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北方謙三はかつて「文学者は肉声を語るのだが、自分には肉声がないのでハードボイルド作家になった」という意味のことをどこかに書いていた(あるいはテレビで語ったか)。
肉声とはその作家の内面から自然にほとばしり出てくる叫びのようなものだろう。
中間小説の村上春樹やノーベル作家の大江健三郎も中間小説派だろう。大江は「燃え上がる緑の木」しか読んでないが。この小説は以前にも取り上げたが醜悪かつグロテスクであった。二人とも純文学作家ではない、単に娯楽小説をデッチ上げる才覚しかないと断定する。
時代小説家の中には、中間小説よりも純文学に近い筆力も持っている者がいる。門田泰明と葉室麟の二人に肉声を感じる。彼らは人情の機微の描き方が秀逸で感動するところ多々である。村上、大江ご両人の小説には”感動”というものが一切ない。
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