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むやみに残酷描写でトラウマを植え付けるのは見るほうも嫌がる、と言うのか。朝ドラ等で日本軍がアジア各国と米国に侵略戦争を仕掛け、結果悲惨な敗戦体験を得たことを知る機会は減る一方だ。
けれど忘れた惨事を繰り返すのは人の常でもある。隣が「ミサイルと称される事実上のロケット」を打ち上げただけで「先制攻撃」が語られる国は、もはや敗戦体験を生かしていない。
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75年残る体験、伝わらない 沖縄戦の悲惨な光景話せず
岡田将平 2020年6月21日 8時00分
戦後75年の今年、朝日新聞は沖縄タイムスと共同で、太平洋戦争末期の地上戦で多くの民間人が犠牲となった沖縄戦の体験者を対象とするアンケートを実施した。戦争体験をある程度語ってきた人が多数を占めたが、体験が次世代に「あまり伝わっていない」「まったく伝わっていない」と答えた人が62・5%にのぼり、戦争体験者が抱く危機感が浮き彫りになった。
日本人は日本兵に殺された 地獄を体験、絞り出した言葉
23日は沖縄戦の戦没者を悼む「慰霊の日」。両社は計約680人を対象に、4〜6月に電話による聞き取り調査を行い、回答者は沖縄県在住の216人。平均年齢は84・8歳で、沖縄戦で亡くなった家族がいる人は71・8%の155人だった。
「誰にも話していないことがあるなど、まだ十分に伝えられていない沖縄戦の体験があるか」を聞くと、「ある」25・9%、「ない」67・1%だった。
「体験が次世代にどの程度伝わっているか」との問いには、53・2%が「あまり伝わっていない」、9・3%が「まったく伝わっていない」と回答した。戦争体験をある程度語ってきたかに関わらず、「伝わっていない」と考える傾向は同じだった。
豊見城(とみぐすく)市の男性(86)は地域の子どもたちに体験を伝える機会があったが「真剣に聞いてもらえず、依頼を断るようになった。孫に話そうとしてもうんざりされる」と語った。小中学校で時々体験を語ってきた北谷(ちゃたん)町の男性(84)は20年前には200人ほどいた地域の慰霊祭に、最近は戦後世代が来ても100人程度しか集まらず「風化している。次世代には全く伝わっていない」と回答した。
沖縄戦当時5歳だった糸満市の男性(80)は、沖縄本島南部を逃れるさなか、岩陰に川の字で寝ていた母、弟、妹が米軍の攻撃で即死。「悲惨な体験を積極的に話す気にはならない」と、家族の死や戦場で見た光景はほとんど話してこなかったと答えた。
一方、沖縄が再び戦場になる可能性を聞くと「ある程度ある」が30・6%、「大いにある」が28・2%。「沖縄戦のときも兵器がある場所が狙われた」(那覇市、80歳男性)などと、沖縄の米軍基地の存在を危ぶむ意見が目立った。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設に対しては、69・4%が「反対」だった。
今なお、7割超の人が戦争体験による「心の傷」を抱えている可能性もうかがえた。日常生活の中で沖縄戦の体験を突然、思い出すことがあるかを尋ねると、「よくある」が42・1%、「時々ある」が34・7%だった。
問われているのは戦後世代の姿勢
沖縄戦体験者216人の声を聞けたが、5年前に取材に答えてくれた人のうち、少なくとも20人が亡くなっていた。当事者がいなくなる日は近いと実感させられると同時に、6割が次世代に伝わっていないと感じているという重い事実が突きつけられた。
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問われているのは、記者(39)のような戦後世代の聞く姿勢にあると思う。例えば、生存者の話が聞ける意味をどこまで考えてきたか。
今回、81歳の女性が電話取材に応じてくれたのは、入院先だった。「いつどうなるかわからん命」と、長い間、公にしてこなかった日本兵が住民を殺したという6歳の記憶を語った。記者は、母の着物の裾を握りしめていたという女性の震える肉声に触れることで、事実の重みと向き合えていると改めて気づかされた。
沖縄では、戦後世代の試行錯誤も続く。
ひめゆり平和祈念資料館は、戦前の女学生たちの日常を丁寧に紹介しようと展示リニューアルを予定。「白梅学徒隊」の体験継承に取り組む戦後世代は、戦前の学園生活の思い出を聞き取り始めた。
恋の話や勉強の悩み、家族との食卓といった現代と変わらない、いとしい日々があったことをまずは知り、それが奪われる痛みや悲しみへの共感につなげようという狙いだ。日常が奪われたコロナ禍のいま、それは一層意味を持つことになるのかもしれない。
「先の大戦を知る自分たちが侍の話を聞くような感じでは」と話す87歳男性もいたが、これからの世代にとって「鉄の暴風」といわれた砲弾も、青い海に浮かぶ無数の遺体も、ますますリアリティーを失っていくだろう。生存者とともに迎えた戦後75年。残された時間を大切にしたい。(岡田将平)
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〈沖縄戦〉 米軍は、太平洋戦争末期の1945年3月26日に慶良間(けらま)諸島に、4月1日に沖縄本島に上陸。一般住民を巻き込んだ地上戦が続き、6月下旬の日本軍司令官の自決で組織的戦闘が終結したとされ、23日が「慰霊の日」となった。死者は県民の4人に1人、日米軍人もあわせると20万人以上と推計されている。
◇
調査は、朝日新聞と沖縄タイムスで今年4〜6月に実施。朝日新聞の2015年アンケートで回答した人や沖縄タイムスの取材に近年応じた人ら計約680人に対し、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、原則電話で調査した。回答者は計216人、平均年齢84・8歳。
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・関連:
■沖縄戦:日本軍の住民虐殺 自己規制で教科書から削除(毎日新聞)
http://www.asyura2.com/0403/senkyo3/msg/934.html
投稿者 らくだ 日時 2004 年 6 月 14 日 06:11:35:bZcL6nRNDZWPQ
■沖縄戦における日本軍の横暴とその原因 (ある学生レポート)
http://www.asyura2.com/0411/war61/msg/765.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 10 月 20 日 08:46:06:0iYhrg5rK5QpI
■沖縄戦の賠償を認めなかった那覇地裁判決について考えるー(天木直人氏)
http://www.asyura2.com/16/senkyo202/msg/891.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 3 月 17 日 14:50:50: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
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