藤原直哉 @naoyafujiwara https://twitter.com/naoyafujiwara/status/1269916615878926336 日産「5万人の雇用」喪失危機中身のないリストラ計画に幹部は唖然。反転攻勢をかけるにも売れそうな車はなく、ナンバー2も匙を投げる恐れ。 ★今の日産自動車の状況は、1980年のアメリカ・クライスラーの状況より、はるかに悪いと思います。あの時のクライスラーは、海外子会社をまとめて売却し、翌年にドル箱だった戦車部門を売却したものの、期待の新型車Kカーを登場させ、このKカーをベースにして、ありとあらゆる車種を開発した。その中で1982年に登場させたミニバンが、アメリカ自動車史上、空前の大ヒット作となったことにより、クライスラーはその時は何とか再建できたのである。 つまり、苦しい経営環境から抜け出すためには、いかなるリストラしても無理で、最後はヒット作を出す事しかない。 1982 Dodge Chrysler and Plymouth K cars commercial https://www.youtube.com/watch?v=Ydl5l4Q0k6k ●これは当時のテレビジョン・コマーシャルです。アメリカ人の好きなプロスポーツの舞台で、燃費の良さや価格の安さをアピールしています。 The Development of the Chrysler K Car https://www.youtube.com/watch?v=Cy_RwOsbJ0Y ●この動画の前半は、メーカーにおける開発過程のドキュメンタリーです。後半は、アメリカ連邦政府から借りた資金で最新鋭の工場を建設し、そこで製造されているところを撮影しています。 当時、クライスラーを救えと言う世論が高まり、あのフランク・シナトラがコマーシャルに無料出演したくらいです。アメリカ人の愛国心に訴えた広告で、日本車買うのやめてクライスラーのKカーを買ったアメリカ人が多いそうです。 ★今の日産自動車には、愛国心に訴えようにも、支配しているのがフランスのオートモビル・ルノーとあっては、日本国民も買おうと言う気にならないですね。そして何よりも、無理してでも買いたい自動車がない。これまで長年、国内向けラインナップを縮小し続け、しかもどれもが旧式化しているとあっては、ディーラーに足を運ぶ人などいません。 日産自動車は、経営破綻してルノーの支配下に入った段階で、社名だけ日本風で、実態はフランスの資本に取られたのですから、国民の購買意欲も消え失せます。ルノーに買収された時も、国民に対してほとんど説明がなかった。そもそも、これがダメである。 クライスラーの場合は、経営危機を正確に伝えており、再建の課程もガラス張りで進められた。つまり情報公開が行われていたのです。日産の場合、経営破綻になったのは我々、自動車に詳しい者しか知ることはなかった。ルノーへの身売りが、秘密裏に行われたことが、問題です。 その当時、日産の労働者も、ディーラーの担当者も、日産自動車が経営破綻したことを知らされなかった。本当は、倒産したのです。あの当時、山一證券とか北海道拓殖銀行とか潰れた。バブルの後始末が大変だった時代です。 日産自動車のメインバンクも、バブルの後始末しなければならなかった。あの頃、都市銀行が集中合併したでしょう。日本興業銀行も、富士銀行も合併で名前が消えた。日産自動車に巨額の融資していた大銀行ですよ。 その大銀行が、日産自動車に融資していた資金を引き揚げることを通告した。これで日産自動車は、潰れたんです。しかし、日産自動車の経営者は、その事実をひた隠しにした。それで何をしたか。 あの当時の塙社長が秘密裏に欧州に飛び、最初はドイツのダイムラーと交渉したものの、条件が折り合わず、電光石火の如くフランスに飛び、ルノーと交渉した。そして話をまとめたのです。日産のルノー傘下入りは、その後に発表された。 下手したら、このルノーとの話もまとまらなかった可能性があります。当時の日産自動車は、そこまてで追いつめられていたと言うこと。その事実を知らない日本国民が、未だに多いですね。もう本当に潰れるところだったのです。 ゴーンが来て、自らは会長になりましたが、大胆なリストラを進めるのを見て、心苦しかったろうな…と思います。それから公式に表にでることはなくなりましたが、「お前が日産をルノーに売ったんだろ ! 」と右翼に殺される危険もあったらしい。日産の関係者から、内緒で聞きました。 ★それから21年が経ちましたが、現在の日産の状況は明らかに1999年より酷い。自動車マニア歴52年のうちが言うのも何ですが、今度の危機は乗り切れない。しかし、こうなったのも、石原氏を始めとする歴代経営者の経営上の失敗が続いたからなのです。 うちはフランスのシトロエンの愛好家ですが、シトロエンも1974年4月に倒産し、あわてたフランス政府がルノー・プジョー・ミシュランタイヤ(かつての大株主)の経営者を呼び、フランス政府が仲介してプジョーの下に押し込めたのが1974年6月。それで何とか新型車CX2000を出しましたが、その後のシトロエンはブジョーとパワートレインとプラットフォームの共通化により、かつての個性を失いました。 だから日産車の愛好家が苦しむのも、よく分かります。歴史上、消えていった自動車メーカーなど、いくらでもある。イギリスなんぞ、BMCとレイランド・グループが合併して、その後どんどん衰退していって、最後には消滅してしまった。民族資本の自動車メーカーが消えてしまったのです。 これは極端な例としても、自動車が強いと思われているドイツですら、巨大メーカーであったヴォルクヴァルト・グループが1960年前半に倒産していて、アウディすら消える寸前にあった。今や飛ぶ鳥を飛ばす勢いのアウディに、そんな時代があったことが信じられないと思いますが、本当なんですよ。 1960年代前半、日本の自動車の御三家と言えば、トヨタ、日産、いすゞだった。いすゞ自動車は、乗用車もつくっていたのです。かつて東京自動車と呼ばれ、陸軍の軍用トラックや国鉄バス、日本通運のトラックなど、いすゞは商用車の名門だけでなく、その勢いを駆って戦後、乗用車にも進出した。しかし乗用車部門は赤字続き。 このため宮澤喜一氏の仲介でアメリカのGMと提携し、その傘下に入りました。しかしGMが経営不振で、いすゞ自動車の株を売却。その前に、乗用車の事業が続けられなくなり、1991年に撤退しました。しかしタイでピックアップトラックとSUVを製造し、日本以外の全世界に輸出して、大ヒット作となっています。 いすゞ自動車が失ったものは、乗用車だけだった。しかし日産自動車は、会社そのものが消えてしまいかねない。問題は、ここなのです。前回の経営破綻について、一切の事実を秘密裏にしていたことが、まずいと思います。それが今日まで尾を引いている。その爆弾が爆発したのだと思います。 不幸なことに、無能極まる安倍政権が長く続きすぎていることが、日産の運命を暗黒にしている。やはりシトロエンではないが、最後は政府の指導力が重要です。シトロエンの1974年の時は、後のフランス大統領になるジャック・シラク氏が、シトロエンの名を残すことを「絶対の使命」として、話をまとめたと言います。それだからこそ、ブランドは残った。 今の日産は、あまりにも運が悪い。バカの極致の安倍と、無能な経済産業省。こんな当事者では、他社にいくら呼び掛けても日産自動車を救済することは、ないよ。誰だって、火中の栗を拾いたくないもん。
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