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朝日新聞デジタル 2019年9月29日08時00分
(小手川太朗、編集委員・佐々木英輔、編集委員・大月規義、川田俊男、千種辰弥、阿部峻介)
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水素爆発を起こした東京電力福島第一原子力発電所の4号機の原子炉建屋。壊れた壁から、事故前に定期検査ではずされていた原子炉格納容器の黄色いフタや、薄緑色の燃料交換装置が見えた=2011年11月12日、福島県大熊町、相場郁朗撮影
原発事故で多くの人の日常が奪われても、司法は東京電力の旧経営陣3人を全員無罪とした。その責任は問えないのか。
「納得いかない。別に牢屋に入ってほしいわけじゃないけど、あれだけの事故の責任を誰も取らないというのはおかしい」
東京電力福島第一原発事故をめぐる強制起訴裁判。原発から10キロ圏の富岡町から大阪市平野区に移った望月秀香さん(48)は、旧経営陣の被告3人をいずれも無罪とした判決にやりきれない思いを抱える。
事故後の1カ月、避難所や親類宅を転々とし、大阪市の市営住宅に入居した。5年前、賠償金で一戸建て住宅を買い、夫(48)と高校1年の娘(16)と暮らす。中学校の給食室でパートとして働き、夫は震災前と同じ長距離トラックの運転手。富岡町の自宅は3年前に解体し、一家の人生は一変した。住民票も大阪に移そうかと考えるが、「娘から富岡の記憶がなくなってしまうのが心配で、まだ決心がつかない」と話す。
東電は事故前、原発の安全性を強調し続けてきた。判決は「事故の結果は重大で取り返しのつかないもの」としながらも、10メートルの敷地を超える大津波は予見できなかったと判断した。さらに、「極めて高度な安全対策」までは求められていなかったとも指摘し、刑事責任を問わなかった。
裁判で争点の一つになったのは、東電が2008年に子会社に計算させた15・7メートルの津波予測。だが、この予測は事故後も公表されず、5カ月後の11年8月の報道で明るみに出た。東電はあくまで仮定に基づく「試算」と釈明。政府の事故調査・検証委員会もこの表現を使った。
「15・7メートルは根拠のあるものでしょうか。試算値でしょ」。昨年10月の被告人質問で、勝俣恒久・元会長(79)は声を荒らげた。
しかし公判では、津波想定の担当部署が対策に向け動いていたことが明らかになった。当時は国が原発の地震対策の見直しを求めていた。計算のもとになった国の地震予測「長期評価」を覆すのは難しく、取り入れが避けられないことは担当者の共通認識だった。
「取り入れないと、後で不作為であったと批判される」「津波がNGとなると、プラントを停止させないロジックが必要」。当時のメールや議事録には、原発への影響を気にする記述が残る。数値を大幅に下げるのは困難で、未対策のままでは運転停止を迫られかねないと考えていた。
原子力部門ナンバー2だった武藤栄・元副社長(69)が出席した08年7月の会議。担当者らは資料を整え、対策に進む判断をしてもらおうと臨んだ。防潮堤の許認可や工程表、概算費用の説明を一通り聞いた武藤氏が発した言葉は、意外なものだった。
「研究しよう。頼むとすればどこか」。対策を保留にし、土木学会に想定法の検討を委ねることが決まった。年単位の時間がかかることは明らかだった。
「予想していなかった結論で力が抜けた」と担当者は証言した。だが誰も異論は唱えなかった。「経営判断。従うべきだと思った」と別の担当者は語った。
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福島第一原発を襲った大津波。高さ10メートル超を見越した対策は取られないままだった=2011年3月11日、東京電力提供
予測のあいまいさを理由に、組織の動きは鈍った。担当者らは対策不可避と考え続けていたものの、事故への切迫感はなかった。むしろ国や地元の反応を気にし、根回しに走った。他社に同調を求め、国の審査に携わる専門家に方針を説明。15・7メートルの数値を伏せ続け、国に伝えたのは大震災の4日前だった。
判決は、こうした動きを「外部の意見を収集し、方針を決めていた」と肯定的に評価。専門家も国も運転停止を求めなかったとし、旧経営陣が検討状況を積極的に把握しなかったことも不問に付した。
被害者代理人の海渡雄一弁護士は判決後の会見で「重要な計算結果を隠していた事実がこの判決からはごそっと抜けている」と批判した。「(裁判は)重大証拠をこれだけ社会に明らかにした。判決文が信頼されるのか、証拠に基づいて皆さん自身の評価、判断を示してほしい」
■■変わらぬ東電の「聖域」■■
東京・六本木にある原子力規制委員会。昨年12月、東京電力で原発を担う「原子力・立地本部」の増井秀企・副本部長に対し、山形浩史・緊急事態対策監はこう詰問した。
「社長は刑事でも民事でも、責任をとらないということですか」
東電は原発事業について、社長が持つ予算や体制づくりの権限を原発事業トップに渡す「社内カンパニー制」を適用したいと同11月に規制委に申請していた。「意思決定を速くする」のを理由にした。
かつて、東電の原発事業は原子力・立地本部の本部長がトップを担ってきた。それが2011年の福島第一原発の事故後、責任の所在のあいまいさをうんでいたと問題視され、社長直属に変わった経緯がある。
事故前に戻るような東電の動きに、規制委側は再び責任の所在がぼやけると懸念を強めた。その2カ月前、強制起訴公判の被告人質問で、旧経営陣が「責任逃れ」を繰り返していたことが背景にあった。
東電は新制度での責任の取り方を「ケース・バイ・ケース」とあいまいな回答を続けた。結局、受け入れられず申請を取り下げた。
原子力・立地本部の本部長は、19日に東京地裁で無罪が言い渡された武黒一郎氏(73)、武藤栄氏(69)も務めた役職だ。事故前から、技術系の副社長級が兼務するポストだった。
同本部の社員は全社の1割ほどだが、社内の「聖域」となっていた。火力や水力、送電事業にかかわる一般的な土木や建設、設備などの部門とは別に、「原子力土木」や「原子力設備」といった自前の部門を有した。ここだけで事業計画から用地取得、発注、建設まで完結した。
東電関係者は「放射能を扱い、高度な地元対策も必要だったので厚遇されたが、他部門から口出しされない閉鎖性も生まれた」と説明する。
経団連会長も務めた平岩外四氏が社長(76〜84年)のころから、「社内の幹部で原子力本部長だけが、社長とサシ(一対一)で会える特権が与えられるようになった」(元東電幹部)。
02年夏、原発のトラブル隠し問題が発覚すると、南直哉社長や、相談役だった平岩氏らが一斉に退陣し、勝俣恒久氏(79)が社長に就いた。勝俣氏は「(不正を)しない風土」や「言い出す仕組み」を掲げ、主に原子力本部の閉鎖性の解消を試みた。
だが、改革は進まず、07年に原発の新たなデータ改ざんが発覚した。頭の回転や判断力の速さから「カミソリ経営者」と言われた勝俣氏も、原子力本部に神経を使うようになった。
「またかあー」。担当役員から不祥事の報告を受けた勝俣氏は、甲高い声であえて明るく振る舞ったという。元側近は「不祥事のたびに厳しく当たっていると、余計に情報が上がらなくなると気にしていた」と証言する。
09年2月に「14メートルの津波が来る可能性」を示したリスク情報を知っても、「必要なら本部からいずれ検討結果がくる」と待ちの姿勢を貫いた。だが、その前に事故は起きた。
組織としての責任はなかったのか。判決は一切触れず、逆に「安全確保に必要な対応を進めていた」と持ち上げた。事故後も問題が相次ぐ東電に、何の教訓も与えなかった。
■■模索続く、安全確保への道■■
「原発事故の被害者は誰ひとり、この判決に納得していない」。東京電力福島第一原発事故を巡る強制起訴の原動力となった「告訴団」の武藤類子団長は19日の無罪判決後、記者会見で失望をあらわにした。
「あれだけたくさんの証言や証拠があっても罪に問えないのか」
裁判では、東電の内部資料やメールの内容が読み上げられ、武藤栄・元副社長(69)ら3人が部下の報告を受けながら、対策をとらなかった状況の一端が明らかになった。「不起訴のまま終わっていたら、証拠は闇に葬られていた」(被害者代理人)と強制起訴の意義を評価する声はある。
ただ、技術が複雑・高度化するなか、企業が起こした事故で幹部にまで刑事上の過失責任を問うのは難しいとされる。今回も検察や裁判所内では「有罪は困難」との見方が多かった。
ある検察幹部は「人を刑務所に入れる以上、単なる危機感や不安感では足りない。リスクが具体的に予測できたのに無視したとまで言えるのか。過失のとらえ方が違う」と話す。
法律家のそんな「常識」に風穴を開けたのが、2009年に導入された強制起訴制度だった。市民で構成する検察審査会が2度「起訴すべきだ」と判断すれば、検察の不起訴判断を覆せるようになった。
だが、強制起訴されたJR宝塚線脱線事故や明石歩道橋事故の裁判では、無罪や裁判を打ち切る免訴が確定。今回の一審でも高いハードルは越えられなかった。検察内からは「感情論では有罪にできない。裁判で事実を明らかにすべき、という姿勢でいいのか」との声も聞こえる。
現行法に限界を感じ、新たな道を模索する動きも出始めている。
19日、東京地裁の前には、宝塚線事故で一人娘を失った藤崎光子さん(79)がいた。同じように組織の安全管理が問題になった裁判の結果を見届けたいと駆けつけたが、「不当判決」と書かれた紙を目にして、立ちすくんだ。「私たちの時と同じだ」
強制起訴されたJR西日本の歴代3社長の裁判を最高裁まで見続けた。多くの部署に責任が分散する大企業の幹部の刑事責任を問う難しさを痛感。勉強会を重ね、業務上過失事件で、法人に高額の罰金を科す「組織罰」の創設を目指すようになった。
16年、藤崎さんら遺族は「組織罰を実現する会」を立ち上げた。12年に起きた中央道笹子トンネル事故の遺族らも加わり、昨年10月、法相に1万人以上の署名を添えて請願書を提出した。代表の大森重美さん(71)は「事故を起こしたら罰されるというプレッシャーを幹部に与えないと組織は変わらない」と言う。
被害が大きな事故では、刑事責任の追及よりも真相解明を優先させ、再発防止を目指す立場もある。米国では航空機や鉄道の事故が起きた際、当事者が真相を語るよう、刑事責任を免除する仕組みがある。
日本では昨年、他人の犯罪を明かせば刑罰が減免される司法取引が導入されたが、業務上過失事件は含まれない。「責任の所在をはっきりさせ、罰するべきだ」という被害者感情の強さが背景にある。
東電旧経営陣3人の裁判は検察官役の指定弁護士が控訴すれば、引き続き高裁で争われる。現行法の下で責任を追及していくのか、別の道を探るべきなのか。武藤団長はこう投げかけて会見を結んだ。
「私たちの犠牲から教訓を得てほしい。心からそう思っています」
原発事故が起きた福島県の避難者は今なお、4万人を超える。
https://digital.asahi.com/articles/ASM9N63YPM9NUTIL03S.html?rm=538
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