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文芸誌の「すばる」と「文学界」が、立て続けに国語教育の特集をしている。高校の国語でこれから、文学が選択科目になるためだ。若い人が文学に触れる機会が失われていくのでは、との懸念が伝わってくる。
現代国語といえば小説や詩歌、評論だと思っていたが大きな変化が起きるかもしれない。新指導要領に沿った試験問題例には、実用文として行政のガイドラインや駐車場の契約書が出てくる。素人目にも「これが国語か」と思える内容だ。
「実用的な文章が読める力は必要だろうけど、そんなものを国語の教材としてえんえんと教えるとは」。文学界9月号に歌人で元国語教師の俵万智さんが書いている。「言葉や表現の豊かさにあえて触れさせない意地悪を、なぜするのだろうか」。
俵さんによれば、短歌は31字だが百字分でも千字分でも伝えられる。一方で百字で百字分を伝えるのが契約書。それを国語で教えるのは「言葉を、現実を留めるピンとしてしか見ていない」。
新学期になり、手にしたばかりの国語の教科書をわくわくして読み進める。そんな経験をお持ちの方もおられるか。ガイドラインや契約書ではそうはいかない。俵さんらの懸念が的中しないでほしいと、大昔の高校生も思う。
教科書で出会わなかったら一生出会えない。そんな文学があると、すばる7月号で作家の小川洋子さんが語っていた。そして文学は「広い世界へ行くためのドア」になるのだと。自分の狭い世界、狭い価値観から解放されて。
朝日新聞天声人語 2019年8月17日
https://www.asahi.com/articles/DA3S14142249.html?iref=tenseijingo_backnumber
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