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※週刊朝日 2021年3月19日号 紙面クリック拡大
広瀬隆「即刻、全原発廃炉しかない」 除染作業が続く現実 #あれから私は
https://dot.asahi.com/wa/2021031000015.html
2021.3.11 08:02 広瀬隆 週刊朝日 2021年3月19日号
爆発で上部が吹き飛んだ同原発3号機の原子炉建屋=2011年11月 (c)朝日新聞社
『東京に原発を!』など多くの著書を通して40年にわたって原発の危険性を訴えてきた作家・広瀬隆さん(78)は、福島第一原発事故10年に何を思うのか。本誌で連載した「原発破局を阻止せよ!」スペシャル版として、寄稿してもらった。
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今年2月13日夜、福島県沖でマグニチュード7.3の大地震が起こって、原発がずらりと並ぶ浜通りで、最強の揺れ震度7とほとんど同じ「震度6強」の揺れとなった。東京でも、揺れがだんだん大きくなり、いつまでも揺れているので、10年前を思い出してこわかった。「相馬市で常磐自動車道に崖崩れが起こり、通行不能」というニュースが出たが、このあたりの人口は10年前の福島原発事故前の4分の1程度に激減しているんだよ。福島原発の至近距離を通る国道6号線が開通したのは2014年9月で、その時、東京の200倍の放射線量なので、自動車の外に出られないどころか車の窓も開けられなかった。今回の地震で崩れたのは、それと並行してやや西側を走る常磐自動車道で、同年12月に開通した時、オートバイは走行禁止だった。意味が分かる? 自動車の中にいれば何とか呼吸してもいいが、オートバイの運転手は危ない。それより原発に近い国道6号にあるJヴィレッジでは、平均的な放射線量の1000倍を超えたが、そこから東京オリンピック聖火リレーをスタートしようとしてきたのだ。
日本には、2021年3月現在、二つの緊急事態宣言が発令中である。コロナの緊急事態宣言は誰にも理解できるが、原子力緊急事態宣言は2011年に発令されてからもうすでに10年たっても、まだ発令中である。なぜかって? 福島第一原発が爆発して、大量に放出された放射性セシウム137は、大地と山中に降り積もり、放射能の半減期が30年なので、30年で半分にしかならない。セシウムの放射能が安全な1000分の1まで減るのに計算すると300年かかるんだ。今の科学では自然消滅を待つしかない。300年前というのは、江戸時代の第八代将軍・徳川吉宗の治世だ。このセシウムは永遠にゼロにならない。福島原発事故からもう10年もたったんじゃなくて、まだ10年しかたっていないから、緊急事態が続いているのだ。セシウムだけでなく、半減期28年以上のストロンチウム90も、どこにも消えないから、グルグルと日本の国内をまわっている。事故で避難した人にとって、放射能というのは背中に貼り付いたようにおそろしい言葉だという。福島県の住民は、震災の時にガソリンがなくて、放射能から逃れられなくなる恐怖を味わったから、いまだに自動車のガソリンを満タンの半分以下にできない。今も第一原発から出続け、漏れている放射能をおそれているのは、当然のことだ。
東京都+神奈川県+埼玉県+千葉県を首都圏と呼んでいるが、この1都3県をちょうど合計した面積が福島県で、福島県は、東京都の6.3倍だ。この広大な地域のかなりの部分が、放射能に汚染されて住めなくなり、住民は遠くに追い立てられ、戻れなくなった。日本がどれほど長い歴史をもっていても、こんなことは初めての出来事だ。言い換えると、農業県の福島県から、大量の食べ物を送ってもらって生きてきたのが、食料自給率1%、ほとんどゼロの東京都だった。そもそもオリンピックを、なぜ日本で開催するのかね。
10年前に自衛隊がフル装備で装甲車に乗ってきたのを見て驚愕(きょうがく)して逃げた人たちの自宅は、この10年の間に、野生のイノシシや猿やハクビシンや、泥棒の侵入によって、原野のように日々ますます荒れ果てていった。恋しい自宅を何度か訪れるうち、「こりゃダメだ」と感じて、最後は更地にするしか手がなかった。家も解体されて、更地になった。原発事故のために、帰る場所がなくなったのだ。
福島第一原発がある大熊町と双葉町で、避難指示が解除され、「3000億円もかけて除染したから、自宅に帰って下さい」という地域でも、若い人は放射能の寿命を知っているので戻らない。帰る人は数少なく、高齢者ばかりで、一番多いのは70代で、その中でも車の運転のできる人だけだ。除染したと言っても、里山は手つかずだから、よく言われるのは「除染したが、再び線量が上がってきた」という話だ。2019年10月の19号台風で福島県は大被害にあった。川は氾濫(はんらん)して決壊し、高濃度に汚染された山林の土砂が崩れて、道路へ、農地へ、住宅へと流れ出した。「安全です」と言ってくれるが、その後、何年過ぎても除染作業が続いている。放射能を取り除いたはずなのに、変だと思わない? コロナと同じかね。いや、コロナはいつか終息するけれど、放射能は永遠に消えないんだ。病院もないところへ若い娘や息子に戻ってこいと言えるかね。
避難者は10年前に、車を降りた時「ここで息していいの?」と言い合って、平均で6〜7回も避難場所を転々としてきたので、精神状態は極限に追い込まれてきた。多くの高齢者は避難中に半身麻痺(まひ)になって歩けなくなり、時には死にたいと思うこともあり、自ら命を絶つ事件が続発する。この人たちが生きてきたことが不思議なくらいだ。1年前の2020年3月、警察庁がまとめた東日本大震災の死者は1万5899人・行方不明2529人だったが、思い返すと、まだ助けられた津波被害者を、放射能のために後ろ髪をひかれる思いで残してきたことは、悔やんでも悔やみ切れない、と言っている。震災関連死(昨年12月25日発表値)は岩手469人/宮城929人/福島2313人で福島が断トツだ。震災関連死というよりも明らかに原発関連死である。実際は3000人を超えている。地震津波だけではなく、原発事故が起こったからこうなった。
福島第一原発の汚染水はどんどん増え続けるので、国は海に流すことだけを考えているが、この汚染水の主成分トリチウムは、セシウムの放射能より質が悪くて、遺伝子の水素を消してゆくから、おそろしいことに、子供に伝える親の遺伝子DNAがバラバラになって、子供たちに重大な障害を起こす。それを風評被害と呼ぶのは科学的に間違いだ。
汚染土を公共事業で再利用する計画を目論(もくろ)んでいるのが環境省だ。安倍晋三内閣以来、菅義偉内閣でも環境大臣は小泉進次郎で、この男が全国へ放射性物質をバラまくのだ。全国の道路や防潮堤などの建設資材として再利用しようとしている。
われわれ日本人は内心で、いつまた同様の巨大事故が起きるかもしれないという、大きな不安を抱いている。何しろ2016年4月の熊本地震で最強の震度7を観測し、2018年の北海道胆振(いぶり)東部地震でも最強の震度7を観測し、日本列島の全原発と六ケ所再処理工場、東海再処理工場が、放射能のかたまりである行き場のない大量の使用済み核燃料を、不安定なプールに抱えているからだ。いつどこで大地震による大事故が起こってもおかしくない。なぜ、即刻、全原発を廃炉にして、完全な対策を講じないのだ。この愚かな国民は、いつまでこのような政治家を信頼して命を預けているのだ。愚かと言われたくなければ、頭を使えよ!
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