン兄さん、可哀(かわい)そうに、今度はいつ会えることだろう?……ああ、もう庵室だ! そうだ、そうだ、ここに Pater Seraphicus がいらっしゃるのだ、この人が僕を……悪魔から永久に救ってくださるのだ!』

 その後、彼は生涯のあいだにいくたびか、この時のことを思い出して、イワンに別れを告げたとき、どうして急に、――午前中、ほんの数時間前にはどんなことがあっても探し出さなければならぬ、それを果たさぬうちは、たとい今夜じゅう修道院へ帰れなくとも、断じて中途で引き返したりなどはしないとまで決心していた兄のドミトリイのことを忘れはててしまったのかと、少なからぬ疑惑に包まれるのであった。

9. 中川隆[-10107] koaQ7Jey 2020年11月07日 08:33:03 : rBzhPMJiBc : eXgyN1czclhOai4=[10] 報告
金貸し、つまり金融資本はすでに行き詰まっている。リチャード・ニクソン大統領が1971年8月にドルと金との交換停止を発表、ドル体制を支えるためにドルの回収システムを作り上げ、経済のカジノ化が進むのだが、その教義が新自由主義にほかならない。

 金融カルトだとも言えるだろうが、政治学者のデイビッド・ハーベイによると、このカルトを広めるためにアメリカの大企業は年間9億ドルを政治家、学者、研究所、メディアなどへ撒いたという。カルトの伝道師がフリードリッヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンなどで、彼らの政策は金融マジックにすぎない。

 このマジックによって投機市場は肥大化、金融資産が膨らむが、この金融資産は絵に描いた餅にすぎない。何らかの事情で市場が縮小しはじめると一気に資産は消えていく。その予兆にも見えることが2008年9月に起こった。アメリカの大手投資会社リーマン・ブラザーズ・ホールディングズが連邦倒産法の適用を申請したのだ。

 もっとも、これは破綻寸前の金融資本を救済するために仕掛けられたショックだとも考えられている。そのショックを利用し、アメリカ政府は「大きすぎた潰せない」という口実で金融機関を救済、「大きすぎて罪に問えない」ということでその責任者を不問に付した。

 そうした政策で支配システムの腐敗はさらに進み、システムの維持は困難になりつつある。WEF(世界経済フォーラム)の創設者であるクラウス・シュワブは今年6月、「パンデミック」を利用して資本主義を大々的に「リセット」すると語っている。経済を麻痺させ、魅力ある企業を倒産させて乗っ取るということだろう。ボリス・エリツィン時代のロシアでシティやウォール街が行ったことだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202011070000/

10. 中川隆[-6328] koaQ7Jey 2021年3月26日 15:33:22 : RGiSZl5RR1 : MDg5UmRkd3RZNlE=[33] 報告
ミルトン・フリードマン氏: リベラリズムは衆愚政治である
2021年3月25日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12998


新自由主義の経済学者ミルトン・フリードマン氏が、経済学者フリードリヒ・フォン・ハイエク氏の著書

『隷属への道』
https://www.amazon.co.jp/%E9%9A%B7%E5%B1%9E%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%93-%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%AF%E5%85%A8%E9%9B%86-I-%E5%88%A5%E5%B7%BB-%E3%80%90%E6%96%B0%E8%A3%85%E7%89%88%E3%80%91-%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%AF/dp/4393621824?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E9%9A%B7%E5%B1%9E%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%93&qid=1616663210&sr=8-1&linkCode=sl1&tag=asyuracom-22&linkId=bb8fb6f139d7283a6bff2adaa68480f5&ref_=as_li_ss_tl


の序文において現代のリベラリズムを痛烈に批判している。

共産主義としてのリベラリズム

1912年にアメリカに生まれたフリードマン氏は自由主義(リベラリズム)の経済学者として知られる。しかしフリードマン氏の「リベラリズム」は現代におけるいわゆる政治的なリベラリズムとは全く別ものである。彼は次のように言う。

わたしはハイエクと同様に自由主義(リベラル)という言葉をその語源通り「権力が制限された政府と、政府その他による外部からの干渉がない自由な市場」という意味で使うのであって、その意味とはまったく逆の意味を持つようになってしまっている米国においてこの言葉の持つ腐敗した意味でではない。

『隷属への道』は基本的には共産主義・全体主義を批判する本である。しかしフリードマン氏はこの本が現代にとってこそ重要であると言う。何故ならば、共産主義は資本主義社会においても公然と生きているからである。

フリードマン氏は次のように言う。

勿論当時と同じような共産主義者による誤った主張は今も変わらず主張されているだけでなく、むしろ増加していると言える。しかし現代の共産主義者の直接の論点は昔と同じではないし、彼らの使う特殊な用語も戦時中や戦後のものとは異なっている。

国民から税を徴収して莫大な予算を立てるには名目が必要である。フリードマン氏によれば、かつては「中央集権的計画」「使用のための生産」などの言葉で大規模な予算とそれに伴う徴税が行われたという。共産主義が崩壊して久しい現代ではもはやこれらの言葉は聞いたことがないだろう。

しかし社会主義の恐怖は別の衣装を着て現代にも現れている。現代では別の言葉を使って同じように政治的予算のための徴税が行われる。1994年に書かれたフリードマン氏の文章に挙げられる例は2021年にはほとんどは消え去っているが、まだ生き残っているものもある。彼は次のように書いている。

また「環境の危機」も叫ばれるようになっている。この危機は強欲なビジネスマンによって生み出されているというのだ。

そしてこれらの危機は巨大に膨らんだ政府の政策によってのみ解決できると主張されている。

そして現代ではコロナ対策だろう。日本政府はコロナ対策の名目のもとに好きな票田へと資金をばら撒き始めている。こうした政府による資金投下についてフリードマン氏は次のように述べている。

こうした政策の中身は、現実には政府がまったく恣意的に国民の一部から税金を略奪して国民の他の一部に補助金として与えるということでしかない。

これらの政策のどれもがすべて平等と貧困の根絶のためという名のもとに行われている。しかしこれらの社会福祉政策は、そのどれもが原理原則を欠いてコロコロと変化しており、相互に矛盾した要素の集まりでしかない補助金を特定の利害グループに与えているにすぎない。結果、政府によって消費される国民所得の割合は巨大化してゆくばかりとなっている。

日本政府はコロナ対策のために人々を旅行に行かせることが重要だと主張した。面白い冗談である。それでも自民党が与党から外れることはない。

GO TOトラベルで安全な旅行を楽しむコロナウィルス
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11550


政治的予算には常に綺麗な名目と本当の受益者が存在する。少々頭の足りない人々は綺麗な名目に騙されてしまう。問題は、有権者のほとんどがそういう人々だということである。

衆愚政治としてのリベラリズム

例えばグローバリズムにおける移民政策も同じような目的で行われた。シリア難民が、あるいはシリア難民のふりをした別に難民でも何でもない人々が、ヨーロッパではタダ飯にありつけると吹聴したメルケル氏の甘言によって地中海で溺れて死んだ。反対したイギリスはリベラルな人々によって「反知性主義」と罵られた。

国民投票でEU離脱を選んだイギリス人の凄まじい精神力
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/3594


受益者は誰か? 安価な労働力が命を懸けて自分のところに来てくれる多国籍企業である。ユニクロの柳井氏が移民賛成であるのは当たり前のことである。ユニクロのホームページには「世界を良い方向に変えていく」というタイトルの移民賛成の言論が載っている。

フリードマン氏は次のように語っている。

共産主義のためのどんな議論も、虚偽を集めたイデオロギーでないとすれば、感情に直接訴えかけるだけのきわめて単純な言論でしかない。

本当の自由主義

あらゆる名目であらゆる予算が積み上げられ続けている。とりわけ西洋では「環境」やら「倫理」やら「人権」のためだと叫ばれている。カリフォルニアのオークランドでは今月、有色人種の家庭に毎月500ドルを配る実験を開始すると発表された。これは人種差別ではないのか。

彼らの言う通りにすれば「世界は良い方向に変わる」そうである。そういう名目のもとに税金は召し上げられる。その資金を政治家たちは好きに使っている。フリードマン氏は次のように言う。

インテリの共同体の大半は政府の権力の拡大が悪質な巨大企業から個人を守るためだとか、貧困者を救済するためだとか、環境保護のためだとか、「平等」を各国において促進するためだとか等々と政府が喧伝すると、ほとんど自動的にその拡大を支持してしまう。

世界を自分の思う通りにしようという思い上がりのことをいつから自由主義(リベラリズム)と呼ぶようになっただろうか。ハイエク氏はこの意味で

『致命的な思いあがり』
https://www.amazon.co.jp/%E8%87%B4%E5%91%BD%E7%9A%84%E3%81%AA%E6%80%9D%E3%81%84%E3%81%82%E3%81%8C%E3%82%8A-%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%AF%E5%85%A8%E9%9B%86-%E7%AC%AC2%E6%9C%9F-%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%AF/dp/4393621913?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E8%87%B4%E5%91%BD%E7%9A%84%E3%81%AA%E6%80%9D%E3%81%84%E4%B8%8A%E3%81%8C%E3%82%8A&qid=1616662539&sr=8-1&linkCode=sl1&tag=asyuracom-22&linkId=14824c560eca5585cdb7fba424286df4&ref_=as_li_ss_tl


という題の本を書いている。

「致命的な思いあがり」についてフリードマン氏は次のように述べている。

社会の様々な悪は邪悪な人々の活動によって生まれており、自分たちのような善良な人々が権力をふるいさえすればすべて上手く行くと信じるのは心をそそる考えではある。そのためには人々の感情と自画自賛の心があれば十分だろう。それらは容易く手に入り、人々の心を満足させもする。

しかし実際には邪悪を生み出すのは権力を持った「善良な」人々である。反対に良い結果を生み出すのは、権力は持っていないが隣人との自発的な協力のために活動できる普通の人々だ。これが理解できるようになるためには感情抜きの分析と思想が不可欠であり、もろもろの感情を理性的な力へと隷属させなければならない。

われわれは現代のリベラリズムではない、本当の自由主義を思い出すべきなのではないか。そうでなければ、綺麗な言葉によって飾られた政治的な腐敗のために、あるいは東京に打ち立てられた便器のために予算は積み上げられ続けるだろう。

人々は隷属を続けている。国の借金が量的緩和で消えてなくなることはなく、この『隷属への道』の結末は2つしかない。物価高騰か重税である。前者はアメリカで、後者は日本で既に起きている。人々は隷属したままである。

世界最大のヘッジファンド: 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10831

インフレを暗示する最新の米雇用統計、株価暴落か物価高騰かの二択に
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12801

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12998

11. 中川隆[-6327] koaQ7Jey 2021年3月26日 15:34:51 : RGiSZl5RR1 : MDg5UmRkd3RZNlE=[34] 報告
共産主義としてのリベラリズム、資本主義という名の共産主義
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/545.html

グローバリズムは19世紀の帝国主義の21世紀版、共産主義とは対極にある考え方
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/510.html

グレートリセットは米国覇権の崩壊と多極化、中国の台頭を示すもの
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/504.html

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