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ウクライナで追い詰められたネオ・ナチがジハード傭兵と連携する必然性
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202205250000/
2022.05.25 櫻井ジャーナル
アメリカのロイド・オースチン国防長官は5月13日にロシアのセルゲイ・ショイグ国防大臣に電話し、ウクライナの即時停戦を求めたと伝えられている。両者の会話は2月18日以来だ。
住民を人質にしてマリウポリのアゾフスタル製鉄所に立てこもっていたウクライナ内務省の親衛隊などの兵士が降伏したのは5月16日。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は「撤退」と強弁しているが、降伏としか言いようがない。人質がいなければ4月中旬には決着がついていたはずだ。
アゾフスタル製鉄所に立てこもっていた配下の戦闘員が降伏することを知ったジョー・バイデン政権がオースチン長官に電話させ、「停戦交渉」を演出して敗北のイメージを弱めたかったのだろう。「お人好し」と揶揄されているウラジミル・プーチン政権だが、さすがにオースチンの要求は呑まなかった。
その前から人質になっていた住民がアゾフスタル製鉄所から脱出。そのひとりであるナタリア・ウスマノバの証言をシュピーゲル誌は3分間の映像付きで5月2日に伝えたが、すぐに削除してしまった。親衛隊の残虐な行為を告発、ロシアへ避難し、戻る場所はドネツクしかないとし、ウクライナを拒否する発言が含まれていたからだ。
シュピーゲル誌はこの映像をロイターから入手したとしているが、ロイターが流した映像は編集で1分間に短縮され、アメリカのジョー・バイデン政権やウクライナのゼレンスキー政権にとって都合の悪い部分が削除されていた。
親衛隊に占領されていた地域から脱出した住民はウスマノバと同じように親衛隊の残虐な行為を非難、ウクライナ軍の兵士も親衛隊を批判していた。こうした事実は本ブログでも繰り返し書いてきた通りだ。
すでに脱出した市民がマリウポリにおけるアゾフ大隊の残虐行為を証言、映像をツイッターに載せていた人もいた。その人のアカウントをツイッターは削除したが、一部の映像はインターネット上にまだ残っている。
その後も脱出した市民の声が伝えられている。現地で取材していいる記者がいるからで、その中にはフランスの有力メディアTF1やRFIのほか、ロシアやイタリア人の記者もいたという。
マリウポリにある産婦人科病院を3月9日に破壊したのはロシア軍だという話を西側の有力メディアは広げていたが、そうした「報道」でアイコン的に使われたマリアナ・ビシェイエルスカヤはその後、報道の裏側について語っている。
彼女は3月6日、市内で最も近代的な産婦人科病院へ入院したが、間もなくウクライナ軍が病院を完全に占拠、患者やスタッフは追い出されてしまう。彼女は近くの小さな産院へ移動した。最初に病院には大きな太陽パネルが設置され、電気を使うことができたので、それが目的だろうと彼女は推測している。
そして9日に大きな爆発が2度あり、爆風で彼女も怪我をした。2度目の爆発があった後、地下室へ避難するが、その時にヘルメットを被った兵士のような人物が近づいてきた。のちにAPの記者だとわかる。そこから記者は彼女に密着して撮影を始めた。彼女は「何が起こったのかわからない」が、「空爆はなかった」と話したという。
病院についてはオンライン新聞の「レンタ・ル」もマリウポリから脱出した別の人物から同じ証言を得ている。その記事が掲載されたのは現地時間で3月8日午前0時1分。マリウポリからの避難民を取材したのだが、その避難民によると、2月28日に制服を着た兵士が問題の産婦人科病院へやってきて、全ての鍵を閉め、病院のスタッフを追い払って銃撃ポイントを作ったとしている。
マリウポリを含むウクライナの東部と南部はロシアだった地域で、ロシア語を話す住民が多い。必然的にロシアに親近感を抱いている。アゾフ大隊は住民にとって占領軍にほかならないが、勿論、西側の政府や有力メディアはそうしたことに触れない。
2010年の大統領選挙で勝利したビクトル・ヤヌコビッチをアメリカのバラク・オバマ政権は2014年2月、ネオ・ナチを使ったクーデターで排除した。このクーデターはウクライナからロシア色を一掃することが目的で、東部や南部に住むロシア語系住民の排除も狙っていた。かつてシオニストがパレスチナで行ったようなことだ。
キエフでネオ・ナチが行っている残虐行為を知ったクリミアの住民は3月16日の住民投票を経てロシアと統合する道を選ぶ。80%を超える住民が投票に参加して95%以上が加盟に賛成したのだ。
それに対し、4月12日にCIA長官だったジョン・ブレナンがキエフを極秘訪問、22日には副大統領のジョー・バイデンもキエフを訪問。そして5月2日、クーデター軍が制圧していたオデッサでは反クーデター派の住民が労働組合会館の中でネオ・ナチの右派セクターによって虐殺されたのだ。
5月9日にはクーデター軍がドネツクのマリウポリへ戦車部隊を突入させ、住民を殺している。デレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りした6月2日にキエフ政権はルガンスクの住宅街を空爆している。
クリミアより遅れたが、ドンバス(ドネツクやルガンスク)でも自治(ドネツク)や独立(ルガンスク)の是非を問う住民投票が5月11日に実施されている。クーデター政権がオデッサで住民を虐殺したり、マリウポリへ戦車部隊を突入させたのは住民の動きを潰すためだろう。
オバマ政権を後ろ盾とするクーデター政権の妨害にもかかわらずドンバスでは投票が実施され、ドンバスでは89%が賛成(投票率75%)、ルガンスクでは96%が賛成(投票率75%)している。
クーデター政権や西側は当然、無視するが、ロシア政府も住民の意思を尊重せず、救いの手を差し伸べなかった。そしてドンバスの住民とキエフのクーデター体制との間で戦争が始まった。ロシアが出てこなかったことからネオコンなどアメリカの好戦派は増長することになる。
オバマ政権はクーデター体制をテコ入れするためにCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込み、傭兵会社「アカデミー(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名をウクライナ東部の制圧作戦に参加させたと伝えられた。またCIAは2015年からウクライナの特殊部隊員をアメリカ南部で訓練しているという。
ル・フィガロ紙の特派員、ジョージ・マルブルノはウクライナでの取材を終えて帰国した後、アメリカ陸軍のデルタ・フォース(第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊)やイギリス陸軍のSAS(特殊空挺部隊)が戦闘に参加している事実を伝えている。
オデッサの虐殺で中心的な役割を果たした「右派セクター」は2013年11月まで「三叉戟」と呼ばれていた。その時の指導者はドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキー。ヤロシュは現在、ウクライナの軍事や治安に関する事実上のトップだ。
ヤロシュは1971年生まれで、89年にネオ・ナチと見られるグループで活動を開始、94年に「三叉戟」を創設、指導者になる。ウクライナの治安機関SBU(ウクライナ保安庁)の長官を2006年から10年までと14年から15年まで務めたバレンティン・ナリバイチェンコにも若い頃からつながっていた。ナリバイチェンコはクーデターの前からCIAに協力していた人物と言われている。
ヤロシュはドロボビチ教育大学の学生になるが、その時に学んだワシル・イワニシン教授はKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)の指導者グループに属していた。KUNはステパン・バンデラ派のOUN-B人脈によって組織された。
イワニシンが2007年に死亡するとヤロシュが後継者になる。このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われている。その年の5月にウクライナのテルノポリで開かれた欧州のネオ・ナチや中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議で議長を務めた。その当時アメリカのNATO大使を務めていた人物がクーデターを指揮することになるビクトリア・ヌランドだ。
クーデター後の2014年3月、ヤロシュは声明を発表、その中でチェチェンやシリアでロシアと戦ったサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)などイスラム系の武装集団への支援を表明している。
サラフィ主義者やムスリム同胞団はアメリカやイギリスが傭兵として使ってきた集団で、ネオ・ナチと立場は同じであり、今後、共同して破壊活動を続ける可能性がある。
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