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(回答先: 旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 投稿者 中川隆 日時 2020 年 8 月 16 日 04:50:28)
花岡事件は捕虜も一部含む中国人徴用工の強制労働ですね。待遇はxx人でも中国人でも全く変わりません:
日中戦争の長期化と太平洋戦争の開始にともない、日本国内の労働力不足は深刻化し、政府は産業界の要請を受け、1942年(昭和17年)11月27日に「国民動員計画」の「重筋労働部門」の労働力として中国人を内地移入させることを定めた「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定した[2]。試験移入を行なった後、「一九四四年国家動員計画需要数」に捕虜を含む中国人労務者3万人の動員計画が盛り込まれた。
鉱山労働力が不足した戦争末期には、花岡川の改修工事などを請負った鹿島組により1944年7月以降に現地移入した中国人は986人に上り、1945年6月までにうち137人が死亡した。
損害賠償訴訟とその後
1985年8月、当時、蜂起を指導した事件の首謀者である耿諄は、外信を紹介する『参考消息』で、花岡事件40周年の慰霊祭が行われたことを知った。その後耿は来日したが、当時の鹿島組(現鹿島建設)が「一切の責任はない、中国労工は募集によって来た契約労働者である、賃金は毎月支給した、遺族に救済金も出している、国際BC級裁判は間違った裁判である」と主張していることを知り、鹿島と再び闘う意志を持った。1989年、耿は公開書簡として、鹿島に以下の要求を行った。
・鹿島が心から謝罪すること
・鹿島が大館と北京に「花岡殉難烈士記念館」を設立し、後世の教育施設とすること
・受難者に対するしかるべき賠償をすること
1990年1月より、新美隆、田中宏、華僑の林伯耀を代理人として、鹿島との交渉が始まった。7月5日の共同発表[5]では、鹿島が花岡事件は強制連行・労働に起因する歴史的事実として認め、「企業としても責任が有ると認識し、当該中国人生存者及びその遺族に対して深甚な謝罪の意を表明する」と明記された。
- 日本は経済援助しただけで賠償はしていないよ 中川隆 2020/11/30 21:52:51
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- Re: 花岡事件は捕虜も一部含む中国人徴用工の強制労働ですね。待遇はxx人でも中国人でも全く変わりません 中川隆 2020/8/16 05:49:38
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