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(回答先: 故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画 投稿者 中川隆 日時 2021 年 1 月 15 日 13:47:59)
アメリカのスパイだった昭和天皇が広島への原爆投下を決めた
原爆の秘密〔国内編〕〜昭和天皇は知っていた』鬼塚英昭/成甲書房‘08年
の第一章から一部抜粋・要約
第一章 原爆投下計画と第二総軍の設立
<第二総軍設立の理由に迫る>
・私は第二総軍※1は最初から、すなわち鈴木内閣ができてから、終戦工作の一環としてつくられたものと思っている。終戦工作とは何か。簡単明瞭に書くならば、原爆誘導および処理のために、天皇が畑を呼びよせつくったものである、と書いておく。どうしてか。
一、原爆投下情報を完全に知りながら、それを全部封印した。
二、8月3日から6日にかけて。原爆投下予定地を中心に、大勢の人々を集めた。
三。武器弾薬も食料もないのに、たくさんの兵を召集し、その兵たちを九州に送り込んだ。
※1)本土を二分して東部を第一総軍(杉山元元帥)、西部を第二総軍(畑俊六
元帥)の担当とし、予想されるアメリカ軍の九州上陸オリンピック作戦に備えて
いた。第二総軍は広島に本拠を置いて、準備を進めていた。
・畑元帥と大屋中佐は、刻々と変更される投下日時の把握に追われていた。それで、大屋中佐はもう一つの傍受室をつくるのである。…大屋中佐は鯉城(広島城)の近くに女性の二世を20名ばかり集めて、ブロークン・イングリッシュを解読させていたのである。彼は、この情報を有末中将※2に伝え、有末中将は同部に所属する皇弟。三笠宮崇仁中佐に伝えていたのである。
テニアンから刻々と入る情報で、「8月6日8時15分」の投下時刻を正確に知ると、畑元帥と大屋中佐は大衆動員を原爆中心地近くにかけ、大阪から鹿児島までの将校たちを8月6日午前8時(これは9時に変更される)に爆心地近くの陸軍の社交場。偕行社に集まれと司令官命令を出すのである。戦争終結に導くスペクタクル・ショーの演出をやってみせるのである。
・ゴードン・トマスとマックス・モーガン=ウィッツの『エラノ・ゲイ』(1980年)の続きを見よう。
日本とマリアナ諸島との間には1時間の時差があるから−広島のほうがテニアン島 より1時間遅かった−そのラジオのテストが広島の時間で午後3時か4時頃行われる とすれば、モニターはその夜空襲があることを知り得た。モノターを傍受したテスト の回数で、空襲にやってくる敵機の数をおおよそつかむことができた。モニターはそ の報告を上司に渡し、上司はそれを通信司令室へ送り、そこから西日本全体の防空組 織へ情報が流された。それだけのことがわずか数分間でできた。
畑元帥と大屋中佐がどれほどテニアン基地の情報を知り得る立場にあったかが、この文章を読めば理解できる。一つの謎、畑と大屋は他の誰にも知られたくない独自の情報網が必要ではなかったのか。それで鯉城近くに、わざわざ二世の女性を20人ばかり使った秘密の傍受室と応答室をつくった。そこで、テニアンにいる秘密室と直接に原爆情報のやりとりをした。
第二総軍から情報が流されていたが、原爆の情報は中国軍管区に届いてはいない。原爆の情報はすべて、畑と大屋の二人で闇のうちに処理されたのである。どうしてか? 劇的な演出で、多くの広島市民に死んでもらうためである。スペクタクルが必要であった。
スティムソン(陸軍長官)は天皇にそれを期待したのである。天皇の特命を受けた畑は、大屋を三笠宮と有末のもとから強引に呼び寄せ、演出を担当させたのである。
原爆投下を事前に多くの人々が知っていたのである。どうして第二総軍においておや、である。
※2)戦後、謀略機関で働いた連中は、ほとんどが自由の身となり、権力と富を得 た。元参謀本部第二部長有末精三陸軍中将も例外ではなかった。「有末機関」をつ くり、米軍に協力した。
<原爆投下予告を確かに聴いた人々>
(要旨)〔ロンドンのBBC放送を中継した内容のインド・ニューデリー放送は、原爆開発、投下の情報も伝えていた。それを聞いてノートに書き移す仕事をしていた少年兵がいた。VOA放送を傍受した広島逓信局勤務の無線技師の証言もある。
また、「伝単」という飛行機から大がかりに散布された宣伝ビラの中にも「8月5日」、広島を大空襲する」というのがあった。広島上空で撃ち落とされた捕虜になった米兵のなかにも「近いうちに広島が全滅するような爆弾が投下される。ここにいたら死ぬ」とおびえているものがいた。〕
・大屋中佐は間違いなく、「マリアナ諸島から来た上級将校(捕虜)」を手に入れた。そして情報を聞き出すと、彼らを特別の場所に隔離した。その情報は間違いなく畑元帥と共有し、そして有末中将のもとへ送られた。しかし、広島に原爆が落ちるという情報は一部の憲兵のみが知るだけで封印された。広島に原爆が落ちるよう準備するのが、大屋中佐、畑元帥に命じられた、“至高の人”からの“お頼み”であったからに他ならない。
・間違いなく広島の警察内部でも、原子爆弾の風評が広まっていたのである。もし、第二総軍の大屋角造中佐と畑俊六元帥に、アメリカの兵士が示したであろう、良心のひとかけらさえあれば、広島の惨劇も、そして長崎の惨劇も防ぎ得た可能性が大であったのだ。
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