❹ 米議会委員会 による調査活動 とRF 1951年2月,マ ッカ ラ ン(Pat McCarran)上 院 議 員 を委 員 長 とす る上 院司法 委員会国 内安 全保障小委員 会(通 称 マ ッカラ ン委員会)の 調査員 がマ サチ ューセ ッツ州 リーに あ るカー ターの私 邸内 に保管 されて いたIPR関係書 類を捜査礼状 な しに押収 した。 同委員会 は入念 な分析 作業 を経 た後, 5ヶ 月後の7月 にIPRを 調査対 象 とす る聴 聞会を開催 す るに至 った41)。 マッカラン委員会の活動に対しては,ウ ィリッツが 「我々が召喚される か否か はまだ明 らかで はない......必要が生 じた ときのため に書類 を準 備 し てお くべ きであろう」 と述べるなど,RF関 係者 は当初か ら重大な関心を 抱 いて見守 った42)。 この予想通 り,9月 にはマ ッカラン上院議員か らRF理事長宛 にIPRに 対す る助成 の記録 の送 付を要求 す る書簡 が届 き,RFは この要 請 に即座 に応 じてい る43)。 以 後 も聴聞会 の進行 に合 わせて社会科学部は証言 録 を逐次 入手 し,RFが 言及 された箇所 を検討 す る作業を行 った。 ウィリッツらの懸念にも拘らず,結 局RF関 係者はマッカラン委員会の 聴聞会 に召喚 され ることはなか った。 また聴 聞会終了後上院 に提 出 した報 告書において,同 委員会はIPRを 「アメ リカの極東政策を共産主義的 目 的に導いた媒体機関」と糾弾する一方,IPR指 導部は 「IPRの助成者と援 助者に対して,組 織の真の性格や活動内容に関して欺く努力を行なってき た」 と述べるに留まった44)。 しか し1952年 か ら1953年 にかけて免税権を有 する財団を初めとする非営利団体の活動内容を調査するため設立 された二 つの下院特 別委員会 が活動 を開始 す ると,RF関 係者 は聴 聞会へ喚 問 されるな ど直接対応 を迫 られ る ことにな った。 1952年4月 に活動 を開始 した カ ックス(Eugene E. Cox)下 院議 員を委員長とする 「財団および同種の組織を調査する特別委員会」(通称カックス 委員会)は,教 育及 び篤志事 業に従事す る財団 がその資金を 「合衆国 の利 益 や伝統 に反 す る非米的か つ体制転覆的 な活動」 に使用 して いるか否 かを 調査 す る目的で設立 され た,同 委員会 の聴 聞会で はRF幹 部3人 が証言 を 行な ってい る。 12月9日 の聴 聞会 で は,RF前 理事長 バ ーナー ド(Chester I.Bamard) とロックフェラー三世 の二 人が証言 を行 な った。 この証言 の中でバーナー ドは,助 成活動 とアカデ ミック ・フ リー ダム(学 問の 自由)と の関係 につ いて コメ ン トし,RFは 被助成 者の政治 的信条 を助成認可 の判断基準 に し たことはなく,研 究者が自己の見解を表明する自由は尊重してきた点を強 調した。 他方,彼 はアメリカ社会は 「安全保障」の問題に直面していると 述べ,共 産主義が イデ オロギー的 に民主 主義国家 を破壊 しよ うという陰謀 を企てる限り,ア カデミック・フリーダムと安全保障の 「妥協点」を見出すべ きで ある との見解 を示 した。 続 いて証言 したロ ックフェラー三世 は, 「祖父である創設者が意図 した通 りRFは 助成活動を遂行 して きたといえるか」 という委員会の質問に答えて,RFの 社会科学のプログラムは異な る専門分野 を持つ 優秀 な一群 の人 々によって運営 され,ま た時勢 に合致 す るように工夫がなされて きたと述べた。 そ してロックフェラー三世 は, RFは 「資本主義体制を転覆する意図を持 ったプロジェク トや人々に対 し て援助したという懸念をかって抱いたことがあるか」という質問に対 して はきっぱりとこれを否定 した45)。 この二人の証言者にもましてRFの 立場を力説 したのは,当 時RF理 事 長に就任 したばか りのラスクであった。 ラスクは,戦 時中IPRは 政府機 関にアジア情勢に関する情報や知識を供給 しその研究 ・出版物の大部分に つ いては何 ら疑問が持 たれていな いこ と,ま た 「判断及 び客観性」 の点で 疑問が持たれたスタ ッフはすでにIPRか ら去 り,RFは 現執行部の下で IPRが 「公共 の利益」 に奉仕出来 る と考 えて いる と述べ,1946年 以降 の助 成の経緯を詳しく説明した。 またラスクは,マ ッカラン委員会の聴聞会で IPR関 係者数名が共産党 との関係について証言を拒んだ点 に触れ,「 後の 調査活動 によ って齎 されたIPRに 関 す る情報 をRFが 助成決定 の時点 で有していたならばIPRに 対 して重大な嫌疑を抱いたであろうし,疑 問に満 足のいく形で答え られなか った場合は助成の停止 も有 り得たであろう」と 述べ,今 後とも議会委員会の調査に注意を払っていく意向を示した46)。 このよ うに上述 のRF幹 部三名 は カ ックス委 員会の活動 に対 して協 調的 な姿勢 を示 した といえ るが,元 理事 長 フォスデ ィックの場合 は声 明文を通 して同委員会の活動を批判した点が注目される。 フォスディックは,財 団 がかって助成した少数の団体や個人が 「共産主義的」という嫌疑を受けているか らといって財団の活動の意義が疑問視され るべきではないと主張 し た。 さらに 「忠誠」を 「コンフォー ミティ」と同一視する傾向がアメリカ社会に深く根付いているが故に慣習的解釈とは異なる見解に 「共産主義的」 というラベルを貼る誘惑に対して抵抗しなければならないと述べ,多 様な見解を受 け入れ る余裕 こそアメリカの伝統であることを強調 した。 そして 彼は声明文の結びで,従 来財団は保守的な人々の手中にあるという非難を 浴びてきた点に触れつつ,急 進主義の促進という反対方向からの非難が自 分 の存命中 に出され るとは予想 しなか った と述べ て抗議 した47)。 約半年 余 りの調査 活動 を経 た後,カ ックス委員会 は1953年1月 に下 院に報告書を提出した。その中で同委員会は 「財団はアメリカ的生活の重要な 一機関」として多様な領域で重要な貢献を果たしており,文 明社会における価値を十分に証明 してきたと述べた。他方,「 共産主義者及びその同調者と組織への助成」 という問題に関 しては,そ の 「不幸な事例」の一つと して フィール ドに言及 し,「共産主義者が財団から助成金の獲得に成功 し た点は結論として受け入れられる」とした。 しかし同報告書は,そ のよう な助成 は現在 とは異 なる政 治状 況下で行 われ,財 団の助成 金の総額 に比 して 「驚 くほど小 額」で ある とい う見解を示 した48)。 このようにカックス委員会の報告書はRFに とって穏当な内容 を持つものとな った。 しか し,委 員会 のメ ンバ ーの一人で あ った リー ス(Carroll B. Reece)は 更 な る調 査活動 の必要性 を訴 え,1953年5月 に彼を委員長 とす る新 たな下 院特別委員 会(通 称 リース委員 会)が 創設 された。 リース は共 和党全国委員長を務めた経験を有する名うての反共主義者であり,こ の委 員会 の活動 は当初 よ り保守的 な性格 を有す ることが予想 された。 実際 リー ス委員会は,聴 聞会を数回開催した後,財 団関係者を喚問することなしに7月 に突然聴聞会 の終了 を宣言 す るなど,財 団 を敵対視す る姿勢 を取っ た。 これに対 し,RFは リース委員会に声明文を送付 して自らの立場を明ら かにした。理事長ラスクの名で出された声明文は,冒 頭で聴聞会の場で財団の主張を述べる機会が与えられなかったことに遺憾の意を表 した。 そ し て,RFの 理事及び職員の 「高潔さ,愛 国主義,責 任感,公 共の利益に対する献身」は疑う余地がないことを強調し,聴 聞会で挙げられた財団に対 する個々の批判に対 して詳細な反駁を加えた。 特に助成者の表した見解に対 して財団 自身 が責 任 を負 うべ きという批判 に対 しては,以 下の ように反 論した。 即ち,財 団が助成者の研究に対して規制を課すことは自由な思考 を疎外す ると同時に財団 の側 か ら人間の知識 の全領域 において一種の 「公的教 義」を確立 す るこ とを意味 し,RFは そのよ うな役割 を果 たす意図 も 能力も持ち合わせていないと述べた。 また財団が 「非米的かつ体制転覆的 な活動」を促進しているという非難に対しては,共 産主義者に対して助成 は行なわないと宣言する一方,RFは 「ノンコンフォー ミス ト」の見解は 人間の知識 の進歩 にとって重要 であ るが故 に奨励 して きた こと,さ らに一 般の市民組織が 「体制転覆的」の意味を自己定義しつつ他の市民に接する ことは相互 信頼を柱 とす る民主主義社 会の維持 に とって脅威 になると述べ て反論した。 そしてIPRへ の助成については,そ の大部分はIPRに 対す る嫌疑が浮上す る前 になされた ものであ るこ とを指摘 し,1950年 の緊急助 成も慎重な審査を経た後になされたものであると述べ,マ ッカラン委員会 が主張する 「IPRの体制転覆的な性格は完全に証明された」という見解に RFは 与 しない と言明 した49)。 予想 され たことなが ら,リ ース委員会 の報告書 はRFを 含 む主要財団 を 厳しく批判する内容となった。同報告書は,財 団が社会科学及び教育の分 野で行使 す る影響 は巨大 であ り,特 に一握 りの財 団間の連携 は 「知的 カル テル」を形成し,社 会科学研究に対して 「事実上のコントロール」を及ぼしていると断定 した。 そ して財団が推進する社会科学研究は左翼の見解を 支持する「顕著な傾向」が見られ,特 に国際関係の領域で財団は「国際主義」を標榜してアメリカのナショナリズムの価値を既める一方,国 際問題 に対 しては 「左翼的アプローチ」を取 る傾向があり,「体制転覆的な」思想や概念の伝播に尽力 したと非難 した。 またIPRへ の長年 に渡 る助成に 関しては,マ ッカラン委員会の結論を踏襲しつつ 「財団の怠慢の最も悲劇 的な例」と呼んで糾弾した。 具体的には 「プロパガンダ組織」であるIPR に対 してコールバーグの告発以後 も助成を続けたことは,RFが 「十分な 警戒 を行 なわず事実 に直面す る こともなか った」 ことを示 してい ると叱責し,先 の声明文におけるRFの 説明を 「不充分なもの」として斥けた50)。 このリース委員会の活動に対して,ラ スク理事長はRF年 報の中で 「告 発 を目的 とす る調査 は議会 の調査活 動の適切 な役割 を超え,被 調 査者の権 利や特権を侵害す るものである」 と述べて批判 した51)。 他方,ラ スクの IPR観 が この間微妙に変化をみせて きている点 は注 目される。 ラスクは 1950年 の緊急助成決 定直前 に当時 のRF理 事長 バ ーナー ドに宛 てた書 簡の 中で,IPRは 過 去25年 間,太 平洋諸国 間の理解 と友好 の促進 に 「際立 った 貢献」を行ない,「IPRは その地位を回復する機会を与え られ,こ の困難な時期に特別の同情を受けるに値する」 と述べて助成認可を支持 した52)。 と ころが カ ックス委員会 での証言(1952年12月)を 経 た後,IPR支 持 者 と の通信の中では 「IPRが 置かれている状況はRFに とって厄介なもの」で あ り,RFの 立場 に関 して は同委員 会の聴 聞会 におけ る自分 の証言 を読んで欲 しいと述 べて い る53)。 そ して1953年5月 にカナ ダ国 際問題協 会(IPR カナダ支部)の 委員長と会見した際,ラ スクは 「現在の政治的雰囲気」の下,IPRは 極東地域の政治的問題に関する公衆の理解の促進に 「建設的な 貢献」 を行なうことはできないし,ま たIPRに よる研究は 「現時点では 政治的価値 が疑わ しい」 と述べ,IPRの 活動 の有効性 に関 して否 定的見解 を表明す るに至っ た54)。 重要なことは,こ のような見解は同じ頃,他 のRF幹 部の間でも共有さ れ るよ うにな って いた点 である。 1953年2月,ホ ラ ン ドは解 散 も視野 に入 れた上で今後の組織のあり方を検討する委員会を創設 し,RF関 係者によ るこの委 員会へ の参加 及 び運営費 用の援助 を請 うが55),こ の要請 に対 して ウ ィ リッツとエ ヴ ァンズは,RFは その よ うな委員 会へ の参加 は控え るべ きであるという点で意見が一致 し,「同情 しつつ も要請には応えないという態度」を取った56)。 また,同 年10月のロックフェラー三世とウィリッツ, エヴ ァンズとの会合で この三 名 は,「 現在 の状況 で は米 国IPRは 徐 々に衰退す る道を歩むべきであり,RF関 係者は直接的にせよ間接的にせよ関わることな く,自 然の成 り行 きに任す べ きであ る」 ことで合意 をみた57)。 このよ うなRFのIPR観 の変化 に関 して,米 国IPRは1954年 の メモ ラ ン ダムにおいて次 のよ うな興味深 い見解 を示 した。 ローズヴェル ト及び トルーマン政権の極東政策に関する調査と攻撃...... 一部 の上院議員 に よる最近 の党派的攻撃,そ してカ ックス及び リース委 員会 による財 団 自体 に対 す る調査,こ れ らすべ ては,財 団の職員や理事 達が アメ リカの ア ジアにおけ る政策 に影響す る論争 的問題 に関す る広範 な議論を惹起する組織やプログラムを援助することに対 して,決 定的に抑制す る効 果を もた らした58)。 このメモランダムの発表以降 も,ホ ランドを中心 とするIPR執 行部は 組織改革を巡 る動向を社会科学部に報告し,RFと の接触は引き続き行な われ た。 しか し,1961年 に財政 難の 中で国際/米国IPRが つ いに解散 に追 いこまれるまで,RFはIPRに 対 して再び援助の手を差 し伸べることはなかった。
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