http://www.asyura2.com/20/genpatu53/msg/681.html
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やはり、福島に残った人がどんどん亡くなっているようです。
残念ながら、われわれが生きている間に、福島が安心して住めるほど
線量が下がることはありません。
この方の言う通り、もう大丈夫だろうと帰還するのは問題外です。
放射能汚染を舐めてはいけません。
-----(引用ここまで)-------------------------------------
https://twitter.com/k_hirasa/status/1443231111514001409
(KT.Hirasa) 関西
FBに投稿した避難者からのメールです。
是非とも読んで頂けたらと思います。
8:08 AM Sep 29, 2021
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北海道に避難された方からのメール。
ご本人の名前は伏せさせていただきます。
日本政府も無茶苦茶だが、国民の無関心も酷い。
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OOOO@北海道です。
福島事故から早いもので1 0 年ですが、このひとつの 『節目」 (と
私たちはまったく思っていませんが) を象徴するかのように、1 0
年間、思いをひとつに福島現地にとどまって闘ってきた方の計報を
耳にする機会が最近、増えました。
私が見知っている方だけでも、すでに今年に入り3人。
そして今朝早く、4人目の方の計報に接しました。
福島原発告訴団、福島原発刑事訴訟支援団の最重要支援者で、郡山
市在住のフリーライター人見やよいさん。ご存じの方もいると思い
ます。
がんで闘病生活が続いていましたが、今年まだ還暦を迎えたばかり
の、あまりに早すぎる別れです。
恐るべきことに、今年に入って謀報に接した4名の方は、全員が7
0歳に達せず、6 0歳代でのご逝去です。全員、あまりにも早すぎ
ます。
過去、私は原発問題で何度も講演会の講師などを務めてきました。
その中で 「避難生活が経済的に苦しくて疲れた。もう福島に戻りた
い」とか、逆に「もう●年経っていますが、今からの避難でも意味
があると思いますか」という質問を何度も受けてきました。
そのたびに私は「今ははっきりとはわからないけれど、事故から1
0年くらい経てば、避難した人のほうが正しかったとわかる日がは
っきり来る。それも悪夢のような恐ろしい形で。だから、 避難生活
がどんなに経済的に苦しくても福島には絶対に帰ってはならない
し、 放射線被曝量は生涯累計なので、避難は時間が経ってからでも
できるならしたほうがいい、と答えてきました。
この点は過去 1 0 年、まったくぷぶれていないし、考えがほんの一瞬
といえども揺らいだことはありません。なぜならそれは、チェルノ
ブイリで事故後に起きたことを見れば明らかだからです。
ウクライナ・ルギヌイ地区の健康状態 (イワン・ゴドレフスキー/
ウクライナ科学アカデミー)
http:/1am.sakura.ne.jp/Nuclear/kou64.pdf
私は、過去の講演会でこの資料を基に話をしたことがあります。
福島では事故の影響がはっきりしていない時期だったので、「先行
事例」であるチェルノブイリの例を基に話すのがいいと考えてきた
からです。
この資料を作成したイワン・ゴドレフスキー氏はウクライナ科学ア
カデミーの研究者です。ウクライナのような旧共産圏では、科学ア
カデミーは政府系研究機関で、どんなに成績優秀でも、共産党員の
資格がなければ門も叩けないと言われてきました。
そのような権威ある政府系研究機関の研究報告書が、このような形
で警鐘を乱打している事実があります。
この資料の終わりから3ページ目 、「図9 1000人当り死亡率の年
齢別グループ内訳 (チェルノブイリ事故の前と後) 」を見ると、チ
ェルノブイリ事故 (1986年) 前の1984-1985年と事故5〜10年後の
1991-1996年では、60歳以下の若年層では死亡率はあまり変わらな
いものの、60歳以上では大きな差があり、特に65-69歳の年齢層で
は2倍もの差があります。
原発事故の被害では、若年層の甲状際がんばかりが騒がれており、
日本政府は意図的に人々の意識をそこに引きつけようとしています
が、本当の披害はむしろ高齢者の超過死亡という形で起きているこ
とがはっきり示されています。
高齢者は避難なんてしても仕方がない。それより早く避難解除し
て、ふるさとに帰らせてやったほうがいい」などという言説がまっ
たくのデタラメであることがわかります。高齢者でも汚染地に帰る
選択などしてはならないのです。
人見やよいさんを初め、今も福島に残って活動をしているみなさん
は、それを自分の人生だと見定め、自分の意思で残った方がほとん
どです。その人の人生であり、部外者がそれに口を挟める余地は最
近ではほとんどないことから、私も事故後5年目くらいからは、避難
を呼びかけるのは「要らぬお節介」になりかねないと、本人の意思
を (仕方なく) 尊重してきました。
しかし、10年目を迎えた今年あたりから、事故の影響がはっきり目
に見える形になってきたな、と身震いする思いです。 「逃げるは恥
だが役に立つ」は真実です。
今、 公務員宿舎から2倍家賃を請求され困難に直面している人を支え
る活動をしている人も、このMLにはいると思います。どんなに経済
的に苦しくとも、困難に直面していても、命より大切にすべき価値
観などありません。やはり避難はすべきだし、継続すべきです。
もうひとつお伝えしたいのは、郡山市の汚染状況です。
私は2013年3月まで、 事故後の2年間を福島県西郷村で過ごしまし
た。
外出時は常にマスク着用、水道水は飲まず、地元産のものは食べな
いという生活を続けてきました。
郡山市の汚染状況については「ほぼ全域がチェルノブイリ並み」と
いう厳しい認識を持ち、不要不急の理由で郡山市に立ち寄るととは
避けてきました。 福島市は、事故直後3度出かけ、3回とも後日体調
不良に見舞われたことから、「もはや人間の住む場所ではない」と
判断し、その後一度も立ち入っていません。
一方、郡山市では 『行くたびに体調不良」という極端な状況でなか
ったため、福島市に立ち入るのを避けるようになってからもやむを
得ない事情で何度か足を運びました。汚染状況については、福島市
渡利、大波などの極端な地域 (避難指示区域と実質ほとんど変わら
ず) を見てきたせいか、福島市のほうが数倍、激しいという認識で
いました。
しかし、 福島市は実際には渡利や大波などの地域がある一方で、西
部の土湯温泉など、子どもたちを数週間から1か月スパンで短期保養
に出そうと思えば出せる程度には汚染の少ない地域も存在します。
汚染状況はかなり「まだら状態」というのが実際のところです。
しかし郡山市はほぼ全域が高濃度汚染され、ほとんど逃げ場がない
という状況で事故直後の数年間を過ごしました。この状況は現在も
ほとんど変わっていません。郡山市の汚染状態は、福島時代に私が
認識していたよりもはるかに厳しい状態だったのかもしれないと、
最近の相次ぐ計報に接して、改めて感じています。
10年経った今、すでにほとんどの人が生き方を固めている中で、避
難の呼びかけなどしてももう意味がない時期に来ていると私は思っ
ていました。しかし、人見やよいさんのような意識、知識量いずれ
も高い方ですら生き延びられないという現実を前にして、いかに放
射能の前に人間は無力かを改めて思い知らされ、打ちのめされてい
ます。
改めてみなさんにお知らせします。
1. いま避難をしている方は、絶対に継続すべきです。
2. 今から避難を考えている方は、いまからでも遅くないので実行
すべきです。
3. いま帰還を考えている方は、絶対に中止すべきです。
当たり前すぎるほど当たり前のことですが、最も心強い戦友を失っ
たいま、この原点に改めて立ち返るときだと思い、お知らせするこ
とにしました。私がこんな当たり前すぎることをここで再度訴えな
ければならないほど、10年経っても福島現地の状況が深刻だという
認識を、みなさんが改めて持っていただけることを望みます。
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