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米大統領が口にした露政権転覆政策を米政権は否定するが、実際に行われてきた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203280000/
2022.03.28 櫻井ジャーナル
ジョー・バイデン米大統領は3月26日にワルシャワの王宮でウラジミル・プーチン露大統領は「権力の座に留まることはできない」と発言、ロシア政府の転覆を公言したと話題になっている。
この発言にはバイデン政権のメンバーも慌てたようで、アントニー・ブリンケン国務長官やジュリアン・スミスNATO大使は3月27日、ロシアの政権を転覆させる政策をアメリカは持っていないとそれぞれ主張している。
しかし、ロシアに限らず、アメリカを支配する私的権力が彼らにとって都合の悪い政権、体制を潰してきたことは広く知られている。日本でも行われてきたようだが、第2次世界大戦が終わってから最初に行われた選挙への介入は1948年4月に行われたイタリアの総選挙だと言われている。
イタリアはフランスと同じようにコミュニストの力が強く、国民から支持されていた。大戦中、ドイツ軍と戦ったのは事実上、コミュニストを主力とするレジスタンスだけだったことを人びとは知っていたからだ。何もしなければ、コミュニスト政権が誕生する可能性があった。
そこで、アメリカのジョージ・ケナンはコミュニストを非合法化するべきだと主張(Michael Holzman, “James Jesus Angleton,” University of Massachusetts Press, 2)、イタリアの選挙結果がアメリカ側の思惑どおりにいかなければフォッジア油田をアメリカ軍が直接占領するとも語っている。(クリストファー・シンプソン著、松尾弌之訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年)
この選挙工作を指揮していたのはアレン・ダレスの側近だったジェームズ・アングルトン。アメリカの労働組合幹部、つまりジェイ・ラブストーンとアービング・ブラウンが協力していた。この労働組合ルートからイタリアの社会党へ資金が流れ込み、コミュニスト排除の動きが始まる。(Michael Holzman, “James Jesus Angleton,” University of Massachusetts Press, 2008)
イタリアのアルチーデ・デ・ガスペリ首相は1947年1月にワシントン輸出入銀行から1億ドルの融資を受けるためにアメリカへ渡り、5月にはアメリカ大使がイタリアの首相に対し、もし政府からコミュニストを排除すればイタリアを支援すると伝えている。それを聞いたデ・ガスペリはすぐ辞職して内閣を解消、キリスト教民主党のみの政府を成立させ、そこからアメリカの支援が始まった。(前掲書)
イタリア総選挙への工作で使われた資金の大部分がナチ・ドイツから押収した資産、いわゆる「ナチ・ゴールド」の一部だった(クリストファー・シンプソン著、松尾弌之訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年)が、日本軍の略奪財宝も使われたという。(Sterling & Peggy Seagrave, "Gold Warriors", Verso, 2003)
1947年の終わり頃、CIAは無数の銀行口座を経由させて1000万ドルの工作資金を洗浄。ローマ教皇庁のフランシス・スペルマン枢機卿によると、アメリカ政府は密かに「イタリアにおける多額の『裏金』をカトリック教会に流していた」。(クリストファー・シンプソン著、松尾弌之訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年)
その後、1953年にはイランでムハマド・モサデク政権を倒すクーデターをイギリスと共同で実施、54年にはグアテマラでヤコボ・アルベンス・グスマン政権を、また73年にはチリでサルバドール・アジェンデ政権をそれぞれ軍事クーデターで倒している。
チリのクーデターでアメリカの手先として動いたのはオーグスト・ピノチェトだが、この人物はイタリアなどヨーロッパのファシスト人脈と結びついていた。その背景に存在していたのはCIAの秘密工作部門だ。CIAが操るファシスト人脈はNATOの秘密部隊で主力になる。イタリアの秘密部隊が「グラディオ」。そうした秘密部隊のネットワークがウクライナのネオ・ナチと結びついていることは本ブログでも何度か指摘している。
アメリカの私的権力はコミュニストを敵視しているが、特に反ロシア感情の強い一派も存在する。例えばポーランド生まれのズビグネフ・ブレジンスキーやチェコスロバキア生まれのマデリーン・オルブライトは典型例。レオ・ストラウスの思想から影響を受けているネオコンも反ロシア感情は強い。
現在、アメリカの支配層で反ロシア政策の中心的な存在はマイケル・マクフォールだと言われている。この人物はスタンフォード大学の学生だった1983年の夏にレニングラード大学でロシア語を学び、85年にはプーシキン記念ロシア語大学のセミナーに参加した。
1991年にはローズ奨学生としてオックスフォード大学へ留学、博士号を取得。この奨学制度は1903年にセシル・ローズの遺産を利用して創設されたという背景もあり、アメリカやイギリスの情報機関と関係が深いと噂されている。
マクフォールは現在、スタンフォード大学の教授だが、2009年にはバラク・オバマ政権に上級顧問として参加、「ロシアのリセット」を計画している。この当時、アメリカの私的権力はまだロシアを軽く見て、属国扱いしていた可能性が高い。
2010年8月にオバマ政権は中東から北アフリカにかけての地中海沿岸地域で政権転覆を計画した。その計画を実行するために「PSD-11」が出されたが、その際にマクフォールも会議に参加している。その計画を実行するための手先として使うことにしたのがムスリム同胞団。そして「アラブの春」が始まった。
その当時、リビアのムアンマル・アル・カダフィはアフリカを自立させるため、欧米の通貨支配から離脱しようとしている。アフリカ独自の通貨として「金貨ディナール」を導入しようとしていたのだが、こうした通貨が導入された場合、アメリカだけでなく「フラン」を一部の国に使わせていたフランスもダメージを受けてしまう。リビアの体制転覆工作でフランスが積極的だった理由のひとつはここにある。アフリカの資源で甘い汁を吸ってきたイギリスの支配者にとってもカダフィの動きは危険だった。「アラブの春」でアフリカに独自の通貨を導入するという計画は崩壊した。
2011年にオバマ大統領は外交官のキャリアがないマクフォールをロシア駐在大使に指名、ロシアの大統領選挙を2カ月後に控えた12年1月14日に就任。その3日後には反プーチン派のリーダーたちがアメリカ大使館を訪れている。
しかし、こうした親欧米の反プーチン派NGOをロシア国民の多くは相手にしていなかった。ボリス・エリツィン時代に欧米の「民主主義」が私的権力へ富を集中させ、国民の大半を貧困化させ、犯罪を社会に広めることを理解していたからだ。ロシアの庶民がアメリカの私的権力が願うように動かないのはロシアに情報が入らないからでなく、実体験として事実を知っているからだ。
アメリカはいつもの手口として、ロシアでも「反体制の象徴」を作り上げた。アレクセイ・ナワリヌイだ。この人物は奨学生としてエール大学で学んでいるが、その手配をしたのはマクフォール。マクフォールはウクライナで2014年2月にクーデターが成功した直後に大使を辞めている。
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