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米国の手先として中国との戦争を想定、ミサイルを向ける準備を進めている日本
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2022.06.10 櫻井ジャーナル
アメリカ海軍の空母「ロナルド・レーガン」を中心とする艦隊演習が6月2日から4日まで沖縄沖で実施された。アメリカの空母が参加する演習は2017年11月以来だという。その前、5月下旬にジョー・バイデン米大統領は韓国と日本を訪問、23日には岸田文雄首相と会談し、台湾を中国軍が攻撃した場合には軍事介入すると発言、リチャード・ニクソン大統領が1972年2月に中国を訪問して始まった両国の国交正常化を否定したと話題になった。
6月5日に朝鮮は8機の短距離弾道ミサイルを発射、アメリカと韓国は6日に同じ数の弾道ミサイルを発射。ウェンディ・シャーマン国務副長官が韓国を訪問した7日にアメリカのF-16戦闘機4機とF-35戦闘機を含む韓国の16機が韓国の東方海上で威嚇飛行、同時にアメリカのF-16戦闘機2機と自衛隊のF-15戦闘機4機が朝鮮半島と日本の間を飛行した。
そうした中、岸田文雄首相は6月29日から30日にかけてスペインで開かれるNATO(北大西洋条約機構)の会議に出席する予定。ウクライナや台湾の情勢に対応するため、アメリカやヨーロッパとの連携を強めることが目的だとしている。
アメリカはユーラシア大陸の東岸部に中国包囲網を形成しようとしているが、安定して協力的な国は日本だけだろう。2021年9月にアメリカはアングロ・サクソン系のオーストラリアやイギリスと「AUKUS」なる新たな軍事同盟を創設したと発表している。ロシア国家安全保障会議のニコライ・パトロシェフ議長はAUKUSについて中国やロシアを仮想敵とする「アジアのNATO」だと指摘していたが、その通りだろう。それでもオーストラリアが中国と訣別できる可能性は小さい。
NATOは1949年4月に創設された。参加国はアメリカとカナダの北米2カ国に加え、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルクの欧州10カ国だ。
ソ連軍の侵攻に備えるという名目だったが、実際はヨーロッパ支配の仕掛けである。第2次世界大戦が終わった直後、ソ連はドイツとの戦いで大きな損害を受け、軍事侵攻できるような状態ではなかった。
ドイツ軍がソ連への軍事侵攻を始めたのは1941年6月のこと。「バルバロッサ作戦」だ。この作戦で東へ向かったドイツ兵は約300万人、西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人と言われている。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、アドルフ・ヒトラーがそれを退けたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)
当初、ドイツだけでなくイギリスも短期間でソ連は壊滅すると考えていたが、モスクワでの戦いでドイツ軍が敗北すると流れは大きく変化した。1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まるが、11月になるとソ連軍の反撃でドイツ軍25万人は完全包囲され、43年1月に生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏する。
この段階までアメリカやイギリスはドイツとソ連との戦争を傍観していた。アメリカのルーズベルト大統領はソ連に対して信教の自由を要求、それを受け入れれば助けると伝えていたというが、イギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連を敵視、敗北を願っていた。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)
この段階でドイツの敗北は決定的。そこで慌てたのがイギリスとアメリカ。両国は1943年5月にワシントンDCで会談、7月にアメリカ軍とイギリス軍はシチリア島に上陸した。ハスキー計画だ。ドイツ軍の主力は東部戦線で壊滅していたわけで、難しい作戦ではなかった。ハリウッド映画が作り出したイメージが刷り込まれている人びとはアメリカ軍がドイツ軍を敗北させたと信じているようだが、事実は違った。ロシアが隣国にナチズムの体制ができることを容認できないのはそのためだ。
ドイツの敗北が決定的になると、ナチスの幹部はアレン・ダレスなどアメリカやイギリスの大物に接触、ナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、雇用する作戦を開始する。
1945年4月に反ファシストのフランク・ルーズベルト大統領が急死、ニューディール派の力は弱まる。5月にドイツが降伏すると、チャーチルはソ連に対する奇襲攻撃を考え、軍事作戦を作成させた。
そしてできたのが「アンシンカブル作戦」。1945年7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めるという内容だったが、参謀本部が拒否し、実行されなかったという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000など)
こうした軍事作戦が放棄された別の理由もある。1945年7月16日にアメリカのニューメキシコ州にあるトリニティ実験場でプルトニウム原爆の爆発実験を行い、成功。この後、核兵器の時代に入る。
トリニティでの実験成功を受けてハリー・トルーマン大統領は原子爆弾の投下を7月24日に許可、26日にアメリカ、イギリス、中国はポツダム宣言を発表した。そして8月6日に広島へウラン型爆弾が投下され、その3日後に長崎へプルトニウム型爆弾が落とされている。
しかし、マンハッタン計画と統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将は1944年、同計画に参加していたポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、その計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)
少なくともアメリカやイギリスの一部支配層はナチスと緊密な関係にあった。その人脈が存在しているため、アメリカの司法省やCIAは大戦後にナチスの元幹部や元協力者を助け、その後継者を育成してきたのである。ウクライナのネオ・ナチもその一部だ。
本ブログでは繰り返し書いているように、この人脈はヨーロッパ各国を支配するため、秘密部隊を編成した。NATOが組織されると、その中に潜り込んでいる。その人脈はコミュニストだけでなく、大戦中、レジスタンスに加わっていたシャルル・ド・ゴールも敵視していた。この秘密部隊はフランスで1947年の7月末か8月上旬には実行に移す予定で、ド・ゴールの暗殺も目論んでいたとされている。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005)
このクーデター計画は露見、首謀者としてアール・エドム・ド・ブルパンが逮捕された。フランス北部に彼の城では重火器、戦闘指令書、作戦計画書などが発見されたが、そのシナリオによると、まず政治的な緊張を高めるために左翼を装って「テロ」を実行し、クーデターを実行しやすい環境を作り出すことになっていた。イタリアの「緊張戦略」と基本的に同じである。
1961年にはOAS(秘密軍事機構)が組織された。その背後にはフランスの情報機関SDECE(防諜外国資料局)や第11ショック・パラシュート大隊がいて、その後ろにはイギリスやアメリカの情報機関が存在していた。
OASはその年の4月12日にスペインのマドリッドで秘密会議を開き、アルジェリアでのクーデター計画について討議している。会議にはCIAの人間も参加していた。
その計画では、アルジェリアの主要都市の支配を宣言した後でパリを制圧するというもので、計画の中心には直前まで中央欧州連合軍司令官(CINCENT)を務めていたモーリス・シャレをはじめとする4名の将軍がいて、1961年4月22日にクーデターは実行に移される。それに対し、アメリカ大統領だったジョン・F・ケネディはジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じている。CIAやアメリカ軍の好戦派は驚愕したとみられている。結局、クーデターは4日間で崩壊してしまう。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)
フランスのクーデターを失敗させたとも言えるケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。その葬儀にド・ゴール自身も出席している。帰国したフランス大統領は情報大臣だったアラン・ペールフィットに対し、ケネディに起こったことは自分に起こりかけたことだと語ったという。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)
ケネディ大統領が暗殺されてから3年後にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出し、SHAPEはベルギーのモンス近郊へ移動する。
しかし、ド・ゴールは1968年5月の「五月革命」で追い詰められ、翌年に辞任。後任大統領のジョルジュ・ポンピドゥーはアメリカとの関係強化を推進、SDECEの局長に親米派のアレクサンドル・ド・マレンシェを据えた。この新局長はポンピドゥーの命令に従い、アメリカとの関係強化に邪魔だと見なされるメンバー815名を解雇する。
アメリカがヨーロッパを支配する仕掛けであるNATOをユーラシア大陸の反対側まで拡大させる意味は言うまでもなく、大陸の東部を支配することが目的である。それはその地域にアメリカに従属する国が少ないということでもあるだろう。
インド洋から太平洋にかけての地域でアメリカが最も期待をかけている国は日本だ。アメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が2019年に出した報告書には、地政学的な争いの中でアメリカが行いうる手段として、ウクライナの武装強化、シリアのジハード傭兵への支援強化、ベラルーシの体制転覆、アルメニアとアゼルバイジャン(南カフカス)の緊張激化などが掲げられている。実際、行った。
そして今年、RANDコーポレーションはアメリカのGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する戦略について分析している。ロシアに対して行っているようなことを中国に対しても行おうというわけだが、中国との関係を無視してアメリカの命令に従う国は日本しかないと考えているようだ。
しかし、日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約がある。そこでGBIRMを配備することは難しい。そこでASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備に協力するという案を提示している。
また、ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、ロナルド・レーガン政権の内部には日本の核兵器開発を後押しする勢力が存在し、東京電力福島第1原子力発電所で炉心が溶融する事故が起こった2011年の段階で約70トンの核兵器級プルトニウムを日本は蓄積していたという。(Joseph Trento, “United States Circumvented Laws To Help Japan Accumulate Tons of Plutonium”)
そのアメリカの勢力はCIAやNSAも黙らせることができる力があるのだが、1987年に議会がCRBR(クリンチ・リバー増殖炉)計画の予算を打ち切ってしまう。そこでその技術を格安の値段で日本の電力会社へ売ることにしたというのだ。そして兵器級のプルトニウムが生産された。
勿論、核兵器は弾頭だけでは役に立たない。運搬手段が必要だ。日本が開発していた「月探査機」のLUNAR-Aと探査機打ち上げに使われる予定だったM-Vがそれだと考える人もいた。月を周回する軌道に入った段階で母船から観測器を搭載した2機のペネトレーターを発射、地中約2メートルの深さまで潜り込ませることになっていたが、これは「MARV(機動式弾頭)」の技術そのもので、弾道ミサイルへ直接応用できる。こうした懸念が高まる中、2007年1月に計画は中止になったとされているが、どこかで生きている可能性もある。
自衛隊は2016年に与那国島、奄美大島、宮古島に施設を建設、23年には石垣島にも建設する予定だ。そこにミサイルを配備すれば、台湾海峡、東シナ海、そして中国の一部海岸をカバーできる。こうした島々は攻撃用のミサイル基地になるとも言えるだろう。
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