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明治の成功に倣い、アメリカの覇権を助けー手先or手下ーになることで、対米、更には対世界への地位向上ーその先に、名実共に、対等な盟友として迎えられ、長州主導の明治の選択が正しかったことを、今度こそ、内外に認めさせる。
此れまでの一連の投稿にも記したが、アベの思い描く「日本を取り戻す」アウトラインは斯くの如きものだろう。
タイミング良く(?)祖父岸信介の首相在任時の外交文書が開示され、アベの言動が岸の「遺業」に在ることを示している。
だが、我々としては、この「遺業」にこそ近代日本の宿痾が凝縮して顕れ出ていると見るべきであり、アベを全面否定する根拠も、まさにそこに、この点にこそ在るのだ。
岸の「遺業」の、少なくともその中心に在るのは―対等な日米関係になる為の軍事貢献―その為の「憲法改正」を―というものだろう。
ー即ち「軍事貢献」をやればー積み重ねればー日米は対等な関係に成って行く(!)という思い込み、というより妄想。
何故、妄想なのか?
内閣の一員として、自らもその当事者であった大東亜戦争の意味―特にアメリカから観たイワユル「太平洋戦争」の意味―が全然理解出来ていない―当然の如く、自ら被告席に立たせられた「東京裁判」の国際政治的な意味も理解のソト。
岸自身の当時の言動から覗われるのは「負ければ賊軍」、即ち明治維新―戊辰戦争の敗者の立場になったという、まさに井の中の蛙―国内の論理の外延でしかない。
それは”栄光の明治”の立役者の一人である小村寿太郎の認識にも遠く及ばない―もしも、イロコワ族に擬えて、日本の立ち位置の危うさを指摘した小村の認識があれば、アメリカにとっての対日戦争とは「対インディアン戦争」に他ならず、従ってその勝利、翻ってその敗北は、日本は、アメリカインディアンの如く、居留地に封じ込められ、家畜よろしく、柵の中で無力化されること―占領体制の独立後バージョンである安保体制こそがその柵であることが分かろうというもの。
言うまでもなく、柵に入れられたまま対等な関係を求めるのは背理というものであり、従って「対等な関係」が謳い文句の「安保改定」はインチキ・マヤカシの最たるもの―その本質は「安保」の合理化、従って占領体制の合理化である。 また、だからこそ岸は「憲法改正して軍事貢献すれば」と、それをスリ替えたのだろうが、依然として、それがインチキ・マヤカシであることは変わらない―それは単なる願望、希望的観測に過ぎないからだ。 何よりも、その実例がお隣韓国である。
岸がもしも「憲法改正」に成功していたら、最初に「軍事貢献」したのは1964年に始まるベトナム戦争になったのは間違いないところだろうが、そのベトナムに、10年に亘って、米国以外では最多の、延べ32万に上る軍隊を派遣し、その意味では最大の「軍事貢献」をした韓国が、少しでも、対等な関係に近付いたかどうかを考えてみるがよい。 十指の指すところ、十目の視るところ、否!であろう。
それどころか、「最大の軍事貢献」したが故にベトナム敗戦後の米国における戦犯追及(ロッキード事件等)の煽りを受け(コリアゲート事件)、排除された韓国大統領朴正煕と同じ様な運命を辿った可能性は極めて高いのである。 その事は、ロッキード事件及びグラマン事件で、日本における本来の(真の)ターゲットは岸であった事でも明らかだろう。 朴と同じ運命を辿らなかったのは、逆に、「軍事貢献」しなかった故に罪一等を減じられた、ということであろう。
まさしく「狡兎死して走狗烹らる」の図そのもの―その意味で、同じくCIAの子飼いで、米国に散々利用された挙句、捨てられたフセインやビン.ラディンと同類なのだ。
しかし、それよりも何よりも、致命的なのは岸の国際政治(状況)への無知である。
米軍や右派はその気であっても、米国自体は日本の「軍事貢献」に否定的であったというが、当たり前だろう。
そもそも、アメリカの東南アジアを含むアジア諸国に対するリーダーシップの源泉は、その「自由」や「民主主義」等の理念と共に、”平和の破壊者”として、「日本軍国主義を打倒した」というところに在る。
しかも、大戦後20年、内外共に、戦争の記憶や傷跡未だ生々しく冷めやらぬ時である。
そんな中に、ベトナムを始め東南アジア諸国に、「元凶」とされた日本の軍隊が出て行くとなるとどういう否定的な政治的効果を生じさせるのか、火を見るよりも明らかというものだろう。
東南アジアの政治や経済を牛耳る華人勢を中心に、「日本軍」への恐怖と憎悪が甦り、その眼差しは、やがて、アメリカにも向けられることになるのである。 それから遥かに時を隔てた90年代に至ってさえ、「湾岸戦争」後の「自衛艦派遣」を巡って議論が起きた時、東南アジアのご意見番役、リー・クアンユーシンガポール首相が「アルコール中毒患者にウイスキー入りのチョコレートをあたえるようなもの」と酷評して、同地域に残る「日本軍」への根強い警戒感を代弁してみせたが、現在においてもなお、基本的な構図は変わっていないのである。 その事を改めて示したのが、南シナ海での”中国包囲網”を目指したアベの目論見が、東南アジア諸国の沈黙の拒絶に出会って、敢え無く座礁したことだろう。 中国は嫌だが、それ以上に日本も御免蒙る、という訳だ。
アジア諸国に遍在する、斯かる日本への潜在的な脅威感に向けられたものが「在日米軍=瓶の蓋」であることは論を俟ないが、それは又日米安保体制(占領体制)の裏側の真実でもあるのだ。
そうして真の問題は、斯かる周辺諸国の疑念が付き纏う限り、否、もっと、恐らくは国連の「敵国条項」に刻印されてる限り、「保護観察付き」の処分は解かれぬのである。 言うまでもなく、「保護観察」するお役目はアメリカ―それを「日米安保体制」と言ってるのだ。
そしてこの視点から見ると、「日米安保体制」は、「日本を守るため」などでは全然なく、ヤルタ体制=連合国体制の一環としての、戦後アジアの支配体制(=ポツダム体制―中国をジュニア・パートナーとし、共通の利害(日本封じ込め)を通して、アジアを管理する)の柱であるという冷酷な真実が見えて来るだろう。
また、当然のことながら、それは、そもそもが「アメリカの為のもの」である、ということも。 そうしてそれは、例え戦後の激変(中国共産党政権登場、朝鮮戦争等)が無かったとしても為された、ということも。
以上の様に見てくると、岸からアベに引き継がれたものが錯誤の上に在り、そしてその錯誤の根幹が先の戦争である、ということが解るだろう。
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