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2019年09月01日
日曜日記65
被災地に旭日旗・沖縄でも「天皇作品」規制・「不登校」は幸せ
☆大雨被災地に旭日旗
大雨で佐賀県に大きな被害が出た8月29日、NHKが映し出した被災地・大町町の映像に唖然とした。自衛隊の救命ボートになんと旭日旗が翻っているではないか(写真)。
災害救助の専門組織をあえてつくらないまま災害のたびに自衛隊を出動させるのは、自衛隊(軍隊)への拒否感情を払しょくする狙いだが、旭日旗は度を越している。
旭日旗は文字通り、帝国日本(天皇制国家)の侵略戦争・植民地支配の旗印だ。それを海上自衛隊が今も正式な隊旗としていること自体、憲法に反している。最近も自衛隊の韓国観艦式への参加(2018年)や東京パラリンピックのメダルデザインをめぐって韓国から旭日旗に対する抗議があったばかりだ。
その旭日旗を「災害支援」で掲げるとは…。自衛隊の「災害出動」の本質を見た気がする。
☆沖縄でも「天皇作品」を自己規制
8月29日付の沖縄タイムスに「あいちトリエンナーレ」の芸術監督・津田大介氏のインタビューが掲載された。その中で津田氏が、中止にした「表現の不自由展・その後」にあった天皇裕仁をモチーフにした大浦信行氏の作品に関して、こう話している。「大浦さんの昭和天皇を扱った作品は沖縄(の県立博物館・美術館)でも展示するはずだったが、結局できなかった」
聞き捨てならない話だ。沖縄でも「天皇作品」が展示できなかった。調べてみると、それは2009年(仲井真弘多県政)のことらしい。大浦氏の「遠近を抱えて」という作品に裕仁の写真が含まれていて、はじめに富山で展示が妨害され(1986年)、それが沖縄にも飛び火した。作品は決して裕仁や天皇制を批判したものではない。にもかかわらず沖縄県(美術・博物館)が自己規制した。
沖縄戦で市民を犠牲にした張本人である天皇裕仁に対する県民の批判・嫌悪は強いものがある。半面、天皇制に対する複雑な感情・思想も沖縄にはある。沖縄戦の研究・伝承に天皇制批判が結びついていない(弱い)とも感じる。沖縄と天皇(制)。もっともっと追究しなければならないテーマだ。
☆「不登校」は幸せだ
夏休みが終わると生徒・児童の「不登校」がクローズアップされる。27日朝のNHK(視点・論点)で、小幡和輝氏(作家・起業家)が、自らの体験から「不登校は不幸じゃない」「子どもを苦しめているのは周りからの圧力だ」と強調していた。まったくその通りだ。
もう一歩すすめて、「不登校は幸せだ」と言いたい。なぜなら、不登校者は「学校」という制度から逃れられているからだ。制度としての「学校」は、国家が「国民」を支配するための「教育」の場だ。戦後は「民主教育」というが、引き続き国家(文科省)の支配下にあり、国定教科書を使い、日々文科省の指導・管理下に置かれている点で、戦前と本質的に変わっていない。
この「学校」にどっぷりつかり、「試験」でいい成績を取ることが評価されることは、子どもの人間的発達にとってたいへん不幸なことだ。したがってその「学校」につかっていない不登校者は幸福だ。
いわゆる「不登校問題」で重要なのは、学校へ行かせることではもちろんなく、不登校の子を慰め励ますことでもなく、大人(親・祖父母・市民)が「学校観」を転換することだ。学校制度を根本的に変革するか、「学校」以外の学び・成長の場をつくる(権利として保障する)こと。「不登校」で問われているのは、大人・「国民」の方だ。親としての体験からそう断言できる。
https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara
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