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(回答先: 川端康成の世界 投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 27 日 19:27:00)
深沢七郎の世界
耐えられる極限まで…… 2020年08月20日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1223.html
動物たちは、地球上に生きる生命体を食べて、最期には、自分を食べさせて終わる命の循環がある。これは究極の利他主義といえるかもしれない。
だが、これこそが、宇宙生命の本質なのだ。
生涯、他の生物を食べながら、自分だけは食べられずに、静かに埋められたいなんて自分勝手な人生観を持っているのは人間くらいだ。
動物たちは、衰え、弱ったことを自覚して死期を悟ると、自ら死を迎えるための地に赴くと、私は信じている。
私は、若い頃から数千回も山を歩き回ってきたが、あれほどたくさんいる動物たちの死骸を目にしたことはごくわずかで、それも交通事故とか、滝や土石流で落ちたカモシカとか、事故死の現場くらいで、老衰で死を迎えた動物を見たことがないのだ。
だから、人知れない、誰も見ることのできない動物たちの静かな死地があると、若い頃から確信してきた。
動物の死の現場といえば、例えば日光皇海山の登山道には、至る所に鹿の骨が転がっていて、「お花摘み」に藪に入ると、大きな頭蓋骨を目にすることも珍しくない。
羅臼岳の登山道では、50mくらい下でヒグマが鹿を食べている光景を目撃したことがある。
おそらく、このような死地では、驚くほど短時間で、他の生命体による「命の循環」が行われるのだろうと考えている。
深沢七郎の「楢山節考」では、主人公のおりんが、70歳の死を迎えるべき年齢に達すると、自ら健全な歯を折って、息子に、老人たちのために用意された死地=「楢山まいり」に連れて行くよう促す。
孝行息子の辰平は、泣きながらおりんを背負って七谷と呼ぶ死の地に向かい、おりんを山に置く。
そのとき雪が降ってきた。決して口をきいてはならない掟を破って、辰平は、
「おっかあ、雪が降ってきた……」と言った。
それは、簡単に凍死できるから、運がいいという意味だった。
楢山節考が世に出たときは、私はやっと歩きだした幼児だったが、やがて、この小説の意味を知るところとなったときは、小学生くらいだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A2%E5%B1%B1%E7%AF%80%E8%80%83
以来、映画も見たが、本当にこの小説が示唆している哲学が、身に染み入ってくるようになったのは、自分が死を迎えること約束された数年前からのことだ。
子供の頃から若い頃までは、「科学技術が発達すれば、こんな悲劇もなくなるだろう」なんて軽薄な感想しかなかったが、自分が年を越えるごとに衰え、肉体も脳も劣化して、まともな仕事もできなくなってきたことを自覚すると、自分にも、おりんのいる七谷が近づいてきたことを思い知らされるようになった。
おりんはイワナ取りの名人で、健全な歯も肉体もあったが、孫のけさ吉の嫁が孕んで、集落全体の食料のゆとりがないことが分かると、自ら歯を折って、この世から消える決心をした。
私の祖母は、100歳で死んだのだが、最期は骨粗鬆症で、大腿骨を骨折し、実父は延命治療を拒否し、餓死させる最期を選んだ。
今、実母が96歳で、同じ事情のなかにいる。誤嚥性肺炎で長期入院していたのだが、姉妹は、延命治療を断る署名をしている。
そうして考えると、おりんの運命は、決して人ごとではなく。我々全員に突きつけられている選択だったのだ。
雪降る七谷は、終末を迎えた老人たちが寝る病院だった。
私自身も、自分が、この社会で生産的な人生を送れないと自覚していて、今の貯金や年金で生活できなくなれば、例え表面上、余力があるように見えても消えてゆかねばならないと覚悟するようになった。
誰もが、最期は自らの意思で死を選ばねばならないのだ。山で最期を迎える動物たちと、病院で最期を迎える人間たちに、いかほどの違いがあろうか?
私は幸い(本当に)、家族がいないので、後顧の憂いもなく、最期は、力尽きて朽ちる前に、なるべく他人に迷惑をかけないような死に方をしたいと願っている。
しかし、自分のゴミ屋敷を、どう始末すべきか、今でも頭を悩ませている。まあ、死の運命の数日前に、まとめて始末するかと調子のいいことを考えている。
生に大きな執着を持つ理由のない動物たちに対して、天は苦痛の少ない最期を与えている。
昭和天皇のように、死を迎えても周囲から死なせてもらえず、何十万人分もの他人の血を無理矢理注がれて、死ぬと分かっているのに、極限の延命をさせたことで、裕仁氏は、人類で最も激しい苦痛を与えられた残酷な死だったといえよう。
https://dot.asahi.com/wa/2016042100212.html?page=1
動物たちは、ときに自分の肉体を上位の猛獣の餌として提供する運命なので、実に容易に苦痛を感じずに死に至るようにプログラムされているといわれる。
https://news.goo.ne.jp/article/magazinesummit/entertainment/magazinesummit-http_editor.magazinesummit.jp_p_48122.html
動物たちの死は、自然界の掟であり、生態系循環のプログラムに組み込まれているから、何百万年の種の進化の過程で、簡単に死ねるように設計されているのだ。
裕仁氏は死の床で、動物たちの自然な死を羨んだことだろう。
人間は、肉体と生に執着するがゆえに、死を迎えるにあたって、執着の分だけ苦痛を味わうことになる。
執着を捨ててしまった究極の老人たちは、ごく自然な無理のない死に様が多いと私は、これまで身内の死を見てきて感じた。
私も死ぬべき時は、執着を捨てて、夜のとばりが降りるように朽ちてゆきたいものだと思っている。
「執着を捨てる」これが人生の極意なのかもしれない。
日本には、死と紙一重の、生命の極限を生きるような、とんでもなく苛酷な修行が存在する。それは比叡山と、大峰山で、もう1000年も前から続いていて、この行に挑戦して命を失った者も多数いると聞く。
https://www.youtube.com/watch?v=SBczUgzi5uI
https://www.youtube.com/watch?v=y7UKACmylZk
酒井雄哉は、毎日、山野を40Km歩く行を700日行い、9日間の断食、断水、不眠、不臥の堂入行を行い、最後の仕上げが、京都大回り、毎日84Kmを歩く通算1000日の行を二回続けて行った。
こんな凄まじい行は、一般人が挑戦しても、一日でも不可能に近い。
行に失敗して歩けなくなれば自決する掟なので、もう生に対して一毛の執着を持つこともできない。言い換えれば、これは死を決意して生者の価値観を完全に捨て、死者になりきってしまわなければ不可能だ。
千日回峰の行者は生者ではない、死者なのだ。だから、死者の装束を着ている。たまたま、運良く生還できれば大阿闍梨」という称号が与えられるが、それだけの話だ。
酒井雄哉は、学徒動員で鹿児島の鹿屋基地に配属された。言わずと知れた特攻基地だ。
それは生を捨てることを要求され、この世への未練は微塵も許されない。しかし雄哉は生き残った。
その後、いろいろな事情で、新妻を自殺させてしまい、後悔の念から比叡山に入った。
そうして生を捨てなければ絶対に不可能な千日回峰を二回こなした。
私は、千日回峰の行者たちの姿と、堂入成就、開扉のとき、京都中の善男善女が周囲を取り囲み、泣きながら無事を祝っている姿を見て、京都が1000年の間、京都らしさを失わず、守られてきた本当の秘密を知らされた気がした。
https://www.youtube.com/watch?v=JtHfT4B4QJk
これが京都の根源にある命そのものなのだと。もし、京都に千日回峰がなければ、今の京都はなかったような気がする。
「生への執着を捨てる」
この姿を、行者の超絶的苦行と生身の姿を通して、京都の人々は見せつけられてきたのだ。
動物たちは、みな死の運命を素直に受け入れる。人々もまた、執着を捨てて死を受け入れる。これが本当の「浄土」の姿なのかもしれない。
私はといえば、間質性肺炎になり、呼吸が困難になって、少しでも命にしがみつこうとして、毎朝5Km標高差170mの道を歩いて、必死に呼吸トレーニングしているが、それでも迫り来る死の恐怖に怯えて、いらぬ心配ばかりして、みっともないことこの上ないのだが、守るべきものを持たない気楽さには大いに助かっている。
最期の最期は、呼吸ができなくなることになっているのだが、このとき、救急車を呼んだり、病院の医療にしがみつこうと思わないと、意志薄弱の私が偉そうに言ってみても、そのときになってみなければ分からない。
数年前から、楽に死ねる方法を模索していて、テントの中で七輪で木炭を焚くか。石灰硫黄合剤にサンポールを混ぜるか、などと、あれこれ思案しているが、結局、中津川は高所橋梁天国なので、ドボンもいいなとか、楽しい想像が尽きない。
こんな妄想をしていて、自殺に関するツイートをしたら、5年も前のツイートを、作りたてのルールによって裁かれ、私はツイッターを永久追放になった。
「だったら、麻生太郎の優生保護、老人安楽死発言を裁け!」
と言いたいが、ツイッター社は自民党と同体ではないかと思うほど仲良しなので相手にしてくれない。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-331.html
まあ、今は、死の極限まで生きていようと思っている。食べ物がなくとも、水だけで人間は一ヶ月くらいは生きてゆける。食べ物を入手できなくなれば、とりあえず死ぬまで、自分の姿、遷移を見つめていたい。
最期はカクンと、薬の力を借りなくとも力尽きて朽ちてゆきたい。
おりんに比べれば、私はずいぶんいくじなしだ。
今でも、楢山節考は強烈に私の記憶に残っていて、辰平がおりんを置いて去り、おりんの体に冷たい雪が積もって、意識を失ってゆく姿を想像するだけで、なんともいえない人生の侘しさ、残酷さに打ちのめされるのだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1223.html
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