中川昭一の不審死について (この話は、対米自立という話ではなく、日本の内部における「アメリカ国債を非公式に買わされた」という処理のなされた証券媒体について、その真贋を確かめるため、中川昭一は、スイスに持ち込んだのではないか?) (元は、こういう話) 2009/06/19 「不可思議な13兆円米国債持ち出し事件」 *持ち込まれた米国債が本物でも、偽物でもこれは大事件である。よほどの不都合があるのか日本のマスコミでは、ほとんど黙殺状態である。 米国債など「13兆円」不正持ち出し、邦人?2人を拘束 伊警察 【ジュネーブ=藤田剛】イタリアの報道によると、同国警察は総額1340億ドル(約13兆円)の米国債などの有価証券を不正に持ち出そうとした日本人とみられる2人をスイスとの国境で拘束した。2重底になっているカバンに大量の有価証券を隠し持っていることが発覚し、押収された。 日本政府も拘束の事実は確認しているが、日本人との情報が本当かどうかは不明としている。氏名や持ち出しの理由なども分かっていない。 イタリア警察は有価証券の金額があまりにも巨額なため、偽造の可能性を含めて捜査を進めているもよう。有価証券が本物の場合、総額の約40%の罰金が科せられる可能性があるという。 (私は以下「戦前の無鉄砲な日本政府ならいざ知らず、昨今の後ろ向きな日本当局者が、このような大胆な行為を組織ぐるみで挙行するとは考えにくい。スイスに持ち込んだところで、誰が買うのかという疑問もある。」との所見を支持する) ▼日本が手持ち米国債をスイスで密売?*国際政治解説をしている田中宇さんの仮説、以下。 米国やG8が、粉飾によって不況脱出の演出を続け、その演出自体がドルや米国債に対する国際信用を揺るがせている一方で、G20はドル離れを画策している。各国の中央銀行は、来るべきドル崩壊に備え、外貨準備の4−5割を金地金に替えておこうとして金を買い漁っていると、ロイター通信が報じている。 (Cenbanks could justify sharp rise in gold holdings-WGC) 対米従属一本槍のわが日本だけは、無策のままかと思いきや、そうでもないかもしれないと思える事件が報じられた。イタリアG8財務相会議の5日前にあたる6月3日、イタリア北部のミラノからスイスに向かう列車の国境検問で、2人の日本人男性がスーツケースの中に合計1345億ドル分の無記名の米国債を隠し持っていることを、イタリア当局が発見し、資金洗浄を禁じる法律違反(無申告で巨額有価証券を持ち出そうとした容疑)で2人を逮捕した。50歳代の2人は、スーツケースに隠し底を作り、1枚5億ドル相当の米国債を249枚と、その他の米政府系債券10億ドル相当を10枚持っていた。 (US government securities seized from Japanese nationals, not clear whether real or fake) 2人が持っていた債券が本物だとしたら、それは日本が所有する米国債の4分の1にあたる。そして、2人は世界第4位の米国債保有者になる(3位はロシア政府、5位は英国政府)。さらに、イタリアでは法律で、無申告の巨額現金・有価証券を摘発した場合に摘発額の40%を罰金として没収することが決まっており、伊政府は国家予算の5%以上に当たる380億ドルの収入を得ることになる。 この事件はイタリアの新聞(il Giornale)が報じ、ミラノの日本領事館も、伊当局が2人を逮捕したことを認めた。しかし、わかっていることはそこまでだ。2人の逮捕から2週間近くが経ち、米国債の真贋も判明しているはずだが、伊当局は2人の名前も発表せず、司法手続きにも入っていない。 ($134bn bond scam arrests) (Japanese pair arrested in Italy with US bonds worth $134 billion) 2人が持っていた米国債は偽造かもしれないが、無記名の巨額米国債は政府や大手金融機関の間でしか取り引きされず、それらの大手組織はすぐに真贋を見破るので、犯人が偽造債券を現金化することは困難で、偽造する意味がない。米国の金融分析者は「米国債の崩壊感が高まる中、日本政府が米国債をスイスのブラックマーケットに持ち込んで格安で売り切ろうとしたのではないか」という見方をしている。与謝野財務相が6月12日に米国債を堅く信じて買い続けると宣言したのは、6月3日にイタリアで米国債密輸の2人が捕まったことへの懺悔だったという考察も出た。世界各国の当局がドル崩壊から逃げようと密かにドルや米国債を売って金地金などに替えており、日本の動きもその中で考えられている。 (Did the Japanese Try to Dump $135 BILLION in US Bonds on the Black Market?) <高城 剛のブログより> 高城 剛:日大芸術学部在学中に「東京国際ビデオ・ビエンナーレ」でグランプリ を受賞。総務省情報通信審議会専門委員など要職歴任。六本木ヒルズのコマー シャルやルイ・ヴィトンのためのジャパニメーションのプロデュースなど、多 方面で活躍。 <昨今のスイスの話題は日本人による13兆円を超える債権密輸がイタリアで発覚> イタリアの新聞では、「日本から埋蔵金が贈られてきた!」と書かれているそうだ。 そのまま「マイゾーキン!」となどスイス人はわかったように言う。「MY雑巾」との違いを話したら、爆笑していた。受け取る側に近いスイス人は、僕にこう教えてくれた。 『偽物であれば、知らならい人から郵送してもらう。 もし発覚しても、こんな差出人は知らない、一方的に送られてきた、などいくらでもトボけることができる。本物であれば、絶対に肌身離さず持ち込む。また、スイスは世界一の金融機関を誇り、偽物であれば、持ち込んだあと発覚する可能性のほうが高い。だから通常、偽物の債権はスイスに持ち込まない。 金額的にどこの国でも写真つきのトップニュースになったと思うが、日本であまり騒がれていないのであれば、それはしばらく規制もしくは自粛で、いつしかニュースで「偽物でした」と堂々と言われることになるだろう。または、情報のフェイドアウトを意図的に行うだろう。いま、発行元の米国、現場のイタリア、そして日本で調整中なのだろう。既に、捕まったはずの日本人は、こっそり釈放されている。 まず現在、先進国財務省首脳会談(G8)がイタリアで開催されている。 恐らくイタリアまで政府専用機で持ち込まれ、官僚が陸路でスイスに持ち込み、換金しようとしたのだろう。それほど急を要する必要があったのではないか。選挙が近いのか、選挙後の資金か、北朝鮮への裏からの資金提供か、国債インサイダーか、その他の裏工作資金だろう。 また金額が半端だ。こんな半端な金額の大金は、それだけで本物と言える。 この金額は、湾岸戦争の日本の出資金と同額、もしくはTARP残金と同額であるが、それとは限らない。日本の歴史がひっくりかえるほどの何かかもしれない。 表で換金すると、秘密裏の日米関係にまで発展しかねないので、この債権を担保に、スイスの銀行とディールし、現金を借りるのだろう。恐らくは、額面の25%から5%程度。そこまで日本は資金難に陥っている? こんなことはよくある。しかし、今回は金額が大きすぎる。 中規模国の国家予算に匹敵する。 実際1000件同ケースがあって、発覚するのは1件ぐらいだろう。この1000倍のことが日常的にあると思っていただいて、間違いない。だから、世界の政府はスイスの金融システムを全開示してもらっては困る。困るのは、彼ら自身であるからである。光もあれば、影もある。 すべてを光にさらすと、中和してすべてがダークなグレーになることを理解すべきだ。それが人間であり、社会だからだ。プロの運び屋であれば、絶対に複数に分けて、複数のルートを使う。そして、直行便を基本的に使う。すなわち、これは素人の仕事だろう。本物を扱う素人、それは役人仕事だろう。 だから、発覚して困っているのは、日本国民へではなく、米国に対してだろう。 この時点のキーマンはイタリアなので、日本がイタリアに特別なディールをして、表向き偽物でした、日本人ではありませんでした、と発表させるのではないか? いまやアメリカも関与しているのは、間違いない。それがいまG8の裏で話されていることだ。 問題はここではない。 イタリア国境からスイスに出国するときには、基本的にシェンゲン条約国に批准する移動については、手荷物の検査など、まったくやらない。スイス入国時ならまだわかるが、出国時に発覚というのは、まずない。私自身も何十回と、同じ経路で入国しているが、ロクな検査をやっていない。よって、内部告発ということになる。 これは、その資金の使用をめぐって、日本が目に見えない内戦状態であることの表れだ。日本の影の部分が大混乱に陥っているのがよくわかる。 なにか大きな変化が訪れる前触れなのは、確かだ。』 スイス人の話はあまりに面白かったが、この話の真実性がどれほどのものか、正直僕にはまだわからない。この事件の上記のような多くの話は、ヨーロッパの新聞でも写真入り書かれている。陰謀などではなく、現行犯だからだ。そしてスイス人は、現在の情報の多くが真実とはまったく異なることを、歴史から知っている。 しかし、どんな映画にも13兆円搬送や換金のようなストーリーはない。映画は映像を楽しむ物だけになったしまったのか!?不況時にエンターテイメントは活況になるというが、本当にビジネスになるのか? 僕の興味は、こちらにある。 映画より垣間見える真実が桁違いに大きくなったとき、現実の劇場性を僕は感じる。 9・11の時に、僕は多くのことを学んだ。そして、キャストは自らがキャストであると気がつかないうちに、ステージにあがっている。さらに時代は、キャストと観客を同じ意味にしている。すなわちステージと観客席のフラット化である。その劇場には楽屋とスタッフルームが必ずある。メディアも多くの人の興味も、本来は語られなくてはいけない演目ではなく、楽屋にある。演目は、気がつくと自分も出ているので、語れない。だから、楽屋話ばかりとなる。 そして、スタッフルームがあることは、あまり知られていないし、多くの興味もない。しかし必ずあるし、スタッフルームでは次の幕の準備が決して表には見えないように着々と行われている。 僕はいまの劇場を出て、少し離れた路地やストリートを自分の場所として、冷静に演目をみたいと常に思っている。(終わり)
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