http://www.asyura2.com/20/genpatu53/msg/190.html
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(引用元[7])
水戸巌(いわお)教授。
福島原発事故後、原子力の危険性に目覚めた若い世代はほとんど知らないだろうが、
原子核物理学者として本格的な反原発運動を始めた第一人者であり、
あの小出裕章氏が恩師と仰ぐ先生でもある。
アマゾンの著者紹介を引用する[1]。
「
水戸巌(みと いわお)
1933年3月、神奈川県横浜市鶴見区に生まれる。小学6年の時に姉弟だけで一時福島県相馬郡新地村に疎開。1945年、栃木県宇都宮市雀宮町に家族全員で疎開。その年に旧制宇都宮中学に入学し、新制宇都宮高校を卒業する。1951年、東京大学理科一類に入学、大学院での原子核乾板を解析して宇宙線の起源を考察する研究が学位論文。1960年、結婚。甲南大学に就職。エマルジョンチェンバーによる研究を継続。いっぽう甲南大学労働組合の活動と神戸アメリカ領事館前座り込みを続け、神戸べ兵連の設立にかかわる。一女二男にめぐまれる。1967年、東大原子核研究所の宇宙線部門に移る。反戦運動が高揚する時期とかさなり、おびただしい逮捕者がでて単身救援活動をはじめる中から、救援連絡センター設立にむかう。70年代に入り、原発に反対する地域住民運動.要請を受けて、一人で現地に入りはじめる。やがて、全国各地の地域住民運動、弁護士、学者を結び付けるという水戸巌でなければできない地道な役割を担いつつ、自らも物理学者として、法廷に立った。1974年、芝浦工業大学電気工学科に移ったのを契機に、放射能測定装置・ゲルマニウム半導体ガンマ線スペクトルメーターを設置し、原発立地地域の松葉を採取して放射能漏れを監視し、原発事故を予見する活動を始めた。チェルノブイリ原発事故でもいち早く、この装置が放射能の飛来をキャッチした。1986年12月30日か31日、最愛の息子二人と共に北アルプス最北端の剱岳北方稜線で遭難。53歳。
」
原子力推進には不都合な活動をしていたので、原子力ムラからの嫌がらせや脅迫は
日常茶飯事だった。
切断された指が送られてきたり、「命があると思うな」という電話を受けたりしたが、
水戸教授はひるむことはなかった[2]。
山をこよなく愛し、双子の息子さんとよく登っていたという。
チェルノブイリ原発事故が起きた1986年の暮れに、三人で北アルプスの難峰・剱岳に登り
消息を絶った。
警察の打ち切った捜索を仲間が続け、翌年の夏に三人の遺体が見つかった。
夫人の喜世子さんは、包帯でぐるぐる巻きの遺体に対面したときは、夫と二人の子を失った
現実が受け入れらず、涙も出なかったという[3]。
夫と子供と死別後、喜世子さんは世間とのかかわりをさけてきたが、
福島原発事故を機に反原発運動に立ち上がった[4]。
『原発は滅びゆく恐竜である』に収録された喜世子さんの寄稿文である[5]。
「
テントのファスナーは閉じていて、谷に向いた面だけにT字型の破れ目があって、
そこから谷筋に向けて体が放り出されたと思われる。
この破れ目は何が原因でできたものか、なぜ靴はテントに残したまま
全員が寝袋と共に靴下姿で谷筋から発見されたのか、頭部の血痕の原因は何か……
『気象遭難説』だけでは説明したことになっていない
」
ここまで読んで、これは怪しい、事故ではなく殺されたのではないかと疑う人が多いだろう。
筆者もその一人である。
当時は、チェルノブイリ原発事故直後で、反原発の世論が盛り上がっており、
その先頭に立っていたのが水戸教授だった。
原子力ムラが消してしまいたいと思う人物リストのトップにあったことは間違いない。
電話を盗聴をしスパイも送り込み、教授の動向を徹底的に探り、暗殺のチャンスを
狙っていたのではないか。
そして年末に剱岳に登る計画を察知した。
山、とくに冬山は人目がなく、事故に見せかけるのも簡単である。
この冬山行は暗殺には絶好のチャンスだったと思われる。
おそらく、登山者を装った暗殺集団が水戸親子の後を密かに追い、
テントで寝ていた彼らを襲って殺し、遺体を谷底に落としたのだろう。
(前年に起きた日航123便墜落事故でも、警察権力の及ばない超法規的な
武装組織が暗躍したという指摘がある[6])
致命傷と転落で生じた傷と見分けるのは難しく、第一、見つかったのは半年後、
腐乱したり野生動物に食われたりで遺体の損傷はかなりひどかったはずである。
たとえ検死で疑問が生じても、警察もグルであるから上から圧力をかければうやむやになる。
完全犯罪の成立である。
残念ながら、水戸教授は原子力の危険性については熟知していたが、
巨大な原子力産業の凶悪性を知らなかったのではないか。
恐ろしい猛獣の尾を踏みつけていることに気がつかなかったのだろう。
水戸教授の肉声が残っている[7]。
「
現在日本では25%が原子力発電で賄われている。
もう引き返せないではないか、という考え方が言われている。
このぐらいの事故(チェルノブイリ級)が今後、10年に1回、
20年に1回起きることをある意味では覚悟していると思う。
で、やっぱり私はそういう生活は拒否すべきだと思います。
今引き返す最後のチャンスではないかということを私は申し上げる。
」
水戸教授の原子力に関する指摘は驚くほど正しく、福島原発事故を正確に予言していた。
生きていたら、いろいろなことをわれわれに教えてくれただろう。
とても残念に思う。
(関連情報)
[1] 「原発は滅びゆく恐竜である 水戸巌・著」 (アマゾン)
https://www.amazon.co.jp/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%AF%E6%BB%85%E3%81%B3%E3%82%86%E3%81%8F%E6%81%90%E7%AB%9C%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B-%E6%B0%B4%E6%88%B8%E5%B7%8C/dp/4846114031
[2] 「亡夫の遺志貫徹・大飯原発再稼動に抗議! 『原子力の正体を教えてくれた水戸巌教授』」
(阿修羅・青木吉太郎 2015/4/19)
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/3925.html
[3] 「< 60年代・70年代を検証する>第22回 水戸喜世子氏(元救援連絡センター事務局長)に聞く」
(図書新聞 2013年04月13日号)を読む。またはご紹介」 (Blog「みずき」 2013/4/11)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-550.html
[4] 「亡き夫の遺志を継ぐ妻:原発差し止め求める女性」 (阿修羅・妹之山商店街 2015/3/11)
http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/242.html
[5] 「〔フクイチ核惨事〕◆ 「原子力発電は永久の負債だ、
原発は原水爆時代と工業文明礼賛時代の終末を飾る恐竜である」
――チェルノブイリの年の末、不審の山岳遭難死を遂げた故・水戸巌さんは
雑誌『現在農業』の1978年9月号に、こんなタイトルの論文を書いていた!」
(机の上の空 大沼安史の個人新聞 2015/5/9)
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2015/05/post-6dd2.html
[6] 日航123便墜落事故・真相究明者に対する政府による執拗かつ違法な監視、妨害・加害行為の数々」
(拙稿 2017/6/15)
http://www.asyura2.com/17/genpatu48/msg/291.html
[7] 「映像'16」 よみがえる科学者〜水戸巌と3・11〜
(MBS毎日放送 2016/3/6放送 ノーニュークス たんぽぽ舎 2016/3/14)
https://www.facebook.com/tanpoposya.nonukesplaza/videos/%E6%98%A0%E5%83%8F16-%E3%82%88%E3%81%BF%E3%81%8C%E3%81%88%E3%82%8B%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85%E6%B0%B4%E6%88%B8%E5%B7%8C%E3%81%A8311/1130402146978229/
[8] 「カレン・シルクウッド事件に学ぶ むざむざと殺されないための対策法」 (拙稿 2015/9/18)
http://www.asyura2.com/15/genpatu43/msg/821.html
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