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2001年と1973年の9月11日に世界はファシズム体制へ向かって加速した
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2020.09.12 櫻井ジャーナル
9月11日には歴史の節目になる出来事が引き起こさている。
例えば、2001年にはニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃された。そのショックを利用してアメリカ支配層の好戦派は国外での侵略戦争と国内での収容所化を加速させている。ステージをひとつ進めたとも言えるだろう。
もうひとつは1973年にチリであった軍事クーデター。サルバドール・アジェンデ政権を倒したクーデターはオーグスト・ピノチェトに率いられたのだが、その後ろ盾はCIAの秘密工作部門、その背後には国家安全保障補佐官だったヘンリー・キッシンジャーがいた。
ピノチェト体制はクーデター後、アメリカを拠点とする巨大資本のカネ儲けにとって邪魔な人々を殺害していく。邪魔者がいなくなった段階で導入したのが新自由主義だ。このシステムは強者総取りが基本で、大企業は税金と賃金を払わず、国民の資産を盗むことを認めている。労働者の権利は剥奪され、経済活動の仕組みは破壊されいくということでもある。
フランクリン・ルーズベルトは1938年、強大な私的権力が政府を所有している状態をファシズムと定義した。私的権力が民主的国家そのものより強大になることを人びとが許すなら民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのだ。こうした状態を目指しているのが新自由主義にほかならない。
新自由主義はマーケットを絶対視、その正当性は議論しない。その理屈は循環論法で、理論とは言いがたい代物。信仰と言うべきだろう。
この信仰で教祖的な役割を果たしたのがシカゴ大学の教授だったミルトン・フリードマンであり、その先輩にあたる学者がフリードリッヒ・フォン・ハイエクだ。ハイエクの教え子にはデイビッド・ロックフェラーも含まれている。
新自由主義が庶民を疲弊させ、国力を衰えさせることは明かで、ニクソン大統領でさえ自国へ導入することをためらった。この信仰に基づく体制を最初に導入した国がチリだ。
欧米で初めて新自由主義を政策として取り入れたのはイギリスのマーガレット・サッチャー政権。サッチャーはハイエクと親しかった。日本へ新自由主義を導入したのは中曽根康弘であり、その政策をさらに進めたのが小泉純一郎、菅直人、野田佳彦。それを安倍晋三が引き継いだ。
ピノチェトと親交があったひとりにステファノ・デレ・キアイエなるイタリア人がいる。アメリカとイギリスの情報機関は第2次世界大戦の後、西ヨーロッパに秘密工作を実行するための部隊を編成した。その部隊をイタリアではグラディオと呼ぶ。このグラディオにデレ・キアイエも参加していたのだ。
グラディオなどは後にNATOの秘密部隊と呼ばれるようになるが、実際の命令はイギリスやアメリカの情報機関、つまりMI6やCIAから出ていた。ニューオリンズの地方検事だったジム・ギャリソンは1967年にクレイ・ショーを逮捕するが、この人物が理事を務めていたパーミンデックスも、そのネットワークの一部。
グラディオは1969年12月にミラノのフォンタナ広場にある国立農業銀行で極左を装った爆弾テロを実行している。その1年後にはバレリオ・ボルゲーゼを中心とするクーデターが試みられて失敗するが、それらにもデレ・キアイエは参加していた。
デレ・キアイエはクーデターに失敗した後、スペインへ逃げ込むのだが、その後もイタリアとスペインとの間を自由に行き来している。そして1973年、クーデター直後のチリを彼は訪問したのだ。
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