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(回答先: ──安倍政権は極右だと言われていたんですが、中身は全然違ったんですね。 投稿者 中川隆 日時 2020 年 11 月 08 日 16:43:04)
三橋貴明は明治維新の事を何も知らないんだね:
日本は明治維新以降、イギリスやアメリカのアジア侵略に加担してきた。シティやウォール街は日本に対して大きな影響力を持ってきたのだ。波はあるものの、そうした構造は第2次世界大戦の前も後も同じ。その象徴とも言える人物がジョセフ・グルーだ。日本列島は米英にとってアジア侵略の拠点であり、日本人は彼らの傭兵的な存在だ。
明治維新まで日本は中国や朝鮮を含むアジアの国々と友好的な関係を結んでいた。薩摩と長州を中心とする明治政府がイギリスの手先になる道を選んだ瞬間、日本はアジアの裏切り者になったとも言える。
アジア侵略のため、明治政府は日本人にアジア蔑視の感情を植えつけたのだろう。そうした感情が罵詈雑言、誹謗中傷という形で噴出する。そうした洗脳から日本人は未だに抜け出せていない。
明治維新以降、日本はイギリスやアメリカ、つまりアングロ・サクソン系国が描く長期戦略の強い影響下にあり、そうした国々が日本へ技術を提供、資金を供給してきた理由もそこにある。彼らは日本列島を東アジア侵略の拠点、日本人を傭兵と考えてきたとしか考えられない。イギリスが自力で中国を制圧する戦力がないことはアヘン戦争を見ても明白だ。
アングロ・サクソンの長期戦略は、ユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸部を締め上げ、最終的にはロシア/ソ連を制圧、覇権を握るというもの。制海権を握っていたことを利用しての戦略だ。
日本の支配層はウォール街の影響下にあった。1923年9月1日の関東大震災で大きな損害を受けた日本は復興資金を調達するために外債を発行したが、その発行を引き受けたのがJPモルガン。この巨大金融機関と最も緊密な関係にあったと言われている人物が井上準之助だ。それ以降、JPモルガンは日本の政治や経済に大きな影響を及ぼすことになる。
アメリカの政治経済もウォール街によって動かされていたが、そうした強者総取りの政策に反発した人びとは1932年の大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトを選ぶ。そうした事態に危機感を抱いたJPモルガンなどの金融資本は1933年から34年にかけてクーデターを準備したわけだ。計画の詳細はスメドリー・バトラー少将が議会で証言している。
ウォール街のクーデター派はヨーロッパのファシスト、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領への信頼感を失わせるようなプロパガンダを展開、50万名規模の組織を編成して恫喝して大統領をすげ替えることにしていたという。
バトラーの話を聞いたジャーナリストのポール・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。金融資本と関係が深い国務省の内部、つまりアメリカの外交官にファシストが多かったのは必然ということだ。
クーデターの司令官としてウォール街が選んだ軍人がバトラー。人望があるバトラーを抱き込まないとクーデターは成功しないという判断だったが、抱き込みに失敗した。計画を聞き出した上で彼はカウンタークーデターを宣言している。
日本にはそうしたウォール街の傀儡が少なくない。総理大臣としてウォール街の意向に沿う政策を進めていた浜口雄幸は1930年に銃撃されて翌年に死亡、井上準之助は32年に殺された。井上と同じ年には三井財閥の大番頭と言われ、ウォール街とも緊密な関係にあった団琢磨も殺されている。
団は1871年にアメリカへ渡り、マサチューセッツ工科大学を卒業しているが、同じ時に彼の親友、金子堅太郎も渡米した。金子はハーバード大学ロースクールで1878年まで学ぶ。金子はその後、セオドア・ルーズベルトと親しくなる。セオドアは1880年にハーバード大学を卒業しているが、そうしたこともあり、90年にセオドアの自宅でふたりは初めて会ったという。
セオドアは1898年のアメリカ・スペイン戦争を主導した人物。1901年には大統領に就任した。イギリスと同じようにアメリカも日本列島を東アジア侵略の拠点、日本人を傭兵と考えていた。
アングロ・サクソン系のイギリスとアメリカはスラブ系のロシアを敵視、そのロシアを押さえ込むために日本を利用しようとした。日露戦争の後、セオドアは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした事情を理解していた金子はシカゴやニューヨークで、アンゴロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったと説明していた。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)
フィリピン、台湾、琉球、日本が東アジア侵略の拠点だとするなら、朝鮮半島は橋頭堡。日本が朝鮮の植民地化をセオドア・ルーズベルトが容認したのもそのためだろう。
そうした日本側の動きを察知した朝鮮の高宗は特使としてホーマー・ハルバートをワシントンへ派遣するが、セオドア大統領やエリフ・ルート国務長官はその特使と会おうとしない。朝鮮は米朝修好通商条約の第1条に基づいて独立維持のための援助を求めたが、これをアメリカ政府は拒否している。すでにセオドア・ルーズベルト政権は桂太郎や金子堅太郎らと韓国併合で話がついていたのである。
こうしたアングロ・サクソンと日本との主従関係は明治維新から現在に至るまで続いている。例外はフランクリン・ルーズベルトが大統領を務めていた1933年3月から45年4月までの期間くらいだろう。ソ連との平和共存を訴え、侵略戦争に反対、イスラエルの核兵器開発に厳しい姿勢で臨み、労働者の権利を認めて大企業の行動を規制しようとしたジョン・F・ケネディは暗殺で最初の任期を全うできなかった。フランクリンとセオドアは親戚だが、立場は全く違う。
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