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(回答先: 金正恩「秘密の家系図」が北朝鮮国内で拡散、当局緊張 投稿者 中川隆 日時 2020 年 6 月 28 日 07:04:07)
2020年10月02日
金正恩の出生と過激さの理由 在日の子として侮蔑される
後継者に指名された金正恩
引用:http://img4.cache.netease.com/photo/0001/2010-10-11/900x600_6IN5EMVA00AO0001.jpg
金正恩の一族
北朝鮮は健康不安から表に出てこなくなり妹に権力委譲しているとも噂されるが、今一度金正恩という人間を検証してみたい。
北朝鮮は独裁的共産国家なので、権力を握っている人の性格や人間性は大きな影響を与えます。
金正恩を知るにはまず祖父の金日成が、日本占領下の朝鮮北部で生まれるところから、紐解かなくてはならない。
金日成の母方の祖父がキリスト教徒で反日活動家であり、一家は1919年に平壌ちかくから満州に引っ越してきました。
金日成は恵まれた家庭に育ち、5年制の旧制中学校に2度進学したが、2度とも退学して中国共産党に入党した。
金日成は東北抗日聯軍という反日テロ組織の隊員になり、1935年ごろから満州の日本人を襲撃したり拉致を繰り返した。
北朝鮮の日本人拉致は戦後始まったものでも、金正日が始めたものでもなく、金日成が20代前半の頃から得意としていました。
日本人へのテロ行為を繰り返したのでついに日本軍の討伐作戦が実施され、あっけなく壊滅して金日成は1940年ソ連に亡命しました。
その後第二次大戦中は極東の中国人部隊の大隊長として朝鮮兵を率いるが、この階級を見てもソ連が金日成をまったく重要視していなかったのが分かる。
事態が急変したのは1945年夏で、中国大陸を占領していた日本陸軍関東軍は、敗戦は不可避と判断し大陸から撤退し始めます。
作戦は大陸の日本軍を陸路で朝鮮半島に移動させ、海路で釜山から日本に帰国するというものだったが、上手く行かなかった。
中国や満州の日本人の多くは撤退時に置き去りにされ、ソ連軍の進出によって日本軍も朝鮮半島と大陸に分断された。
国民の誰も金日成を知らなかった
太平洋の消耗戦に大量の兵士を投入した関東軍は、既にソ連軍と戦う戦力がなく、朝鮮半島でジリジリと後退した。
釜山から日本への海上航路は米軍によって遮断されたので、ソ連軍が前に出ると日本軍はその分後ずさりし、時間稼ぎをしました。
8月15日になって昭和天皇の玉音放送があり、米軍は戦闘を中止し、関東軍は38度線で踏みとどまりました。
中国大陸に置き去りにされた日本人と日本軍は、中国人に捕らえられて虐待され、ごく一部だけが生きて帰国した。
関東軍は自分たちの影響力を半島に残すため、終戦直前に朝鮮建国準備委員会を設置し9月6に「朝鮮人民共和国」を建国したが、進駐してきた米軍に取り消されてしまった。
怒った南朝鮮人が反米暴動を起こすなどしたので、アメリカは南朝鮮を「大韓民国」として独立させたが、これは関東軍が一時建国した朝鮮人民共和国が元になっている。
一方38度線の北側を占領したソ連軍も、建国した韓国に対抗させるために「朝鮮民主主義人民共和国」を建設し北朝鮮になった。
北朝鮮の国家元首には大隊長の金日成大尉が連れてこられたが、単にソ連に居た朝鮮人でもっとも地位が高かったからだと思われる。
あまり期待されずに指導者に納まった金日成は、国民からの人望もなかったのだが、これは韓国の李承晩も同じだった。
朝鮮半島は第二次大戦に巻き込まれず、日本軍の締め付けも緩かったので、実は朝鮮人の多くは日本に留まりたがっていました。
金日成だの李承晩だのは要するに朝鮮を投げ出して他国に居たような奴らで、信用できないというのが両国民の本音だった。
金日成はこの状況を挽回するため、南朝鮮に侵攻して「祖国統一の英雄」になり権力を強化しようとし、ソ連に無断で戦争を始めました。
同様に国民から支持されなかった李承晩は、自分を支持しない国民を容赦なく粛清し、朝鮮戦争より大きな犠牲を出したと言われています。
在日朝鮮人を追い出したがっていた日本政府は「北は地上の楽園」と騙して出国させた。
新潟港には見送りの大観衆が詰めかけ、お祭りのようだったと言われている。
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引用:http://chosonsinbo.com/jp/files/2015/09/48bbeaff5f200b26b7d6971dbfbfcb07.jpg
金正恩の過激さの理由
日韓併合で日本は朝鮮を併合し、朝鮮人は日本人だったのだが、敗戦によって日本・韓国・北朝鮮は別の国に分かれます。
1945年から1950年まで韓国に朝鮮人の多くを帰国させたが、帰国を拒否した数十万人がそのまま住み着き、在日韓国人になりました。
1950年に朝鮮戦争が勃発すると朝鮮人帰国は中断し、1959年から北朝鮮への帰国事業が始まりました。
この帰国事業で渡航したのが金正恩の母になる高英姫で、平壌芸術大学から万寿台芸術団に入り、金正日の目に留まり3番目の妻になったと言われている。
高英姫に該当する日本での在日朝鮮人は2人が候補として推測されているが、日本の記録では特定できていない。
1960年代に帰国したときは9歳くらいだった筈なので、知人の証言などから特定するのは困難でしょう。
高英姫の次男が金正恩で、母が同じ金正哲のほうが、生まれた順番から一時は後継者として有力候補だった。
北朝鮮の最高指導者としては金正男のほうが順位が上なのだが、2001年に成田空港でつかまって失脚しました。
この密航事件も金正恩を最高指導者にしたい勢力が日本政府に通報したとも噂されているが、真偽は確かめようも無い。
繰り上がり当選のように最高指導者になった金正恩には悩みがあり、在日朝鮮人帰国者の子であるため、侮蔑したり侮る高官が多かったと言われている。
後の過激なまでの粛清は、自分を侮って失脚させようとした者への報復と考えられる。
父や祖父より過激な反米路線を取るのも、実は幹部や国民からの侮りから、過激にならざるを得ないのかも知れない。
こうした家庭で生まれたのが金正恩で、最高指導者の子供でありながら、在日帰国者の子供として部下からは侮蔑されて来ました。
金正恩にクーデター未遂事件があったのは周知の事実で、この事件以降粛清と軍事力強化にまい進する事になった。
今後も金正恩が急に大人しくなる事はないでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/72152988.html
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