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松尾貴史のちょっと違和感:政治を持ち込むな、ですか? 衝動こそが芸術の命かと - 毎日新聞 https://t.co/4S935ZoGOV
— 毎日新聞 (@mainichi) 2019年8月31日
松尾貴史のちょっと違和感 政治を持ち込むな、ですか? 衝動こそが芸術の命かと
https://mainichi.jp/articles/20190901/ddv/010/070/017000c
2019年9月1日 04時02分(最終更新 9月1日 04時18分) 毎日新聞
=松尾貴史さん作
名古屋の、とあるバーに初めて入った。イタリアオペラが流れていて、テレビモニターには映画「ブレードランナー」が流れている。棚にはたくさんの小ぶりなウイスキーのたるが並んでいて、瓶からそこへ移し替えたウイスキーを、独自に数カ月「熟成」させ、ボルドーワイン用のグラスで出しているという。そして、一滴一滴加水しながら、味と香りの変化を楽しんでほしいのだという。
おそらくは、目利きであり物見高いということがご自慢の店主のようだ。芸術についても一家言持っている様子で、「アニメとかマンガは芸術ではない」というご高説が始まった。ああいう物は、芸術とは一線を画した状態であってほしいという。
私は、アニメーションやマンガは純然たる芸術であると思っているし、国際的にも認められていると思っているのだが、彼は自身が「本物志向」であることを信じたいようで、そのための状況として、マンガやアニメを芸術と認めるわけにはいかないのかもしれない。
「鳥獣戯画や浮世絵はどうですか」と問うと、「それはまた別で」という。世界最古のマンガとも言われている戯(ざ)れ絵や、至って通俗的でキッチュな楽しみ方をされていた浮世絵が、陶器の緩衝材として海外に流出し、価値の逆輸入で認められるようになってステータスが確立されたといってもいい版画群は、どの時点から芸術になったのだろう。
そんな話をしていると、ご当地だから頻繁に話題に上っているであろう、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」についても自説が展開された。「芸術に政治を持ち込むな」という。
あらゆるジャンルで、芸術には政治や思想が反映されているし、そのこと自体が制作や創作の動機になっているのは当然のことだと思うのだが、なぜか彼は芸術と政治は無関係でいてほしいらしい。最近、有名ミュージシャンが現政権に批判的なことを発信すると、「音楽に政治を持ち込むな」と一見正論のような難癖をつける人がいるが、それは「レストランに空腹を持ち込むな」という注文と同じくらいナンセンスなことだ。
彼らは、芸術というものを当たり障りのない、快適で均整の取れた表現の集合体であってほしいと願っているのかもしれない。もちろん、そういう表現や手法は芸術において重要な要素ではあるけれど、それは美しいものを表現したいというほんの一要素に過ぎない。芸術の本質は、もっと人間の内部や底辺から湧き上がる情念や欲求のたまものであり、衝動こそが命なのだと思う。
見る人をすがすがしくさせたい、笑わせたい、劣情をかき立てたい、自己顕示欲を充足させたい、ざわざわさせたい、癒やしたい、問題提起をしたいなど、あらゆることが芸術の動機であるべきだと思う。しかしながら、「キレイね」「ステキね」「売れるね」とばかり言ってもらえるものでなければ芸術でないと思っている人が、世の中にあふれているのは嘆かわしい限りだ。
くだんの店主は、論理が行き詰まってきたのか、突然こんなことを言い出した。「皆にわかってほしいからといって激しい表現をするのは、テロリストと同じですよ」と。
芸術は、平和のために作家が内在するエネルギーで作品を作り出して、共通言語を持たないもの同士であっても互いを尊重し合うイマジネーションを発揮させてくれるものだが、この人物は暴力で人の命を奪うことと芸術表現を同列視している。
私には、ここまで偏ってしまった人を説得する余剰エネルギーも時間も残されていないので、即座に会計を済ませて退店、道端で大いに深呼吸をしたのだった。(放送タレント、イラストも)
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