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米英の情報機関が後ろにいると破壊活動も民主化運動と呼ばれる
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2020.12.04 櫻井ジャーナル
香港では昨年、市街で暴力的な反中国行動が展開された。その中心グループに属す黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、林朗彦(イワン・ラム)、周庭(アグネス・チョー)に対し、それぞれ13カ月半、7カ月、10カ月の有罪判決が出た。
反中国運動の象徴的な存在は黄之鋒。市街が混乱していた当時、名前が出ていたのは黄のほか、羅冠聰(ネイサン・ロー)や周永康(アレックス・チョウ)。黄之鋒と羅冠聰は昨年8月6日、JWマリオット・ホテルでアメリカのジュリー・イーディー領事と会っている。
そうした若者とアメリカやイギリスの情報機関、つまりCIAやMI6の間には元王室顧問弁護士の李柱銘(マーチン・リー)、メディア王と呼ばれている新自由主義者の黎智英(ジミー・リー)、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、あるいは陳日君(ジョセフ・ゼン)、余若薇(オードリー・ユー)、陳方安生(アンソン・チャン)などがいる。
黄之鋒、戴耀廷、李柱銘は昨年9月、フリーダム・ハウスなる団体に栄誉を称えられたが、その団体の資金源はCIAの工作資金を動かしていることで有名なNEDだ。NEDへ流れ込んだカネはNDI、IRI、CIPE、国際労働連帯アメリカン・センターなどへも流れ、そこから配られる事になる。
この反中国運動は法輪功というカルトに支えられてきたと言われている。このカルトは1992年に登場、その教義は仏教と道教を合体したものだとされているが、創始者の劉振営はキリスト教福音主義者で、「エルサレムへ戻ろう」という運動を行なっている。つまりシオニスト。法輪功は反コミュニズムでも有名で、USAGM(米国グローバル・メディア庁)から法輪功へ資金が流れているのもそのためだろう。
反中国運動を行ってきた若者はアメリカやイギリスの国旗やイギリスの植民地であることを示す旗を掲げていた。元々は中国の一部だった香港はアヘン戦争に負けたことからイギリスに奪われた。
アヘン戦争は1840年から42年にかけて行われたが、56年から60年にかけても同じ構図の戦争、第2次アヘン戦争(アロー戦争)が行われている。当時、イギリスはインド産のアヘン、アメリカはトルコ産のアヘンを中国へ売りつけ、大儲けしている。
大儲けした会社のひとつ、ジャーディン・マセソンは1859年にふたりのエージェントを日本へ送り込む。ひとりは長崎へ渡ったトーマス・グラバーであり、もうひとりは横浜のウィリアム・ケズウィック。ケズウィックの母方の祖母はジャーディン・マセソンを創設したひとり、ウィリアム・ジャーディンの姉だ。
アヘン戦争で勝ったイギリスだが、内陸部を占領するだけの戦力がない。この国は傭兵を利用して植民地を広げてきた。中東ではイスラム系カルトのワッハーブ派に目をつけてサウジアラビアを建国、インドでも傭兵を使っていた。中国侵略で目をつけたのが日本だ。
グラバーとケズウィックが来日した1859年にイギリスのラザフォード・オールコック駐日総領事は長州から5名の若者をイギリスへ留学させることを決める。
選ばれた若者は井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)。1863年にロンドンへ向かうが、この時に船の手配をしたのがジャーディン・マセソンで、すでに独立していたグラバーも渡航の手助けをしている。ケズウィックは1862年にジャーディン・マセソンの共同経営者となるために香港へ戻っていた。
後にケズウィックが幹部になる香港上海銀行は麻薬資金を処理するため、1865年に創設されている。1866年には横浜へ進出し、大阪、神戸、長崎にも支店を開設。明治政府とも深く結びついた。
アヘン戦争後に香港をイギリスは中国侵略の拠点にするが、後にアメリカも秘密工作の拠点にする。ベトナム戦争でアメリカの情報機関は東南アジアの山岳地帯、いわゆる「黄金の三角地帯」で栽培したケシを原料にするヘロインで大儲けしたが、その時も香港が拠点として使われている。イギリスの金融界、シティを中心とするオフショア市場ネットワークにも組み込まれた。
アヘン戦争後、香港は秘密工作と犯罪の拠点として「繁栄」したと言える。その「繁栄」に郷愁を感じる人もいるようだ。
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