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スズキ、ダイハツを直撃…脱炭素で「軽自動車」がこれから直面する「大変な事態」 本当なら準備ができたはずだが…
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78885?imp=0
2020.12.30 加谷 珪一 現代ビジネス
政府が、2030年代までに新車販売を電動車にする目標に関連して、軽自動車も対象に含める方針を固めた。軽自動車のコスト上昇は避けられず、価格が上がれば、低所得世帯や零細事業者にとって大きな打撃となる。
軽自動車というのは良くも悪くも日本という国を象徴する車種であり、脱炭素を進めるにあたって、軽自動車がボトルネックになることは以前から分かっていたことである。ガソリン車の販売停止はほぼ確定事項なので、今となってはその影響を緩和する方策を探るしかない。電動化された軽自動車を購入しやすくなるよう、何らかの財政支援についても検討する必要があるだろう。
業界再編の引き金に?
菅政権は2050年までに温暖化ガスの排出量を実質ゼロにする目標を打ち出した。これを実現するためには、自動車の多くをEV(電気自動車)などにシフトする必要がある。政府は2030年代半ばまでにガソリン車の販売をなくす方針を固めているので、基本的にEVかHV(ハイブリッド)しか販売できなくなる。
一般的な乗用車の場合、すでにHVのモデルが存在していることに加え、それなりの価格帯で販売されているので、自動車メーカーの利益率や利用者の反応はともかく、電動化を進めていくこと自体は可能だろう。だが、軽自動車にはそうはいかない事情がある。
最近では普通車に近い装備と価格になっている車種も増えてきたが、基本的に軽自動車というのは、低価格であることに意味がある。長期的にはフルEV化が進むことで、自動車価格は大幅に低下すると考えられるが、現時点ではバッテリーのコストが高く、電動化を進めると軽自動車の価格競争力が失われてしまう。
軽自動車中心のスズキ、ダイハツへの影響は特に大きく、スケジュール通りに電動化が進んだ場合、業界再編の可能性が高まってくる。もっともダイハツはトヨタの傘下に入っており、スズキもトヨタと資本提携を行っているので、再編というよりも、トヨタ主導で両社を支援していく流れになる可能性が高い。ホンダや三菱など他のメーカーも製品戦略の見直しを迫られることになるだろう。
利用者側への影響も大きい。地方などクルマがないと生活できない地域に住み、収入が少ない世帯の場合、軽自動車は唯一の選択肢である。中小零細事業者も軽自動車でなければ採算が合わないところが多いはずだ。軽自動車の電動化によって価格が上昇すれば、低所得層を中心に大きな打撃となるのは間違いない。
このところ政府は、矢継ぎ早に脱炭素政策を打ち出しており、あまりにも性急であるとの批判が出ている。確かにその指摘は合っているかもしれないが、性急になっている理由は、これまで脱炭素政策に背を向け、取るべき対策を取ってこなかったからである。ギリギリまで追い込まれた末の決断なので、性急になってしまっているだけだ。
特に軽自動車の問題は、戦後日本という国の成り立ちそのものに関係したテーマである。日本は各方面で長期ビジョンを欠き、それが国益を大きく損ねているが、これもそのひとつと捉えてよいだろう。
軽自動車と国民所得の密接な関係
よく知られているように軽自動車というのは、日本にだけ存在する独特の規格である。戦後の日本は経済的にも貧しく、庶民が自動車を簡単に買えるような状況ではなかった。このため政府は、規格をワンランク落とした軽自動車というカテゴリーを作り、税制面でも優遇することで自動車の普及を後押しした(軽自動車の規格自体は1949年に出来上がったが、いわゆる一般的な軽自動車が普及してくるのは1950年代半ばである)。
現在では規格が何度も改定され、普通車(もしくは小型車)と同レベルの安全基準が適用されているが、以前の軽自動車は安全基準も低く設定されており、まさにコスト優先の車種であった。
つまり軽自動車というのは、日本がまだ途上国だった時代に成長を優先させるために作ったカテゴリーであり、本来であれば、国民所得の向上とともに、普通車に統合されるべき車種だったといえる。ところが日本経済が成熟化した後も、軽自動車のカテゴリーは残り続け、現在に至っている。諸外国には存在しないカテゴリーであることから、基本的に輸出が難しく、コストが上がってしまうと商品性そのものが失われてしまう。
軽自動車の存在意義がコストにあることは国内自動車保有台数におけるシェアの推移からも見て取れる。
1970年代前半は乗用車の全保有台数に対する軽自動車のシェアは25%を超えていたが、所得が向上してきた70年代後半には15%まで低下。さらに豊かさ広がってきた80年代には7%台まで下がっている。
ところがバブル崩壊と共に再びシェアが上昇し始め、2000年以降は、シェア拡大が顕著になった。2000年代前半というのは、日本人の給与水準の劇的な低下が始まった時期であり、軽自動車のシェア再拡大と日本の所得水準の低下は完全に一致している。現在では新車販売台数の4割を軽自動車が占める状況となっており、経済学的に見ると、これはある種の異常事態といってよい。
状況を分かっていながら放置していた?
本来、軽自動車は日本社会の成熟化に伴って消滅するはずだったカテゴリーであるにもかかわらず、失われた30年によって、逆にシェアが上昇するという想定外の事態になっている。近年における軽自動車のシェア拡大は、日本が貧しくなった結果であり、この状態で電動化を進めれば、利用者に混乱が生じるのはほぼ確実である。
一方、ここ10年の再生可能エネルギーに関する技術革新は凄まじいものがあり、全世界的に脱炭素シフトが進むことは確定的となっていた。ところが日本は、政府も自動車産業も、2050年までに温暖ガスの80%削減という緩い目標しか打ち出さず、世界の潮流から完全に取り残されてきた。菅政権の誕生で、突如、諸外国と同じペースで脱炭素化を進めることになったものの、産業界はもちろんのこと、政府としても準備が出来ていないというのが偽らざる現実といってよいだろう。
確かに現時点の状況だけを切り取ってみれば、ガソリン車の廃止対象に軽自動車を含めることは、混乱をもたらす決定かもしれない。だが、政府も自動車産業も過去20年間、諸外国の動きを把握していたにもかかわらず放置してきたのも事実である。
電動化による当面のコスト高は不可避なので、今回の決定によって軽自動車の販売台数低下と、平均保有年数の長期化は確実だろう。メーカーへの時限的な財政支援や、利用者に対する税制面で優遇措置などが必要となるかもしれない。
繰り返しになるが、脱炭素の流れが不可避であることも、外交上、日本だけが脱炭素を遅らせるという選択肢が存在しないことも、そして政府が対策を講じなければ利用者に不利益が生じることも、すべて事前に予想されていたことである。やはり政府と業界の不作為という指摘は免れないだろう。
いつものことではあるが、日本は事態の推移が予見できていながら具体的な行動に移すことができない。ギリギリに追い込まれてから決断するので、国家の富は失われるばかりだ。脱炭素シフトは日本経済の屋台骨を直撃する問題であり、今回ばかりは「対応が遅れました」では済まされない。国家レベルの戦略性が厳しく問われている。
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