これっすか? >小沢一郎「絶対次の総選挙の後は我々の政権だよ」の根拠 https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020091300001.html?page=3 佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長 〇山本太郎のこと 私は、小沢氏のこの姿勢は、マックス・ヴェーバーが講演録『職業としての政治』(岩波文庫)で指摘した、目的や政策実現のためには「悪魔」とも手を結ぶ本物の「職業政治家」の姿勢に他ならないと考える。 もちろん、一つのかたまりとしての野党の姿が見え始めた現在、野党の他の指導者たちが「悪魔」と言っているわけではない。ヴェーバーは、政策実現のための政争を生き抜くために極端な表現を用いているが、小沢氏にはそれぐらいの覚悟が備わっている、ということを言いたいのだ。 「政権交代」や「政治改革」を貫く小沢氏は何度かの敗北にもかかわらず生き残り、「多くの凡庸な政治家」は淘汰されて政界を去っていった。なぜ彼らは「凡庸」であり淘汰されざるをえなかったのか。 直近の二、三の例を見てみよう。まず、政界に「れいわ旋風」を巻き起こした山本太郎氏の場合は小沢氏と関係が近いだけにわかりやすい。 今年7月に投開票のあった東京都知事選では現職の小池百合子氏が圧勝、野党側は山本、宇都宮健児両氏が並び立って野党票を分割し惨敗した。この経緯について、小沢氏は私のインタビューに対し率直に説明している(『職業政治家 小沢一郎』・特別付録)。 「4月に私は山本太郎君に、出るなら野党統一候補として出るべきだと言ったんです。それで、内々野党各党にも私の方から根回しをしたんです。それでみんなOKだったんです。ところが、太郎君が「やっぱり、『れいわ公認』じゃなければいやです」と言い出したんです」 この回想は、ありえたかもしれない歴史のもう一つの可能性として、実に多くのことを語っている。小沢氏直々の調整の結果、野党統一候補として立候補できる準備が整っていたにもかかわらず、そのチャンスを逃がしたばかりか、反対に野党統一の機運さえ一時的に遠ざけてしまった。 「結果として、野党統一を邪魔したような形になってしまいました。やっぱり自分に対する過信がこの結果を招いたと思う。(略)太郎君も大魚を逸したと思います。野党統一として出ていれば、負けたとしてもいい勝負はしたと思う。そうすれば有権者の受けも全然ちがう」 小沢氏の見立て通り、「れいわ旋風」に乗った山本氏が野党統一候補として小池氏とサシで勝負していれば、小池氏に肉迫した可能性がある。そうなれば、山本氏の政治的可能性が広がるだけでなく、野党統一の機運も相当盛り上がったはずだ。 「太郎君は政治感覚をもっと磨かなければいけないと思いますね。しばらくは自ら「雑巾がけ」をした方がいいと思う。政治家としてまだまだ成長しないといけません」 小沢氏は暖かい言葉を忘れないが、山本氏に欠けていたのは、現在地点での政治全体を見通す力だろう。「本当に困っている人を助けたい」という山本氏の熱意は理解できるが、そのことを実現させるためには都知事選で共倒れの選挙戦を戦うことではなく、野党統一の重要な一翼を担って政権獲得の戦いに挺身することこそ必要なことだった。 安倍政権が続いた7年8か月はこれまでの日本政治史には類例がないような時間だったと考えられる。 森友、加計問題や「桜を見る会」の問題、森友に端を発する公文書改竄問題、IR汚職や元法相夫妻による大規模買収事件と破格の1億5000万円供与問題など。さらには外交、経済政策における大失政とそれを糊塗するための虚飾に満ちた美辞麗句の羅列。 未曽有のパンデミック状況を呈するコロナウイルス対策にはまったくと言っていいほど熱意を示さず、この冬に予測されるウイルス第3波にはほとんど備えができていない。 7年8か月の間に、日本社会は、安倍自民党のためにあらゆる側面でズタズタにされたと言っていいだろう。この状況を変えるには、結集した野党の力によって選挙で自民党を下野させるしかない。その一翼を担うことこそ、山本氏にとって、現在地点での最大の政治的使命のはずだ。・・・以下略 ・
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