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菅首相。記者から、あらためて日本学術会議の新会員候補6人の任命を拒否した理由を問われる
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/536.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 10 月 23 日 19:58:14: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 日本学術会議の会員任命拒否 投稿者 中川隆 日時 2020 年 10 月 23 日 12:41:39)

21日、外遊先のインドネシア・ジャカルタで記者会見した菅首相。記者から、あらためて日本学術会議の新会員候補6人の任命を拒否した理由を問われると、こう言い放ったから驚いた。

「国の予算を投じる機関として国民に理解されることが大事だ。推薦された方々がそのまま任命されてきた前例を踏襲してよいのか考えた結果だ」

 オイオイ、ちょっと待て。最初に理由を問われた際には「総合的、俯瞰的に判断」と答えていたではないか。それが世論批判を受けて突然、「推薦リストを見ていない」と支離滅裂な言い訳を始めたかと思いきや、今度は「国民に理解されることが大事」だから理解不能だ。

 さらに、16日の日本学術会議の梶田会長との会談に触れた菅は「国民に理解されるように日本学術会議をよりよいものにしていこうと合意した」などと上から目線で開き直っていたが、一体どの口が言っているのか。

 問われているのは、日本学術会議の組織体制や学者の在り方ではない。理由も示さず、法律に反する形で任命を勝手に拒否した菅の認識、違法性だ。自分自身のデタラメを棚に上げ、さも学術会議側に問題があるかのよう論点をすり替える。これぞ自分の品性下劣を告白しているようなものだ。

 日本学術会議に対して、菅が言うように「理解していないぞ」と憤慨している一般国民はほとんどいない。むしろ、「国の予算を投じる機関として国民に理解されることが大事」と強く指摘されるべきは今の日本政府であり、菅自身だ。

政治評論家の森田実氏がこう言う。

「この1カ月間でハッキリしたことは、菅内閣は、やることなすこと全てが間違い。やはり、誤って誕生した内閣だということです。学術会議の問題は明らかに学問の自由を保障した憲法23条違反。この条文は戦前の学者弾圧などの反省を踏まえて規定されたものであり、任命拒否は許されるものではない。説明しないのは民主主義の否定です。」

菅は「諫言」が持つ言葉の意味を理解していない

 当たり前のことだが、日本学術会議では、それぞれの研究分野において優れた知見が認められた識者が会員に推薦、任命されてきた。繰り返すが、今回、その任命について理由も示さずに拒否したのは国民じゃない。菅自身だ。

「私が任命権者」とエラソーに言うのであれば、国民が納得する理由をきちんと説明すればいい。それなのに、俺が決めたのだから従えと言わんばかり。思想統制の意思剥き出しだ。任命を拒否した識者はもちろん、学術界に対する尊敬もない。「権力があれば何でもできる」と考えているパワハラ人物と同じで、勘違いにもホドがあるだろう。こんな自己中心的な考えを「政治家の覚悟」と称しているのだとすればマンガだ。

 菅は学術会議問題の“本質”を理解していない。「教養のレベルが露見」と発言した静岡県の川勝平太知事は、メディアに真意を問われた際、「私は(菅首相が)誤っていると思うので諫言した」と語っていたが、この意味すら分かっていないだろう。

 諫言とは、目上の人の過失を指摘、忠告することだ。唐の皇帝、太宗・李世民は政治を誤らないよう諫言する役目の人物を重用したというが、それは時の権力に忖度がはびこれば、いずれは国家の衰退につながると考えていたからだ。今の日本で言えば、政府に諫言する役割を担っている組織のひとつが日本学術会議であり、それが「右向け右」となれば国家が滅びるため、識者を含む多くの国民が強い危機感を持って反対の声を上げているのだ。  

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コメント
1. 中川隆[-10669] koaQ7Jey 2020年10月23日 20:54:37 : BRDLYly4u6 : eHhGNHZRMlFLc3M=[27] 報告
高橋洋一の話は詭弁、日本学術会議自体の問題と菅首相の日本学術会議の会員任命拒否の正当性とは全く違う問題です:
10月21日、外遊先のインドネシア・ジャカルタで記者会見した菅首相。記者から、あらためて日本学術会議の新会員候補6人の任命を拒否した理由を問われると、こう言い放ったから驚いた。

「国の予算を投じる機関として国民に理解されることが大事だ。推薦された方々がそのまま任命されてきた前例を踏襲してよいのか考えた結果だ」

 オイオイ、ちょっと待て。最初に理由を問われた際には「総合的、俯瞰的に判断」と答えていたではないか。それが世論批判を受けて突然、「推薦リストを見ていない」と支離滅裂な言い訳を始めたかと思いきや、今度は「国民に理解されることが大事」だから理解不能だ。

 さらに、16日の日本学術会議の梶田会長との会談に触れた菅は「国民に理解されるように日本学術会議をよりよいものにしていこうと合意した」などと上から目線で開き直っていたが、一体どの口が言っているのか。

 問われているのは、日本学術会議の組織体制や学者の在り方ではない。理由も示さず、法律に反する形で任命を勝手に拒否した菅の認識、違法性だ。自分自身のデタラメを棚に上げ、さも学術会議側に問題があるかのよう論点をすり替える。これぞ自分の品性下劣を告白しているようなものだ。

 日本学術会議に対して、菅が言うように「理解していないぞ」と憤慨している一般国民はほとんどいない。むしろ、「国の予算を投じる機関として国民に理解されることが大事」と強く指摘されるべきは今の日本政府であり、菅自身だ。

政治評論家の森田実氏がこう言う。

「この1カ月間でハッキリしたことは、菅内閣は、やることなすこと全てが間違い。やはり、誤って誕生した内閣だということです。学術会議の問題は明らかに学問の自由を保障した憲法23条違反。この条文は戦前の学者弾圧などの反省を踏まえて規定されたものであり、任命拒否は許されるものではない。説明しないのは民主主義の否定です。」

菅は「諫言」が持つ言葉の意味を理解していない

 当たり前のことだが、日本学術会議では、それぞれの研究分野において優れた知見が認められた識者が会員に推薦、任命されてきた。繰り返すが、今回、その任命について理由も示さずに拒否したのは国民じゃない。菅自身だ。

「私が任命権者」とエラソーに言うのであれば、国民が納得する理由をきちんと説明すればいい。それなのに、俺が決めたのだから従えと言わんばかり。思想統制の意思剥き出しだ。任命を拒否した識者はもちろん、学術界に対する尊敬もない。「権力があれば何でもできる」と考えているパワハラ人物と同じで、勘違いにもホドがあるだろう。こんな自己中心的な考えを「政治家の覚悟」と称しているのだとすればマンガだ。

 菅は学術会議問題の“本質”を理解していない。「教養のレベルが露見」と発言した静岡県の川勝平太知事は、メディアに真意を問われた際、「私は(菅首相が)誤っていると思うので諫言した」と語っていたが、この意味すら分かっていないだろう。

 諫言とは、目上の人の過失を指摘、忠告することだ。唐の皇帝、太宗・李世民は政治を誤らないよう諫言する役目の人物を重用したというが、それは時の権力に忖度がはびこれば、いずれは国家の衰退につながると考えていたからだ。今の日本で言えば、政府に諫言する役割を担っている組織のひとつが日本学術会議であり、それが「右向け右」となれば国家が滅びるため、識者を含む多くの国民が強い危機感を持って反対の声を上げているのだ。

2. 中川隆[-10619] koaQ7Jey 2020年10月25日 07:19:17 : maeqeulk3U : ai5wQnR4S0NjYVU=[7] 報告
チャンネル桜の話は詭弁、日本学術会議自体の問題と菅首相の日本学術会議の会員任命拒否の正当性とは全く違う問題です:
10月21日、外遊先のインドネシア・ジャカルタで記者会見した菅首相。記者から、あらためて日本学術会議の新会員候補6人の任命を拒否した理由を問われると、こう言い放ったから驚いた。
「国の予算を投じる機関として国民に理解されることが大事だ。推薦された方々がそのまま任命されてきた前例を踏襲してよいのか考えた結果だ」

 オイオイ、ちょっと待て。最初に理由を問われた際には「総合的、俯瞰的に判断」と答えていたではないか。それが世論批判を受けて突然、「推薦リストを見ていない」と支離滅裂な言い訳を始めたかと思いきや、今度は「国民に理解されることが大事」だから理解不能だ。

 さらに、16日の日本学術会議の梶田会長との会談に触れた菅は「国民に理解されるように日本学術会議をよりよいものにしていこうと合意した」などと上から目線で開き直っていたが、一体どの口が言っているのか。

 問われているのは、日本学術会議の組織体制や学者の在り方ではない。理由も示さず、法律に反する形で任命を勝手に拒否した菅の認識、違法性だ。自分自身のデタラメを棚に上げ、さも学術会議側に問題があるかのよう論点をすり替える。これぞ自分の品性下劣を告白しているようなものだ。

▲△▽▼

これが大学人のまっとうな見解 、チャンネル桜の話が詭弁だとわかります
日本学術会議問題について - 内田樹の研究室 2020-10-22


 日本学術会議の新会員任命拒否に対して、多くの学会が次々と抗議の声を上げ、政府と学術団体の対立は収束する気配がありません。 
 菅政権はなぜ発足早々にこのような政治的緊急性のない事案に手を出したのか。なぜ学術団体からの激しい反発を予測できなかったのか。単に「政治センスが悪い」というのも一つの解ですが、それよりは主観的には合理的な行動のつもりだったと考えたほうが引き出せる知見は多いと思います。
 菅政権が最優先する政治課題は「統治コストの最少化」です。どうやって統治コストを最少化するか。前政権の官房長官として首相が学んだのは、反対派の異論をすべて黙殺して、国民の間に政治に対する諦めと無力感を蔓延させるという手でした。
 安全保障関連法案でも、特定秘密保護法案でも、国民の過半数が「採決を急ぐべきではない」と意思表示する中、前政権は民意を無視して強行採決しました。選挙で勝った以上、全権は与党に託されたという理屈で譲歩を拒み、結果的に政権に批判的な国民の間に無力感と政治に対するあきらめを醸成することに成功した。
 反対派が無気力になり、政治活動をしても無駄だと思うようになれば、統治コストは最少化できます。菅政権は安倍政権で学んだその経験則を適用して、「反政府的な言説をなす者はいかなる公的支援も期待できない」ということを国民に叩き込んでやろうとして、日本学術会議の人事に手を突っ込んできた。すでに与党政治家、官僚、ジャーナリストは官邸に対する忠誠度によって「格付け」されるということに慣れ切っています。次は学者たちに同じルールを適用しようとした。どうせ無抵抗にこのルールを受け入れるだろうと思っていたからです。
 学者を黙らせることについては政府には成功体験の蓄積がありました。90年代以降、日本の大学人は教育行政に押し込まれて譲歩し続け、有効な反撃ができなかった。2014年の学校教育法の改正によって、大学教授会は権限のほとんどを奪われ、大学は学長が全権を掌握する株式会社的な組織に改編されたのですが、このときも大学人たちは組織的な抵抗ができませんでした。政権はこれを見て「学者というのは腰が弱いものだ」と思った。ですから、任命拒否も日本学術会議は無抵抗に受け入れると予測していた。
 しかし、このシナリオは学者たちの予想外にはげしい抵抗に遭遇して破綻ました。そればかりか『ネイチャー』や『サイエンス』のような海外の学術誌に報道され、世界の科学者は日本の新しい指導者は自由な学問研究を弾圧する反知性主義者らしいという印象を抱くに至った。これは国際社会における日本の知的・倫理的地位を一気に引き下げたという点で取返しのつかない失策でした。
 
 前政権で、国民が政治に無関心になると政権は安定するという教訓を学んだ新首相は、新政権では積極的に日本を「元気のない国」にする道を選びました。政界にも、官界にも、メディアにも、学界にも、どこにも権力に逆らうものがいない社会を作ろうとした。けれども、そのような社会は国力の衰微を代償にしてしか得られません。そして、日本学術会議への攻撃は「国力の向上よりも政権の安定を優先する」という判断が導いた結論でした。
「組織管理コストの最少化は《絶対善》であり、あらゆる目標に優先する」というのは現代日本を覆い尽くしている一種のカルトです。営利企業だけでなく、行政でも、医療でも、学校でも、その組織がいかなる「よきもの」を生み出すために創り出されたのかが忘れられ、代わりにその組織の管理コストをどうやって最少化するかが組織目的にすり替えられている。
「組織が当初の目的を見失って、組織防衛が自己目的化する」という倒錯はこれまでも官僚制ではよく観察されましたけれど、「組織が目的を見失って、管理コストの最少化が自己目的化する」という倒錯は私が知る限り歴史上はじめてのものです。バブル崩壊以後、新しい価値を生み出す力がなくなった組織はどこも「どうやって管理コストを削減するか」を考える部門が中枢を占めて、あらゆる政策決定を仕切るようになった。
 本来は話が反対なんです。どういう「よきもの」をこの世にもたらし来すためにこの組織は作られたのか、それが組織について考えるときの原点です。その次に、メンバーが路頭に迷わないようにどうやって組織を守るかを考える。そこからさまざまな創意工夫や冒険的なイノベーションが生まれる。でも、いまの日本の組織はどこも「管理コスト削減原理主義」という病に罹患しています。その結果、組織が負託された使命を果たせないほどに痩せ細ってしまった。あらゆる組織が上意下達の「効率的な」組織に改変され、メンバーはイエスマンであることを優先的に求められ、そうやって「暴君とイエスマン」だけで構成される組織ばかりになった。もちろん、そんな組織からは新しいものはもう何も生まれないし、そもそも存続することさえおぼつかない。

「日本学術会議のことなんか象牙の塔の問題だ」とメディアも市民も「対岸の火事」として眺めているようですが、いまの学者たちの抵抗は日本社会が「イエスマン以外には居場所がない」ものになってゆく流れに対するぎりぎりの防衛線です。これを座視していれば、遠からず日本は、上位者に対する忠誠度だけを「ものさし」にして全員が格付けされる「おべんちゃら社会」になり果てるでしょう。

 学者がエビデンスや論理を軽んじて、ときの政権におもねるような研究結果を出し始めたら、もう日本の学術は終わりです。それは単に象牙の塔の威信が失われるというだけでなく、日本発のあらゆる情報に対する国際的な信頼性が損なわれるということです。

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