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恐らく死後にどうなるか彼にはある確信があり、それで悠然と構えていられるのだと思うが、少し意地悪を書くと、その段になってワンピースのルフィーに生きたいと言えーと言われたらロビンみたいに鼻水と涙を流して生ぎたいーと泣き叫ぶと思うが、それが人間ぞという感じであるが、町内会のじじいみたいにもう生きててもしょうがないと口癖のように言いつつ九十を過ぎても一向に死にそうもないのよりよっぽど上等で、我々凡人はどうすればいいかと言えば、仕事のように仮の人生の締め切りを作っていくのがよく、一年では短すぎて投げやりになり、五年では長過ぎてリアリティーが無くなってしまうから、石の上にも三年に設定し、本気の八掛けぐらいに思い込んで生きるのが緊張感ある人生となって良さげである。
そうすると、このエロ本の処分いつにするか、死ぬ間際じゃ間に合わない、ボケる直前にやればいいんじゃねとなり、結局、多くのスケベじじいが奥さんと娘に発見されて悲しみと寂しさを半減させる事になってしまう訳だが、私の提案を採用すれば三年以内に処分する事が決まり、立派なお父さんとして臨終を迎えられる訳だが、かようにあれこれそれをきちんと整理していく為にも三年後になんちゃって自決は気持ちよく生きて死んでいける訳である。
そして、一番は死の恐怖がシャンの達観とは違う意味で消える事で、例えば今回のコロナ騒動など半月前は私も死ぬかもと小便をちびったし不眠にもなったが、まずい、こんなところで女房子供に下の世話もさせずにウハウハの生命保険をくれてやるものかー、それなら解約して毎晩ソープに行くわとか、再婚できるかもしれない年で死んでたまるかーとか、ガキが働き始めたら毎月取り立てに行くのを楽しみにしてるのに死ねるかーとか、残される家族の事を考えてコロナに負けてたまるかーと本気で思えるようになる訳で、そこに死の恐怖など微塵もなく、家族のマスクをふんだくってでも生き延びるぞーとファイトも湧いてきて、こんな私がいる家族も三国一の幸せ者だが、そんな訳でだらだらと生きる人生に活を入れる事も絶体絶命のピンチの時も後三年は生き延びてやるぞーという執念がふつふつと沸いてくるのが寿命三年法という生き方のメリットである。
つーか、昼飯代とコーヒー代をセットで計算するのやめろー、たばこ代は特別会計にしろー、風呂掃除を天職とか決めつけはやめろー、マスクの配給差別はやめろーみたいな感じである。
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