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(回答先: チャンネル桜と正論が最凶の反日売国勢力だった _ 中国の脅威なんかどうでもいい小さな問題 投稿者 中川隆 日時 2020 年 10 月 14 日 12:39:23)
c house n人が反日になった理由
1.飢餓輸出させた
2.農民の土地を奪った
3.日本に連れてきてタダ同然で強制労働させた
4.c house n の財産をすべて奪った
5.c house n 女性を性奴隷にした
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c house n人が反日になった理由 1 _ 飢餓輸出させた
日本で米が足りなくなったのは日清戦争がきっかけでしたが、それが日露戦争のとき顕著になったと東京外語大の大月先生は語っていました。
それ以降は米不足が慢性的になり、1918年にはそれが頂点に達し「米騒動」が起き政権が揺らぎました。
この時、政府は次の三つの対策案を練りました。
1。タイなどから外地米を輸入する。
2。国内産の米を増産する。
3。chousenや台湾など植民地で米を増産する。
第1案のタイ米はパサパサしてまずく評判がさんざんで話になりませんでした。
私も数年前にはタイ米をけっこう食べましたが、カレーやチャーハンにでもしないとなかなか箸が進みませんでした。
第2案ですが、内地米の増産はその余地があまりなく効果は期待薄でした。
そこで結局、第3案の植民地での産米増殖計画が本格的に採用され、1920年から始まりました。
chousen総督府は巨費を投じ、ダムや灌漑設備をつくったり、輸送用の鉄道や港湾などインフラの整備を始めました。
また米の品種も、早神力など日本人好みのものを奨励し、あわせて化学肥料を勧めました。さらに栽培技術も「正条植え」による田植えなどを巡査を動員してまで指導しました。(早神力を番組では「わせしんりき」と発音していました)
こうした努力の結果が、chousenの食生活を少しでも豊かにしたのであれば、かの江藤元長官の問題発言「日本は植民地に少しは良いこともした」という考えをある程度私も認めたいところです。
しかし、事実は残念ながら忘暮楼さんの指摘通り、米の生産量は増えてもchousen人一人当たりの消費量は逆に減り、「飢餓輸出」の現実がchousen農民を苦しめました。
その実状を、番組は具体的にある農家の回想をとりあげ紹介していました。
秋に農民が米を70俵収穫しても、水利税や肥料代などもろもろ差し引かれ手元には15俵くらいしか残らないそうでした。
しかも、これはかなりましな方で日本人の金融組合などに借金のある人は高利のかたにお米をとられ、手元にはせいぜい2、3俵しか残らないそうでした。
これではとうてい食べていかれないので、農民は知恵を絞って米を土の中に埋めたり隠したりしたのですが、冷酷な借金取りもさるもの、針金で地面をつついてまでそれを見つけだし有無を言わせず持ち去ったとのことでした。
このように、c house n の農民を苦しめた「産米増殖計画」は勢い余って日本の農家をも苦しめました。
安くてしかも品質の向上した c house n米の大量導入は内地米の暴落を引き起こし、これに世界的な恐慌が重なり農村では深刻な「娘の身売り」や、はては新たな植民政策「満蒙開拓団」を生み出しました。
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