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アングロ・サクソンの長期戦略に従ってNATOが太平洋へ展開する動き
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201912180000/
2019.12.19 櫻井ジャーナル
NATO(北大西洋条約機構)を世界展開させる動きがあるようだ。この軍事機構をアメリカ支配層は支配の道具として使ってきたが、それを知り、危険だと考えたシャルル・ド・ゴールは大統領として1966年にフランス軍をNATOの軍事機構から離脱させ、その翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出している。
1949年4月に創設された当時、NATOの目的はソ連軍の攻撃に備えることにあるとされていたが、その内部に存在する秘密部隊は参加国内でアメリカの支配システムにとって好ましくない人物や組織を潰してきた。
1991年12月にソ連が消滅すると、活動範囲は広がる。手始めにユーゴスラビアへ軍事侵攻して99年5月には中国大使館を爆撃。この大使館爆撃は「誤爆」とされたが、情況から考えて、計画的な攻撃だった可能性が高い。
さらにアフガニスタンでの戦争に参加、アメリカ主導軍が先制攻撃したイラクでは軍事訓練、2011年春にリビアで戦争が始まるとアル・カイダ系武装勢力と手を組んで軍事的にムアンマル・アル・カダフィ体制を破壊、カダフィ自身を惨殺した。このリビアは現在、暴力が支配する破綻国家だ。
中東から北アフリカへ活動範囲は拡大したわけだが、さらに太平洋へ出てオーストラリア、インド、日本と結びつこうとしていると言われている。日米安保やANZUSとの合体だ。
この太平洋に存在するふたつの軍事同盟は1951年9月にサンフランシスコのプレシディオ(第6兵団が基地として使っていた)で結ばれた条約によって誕生している。ANZUSに参加しているのはオーストラリア(A)、ニュージーランド(NZ)、アメリカ(US)のアングロ・サクソン系の国々。日米安保は言うまでもなく日本とアメリカの同盟だ。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、イギリスやアメリカにはユーラシア大陸の内側を沿岸部を支配することで締め上げるという長期戦略がある。
地政学の父と言われている地理学者のハルフォード・マッキンダーが1904年に公表した彼の戦略によると、西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ内部三日月帯、そしてアメリカやオーストラリアを含む外部三日月地帯を想定している。朝鮮半島の外側にある日本も外部三日月地帯の一部とされている。
その日本では徳川体制が薩摩と長州を中心とする勢力に倒され、明治体制が始まった。1872年に琉球を併合、74年に台湾へ派兵するが、この派兵を進めたひとりが厦門のアメリカ領事だったチャールズ・リ・ジェンダー。この人物は1875年まで日本の外務省で顧問を務めた。日本を離れたのは1890年。その年から1899年まで李氏朝鮮の王、高宗の顧問を務めたという。当時、朝鮮では興宣大院君(高宗の父)と閔妃が対立していた。
明治政府は1875年に朝鮮半島で軍事的な挑発に出る。李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦を派遣したのだ。結局、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させ、無関税特権を認めさせたうえで釜山、仁川、元山を開港させることに成功した。
1894年に朝鮮半島で甲午農民戦争が起こり、閔氏の体制が揺らぐ。それを見た日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。
この戦争に勝利した日本は1895年4月、「下関条約」に調印して大陸侵略の第一歩を記すことになる。この年に三浦梧楼公使を含む日本の官憲と「大陸浪人」が閔妃を含む女性3名を惨殺している。日本の裁判で三浦公使たちは「証拠不十分」で無罪になり、三浦は枢密院顧問や宮中顧問官という要職につく。
その一方、中国では義和団を中心とする反帝国主義運動が広がり、これを口実にして帝政ロシアは1900年に中国東北部へ派兵、対抗するためにイギリスは1902年に日本と同盟協約を締結した。その日本は1904年2月に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃して宣戦布告、日露戦争が始まるわけだ。
この戦争で日本に戦費を用立てたのはクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフ。その融資に絡んでシッフは日銀副総裁だった高橋是清と親しくなる。クーン・ローブはアブラハム・クーンとソロモン・ローブがニューヨークで設立、経営を任されたのがロスチャイルド家と近いジェイコブ・シッフだった。
明治政府が始めた日本のアジア侵略はイギリスの世界戦略と密接に結びついていると考えるべきだろう。関東大震災後、日本の復興資金調達で重要や役割を果たしたJPモルガンはイギリスのロスチャイルドがアメリカでのビジネスのために設立された銀行。1933年から34年にかけてフランクリン・ルーズベルト政権を倒してファシズム体制を樹立するためにウォール街の住人はクーデターを計画したが、その中心はJPモルガンだった。
ジョージ・ケナンやズビグネフ・ブレジンスキーの戦略も基本的にマッキンダーのそれと同じだ。
NATOをこの戦略を実行するための主力にしようと目論んでいる人たちがいる。アメリカの世界支配システムが揺らいでいる現在、そのシステムを支える柱としてNATOを考えているのかもしれない。
明治維新の前、イギリスは中国(清)に対して侵略戦争を仕掛けている。1840年から42年にかけてのアヘン戦争や56年から60年にかけての第2次アヘン戦争だ。イギリスは中国全土の制圧と略奪をこの時から目論んでいるが、戦力が足りない。そのイギリスの支援を受けた日本がアジア侵略を始めたわけだ。イギリスの戦略はアメリカに引き継がれた。NATOの動きはそうした歴史と重なる。
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