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2019年 8月 24日
<小島四郎:ちきゅう座会員>
■野党共闘 一人選挙区の闘いが掘り起こしたもの
私はここでの勝利が、今回の選挙の最大のポイント=肝だと思っている。
一人区の勝敗は共闘の初動の立ち遅れもあって、当初予想では32選挙区中、良くて5つぐらい勝てるかなと予想されていた。蓋を開けてみれば10勝22敗という予想以上の大健闘であった。
沖縄は安倍・菅の現地入りを許さなかった。完全に自民の応援を封じ込め、圧勝した。秋田・岩手・山形・宮城の東北四県と新潟には、終盤に入り安倍と菅が二回ずつ自民の候補者の応援に入った。特に新潟・塚田には自民党人寄せパンダ小泉も入る総力戦であった。滋賀も嘉田潰しが激しく「官邸が引っ越してきた」と評された。所が安倍は最重点区と定めた選挙区で敗れた。自民党は敗れた。応援に入れない屈辱、最後のテコ入れ選挙区での敗戦。安倍は神通力の衰えをヒシと実感したのに違いない。
秋田と新潟が選挙の全国的焦点になったのは、安倍政権の命運を左右しかねない重要課題の行方が関わっていたからだ。結果次第では、イージス・アショアの秋田での受け入れの延期もしくは拒否が事実上決まる。また新潟では、出馬した「忖度」政治家塚田を閣僚に登用し重用し応援した安倍独裁政治の道義的倫理的責任が問われた。
日本中の人びとの眼が、この二つの選挙区へ注がれていた。しかも、自民党現職二名が落選した選挙結果は衝撃的であった。東北及び新潟、滋賀、沖縄の人々がどんな思いをこめて投票したのかを、改めて全国の人びとへ伝える事になった。
イージス・アショアの配備が焦点化したのは何故か。このアショアはイージス艦装備の迎撃ミサイルの地上型と言われる。18年6月に安倍の指示により防衛省が秋田と山口にこれの設置を決めた。価格は二基で2350億円、これに発射装置や施設設備や敷地整備などの必要経費を加えれば8000億円近くになる。更に維持管理費や人件費を加算すると一体いくらになるか分らないという、とんだ金食い虫なのだ。
何故、こんな兵器が必要なのか。配備に決定に際し防衛省は「北朝鮮からの弾道ミサイルから国民の命を24時間、365日守り抜くためだ」と偉そうに説明していた。当時は米朝第一回会談前後で朝鮮半島情勢の行方がどうなるのかよく分からなかった。今では北朝鮮からのミサイル危機が遠くなったと、多くの人々は思っている。
選挙直後の7月25日から北朝鮮(DPRK)は連続的に誘導ミサイルの発射実験を行っている。その性能は米軍が世界最高性能の迎撃システムと誇るTHAADの網をくぐり抜ける迎撃回避能力を持つと言う。仮にアショア配備が強行され完成したとしても、その時点では既に時代遅れのオンボロ兵器になっているかもしれない。8000億円の金は無駄となる。
トランプは、北朝鮮(DPRK)の実験に対して脅威ではないと、無視を決め込んでいる。また安倍も翌日の28日にはゴルフに出かけている。人々の命を「北朝鮮からの弾道ミサイルから国民の命を24時間365日」守ると言ったのは、設置のための口実だったのか。
ここで時間を選挙前の6月8日に戻したい。この日の秋田現地での住民説明会で、防衛省はあってはならない致命的なミスを犯した。一つは調査データの誤りであり、二つには防衛省側の一人が会議中居眠りをしていたのだ。住民側が怒って当たり前だ。会議が流会になったのも当然だ。佐竹県知事は「話はふりだしに戻った」と言わざるを得なかった。にもかかわらず、防衛大臣岩屋は「配備計画に変わりがない」と、人々の心を逆なでした。普通の政治感覚を持つ党派ならこの時点で立候補予定者を取り下げる。だが6年以上の超長期政権の安倍自民党は中泉を臆面もなく立て再選を目指したのである。
人々の怒りが爆発した。寺田が当選し、現職の中泉は落選した。当たり前だ。しかしこの当たり前の事が起こらない、のが安倍不敗伝説だとして伝わってきた自民党には激震であった。カウンターパンチであった。
そして、中泉落選に続く塚田の落選だ。安倍は持病の胃痛がうずきだした。「忖度」政治家の塚田はニガ水をすする事になった。関門海峡を結ぶ道路事業を巡り「忖度」があったのではないかとメディアが騒いでいる真只中で、わざわざ「私が『忖度』した」と告白した痴れ者、奢れる馬鹿者が塚田であった。この塚田を官邸が全面的に支え、パンダ小泉は「挽回のチャンスを与えて欲しい」と情に訴えていた。
人々は呆れていた。そして見抜いていた。「忖度」が安倍政権の特質だと。「忖度」政治が議院内閣制と議会制民主主義を根元からどれほど腐らせたか分かっていた。
モリカケ問題で見せた政権の醜態は、国会の中では数の力で逃げ切れても、人々の思いはこんな事が許されないという怒りのマグマとなって蓄積させて来た。
「忖度」政治が暴かれた端緒は、木村真・豊中市議から近畿財務局の森友学園への土地用売却に不正があったのではという情報公開請求が行われ時にさかのぼる。木村市議の動きをHNKの相沢冬樹が紹介し全国化すると小学校建設に首相夫人が関与していたのではないかとの疑念が噴出した。これに対して、安倍は国会で、私や私の妻が関わった事実があれば「ただちに辞任します」と、強く疑いを否定した。この首相発言に合わせて財務省は公文書を改竄したり隠したり、理財局長が虚偽答弁を重ねた。挙句に近畿財務局員が一人自殺へと追い詰められた。
加計問題も同様であるが本来ならば国政調査権(憲法六二条)を発動すべき事案であるのに、自民党は数の力を盾にして拒んだ。結局、議院の自浄能力は消滅した。
こうなると「政治家の良心と責任感」は失せ、権力に媚び踊る「忖度」者が跳梁跋扈する出番になる。8月9日に大阪地検特捜部が佐川ら財務省関係者10人を再び不起訴にしたのも、かかる中では、予想されたことであった。自衛隊日報隠蔽問題や前川元文部事務次官への人身攻撃は、「忖度」政治の極み、憲法の枠を超えた独裁政治である。
塚田を落とし寺田静を当選させたのは、安倍政権の下で根腐され状態にある議院内閣制と議会制民主主義を建て直して欲しいという人々の思いの積み重ねであった。
滋賀選挙区での嘉田由美子の勝利についてもふれたい。一度野党共闘で敗北した経験のある嘉田は、共闘の約束を守ることに心を砕いた。初日、嘉田は自身の政治への思いや経験をあえて内に秘めて、「消費税増税NO! 家計の懐を温める」と訴えた。宮城の石垣のり子と第一声と同じである。所が、嘉田は選挙戦の最中にモンペ姿のポスターに変えた。同時にプロモーション・ビデオも、早朝の琵琶湖の岸辺でモンペ姿の彼女が顔を洗うシーンに変へた。これには、彼女がこの選挙を人生の最後だと位置付け、自分らしさを存分に表現しようと言う決意が込められていた。
嘉田と言えば滋賀県知事二期務めたことが知られている。琵琶湖を汚染から守るために水質の維持と向上を求めた水資源・環境学者でもある。その嘉田が11年の3・11以来何度も福島に足を運んでいることは意外に知られていない。一回目は、爆発から一か月後に福島県庁を訪ねている。幾度も足を運んだのは、派遣職員や被災者の慰労と激励がある。何よりも関電の大飯原発3・4号機が事故を起こした時、滋賀県側にある半径30キロ以内の自治体への対応についてどうすべきなのか学ぶためであった。この体験が卒原発としてまとめられ、後に小沢や阿部と一緒に「日本未来の党」結成へと向かう。この党は総選挙で惨敗し、阿部が一人党として維持していたが民進党入党と共に解散したが、彼女の思いが詰まった政党であった。
彼女は原発の恐ろしさダメさを良く知っている。にもかかわらず、安倍政権は関電・大飯3号機と高浜3・4号機、九電の玄海4号機と川内2号機、四国電力の伊方3号機の計6機の再稼働を強行した。福島では8年たってようやくデブリを2021年から取り出すという窓がついた段階でしかないのに、何故か再稼働を急いでいる。
人々は、琵琶湖に佇むモンペ姿の嘉田と「人のためのコンクリート」を訴え嘉田県政を批判する二之湯をついつい比べ、経済成長や原発より人や自然や大地を大切にし、命を育むことの尊さを思い返した。それは二之湯が掲げる「令和の滋賀」への厳しい回答であった。
嘉田の当選は、原発NO!と自然環境の保護の勝利であった。同時に、野党共闘のあり方への一つの問いかけでもあった。
共闘である以上、候補者が党派間で確認した政策を尊重するのは当然である。しかし候補者の政治経験や知識まで統制して良いのだろうか。経験を生かしてこそ1+1ではない+αの選挙になるという教訓がここにある。
(本来なら沖縄選挙区についても述べるべきだが、既にいろいろ総括が出ているので省略する。)
■10勝の本当の価値
秋田・山形・宮城・岩手・新潟での勝利は、これ以外の問題を提起している。
それは人口流出問題であり、この事の根底にある第一次産業の衰退である。2015年の国勢調査は、東北地方の人口を898万2080人と計算した。前回時より35万3556人(−3,8%)の減少である。遂に、1950年以来65年間維持してきた900万人の大台を割り込んだ。勿論、全体の傾向とは別に各市町村ㇾベルでの人口流出入は一様ではなく、仙台やいわき市や相馬市のように原発関連の従事者が移住したことで人口が増えているケースもある。
人口流出対策として安倍政権が打ち出したのが「地方創生」である。しかしこれは大規模経営を育んでも地元の集落経営や個別経営を豊かにしないし棄農・流民化の流れを止められなかった。また安倍の肝いりで始まった農林水産物の輸出計画は、本年度(19年)1兆円という目標なのに8月に入って黄色信号が出ている。今後、世界経済が米中通商戦争の激化が予想される中で、一層減速していく。生産者から手詰まり感も出ており、政府の方針転換が検討されるべき時に来ている。
加えて、昨年来のTPP11やEPAの影響が早くも畜産物に出ている。「牛肉は5.3%増、豚肉は2.7%増、チーズは4.9%増」(朝日新聞8月10日)という数字が明かになった。問題はこうした諸協定の下で、小麦の自給率が2010年の14%から、また大豆の自給率も2016年の7%から下降していることである。肉に関しても、牛肉は2017年で国内37.5%・輸入62.5%に、豚肉が国内48.8%・輸入51.2%という数字である。鶏肉だけが例外的に輸入27%と少ない。(肉を買うなら安くて安心な鶏肉か。)
つまり東北や北陸にかけて人口流出とパラレルに第一次産業の衰退が起きており、それがこの国の食の安定供給と安全を脅かしている。
かつて民主党政権の時代に戸別所得保障制度を実施したが、自民党からバラマキと批判された事があった。保障拒否申告を自主的に行うのは、なかなか難しいということを示した。
■野党共闘に課題を突き付けた10勝
この10勝は大きい。一つは、イージス・アショアみたいな金食い虫は要らない。二つに、「忖度」政治は一掃されるべし。国会を憲法及び国会法に従って正常化せよ。三つに、原発はいらない。環境破壊から自然と人を守れ。四つに、食の安定・安全供給の実現。五つに、野党共闘は、政策と個性だ。こうした五つの課題と解決を野党共闘に突きつけたのである。枝野は「しっかりまとまって闘うことが出来た」、志位も「大きな成果」と語るだけで中味の分析をおろそかにしている。メディアも勝敗にしか関心がない。だから10勝がどれほど豊かな政治性を持っているかに気付いていない。
■選挙後の動き 「(改憲)議論をおこなうべき」にすり寄る国民と立憲の一部
安倍は敗戦の事実を受け入れない。官邸記者会見でとんでもないことを言い放った。「国民から力強い信任をいただいた」と。びっくり仰天だ。「少なくとも、(改憲の)論議をおこなうべきだ。それが国民の審判だ。この民意を正面から受け止めて欲しい」。選挙中には改憲の話を避けていた人が、選挙が終われば、この変わり様だ。安倍には民意という言葉が似合わない。ただ改憲したい想いだけしかない。わがままで意固地な子供の振る舞いだ。さすがに公明の山口も「憲法改正を論議すべきだと受け取るのは少し強引だ」と批判した。
でも国民党の玉木は一夜にして「生まれ変わった」と、他人には理解できない事を述べて、改憲論議に前向きな発言をした。後に自己批判をしたらしいが、改憲論議をしたがる議員は立憲の山尾しおり以下少なからずいるのも事実だ。それが善意から出発しても、国会の力関係から判断すれば、自民党の思うつぼ、安倍の思うつぼにはまるだけだ。
今は、安倍が壊憲した事項を調べ上げ、憲法の原則を回復させていくこと。即位の礼を政教分離の立場から厳しくチェックしていくこと。明仁の壊憲行為を徳仁に継承させない事に集中すべきである。これらは野党議員だからこそ出来ることだ。
■立憲と国民党の「統一会派」形成について
野党共闘の発展を数合わせと考える人には喜ばしい話である。メディアは「脱・孤立 立民提案の統一会派 国民・社保 結成前向き 政策巡り波乱含み」と報じている。この統一の動きの黒幕は「連合」である。
選挙直後、「連合」会長の神津は泣きを入れていた。「自治労など官公労系が立憲、電力総連など民間労組系が国民に分かれ、参院比例区で5人ずつ10人の組織内候補者を立てた」、結果は立憲5人全員当選、国民2人が落選した。「(民進)が二つに割れたひずみは比例に端的に表れた。二度とこういう選挙はやりたくない」と。
神津の思いは「連合」の意志である。両党の最大支持母体の要求を拒否できない。だがこれは野党共闘ではなく野合共闘への後退であり、せっかく10勝が示してくれた政治進路、舵取りの方向を無碍にするだけだ。
電力総連は組合ではなく原発企業連と同じだ。この組合の顔を伺っていては、卒原発も原発NO!も出来ない。いつまでも原発問題に引きずられる。自然エネルギーへの転換は遅れるばかりだ。捨てていけば良いのだ。だが「連合」に首根っこを押さえられていては難しい。枝野よ、今こそ「草の根民主主義」を提起した時の熱情を再度奮い立たせるべきではないか。さもないと人々から見捨てられる、と忠告しておきたい。
■選挙戦の後ではなく最中の話 「令和デモクラシー」について
立憲が選挙中にまいた政策ビラのタイトルが「令和デモクラシー」であった。私はなるほどと納得した。これでは明仁の巧妙な、安倍と世間の関係を意識した護憲風の改憲攻撃を見抜けないのも当然である。
政策チラシにわざわざ「令和デモクラシー」と命名する必要が何処にあったのかと問いたい。明らかに、安倍政権とメディア合作の令和フィバーに乗ろうとする大衆迎合のポピュリズムである。ポピュリズムは山本太郎の専売ではない。立憲も似たようなものである。
恐らく「令和デモクラシー」は「大正デモクラシー」からヒントを得た。明治憲法下の時代と新憲法・主権在民の<現在>を同じように扱うべきではない。
立憲は「大正デモクラシー」に政治ロマンを感じているのか。一般に1905年頃から1931年の満州事件前後までのほぼ四分の一世紀を「大正デモクラシー」と呼ぶ。成田龍一は「政党政治が実現し、社会運動が展開した時期」と概括している。この印象は明るい。労働組合も多数組織され労働者の社会進出は目覚ましかった。1922年には日本共産党も結成され、普通選挙法も成立した。そして28年2月には初の普通選挙も実施された。しかし普選法成立は治安維持法がセットになっており、第一回普選直後に悪名高い3・15弾圧、4・16弾圧があり共産党は地下へと追われ、加えて大衆に愛されていた社会活動家・山本宣治が暗殺され、社会運動は冬の時代へと向う。
つまり「大正デモクラシー」の時代とは、人々の社会進出と帝国の侵略戦争への地ならしが並行していた時代だった。思想・信条・表現の自由は結局狭められ、軍国主義が台頭していった。見かけの華やかさと公安警察の跳梁・白色テロが吹き荒れ、勇壮な軍歌が街を制圧していく時代だったとも言える。
立憲は「大正デモクラシー」の何を学びどう活かそうと考えているのか。いずれにせよ、新天皇の即位にすがるようなことは立憲主義に反することだ。
■左翼ポピュリズム 否、日本型ポピュリズム
欧米で左翼ポピュリズムが話題になったのは比較的新しい。右翼ポピュリズムは1990年代から東欧諸国を中心に台頭した。この右翼ポピュリズムとは異なる政治潮流が、08年のリーマンショック以降に欧州や米国に登場した。欧州ならフランス大統領選でのメランショであり、ギリシャの急進左翼連合(シリザ)やスペインのポデモスである。米国ではサンダースがそうである。石田徹は、こうした政治の流れをさして左翼ポピュリズムと呼んでいる。こうした政治の日本版として、メディアはしばしば「れいわ」を左翼ポピュリズムと呼んでいる。ようやく「日本でも欧米並みのポピュリズム」が現れたと歓迎する向きもある。
左翼ポピュリズムの特色は、貧困層や非抑圧層の利害を代表し社会の格差是正に重心を置き、経済の平等を目指す所にある。これに習えば「れいわ」も貧困層のために「消費税の廃止」を掲げており、充分に左翼ポピュリズムの要件を満たしている、との声も上る。経済に関しては、その通りだとも言える。
では尋ねるが、団体名に支配階級側の名前を付けた左翼ポピュリズムはあるのかと。左翼と右翼の分水嶺は、支配階級を容認するのか否かによる。例え貧困層の経済格差を無くそうとしても、「れいわ」は天皇制という支配階級の要諦の一つを乗り越えることが出来ない、その前で立ち止まり屈服し貧困を作り出す社会システムを打ち壊せない。ポピュリズムであるとしても左翼の名が泣くではないか。左翼ポピュリズムではなく天皇制ポピュリズムと呼ぶべきだ。これにN国党の右翼ポピュリズムを加えて日本型ポピュリズムの登場ということだ。天皇制ポピュリズムとの呼び方に反対する人がいるだろう。あくまで「れいわ」はただの名称、仮衣装、変更可能だと言って庇う人もいるだろう。
かつて、丸山眞男は「我々の思惟は歴史を担っていること、次にイデオロギーを持っている」と語った。要は、人々の関心を得るためであろうと、命名した内容には歴史性とイデオロギー性が刻印されている。命名したのは党首の山本だろうか。或いはブレーンとの討議で決まったのかもしれない。誰が決めたではなくて、名称には特定のイデオロギーがあること、これを曖昧には出来ない。
ただ大切なことは、「れいわ」という団体名と支持者の考えが一致していると即断してはならないことだ。むしろ支持者が山本を突き上げて名称変更を促すべきである。外野席からの話ではあるが貧困党で良いと思うのだが。
所で、メディアは新生事物を熱心に追いかけるが、「れいわ」の政策をきちんと分析し評価した上での追いかけなのだろうか。少し疑問がある。どのメディアも「れいわ」の政策と正面から向かい合った記事(論文)を掲載していない。そこで記事が出るまでの一時しのぎに、選挙チラシを頼りに批判する冒険を敢えて行いたい。山本パフォーマーのアジに圧倒され政策はどうでもよいという人のためだ。
「れいわ」は農政分野で、@全戸所得補償制度を導入する、A食料自給率100%に上げる、B種子法を復活させるなどを提案している。この分野の知恵袋は山田元農水大臣だろう。Bは全面的に賛成であるし、戸別所得補償の必要も認める、自給率も選択的に100%近くまで高める必要があると思う。問題は、@をそのまま実践すれば、かつて民主党時代に行った戸別保障制度以上のバラマキ農政になるのは必定だし、Aは主要食糧の自給率をフランス並みに高めながら、農業国との通商交渉を進めるべきである。そうでなければ自由貿易から逸脱し、自国第一主義に陥る。いたずらに100%自給率を振り回すことは、農業国との軋轢を煽ることになる。
@の全戸所得補償制度に対し、財政赤字が1100兆円を超え厳しい財政事情なのに財源はどうするのかと、必ず聞かれる筈だ。また経済分野の消費税撤廃も同じように財源をどうするのかと尋ねられるだろう。
これに対して、「れいわ」はMMTで対応するという。MMTとは、日本語に訳すと「現代貨幣理論」だ。考え方は、自国通貨を持つ限り借金がどれほど増えても返済に必要な分だけ新に通貨を発行すれば国家破産しないというのである。つまり、財源が不足したら輪転機で貨幣を増刷りして補填していくという事だ。魔法の杖の輪転機という訳だ。だがこの理論を実行に移した国はない。予想されるハイパーインフレーションを解決する理論的対策も無いというとてもリスクが高い考え方だ。リーマンショックを生んだのはNY・ウオール街発の金融工学だった。次の金融恐慌を生むのも同じNY、ただしNY大学発のMMTかもしれない。29年の世界恐慌を克服したのは、結局の所、ケインズ政策ではなく、戦争であったことを忘れてはならない。仮にMMTがハイパーインフレーションを招き解決できなかった場合に残された選択は、戦争しかなかったという事態は絶対に避けねばならない。
注意すべきは、MMTは新手の経済理論と言われメディアがもてはやしているが、実は米国がEU中央銀行の解体—即ちEUの解体を狙った政治理論という性格が極めて強いのである。こんな理論ともいえない考えに依拠して経済運営しハイパーインフレーションを起こせば、一番に困るのは貧困層であり年金層である。山本よ、もう少しよく考えろ、次の一歩はそれからでも遅くない。
選挙が終わってから一か月経過した。何かかが大きく変わりそうだ。総選挙を睨んでいろいろ蠢いている。社会の激動をしっかり掴んで人々の隊列を整えて進んで行こう。
190816 小島四郎
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8937:190824〕
http://chikyuza.net/archives/96435
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