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日本がロシアと敵対関係に入った背景
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203090000/
2022.03.09 櫻井ジャーナル
日本政府は3月8日、ロシアやベラルーシに対して敵対的な「措置」を実施すると発表した。アメリカの属国である日本としては当然のこのなのだろうが、そうした事情はともかく、ロシアにとって日本は敵性国家のひとつになった。近日中に日本も「制裁」の対象になると見られている。
ロシア制圧はアメリカやイギリスの支配層にとって19世紀以来、世界制覇の中心だが、短期的に考えても現在の戦いは2014年2月に始まっている。ネオ・ナチを使ったクーデターでウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒し、ロシア語を話すウクライナ国民を殺害し、国外へ追い出してきた。それに対し、クリミアで市民がロシアへ保護を求め、ドンバス(ドネツクやルガンスク)の市民が戦ってきたのである。
2月19日に「大虐殺が準備されている」という緊急アピールを出したオレグ・ツァロフはクーデター当時、ヤヌコビッチ大統領派の議員だったが、2013年11月20日に議会でクーデター計画の存在を訴えていた。
実際、その直後からアメリカ政府の支援を受けた反ヤヌコビッチ派がユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で反政府集会を開き、年明け後にはネオ・ナチが前面に出てくる。そして暴力的なクーデターにつながるわけだ。
ツァロフによると、ボロディミル・ゼレンスキー大統領はドンバスで軍事作戦を開始、かつてクロアチアで行われたように、この地域を制圧してからキエフ体制に従わない住民を「浄化」する計画で、これと並行してSBU(ウクライナ保安庁)はネオ・ナチと共同で「親ロシア派」の粛清を実行することにもなっていたという。
先住民を殺し、追放し、自分たちにとって都合の良い人々を移住させるという手法をアングロ・サクソンの支配者は使ってきた。アメリカやイスラエルの「建国」はそのようにして達成されている。ズブグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンへサラフィー主義者(ワッハーブ主義者やタクフィール主義者と渾然一体)やムスリム同胞団を中心とする戦闘員を送り込んだ時も、戦闘員に対し、そうしたことを言っていた。
クーデター後、正規軍や治安部隊から兵士や隊員が反クーデター軍へ流れ、残された軍隊は弱体化する。そうしたこともあり、3月に「右派セクター」などネオ・ナチを中心とする親衛隊が編成された。5月になると右派セクターを中心に「アゾフ大隊」が正式に発足する。現在、親衛隊の中核はこのアゾフ大隊(またはアゾフ連隊)だ。
そうした中、4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問、22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問する。アレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が東部や南部の制圧作戦を承認するのはその間の14日だ。
こうした動きの前、3月16日にクリミアの市民はロシアとの一体化の是非を問う住民投票を実施している。ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部ではクーデターを受け入れない人が多かったが、クリミアもそのひとつだった。投票率は80%を超え、そのうち95%以上が加盟に賛成したと発表されている。
アメリカやその従属国では、アメリカの支配層にとって都合の悪い選挙結果は不正だとされる。クリミアでもそうした宣伝がなされたが、この住民投票では国外からの監視団が入り、日本やアメリカに比べれば遥かに公正なものだったと考えられている。
対応が遅れた地域では地獄が待っていた。例えば、5月2日にはオデッサで右派セクターが反クーデター派の住民を虐殺している。広場にいた市民に暴徒が襲いかかり、労働組合会館の中へ誘導され、そこで虐殺されたのだ。その際、建物は放火された。
50名弱が殺されたと伝えられているが、これは地上階で発見された死体の数で、地下ではさらに多くの人が殺されたと言われている。120名から130名とも言われているが、その大半は運び去られたという。
その1週間後、マリウポリ市に戦車などを入れて市内を破壊、非武装の住民を殺害している。5月9日はソ連がナチスに勝ったことを記念する戦勝記念日で、住民は外で祝っていた。そこへキエフのクーデター軍が突入したのだ。その様子を携帯電話で撮影した映像が世界に発信されたが、それを見ると、住民が丸腰で戦車に向かい、殺されていく様子が映されている。5月11日に予定されていた住民投票を止めさせることも目的だっただろうが、予定通りに投票は行われ、独立の意思が示されている。
この制圧作戦はロシア語を話すウクライナ国民を虐殺する民族浄化作戦でもあったが、これを作成したのはアメリカ国防総省系のシンクタンク、RANDコーポレーションだと推測されている。
ヤヌコビッチ支持者が多かったロシア語系の住民に対する弾圧が続く中、2014年6月にペトロ・ポロシェンコが大統領に就任した。ポロシェンコがアメリカ政府へ情報を提供していたことはウィキリークスの公表した2006年4月28日付けの公電で明らかになっている。
この新大統領は6月2日にウクライナ東部にあるルガンスクの住宅街を空爆、住民を殺している。当初、ポロシェンコ政権は航空機による爆撃を否定、住民側の自衛軍によると主張していたが、インターネット上にアップロードされた映像を見れば空爆が行われた可能性は高いと言わざるをえず、欧州安保協力機構(OSCE)も空爆があったとしている。この攻撃があった6月2日、アメリカのデレク・チョレット国防次官補がキエフ入りし、作戦の調整作業を行ったとも言われている。
その後、ウクライナではネオ・ナチが跋扈、政治経済は破綻した。そうした状況の中、2019年に実施された大統領選挙ではロシアとの関係修復を訴えていたボロディミル・ゼレンスキーがポロシェンコに勝つ。そこに国民の意思が現れているが、その意志をアメリカなど西側の支配層は許さない。
2020年のアメリカ大統領選挙で勝利したジョー・バイデンがロシアに対する挑発を繰り返し、軍事的な圧力を加えてきた。軍事作戦を実施する動きも見せていた。そこまで追い詰められていたとも言える。
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