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(回答先: 最新の核DNA解析で ・アイヌは縄文人の直系の子孫 投稿者 中川隆 日時 2020 年 9 月 19 日 08:18:57)
天皇家では平安時代まで百済語で話していた:
飛鳥〜平安時代頃、日本には各地域の方言の外に「宮廷語」があった。
『万葉集』『記紀』はこの「宮廷語」によって書かれ、作者は漢字を自在にあやつることができる宮廷の知識層、朝廷にかかわって働くエリートであった。
大和朝廷で働いていた人たちの生活の本拠地は「飛鳥」で、『続日本紀』『姓氏録』によれば、飛鳥地方の住民の80〜90%はxx人であったという
飛鳥地方を中心に活躍していた聖徳太子は蘇我氏(xx人―当時の実質天皇)の一族で、妻も蘇我氏の人である。
日本で最初に建てられた寺院「飛鳥寺」は蘇我氏の氏寺で創立者は蘇我馬子である。
明日香村にある日本最大級の横穴式古墳「石舞台古墳」の埋葬者は蘇我馬子ではないかとされている。有名な「高松塚古墳」は明日香村にあり、中に描かれた彩色壁画の婦人像の着衣は古代xx人の服装そのままである。
なぜ「飛鳥地方で使われていた言葉はxx語(主に百済語)であった」と言われているか、下記に列挙した研究者の言葉を見れば一層その信憑性に気づくのではないだろうか。
※「飛鳥における政治の実権は蘇我氏(xx人)の掌中にあった。このころの天皇とは蘇我氏のことである。」 (亀井勝一郎他)
※「飛鳥王朝と百済王朝は親戚関係にあり、天皇の側近は百済の学者であ
った。宮中では百済語が使われていた。古事記・日本書紀は百済の学者により吏読表記(百済の万葉仮名)で書かれている。
(金容雲 日韓文化交流会議の韓国側代表)
※ 日本書紀は百済人を主軸にして書かれ、天皇・藤原氏(百済人)の都合がいいように整理されている。 (上田正昭らの対談集)
※ 飛鳥の朝廷を調べると、いたるところに百済人だらけである。常識的に言って、百済語が公用語だったとしか考えられない。(佐々克明)
※ 平安時代までの日本文化は外国のもの。日本の王朝文化は百済と同じ。
(司馬遼太郎・丸谷才一 他)
※ 半島からのエリート集団の集中的移住が宮廷文学を開花させた。
(国弘三恵)
※ 唐への留学僧は百済人であった。当時の僧侶の言葉は百済語であった。
(金達寿 司馬遼太郎 上田正昭らとの対談集)
司馬遼太郎は「平安時代までの日本の文化は外国のもの、日本らしくなったのは鎌倉時代になってから」と述べている。
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