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(回答先: 本多勝一は虐殺の証明をしようとした訳じゃないよ。 歴史学者じゃないんだからそんな事をやっても仕方ないだろ。 投稿者 中川隆 日時 2020 年 10 月 10 日 20:44:36)
通州事件は冀東政権による麻薬の密造・密輸によって悪化した中国の麻薬汚染に憤激した通州の市民が、保安隊反乱の混乱に乗じて日本の居留民及び c housen 人に報復した抗日事件
実際通州の反乱の過程はシンプルで、それほど書くことはない。これは7月29日当時旧冀東防共自治政府の拠点、通州で起こった偽軍(治安部隊)反日事件である。
日本側は、通州事件では合わせて235人が死亡したと公言している。その中には細川特務機関・日本車隊などの軍人も含まれていた。ではたとえ軍人が50人だけだったとしても死亡した残りの移民は200人にも満たず、また日本人もその中の半分は c housen 人が占めていると公言している。
では、日本人のうち通州で死亡した移民は実質たかだか数十人に過ぎないということになる。もし女性子どもを除けば人数はもっと少なくなる。こう見ると比較的大きな交通事故の死亡人数と変わらないではないだろうか。
それに対し旧日本軍は中国で起こした数十人規模が死亡する屠殺事件は千にとどまらない。もしこの規模の事件すらも日本の教科書が記載するというのなら、日本の学生のカバンは閉まらなくなってしまう恐れがある。
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「通州事件」とは、日本の傀儡政権であった「冀東防共自治政府」の保安隊が日本側に対して反乱を起こし、約200名の日本人居留民(ただし厳密には、このうち約半数は c housen 人)を虐殺した、 という事件です。この事件は、当時日本の「暴支膺懲」を煽り立てる絶好の材料とされ、今日でも「南京虐殺」の相殺材料であるかのように利用されることが珍しくありません。
今日の我々は、当時のような単純な「暴支膺懲」の視点ではなく、事件の背景や意味づけなど、多面的な視点から「事件」を見る必要があるでしょう。ここでは、「事件」に関連したいくつかの記述を紹介します。
*ネットでは、事件の「残虐性」のみをことさらに強調する発言が目立ちます。 事件が「残虐」であったことは事実ですが、私は、歴史学の視点からは、そのような見方は一面的なものであると考えます。 なおそういう方が、 「通州事件」をはるかに上回る規模の日本軍による虐殺事件、「平頂山事件」に言及することは、まずありません。
川合貞吉『或る革命家の回想』より
それから、話が七月に起きた中国人による日本人虐殺の通州事件に及ぶと、
「あれは君、支那民族の怒りの姿だよ、眠れる獅子が目を醒まして咆哮した姿だ。冀東地域へ入りこんでいる日本人に碌な奴はいない。 淫売、破落戸(ごろつき)、事件屋 ― そんな連中が兵隊の威力をかりて威張り散らし、 悪辣極まることをして土着民を絞り虐待しているんだ。そういう政策を押し進めている日本の民度の低さに罪があるんだ」
と、尾崎は悲しそうな顔をした。(P300)
なお尾崎は、のち「コミンテルンのスパイ」として処刑されたというイメージが強いのですが、この時期は著名なジャーナリストとして活躍しており、特に中国の内部情勢についての的確な分析には定評がありました。
当然ながら上のような見解が当時のメディアに発表されることはありませんでしたが、「暴支膺懲」ムードの日本の中で、知識人らしい冷静な見方を披歴したもの、と言えるかもしれません。
http://www.geocities.jp/yu77799/tuushuu/tuushuu1.html
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