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(回答先: ファシズムとは巨大資本が支配する統制経済の事 投稿者 中川隆 日時 2020 年 11 月 12 日 06:33:00)
完全に誤解されていますが、中共はマルクス主義ではなく純然たる儒教国家です。
そもそも毛沢東は資本論なんか読んだ事はないし、最初から自分は中国皇帝だと宣言していました。
自称共産国家は国名に民主主義共和国とか付けて民主主義国みたいに装っているのと同様、実際には民主主義国でも共産主義国でもないのです。
世界で本当の共産社会に近かった国はバブル前の日本だけです。
それは、終戦後、共産主義者・ニューディ−ラーばかりだった GHQ が農地改革したり、意図的にインフレを起こして資産家の財産を取り上げて日本を無階級社会にしたからなのです。
日本共産党や労働組合もGHQが合法化しました。
一方、自称共産国家の中国はそんな事はしていません。
本来の共産主義国には、現在の中国みたいな階級も極端な貧富の差は絶対に存在しません。つまり、 中国共産党員は共産主義者ではなく正統派の儒教者なのです。
そもそもこの現代に左翼なんか存在しません。
日本共産党は典型的な保守反動政党だし、現在の中国・北朝鮮・韓国は古来の儒教思想が現在まで続いている国です。 習近平も毛沢東も昔ながらの中国皇帝ですしね。
グローバリズムは左翼思想だとか、チュチェ思想が共産主義だと言っているアホがいるけど、
・グローバリズムは21世紀型の帝国主義で典型的な資本主義思想
・チュチェ思想は天命を受けて統治している天子をみんなで支えなければいけないという儒教思想
儒教というのは、人間活動の原理に身分差別を置くもので、「序列が下の者は、上の者に従う」という単純明快な原理で、人間社会のすべてを管理しようとする思想です。
それは儒教の最大教書、「論語」にある「知らしむべからず、依らしめるべし」とともにあって、序列が上の者は、知識や財産を独占して、下の者に分け与えることで権威を維持するというシステム。
儒教社会では、人々に、「生まれながらにして人間には貴賤の超えがたい格差がある」と教えてきた。だから国民は、社会の支配秩序に従う義務があるという理屈を強要するのです。
だから金王朝が存在し、中国共産党支配体制が存在するのです。
なぜ、中国が、共産党思想宣伝の柱として孔子を持ち出しているのかといえば、それが秩序と権威を絶対視し、人間に序列をつけて、「下の者は上の者に黙って従え」という長幼秩序が共産党支配に非常に都合が良いからである。
孔子の思想的核心
「民はこれによらしむべし。これを知らしむべからず。」(泰伯)
これが儒教朱子学の最大骨子である。儒教が権力宗教と批判される核心論理でもある。
権力者だけが何でも知っていればいい、民衆には何も教えず、無知のまま置くのが支配に都合が良いという意味であり、まさに愚民政策である。
中国共産党もまた、民衆に真実は教えない。都合の悪い事実は、すべて隠して、民衆を無知蒙昧に置いてコントロールしようと考えているわけだ。
中国共産党が孔子を持ち上げて、世界に強要しようとしている本質でもある。
「女子と小人とは養い難し。」(陽貨)
孔子は男尊女卑の人だった。生涯、五回ほど妻を得たようだが、すべて、「食事が気に入らない」という理由で、ちゃぶ台をひっくり返して追い出している。
彼に必要なものは性奴隷であり、妻ではなかったのだ。
忠・孝・仁・義・礼・智・信・恕・譲・恭・敬・悌
@主君に忠節を尽くせ
A長幼序列を守り、親に忠孝を尽くせ
B人に仁(思いやり)を持て
C義理を重んぜよ
D礼が秩序の本質
E智謀が大切
F信義、誠実を持て
G恕は「おのれの欲せざるところ、人に施すなかれ」
H譲は、しゃしゃり出るな
I恭は、目上の者に素直に従え
J敬も、目上の者を尊敬せよ
K悌は、年長者に従え
孔子が広く支持されてきた理由は、なかなか意味の深い人生訓がたくさん含まれているところだが、その骨子は、上に示したように、年長者、権力者に都合の良い社会にせよと諭しているものだ。
孔子の思想体系からいえば、社会のなかで、もっとも価値の高いものが国家権力であり、それは人々の生活や命よりも上だ、ということになる。
だから国家権力は、大喜びで民衆に広く儒教を宣伝洗脳しようとしてきた。
中共はマルクス主義ではなく純然たる儒教国家
●中共は儒教国。儒教は徳治主義。
●徳治主義は「徳のある」人には「良い結果」が訪れるという理屈。
●もしもお金を騙し取られた場合、騙されたのは「徳が無い」からとなる。
●もしもお金を騙し取り、うまく逃げおうせたら、それは「徳がある」から、お金を手に入れたとなる。
●よって騙されるより、嘘をついて騙す方が得。嘘がバレたらケンチャナヨ(まぁいいか)となる。
●嘘をつくというよりは、嘘のハードルが低い。
徳治主義について
中共は儒教の国です。儒教は徳治主義です。徳治主義というのは「徳のある人が統治者になると国が栄える」というものです。これは統治者に関わらず、国民全体に浸透しています。よって中共ではこの徳治主義が倫理の基礎となっています。
それで庶民にとっての徳治主義をというのは、何か良い結果があれば、それはその人に徳があったからということになります。逆に悪い結果があれば、その人に徳がない、つまり、悪い人であるか、もしくはバカということになります。
この理屈をよく覚えておいてください。
騙す人と騙される人はどちらが悪いか
さて。
ここで問題です。
Aさんがいます。
このAさんが、騙されてBさんにお金を取られたとします。
このとき、AさんとBさんはどちらが悪いでしょうか?
普通の国ならBさんが悪い
普通の国ならノータイムで悪いのはBさんになります。
Bさんが騙しているからです。
事実と異なることを言って、誤解させてお金をせしめているからです。Bさんが嘘をついているから、Aさんは悪くないということです。
まぁ、場合によっては、「よくそんな嘘に騙されたな」ということもありますが、ほとんどの法治国家ではAさんに非は無く、Bさんの犯罪ということになります。
儒教の徳治主義に照らすとAさんが悪い
でも儒教ではそう簡単にはいきません。
「悪い結果があったのは、その人に徳がないから」
という原則があるからです。
この原則に照らすと、Aさんが悪くなります。
お金を騙し取られるという「悪い結果」が起きたのはAさんに徳が無いからです。
騙す人の論理
ではBさんの側で考えてみましょう。
Bさんは普通の国では問答無用で「悪い」のですが、儒教では「嘘をついた時点で悪」というわけではありません。
儒教では警察に捕まるなどしないと、「悪い結果」と受け取られません。
もしも、うまく逃げおうせたら、単に「BさんがAさんのお金を手に入れた」というBさんにとって「良い結果」だけとなり、なぜBさんがお金を手に入れることが出来たのかというと、それはBさんに徳があるからということになります。つまりBさんはうまくやった立派な人であり、徳のある正しい人となります。
無論、中韓以外の国では警察に捕まろうと捕まらなくとも嘘をついた時点で「悪人」なのですが、儒教ではこういった結論と成ります。バレなければOK。バレたらケンチャナヨ精神です。
参考:儒教には神がいない。だから嘘に罪悪感を抱かない。
https://nihonsinwa.com/page/881.html
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