「カストロの息子がトルドー」は、ベンジャミン・フルフォードさんも言ってましたね。 【Benjamin Fulford】Part10 Q&ASession【ベンジャミン・フルフォード 】 日本最後の巫女 https://www.youtube.com/watch?v=Md0I71ewx-M ●これの05:00のところです。 ★ヒトラーの南米移住説ですが、ドイツの「国民車」フォルクスワーゲンは、ヒトラーの国民車構想から誕生しました。当時はKdFと呼ばれていました。戦後、工場はイギリス軍占領地域となり、1949年に戦後賠償の対象として米英の自動車メーカーに「併合しないか ? 」打診をしたそうです。 しかしアメリカのフォードも、イギリスのオースチンも、前部エンジン搭載・後輪駆動の自動車を製造しており、リアエンジンのフォルクスワーゲンは「変な自動車」と言うことで、いりませんとなり、西ドイツのメーカーとして存続しました。 それ以降、西ドイツの貴重な外貨獲得手段として盛んに輸出され、ドイツ系移民の多いブラジルにも現地法人が1953年に設立。当初は西ドイツからの輸入販売業務だけでしたが、あまりの好調さから現地生産も行うようになりました。 年老いたヒトラーは、南米でこのフォルクスワーゲン・タイプ1に乗っていたとされています。 Conspiracy theories about Adolf Hitler's death https://en.wikipedia.org/wiki/Conspiracy_theories_about_Adolf_Hitler%27s_death ★これは英語版ですが、ロシア語版もあります。と言うか、ロシア語版が本家なのだが。1945年6月9日に、ソビエト労農赤軍のジューコフ元帥が、記者会見で「ヒトラーが妻と逃亡した」と話しています。 1945年7月17日〜同年8月2日に開催されたポツダム宣言で、スターリンはスペインかアルゼンチンにいると話しています。どうも、ドイツの潜水艦でスペインを経由してアルゼンチンに逃げたようです。当時のスペインは、独裁者フランコ総統の支配下でした。 アルゼンチンは第二次世界大戦において中立国でしたが、枢軸国側についていました。戦後、アメリカは枢軸国側のペロン副大統領を、1945年10月にクーデター起こして拘束しましたが、国民の猛反対で釈放せざるを得ませんでした。 この時、ラジオでペロンの釈放を呼び掛けたのが、まだ恋人だった「エビータ」です。当時、アルゼンチンは世界トップクラスの豊かな国で、ラジオが普及していて、ペロン釈放の国民運動が起き、アメリカはクーデターを断念しました。 その後、彼女は1945年10月にペロンと結婚し、大統領選挙が行われてペロンは当選。ペロン大統領夫妻は、反米姿勢を貫いて大人気でした。モータースポーツにも積極的に援助し、多くのアルゼンチン・ドライバーを輩出しました。その中に、世界最高峰のファンジオもいたのです。 アルゼンチンに亡命したヒトラーは、ペロン大統領夫妻の援助で暮らしたようです。アメリカは執拗にペロン夫妻を狙い続け、エビータは1952年、僅か33歳の若さで亡くなりました。これ、絶対病気にさせたと言われています。 アルゼンチンは国際金融支配勢力に狙われ続け、IMFの借金攻撃で貧しくなりましたが、それでも屈せず彼らは立ち上がっています。 ★アルゼンチンは戦前から多くのアメリカ資本が進出していましたが、クライスラーは本国の経営危機により1980年に売却して撤退。その時にクライスラー工場を買ったのが、西ドイツのフォルクスワーゲンでした。 Fangio - Película de Hugh Hudson Año 1975 - COMPLETA - Español - Calidad DVD https://www.youtube.com/watch?v=9Vf5TbAZF90 ●伝説のF1ドライバー、ファンジオの伝記映画です。1950年代は、アルゼンチン出身のドライバーがレース界を席巻しました。
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