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「あわや街が消えていた、米国に2発の水素爆弾が降った夜」
60年前の冷戦中、水素爆弾を積んだ米国の爆撃機が空中分解した
(National Geographic 2021/2/5)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/21/012800048/
1961年1月に米国ノースカロライナ州ゴールズボロ近郊で起きた出来事を、ビリー・リーブスさんは、今でも覚えている。その夜は真冬とは思えないほど暖かかったが、午前0時を回る少し前、突然猛烈な暑さに襲われた。そればかりか、部屋の壁が赤く光り出し、窓の外からは奇妙な光が差し込んだ。
「ちょうど寝る準備をするところでした。びっくりして、何が起きたのかと思いましたよ」
当時17歳だったリーブスさんが、急いで外のポーチに出たまさにその時、片方の翼を失ったB-52爆撃機が炎に包まれて空から落ちてくるのが目に入った。そしてそれは、燃え盛る破片をまき散らしながら、わずか数百メートル先の綿花畑に叩きつけられた。
「このあたり一帯は何もかも燃えていました」。現在78歳のリーブスさんは、事故現場の畑の真ん中に立っていた。背後には、リーブスさんの生まれ育った家が今も建っている。
事故から1時間もしないうちに、軍のヘリコプターが飛んできた。プロペラの騒音に交じって、拡声器が「避難せよ」と繰り返しがなり立てていた。
「理由はわかりませんでしたが、何も聞かず、とりあえず逃げました」
ヘリコプターの声の主だけが知っていて、リーブスさんたちには知らされなかったことがある。墜落した機体のすぐそばに核出力3.8メガトンの水素爆弾2発が落ちていたという事実だ。その爆弾1発だけで、人類の歴史が始まってから第二次世界大戦終結までに爆発した、あらゆる爆発物をすべて合わせたよりも大きな破壊力を持っていた。(参考記事:「米国は第3の原爆投下を計画していた」)
■ 翼と祈り
シーモア・ジョンソン空軍基地は、静かな田舎町ゴールズボロのすぐ近くにある。1960年の終わり頃から爆撃機の出入りが激しくなったものの、町の住民たちは、異変には全く気付いていなかった。実は、冷戦のさなか、複数のB-52爆撃機を北半球の空に飛ばして継続的に警戒するという米軍の「クロームドーム作戦」の発着地に、この基地が選ばれていたのだ。各戦闘機には、2発の核爆弾が搭載されていた。
この日、基地を飛び立ったB-52はノースカロライナ州の海岸沿いを何回か訓練飛行した後で、大西洋の真ん中にあるアゾレス諸島へ向かい、その後引き返す予定だった。だが、燃費の悪いB-52は、何度も空中給油を受ける必要があった。
何回目かの給油を受けた後、機長のウォルター・トゥロック大尉は、燃料が異常な速さで減っていることに気づいた。さらに、電気系統でも問題が発生した。管制からゴールズボロへ戻るよう指令があったが、トゥロック大尉は危険な着陸を試みる前にもう少し燃料を消費して減らしたほうが良いと考えた。だが、しばらくするとやはり基地へ引き返したほうがいいと判断した。
基地まであと24キロに迫り、高度1500メートルまで下降した機体は、最後に向きを変えようとしたところで、空中分解した。
「トゥロック大尉は、滑走路へ向けて着陸体勢を整えようとしていました。ところが、機体は突然右にそれて、ファロ村へ向かって突っ込んでいったんです」。事故に関する記録としては最も信頼できる書籍「The Goldsboro Broken Arrow(ゴールズボロの折れた矢)」の著者ジョエル・ドブソン氏は、そう語る。
そのわずか数週間前、B-52を製造したボーイング社と米空軍は、改良を加えたばかりのB-52の翼が外れる恐れがあることに気づいた。トゥロック大尉の機体も修理を行う予定だったが、間に合わなかった。もう駄目だと悟った大尉は、脱出ボタンを押した。
8人の乗員のうち6人は、射出座席に座っていた。これは、緊急脱出の際に作動させると、座席ごと乗員を機外に放り出し、自動的にパラシュートを開く装置だ。しかし、当時27歳で最年少だった第3操縦士のアダム・マトックスは、射出座席ではなく、コックピット内の補助席に座っていた。ジェット戦闘機の操縦士としては当時珍しかったアフリカ系米国人のマトックスは、クロームドーム作戦の本格化に伴い、配置換えになったばかりだった。このままでは、その異動が死につながりそうだった。
マトックスに残された唯一の道は、2人の操縦士の座席が飛び出した後に、窓から脱出することだった。
ドブソン氏は言う。「マトックスは大変信仰心が篤い男でしたから、周囲を見回して神に祈ったそうです。『神様、俺の順番が回ってきたというなら、それで構いません』」
それは、あまりに非現実的な時間だった。機体は速度をほとんど失っていたが、まだ下へは落ちていなかった。まるで機体が空中で停止したかのように感じた一瞬をとらえ、マトックスは闇へ身を投げた。すぐにパラシュートの紐を引いたが、なぜかパラシュートは開かなかった。だが、しばらくして落下速度が増すと、ありがたいことに空気をたっぷり含んだ傘が頭上に大きく開いた。
「『神様、ありがとう!』と叫んだと思ったら、今度はB-52が空中で爆発して、パラシュートがつぶされてしまいました」
マトックスの体は、機体の破片とともに再び勢いよく下へ落ちていった。だがパラシュートが再び空気をとらえて開いたので、マトックスはまたゆっくりと下降を始めた。静かに漂うパラシュートを見上げて、「神様、ありがとう!」と2度目の感謝をささげた。
ところが今度は下を見ると、マトックスは燃え盛る墜落機の真上に着陸しようとしていた。
「まあいいさ、神様。これで終わりだというなら、それで構わないです」。すると、そこへ突然強い風が吹いてきた。それとも機体の炎が作り出した上昇気流だったのかもしれない。とにかくマトックスの体は南へ流され、墜落現場から離れた場所へ無事に降り立つことができた。
最後にもう一度、口の中で感謝の祈りをつぶやくと、近くの農家に助けを求め、空軍基地まで車で送ってもらった。煤まみれの飛行服を着てパラシュートを腕に抱え、基地のゲートに近づき、警備兵にこれまでのいきさつを説明した。
パラシュートを抱えたぼろぼろの服装の黒人男性が、どこからともなく現れて荒唐無稽な話を口にするのを見て、2人の警備兵は、1961年当時の田舎の兵士なら当然取るであろう行動を取った。マトックスは、パラシュートを盗んだ罪で現行犯逮捕されたのだ。
■ 2個の水爆
B-52の乗員8人のうち、射出座席で脱出を試みたのは6人。6人のうち1人は射出に失敗して死亡し、1人は脱出はしたものの着陸時に死亡した。そして、マトックスと同じく、射出座席ではなく補助席に座っていた1人は、機体とともに墜落して死亡した。アダム・コロンバス・マトックスは今に至るまで、B-52のコックピットから射出座席なしで脱出に成功した唯一の生還者だ。彼は2018年に他界した。
ところで、墜落したB-52に搭載されていた2個の水素爆弾はどうなったのだろうか。2個のうち1個は、パラシュートが開いたため無傷で着陸したが、起爆装置が作動できる状態にあったため、ともすれば大惨事になるところだった。事故当時国防長官だったロバート・マクナマラは、1983年に記者団に対し「爆弾には6つか7つの安全装置が設定されていたが、そのうちの1つを残してすべて解除されていた」と語っている。
一方、2個目はほぼ音速に近いスピードで地面に激突し、その勢いで地下深くへ潜り込んでしまった。また、衝撃で爆弾は破壊され、無数の破片が地中に散らばった。
B-52に搭載されていたマーク39水素爆弾は、バスケットボール大の起爆用原子爆弾と、プルトニウムの核と重水素化リチウムが入れられた核融合部からなる。まず原子爆弾を爆発させ、そのエネルギーによって重水素の核融合反応を起こすことで、原爆だけよりもはるかに膨大な破壊力を得る仕組みだ。
地面に激突した2個目の爆弾の、この起爆用原子爆弾は回収され、無事が確認された。 米政府は声明を出し、何重にも仕掛けられた安全装置のおかげで爆発からは程遠い状態にあったと説明して、世間の不安を鎮めようとした。
だが、地中に散らばった核融合部はとうとう回収されなかった。実は、その一部は今も綿花畑の地下55メートルの深さに残されている。
現在、現場の綿花畑でガイガーカウンターを使用しても、特に異常は検出されないだろう。土は、驚くほどよく放射能を吸収する。だが、その足元の地下では、半減期2万4000年のプルトニウムの核から今もじわじわと放射能が漏れ出ている。
リーブスさんは、大量の重機が爆弾を探して土を掘り返していたことを記憶している。しかし、地下水の水面が高すぎて、掘っても掘っても水が入り込んでしまい、結局発掘作業はあきらめざるを得なくなった。政府は穴を埋めて、半径120メートルの円を描き、その内側の土地を買い取った。地上は今も農地として使用されているが、1.5メートル以上深くは掘らないように注意しなければならない。
------(引用ここまで)----------------------------------------------
この2発の水爆は、各々広島型原爆の250倍以上の破壊力があり、爆心地から
半径27キロにいる人間は100%死ぬほどの威力だったそうです。
爆発していたらとんでもないことになっていたでしょう。危機一髪でした。
このような核兵器の紛失事故は、軍事用語でブロークン・アローと言います。
1960年代のはじめまでは、核弾頭が大きく重かったことと大陸間弾道ミサイルが
まだ実用化されていなかったので、B-52などの爆撃機に核爆弾を積んで飛んでいましたが、
墜落などによる危機一髪のブロークン・アローがいくつもありました。
奄美大島の東方約150キロに、米空母タイコンデロガから1メガトン・水素爆弾を搭載した攻撃機が
海に落ちてそのままになっていることは、以前に投稿しました。
たとえ核戦争が起きなくても、事故により破局的な核爆発が起きる可能性があることを
忘れてはなりません。
原子力推進の本当の目的は核武装であり、福島第一原発事故はその過程で起きた事故と
考えることもできます。
あの事故で広島原爆168発分の放射性セシウムが放出されたと政府は発表しています。
(実際は数千発分と思われる)
自爆しているのですから、国防も何もありません。
核兵器も原子力も一日も早くなくさないといけません。
(関連情報)
「1961年ゴールズボロ空軍機事故」 (ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/1961%E5%B9%B4%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%9C%E3%83%AD%E7%A9%BA%E8%BB%8D%E6%A9%9F%E4%BA%8B%E6%95%85
「奄美大島の東方約150キロ、水深5000メートルの海底にはメガトン級水素爆弾が沈んでいる」
(拙稿 2016/1/13)
http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/682.html
「びっくり仰天!人類の命運を握る核ミサイル発射装置は、何と半世紀前の8インチフロッピー搭載の
骨董コンピューターだった」 (拙稿 2020/8/29)
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/855.html
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