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米国が生物兵器を使ってきたことを忘れてはならない
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202007110000/
2020.07.12 櫻井ジャーナル
アメリカは生物化学兵器を使ってきたと信じられている。対個人でも使われたが、戦闘でも利用された可能性が高い。
例えば朝鮮戦争の最中、1952年2月に朝鮮の外務大臣はアメリカ軍が細菌兵器を使用していると国連に対して強硬に抗議、中国の国営通信社である新華社は、アメリカ軍が第731部隊の元部隊長、石井四郎や北野政次、また同部隊と姉妹関係にあった第100部隊の元部隊長、若松和次郎らに協力させて生物兵器を使ったと伝えた。また捕虜となった約30名のアメリカ人パイロットが生物兵器を投下したと告白している。パイロットたちは帰国した後に政府から国家反逆罪に問うと脅され、告白を取り消しているが、実際に使われた可能性は高い。病原体には炭疽菌や腺ペストが含まれていたようだ。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)
本ブログでは何度か書いたが、日本軍が生物兵器の研究開発の一環として生体実験を目的とする部隊を編成したのは盧溝橋事件の直前だった。当初は加茂部隊や東郷部隊とも呼ばれたが、1941年からは第731部隊と呼ばれている。この部隊の隊長を1936年から42年、そして45年3月から敗戦まで務めたのは石井四郎中将、1942年から45年2月までは北野政次少将だ。
日本軍の降伏が間近に迫っていた1945年8月に部隊は関連施設を破壊して貴重な資料や菌株は運び出す一方、監獄に残っていた捕虜は皆殺しにした。日本へ逃げ延びた石井たちは1946年に入るとアメリカ軍の対諜報部隊CICの尋問を受けているが、厳しいものではなく、資料はアメリカ側へ引き渡された。尋問の過程でGHQ/SCAPの情報部門G2の部長を務めていたチャールズ・ウィロビー少将と石井は親しくなり、隊の幹部たちはアメリカの保護を受けるようになる。
こうした資料の提供や部隊員の協力を受ける中、1946年にアメリカ軍の極東医療分隊に所属する「406医療一般研究所」が厚木基地からほど近い倉庫で活動を開始する。後に同部隊は東京都千代田区丸の内の三菱ビル内に本部を移し、朝鮮戦争の際には戦闘地域へ要員を派遣することになる。1951年当時、406部隊には309名が所属し、そのうち107名は日本人だったという。(Stephen Endicott & Edward Hagerman, "The United States And Biological Warfare", Indiana University Press, 1998)
アメリカはキューバに対しても生物兵器を使ったと考えられている。キューバでは1981年にデング熱が流行したが、これはアメリカによる攻撃だったと見られているのだ。新型コロナウイルスではキューバで研究が進んでいるインターフェロン・アルファ2bが有効だと言われているが、デング熱に対しても使われ、効果があったという。この薬は病原体を攻撃するのではなく、リンパ球を刺激するのだという。
これも繰り返し書いてきたが、1969年に国防総省国防研究技術局の副局長を務めていたドナルド・マッカーサーはアメリカ下院の歳出委員会で、伝染病からの感染を防ぐための免疫や治療のプロセスが対応困難な病原体が5年から10年の間、つまり1974年から79年の間に出現すると語っている。これはエイズの出現を予言する発言だとして世界的には話題になった。
SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)は自然に出現し、これからも人為的な病原体をアメリカが伝染させるようなことをしないと考えることは現実的でない。アメリカをはじめとする西側諸国を支配する価値観は「自由、民主主義、そして法による支配」だという主張は荒唐無稽だ。
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