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Covid-19を打ち負かすための現実的ながら「論争的な」一方法
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2020年8月26日 マスコミに載らない海外記事
2020年8月20日
Andre Vltchek
New Eastern Outlook
Covid-19は単なる病気ではない。それは精神状態、精神病、恐怖でもある。世界中で、政府や個人やマスコミの非合理的な行動を解き放った出来事だ。投機や、奇異な分析や恣意的な「切り貼り科学」を引き起こした。
結果:ロシアのワクチンや、市民の経済と暮らしを台無しにせずに流行を封じ込めた中国やベトナムの能力を含め、否定し難い、ほとんど楽天的なサクセスストーリーもわずかにあるが、世界の過半数が混乱状態なのは疑う余地がない。何億人もの人々が、文字通り、溝の中にほうりこまれている。アジア、中南米、中東、アフリカ、ある程度のアメリカやとイギリスの、他の何十億人もが、閉じ込められ、外国旅行ができず、他の国々からの訪問者を受け入れるのをいやがっている。
この全て純粋な狂気だ。家族はバラバラに離れ壊れている。人々は他の国々にある自分の家から閉め出されている。恋人たちは、おそらく何年も、お互いに会うことができないと言われている。
タイやチリのように崩壊の機が熟している極右政府が、Covid-19の後ろに隠れて、誰も入国し、彼らの失脚に直面するのを許さずにいる。
何十億という人々の国際生活パターンが破壊されている。それは、自殺や深い憂うつ、暴力や、Covid-19に起因しないが、封鎖に起因する健康問題をもたらす。
要するに、世界は、めちゃくちゃにされている! 九分通り何十億という人の生活が。
ジョージ・フロイド殺人後のアメリカのいくつかの地域や、次にNATOがベネズエラを恫喝しているアルバでの私の仕事を別として、残忍な封鎖のおかげで、私はチリでほぼ五カ月過ごした。アジアのいくつかの紛争地域を訪れた後、Covid-19が私の後を追ってくる中、私がそこに到着したので、実に残忍だ。私の出発後、空港が次々に、私の後ろで閉鎖した。旅行には8日かかった。香港からバンコク、それからソウル、アムステルダム、スリナム、ブラジルのベレン、ブラジリア、リオデジャネイロ、リマ、そして最終的にサンティアゴ。
荒廃したボルネオで映画撮影していた時を含め、紛争地域で、私の消化器官と目が、何か悪い寄生生物(あるいは結局、Covid-19だったのだろうか?)に攻撃され、何かが私の足に起きた。私はほとんど歩けなかった。そう、アフガニスタンやシリア、インドネシアやイラク、コンゴ民主共和国、カシミール、ガザで働きすぎた後、私は手遅れになるまで、より正確には、うつ伏せに倒れるまで決して止めず、時々、私は転ぶ癖があるのだ。
けれどもそれから、私が倒れた後、自分が地上に倒れているのに気がついた後、私は正確に何をすべきか知っている。つまり、数カ月の休養、厳しい体操、足マッサージ、海、食事、太陽。私が再び動けて、人類のための任務を行うことに戻れるまで。
だが今回は違っていた。支持率一桁のチリのピノチェト風政権が、政権に留まり、国民を弾圧し、彼らにまだ残っていた、わずかなものを原住民から強奪するため、Covid-19を利用したのだ。その結果は、路上の戦車と無意味な外出禁止令で、私の建物裏の小公園でさえ、住民が入れない奇異な全体封鎖だ。
私が唯一「歩けるの」はアパート内だった。私はバンコクの私の家に行く必要があった。狭いが、ジムとプールがあり、庭もある。だがタイの支配者も、外国人をしっかり締め出すことにしていた。明らかに、政治的理由で。
それで、私は人生で最長の時間を、一つの場所で過ごすよう強いられたのだ。もし私が正確に覚えているとすれば、私が15歳だったとき以来、最長だ。
そして、裸の憂うつな冬のアンデスと、(アメリカ大気指標)平均160の汚染レベルに面していた恐ろしい封鎖で、私の健康は良くなるどころか悪化した。私が最終的に出発した時、私はほとんど歩けず、つえを使わなければならなかった。
***
私は最初に再開されたイベリアフライトのマドリッド直行便で逃走した。私のパスポートの一つがEUのものだったので、そうできたのは幸運だった。
それはマドリッドかイタリアでなければならなかった。私は喜んでロシアに行きたがったが、8月には、まだ閉鎖されていた。
私が非常に若かった頃、私はニューヨークから出来る限り遥か遠くにゆくため、マドリッドに逃げたものだった。私はアメリカにおける暮らしを嫌悪していた。私はそこでは書けなかった。イタリアやマドリッドでなら、私は簡単に書くことができた。何カ月間も私は貯蓄し、次に、5-6週間、アメリカから姿を消すのだ。私の計画はスペイン中を旅行することだったが、マドリッドは非常に興味がつきず、非常に魅力的だったので、結局、私は、そこから離れる全ての願望を失った。プラザ・ドゥ・オラビデの上のカフェでは、よく小説を書いたものだった。
そして今、打ちのめされて、ほとんど動くことができないまま、私は戻った。トルコとセルビアで、そして、少なくとも、アジアのある場所での私のインタビューが再開する前、マドリッドは私の論理的な目的地になった。
***
私は何がここで私を待っているか予想した。そして私のすべての期待は実現した。
マドリッドでは、生活は停止しなかった。そう、ある程度は鈍化した。いくつか目に見えるものや、目に見えない障壁が築かれた。多くの注意が払われた。だが「完全停止」はしなかった。ニューヨークやサンティアゴの場合と違い、至る所、色が溢れ、美しさや、優雅さや、スペインの辛辣なユーモアのセンスも。
まず第一に、マドリッドでは、命を死にぶつけ、揺るぎない力と情熱で生きれば、明らかに、命は死よりも強いのを実証していた。
プラド美術館で、私はあらゆる時代で、最も偉大な、最も恐ろしい芸術の一つを再発見した。ピーテル・ブリューゲル父の「死の勝利」だ。私はそれを捜し、メイン・ホールの一つでそれを見つけた。
この超現実的な、強力な、大いに不条理な絵画で、全てが描写されていた。そう、死は恐ろしい。そう、死は大変な強さを持っており、自身の「骸骨軍」を持っている。そしてそう、結局、それは常に勝利するのだ。
だが、プラドの窓を通して外を見ると、古来の、緑の、美しい木が見え、素晴らしい建物や手をつないでいる恋人が見える。死は全ての人にとって、最後の言葉かもしれないが、命も続く。命は決して負けず、決して降伏しない。生きる時間と死ぬ時間がある。
1562年に、この不気味な傑作を描いたブリューゲルは、我々が絶えず死を恐れて生きるよう願っていたのだ。
今日のマドリッドは、その熱情で、生活と呼ばれる、少なくとも、短いながらも素晴らしい瞬間、我々に死のことを忘れるよう願っている。
この新たな、願わくは短命のCovid-19の間、恐怖が、我々人間を、我々の存在を汚し、我々から、夢や、力や、喜びを剥奪するため、絶え間ない心配や恐怖の画像が見事に作り出され、大量生産さえされた中世時代に押し戻し戻したのだ。
中世の間、少なくともヨーロッパでは、苦しみや恐れが習慣的に美化されていた。喜びや願望は抑制され、しばしば非難さえされた。
中世には、人を死ぬほど怖がらせる上で、生活から、ほとんど全ての楽しみを剥奪する上で、残忍な、グロテスクな処罰を実施する上で、キリスト教は完成の域に達した。そして、イスラム教の軍隊が到着したとき、宗教的原理主義からスペインの大部分を解放したのだ。イスラムの黄金時代と同義語の、コルドバの輝かしいカリフ国が築かれた。カリフ国は、知識や詩や、遊び心や、自由や美しさの探求を称賛した。
そこで、イスラム教徒とキリスト教徒とユダヤ人は共生した。彼らは自由に交じり合い、一つの力強い、寛大で独創的な社会を築いた。それは恐れがない社会、希望に満ちた社会だった。
コルドバのカリフ国は、少なくとも発生から崩壊まで、死をくじいた。偉大なパキスタン人思索家タリク・アリは、Covid-19が地平線に姿を現す何年も前に、その時代について美しく書いた。
私は高速列車、タルゴでコルドバに行った。私は、そこで寛容のための戦いが始まった古いモスクを再訪しなければならなかった。このすべては今日的だ。動員されなければならなかったのは、科学だけではなく、医学だけではなかった。
Covid-19に対する戦いは、思索家によって、芸術家によって、生活を有意義か、少なくとも耐えられるようにできる全ての人々人に行われなければならない。
***
スペインとその首都マドリッドは、容易に、どちらにも「行くことができる。」それが「良くない波」を通り抜けるとき、この都市は圧制的で厳しくなり得る。恐ろしい植民地主義遠征や、宗教的原理主義や、ファシスト独裁に乗り出した際にそうしたように、何百万人もの命を破壊することができる。
だがマドリッドは、大いに文明的で、創造的で、前向きにもなり得る。マドリッドは、命を奉じ、明るく、合理的であり得る。
Covid-19の時代に、マドリッドは、何百万という人々を、いわゆる檻の中に閉じ込めるのを断固拒否した。数週間の混乱で十分だ! 政府は気乗りせずに、試みたが、完全な圧制的秩序を押し付け損ねた。
2020年8月の半ばまでに、Covid-19の感染者数はスペインでは、他の多くのEU加盟国より多かった。マドリッドはドイツやイギリスなどの国で「危険地域」とされた。
だが、この都市の道路を歩いて、カフェに座り、優雅な公園で遊ぶ子供たちを見て、次にこの全てを、ドイツやマクロンのフランスのような、規則や規制だらけの社会のひどいストレスと比較願いたい。
ブリューゲルの骸骨は、明らかに破壊と死を描いている。画は虚無主義に満ちている。あの画は、過度に封鎖され、恐れている都市の、破壊された風景に完全にぴったりだ。
バンコクのような感染者数が比較的少ない一部の都市は既に死んでいる。なぜだろう? 彼らは負け、死に勝利を手渡したのだ。彼らは戦わずして、手を上げ降参した。彼らは、死がまさに要求していたものを与えて降伏した。自発的に彼らは生きるのをやめた。
アメリカや、東南アジアのこのような場所で、フェースブックやアマゾンやアップルは富を成してきた。書店、博物館、劇場、全てが降伏した。彼らは閉鎖した。
マドリッドは社会的距離を導入し、マスク規則を制定し、観客数を限定したが、急速に映画館や庭園やギャラリーを再開した。カフェも、レストランも再開している。夏休みが終わった後、まもなく都市の劇場やコンサートホールも再開されるだろう。
この都市が無謀だから、そうなっているのではない。決して。消毒剤がいたるところにある、歩行時や公共の場で、人々はマスクをつけている。マドリッドの道路は隅々まできれいだ。様々な安全規則が制定されている。だが生活は続いている。飛行機が世界の多くの地域に向けて離陸している。マドリッドは開かれた都市だ。まだ全てにではないが、少なくとも多くに対して。
そして報酬として、微笑がある。礼儀正しさや優しさがある。人々は自殺願望には見えない。彼らは、些細な対立で爆発しない。クラクションは鳴らず、叫びもない。獣欲主義的な底知れない恐怖もない。
マドリッドは、ある程度の危険があることを理解している。だが、マドリッドは称賛に値する尊厳と勇気を持ってこの非常事態に対処している。
アメリカとチリで、パニックや醜悪な行動パターンを見た後、マドリッドは私に途方もなく感銘を与えた。COVID流行が経済、社会の苦難を一部の人々にもたらしたが、ニューヨークやワシントン D.C.やサンティアゴで目立った国中の苦難はなかった。
たとえ彼らが苦闘したとしても、人々は最高の服を着て、威厳を持って振る舞い、危機と全身全霊で対決している。
私のまだ弱い足が、三日目に駄目になり、私がつまずき、古くからの歩道に倒れた時と、数人の人々がすぐに私を助けに走った。彼らは私のために戦った。私も、私自身の方法で、彼らのために戦うためにここに来たのだ。
***
マドリッドは完ぺきな都市ではない。実際、私は何度も繰り返し続ける。この世界に「完ぺきな都市」はないのだ。
そしてマドリッドのやり方は、最近の命にかかわるコロナ流行と、いかに戦い、打ち破るべきかについての唯一の例ではない。
だが、おそらく、それは最も好ましいものだ。微笑、友人や家族の支援、陽を浴び、素晴らしい食べ物、自然、文化や芸術に満ちている。
それが、エルグレコの過度な宗教的禁欲主義や、ブリューゲルと彼の骸骨の軍を圧倒するためここで機能しているラテン精神、生きる喜びだ。
我々はまだ科学的に、どのように、Covid-19を打ち勝つべきか知らないが、マドリッドのような場所で、我々はコロナが我々を打倒するのを阻止する方法を学んでいる。
マドリッドの九日間では、完全には「私を治せない」が、私の傷ついた精神に楽観主義を戻してくれた。私に再び戦う力を与えてくれた。前進する願望も!
Andre Vltchekは哲学者、小説家、映画製作者、調査ジャーナリスト。彼はVltchek’s World in Word and Imagesの創作者で、China’s Belt and Road Initiative: Connecting Countries Saving Millions of Livesを含め、多くの本を書いている作家。オンライン誌New Eastern Outlook独占記事。
記事原文のurl:https://journal-neo.org/2020/08/20/one-of-the-real-but-polemic-ways-how-to-defeat-covid-19/
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