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支配者の操り人形にすぎないコリン・パウエルを善人視する愚
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202007200000/
2020.07.21 櫻井ジャーナル
ニューヨーク・タイムズ・マガジンのライター、ロバート・ドレイパーが書いたイラク戦争に関する著作『開戦へ』が7月28日に出版される。その本に関する記事を筆者自身がニューヨーク・タイムズ・マガジンに「コリン・パウエルはまだ答えを求めている」というタイトルで書いた。
パウエルはジョージ・W・ブッシュが大統領に就任した2001年1月から05年1月まで国務長官を務め、その間、03年2月に国連の安全保障理事会でイラクが大量破壊兵器を保有していると主張している。その翌月にアメリカ軍はイギリス軍など従属国の軍隊を引き連れてイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒した。それ以降、中東から北アフリカにかけての地域は破壊、殺戮、略奪が続いている。
国連でパウエルがプレゼンテーションした9日後、UNMOVIC(国際連合監視検証査察委員会)のハンス・ブリックス委員長とIAEA(国際原子力機関)のモハメド・エルバラダイ事務局長が同じ場所に登場、調査は継続中で、大量破壊兵器の存在を示す証拠は見つかっていないと発言している。これを聞いたパウエルは激怒したというが、勿論、イラクに大量破壊兵器は存在しなかった。パウエルは間違っていたのだ。
そのパウエルはイラクへの軍事侵攻に反対していたとドレイパーは主張しているが、ブッシュ政権が戦争を始めても辞任していないと指摘されている。退任したのは2年後だ。
そもそもイラクでアメリカ政府が何をしようとしているかをパウエルは知っていたはずだと1991年から98年までUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターは書いている。パウエルは1991年、UNSCOMを情報収集の道具として使うために米軍のエリート部隊員をCIAの特別行動部門へ編入することを止めさせたという。そこでリッターは1991年から96年までCIAの部隊と行動をともにすることになった。この事実をイラク側はつかんでいただろう。
リッターによると、パウエルはCIAの特殊工作グループがイラクに存在し、サダム・フセインを殺害することをアメリカの大統領が認めていたことを知っていたという。
1991年には国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると語っている。これは統合参謀本部のスタッフを経て欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官になるウェズリー・クラーク大将の証言。(3月、10月)
1991年12月にはソ連が消滅、翌年の2月にはウォルフォウィッツを中心にして国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランが作成された。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。2001年9月11日以降、アメリカの戦略はこれに基づいて決められてきた。1995年2月にジョセイフ・ナイ国防次官補が発表した「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」はこの戦略に日本を組み込むための指針だ。
ウォルフォウィッツと同じようにネオコンの中心グループを形成していたリチャード・パールやダグラス・フェイスたちは1996年に「決別(A Clean Break: A New Strategy for Securing the Realm)」という文書を公表した。ベンヤミン・ネタニヤフに対する戦略の提言である。
ネオコンがネタニヤフに対して提言したということは、シオニストという共通項はあるものの、ネオコンとネタニヤフは別の派閥に属していることを示している。ネオコンはロスチャイルドを象徴とする富豪グループと近い関係にあるが、ネタニヤフは「修正主義シオニズム」の祖であるウラジミル・ジャボチンスキーの系列。ベンヤミン・ネタニヤフの父、ベンシオンは1940年にアメリカへ渡り、ジャボチンスキーの秘書になった人物だ。
その文書の中で、イスラエルはトルコやヨルダンと手を組み、シリアを包囲して弱体化、イラクのサダム・フセインを排除すべきだとネオコンは主張している。イラクに親イスラエル体制を樹立してトルコ、イラク、ヨルダンの親イスラエル国帯を形成、シリアとイランを分断し、最終的にイランの現体制を倒すべきだとしている。UNSCOMを巡るCIAの動きもネオコンの戦略と無縁ではないだろう。
フセイン排除は1980年代からネオコンが主張していたことで、フセインをペルシャ湾岸産油国の防波堤だと認識していたジョージ・H・W・ブッシュやジェームズ・ベイカーたちと対立していた。ロナルド・レーガン大統領の時代に機密情報の暴露合戦が始まり、イラン・コントラ事件やイラクゲート事件が明るみに出ている。
ところで、パウエルはアフリカ系軍人としては異例の出世を遂げた人物。その謎を解く鍵はベトナム戦争時代にあるとも言われている。彼は1968年に第23歩兵師団の将校として南ベトナムへ入っているが、2004年5月にCNNのラリー・キング・ライブに出演した際、その師団がソンミ村で住民を虐殺、後で自分も現場へ入ったと語っている。
虐殺は1968年3月に南ベトナムのカンガイ省ソンミ村のミライ集落とミケ集落において引き起こされた。アメリカ軍によると、犠牲になった村民の数はミライだけで347名、ベトナム側の主張ではミライとミケを合わせて504名だされている。
この虐殺は従軍記者や従軍カメラマンも知っていたのだが、報道していない。事件が広く知られるようになったのは、兵士の告発を知り、取材したシーモア・ハーシュの書いた記事をAPが配信してからだ。
記者やカメラマンはこの虐殺を報道しなかっただけではない。似たようなことが繰り返されていたのだが、全て隠したのである。本ブログでは繰り返し書いてきたように、ソンミ村での虐殺はCIAと軍の特殊部隊が行っていた住民皆殺し作戦、フェニックス・プログラムの一環だったのだ。
このプログラムを現地で指揮した経験のあるウィリアム・コルビーはCIA長官時代に議会でこれについて証言している。彼自身が指揮していた「1968年8月から1971年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587名のベトナム人が殺され、そのほかに2万8978名が投獄された」と明らかにしている。解放戦線の支持者と見なされて殺された住民は約6万人に達するという推測もある。
こうした作戦には兵士からの告発があったが、ジャーナリストの故ロバート・パリーらによると、パウエルはこうした兵士の告発を握りつぶし、上官が聞きくない話は削除する仕事をしていたという。その仕事が評価され、出世したとも言われている。パウエルを「良いアメリカ人」だと言うわけにはいかない。
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