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(回答先: 昔から米軍は沖縄から撤退したかったが、昭和天皇が金ならいくらでも出すから見捨てないでくれと泣いて縋ったので撤退できなく… 投稿者 中川隆 日時 2020 年 8 月 20 日 14:40:10)
日本人を捨てて逃げた皇軍 終戦後 満州・朝鮮での「接待」とは
満州からの帰国者は被害者なのに加害者扱いされた
最近第二次大戦終了後の満州などで行われた「接待」が問題視されています。
この問題が特異なのは事件が1945年8月15日つまり終戦後に発生し、被害者の日本人は「加害者」に仕立て上げられた点です。
順に説明すると1945年8月、敗戦を確信した関東軍(日本陸軍の満州駐留軍)は大本営の指示を受け密かに全軍を南朝鮮に移動させた。
8月9日にソ連軍は満州に侵攻したが、本格戦闘には至らず「日本軍が下がった分だけソ連軍が前進」する戦略を取った。
極東のソ連軍は弱く、満州の日本軍が本気を出せばまだまだ強敵なので、日本軍が下がるのを待ったのでした。
8月9日に関東軍は満州脱出を開始したが、「我々はソ連軍と最後の決戦に向かう」と日本人をだまして夜逃げしました。
満州国の首都新京では数十万人の日本人居留民が日の丸の旗を振って送り出したが、実は朝鮮半島まで我先に脱走したのでした。
騙された日本人居留民100万人は押し寄せる中国人やソ連兵におそわれ、30万人から50万人が現地でなくなりました。
この時残された日本人居留民は中国人やソ連兵に命乞いするために、自分の娘を差し出して「接待」をさせました。
ソ連兵に日本人の女を差し出した
ソ連兵の規律は悪く、居留民の全てを奪ったので、カメラを没収され終戦後の満州の写真も残されていません。
それでも大勢が集まっていた新京では居留民が協力して大きな被害はなかったが、農村や朝鮮半島北部は深刻でした。
関東軍は黙って逃げ去ったので日本人はどうしたら良いか分からず、38度線まで逃げれば良いのに途中でとどまった人が多かった。
38度線の南側はまだ日本軍が駐留し規律が守られていたが、北側は無政府状態になった。
やはりソ連兵に命乞いをするため、避難民の中の年頃の娘を差し出しました。
また朝鮮人もソ連兵の気に入られようと、日本人をおそって金品を奪って差し出したり、娘をさらってソ連兵に差し出したりした。
そうしてソ連のお気に入りになった人間が後に北朝鮮で要職を占めることになった。
命からがら日本まで逃げ帰った人々は、戦後GHQの方針で「侵略者」と定義され加害者扱いされることになった。
このように接待をやらされた人や日本人居留民たちは、被害者であるにもかかわらず加害者のレッテルを貼られることになった
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