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第491回:「存在するだけ」で国会を、この国を変えていく れいわ新選組の新人議員。の巻(雨宮処凛)
https://maga9.jp/190731/
2019年7月31日 雨宮処凛がゆく! 雨宮処凛 マガジン9
この短歌は、参院選で当選したれいわ新選組・舩後靖彦さんが選挙のあとに書いたものだ。 7月24日、舩後さんの自宅に行った際、見せてもらった。当選から3日後のこの日に舩後さん宅を訪れたのは、参議院の職員たちが聞き取りに訪れることになっていたから。そこに私も同席したのだ。いわば「国会バリアフリー」が大きな一歩を踏み出す歴史的瞬間に立ち会ったというわけである。 ALSで全身麻痺、人工呼吸器をつけた人が国会議員になるなど世界初、そして人類初のことである。意思表示は? 移動は? 介助人は? 緊急事態の場合の対応は? などなど、考えるべきこと、確認しておかなければならないことは無数にある。そしてそのすべてが、国権の最高機関・国会のバリアフリー化につながっていく。 ということでこの日、松戸の舩後さんのマンションには5人の参議院の職員が訪れた。男性4人、女性1人。同席するのは舩後さんが副社長をつとめる株式会社アースの社長・佐塚みさ子さん(いつも舩後さんの介助者として映っている人)、そして「れいわ新選組」代表・山本太郎氏だ。 参議院の職員は、確認事項がずらーっと並んだ資料や本会議場の図面を手に舩後さんのベッドの周りに座り、一つひとつを示しながら話した。 舩後さん宅にて 車椅子の大きさ、重さについて。寸法。車輪の位置。バッテリー。ひとつのバッテリーが持つ時間はどれくらいか。本会議の議席周辺に電源が必要かどうか。その数は。周辺環境、温度、湿度などに関して。議場内へ持ち込まれるもの。介助者が代理して投票することは可能かどうか。移動や食事はどうするか。 まず問題となったのは「議場への入場は5分間で行われるが、可能かどうか」という部分。 国会の本会議場、歩ける人だったら5分で自分の席に着くのはたやすいだろう。しかし、車椅子の舩後さんにとっては簡単なことではない。細い通路を通り、議席に着くまでだって時間がかかる。そこから歯で噛むセンサーで操作するパソコンのセッティング。さらに呼吸器の電源と吸入器の電源を車椅子に搭載したバッテリーから議場の電源につけ替える。その間、痰の吸引などがあればさらに時間がかかる。ということで、「最低でも30分はかかる」ということを確認。 次に問題となったのは、「議場内では上着着用、男子はクールビズ期間をのぞきネクタイ着用」というルール。が、呼吸器をつけている舩後さんはネクタイなど締められない。場合によっては上着着用が難しいこともあるだろう。また、重度障害を持つ人にとって命取りとなりかねないと気づいたのは、議場では携帯電話を使ってはいけないというルールがあること。しかし、急な体調の変化や呼吸器にトラブルがあった場合、即座に対応することが求められる。特に呼吸器のトラブルは即、命に関わる。緊急で他の介助者を呼び出さなければならない場合もある。携帯が無理ならトランシーバーでもなんでもいいから、とにかく「すぐに誰かを呼べる」通信機器が必要だということも確認された。 他にも本当に様々なことが話し合われた。恥ずかしながら知らないことばかりで、その場にいるだけでものすごく勉強になった。例えば、議場の温度などについて。筋肉がなくなるALSになると、とても寒がりになるのだという。よって膝掛けなどが必要になること。逆に暑さには強いということも初めて知った。また、国会内には障害者用のトイレがあるものの、今の障害者用のトイレの多くは使いづらいということも初めて知った。特に舩後さんサイズの車椅子を入れてしまうとぎゅうぎゅうで、介助者が身動きできないようなところが多いという。障害者用のトイレがある=バリアフリーOKというわけではないということは、当事者から聞かなければ一生気づかなかっただろう。 そうしてこの日、もっとも唸ったのは「投票」の方法について。 例えば国会が始まると、まず議長選挙が行われる。この時、議長となってほしい人の名前を書かなければならない。また、特別委員会の設置などについても話し合われるのだが、その採決の方法は起立採決となっている。それだけではない。本会議場で投票する際には階段(山本太郎氏が牛歩したあの階段)を登って投票しなければならないし、採決には「押しボタン」を押すという方法もある。 このすべてが、舩後さんにはできないのだ。そして、木村英子さんにも。 この事実だけをもってしても、「それができない人」の存在が想定されていないという事実に気づかされる。 この日の聞き取りは2時間ほどで終わり、翌日には各メディアで「参院 介助者の代理投票求める」などと大きく報じられた。また、大型車椅子が入れるよう、本会議場の改修工事が行われることも報じられ、「国会バリアフリー、いよいよ始まった!」「当選しただけで国会を変えた二人の当事者!」という喜びの声が私のところにも多く届いた。しかし、ハード面のバリアフリー化がいくら進んでも、重度障害者は「制度の壁」に阻まれているということを改めて突きつけられたのは、26日のことだった。 議員会館にて議員バッヂを受け取る舩後さん、木村さん この日は舩後さん、木村英子さんが当選証書を受け取る日。その後、参議院、厚労省との交渉が開催され、私も同席したのだが、そこで「そもそも二人はせっかく当選したのに、このままでは初登院の日、登院できないかもしれない」事態になっていることが明かされたのである。 それは「重度訪問介護」というサービスを巡ってのこと。 舩後さん、木村さんともども、重い障害がある人の生活をサポートする「重度訪問介護」サービスを利用している。しかし、このサービス、働き始めると、「通勤」や「仕事中」の時間帯、サービスを受けられなくなってしまうのだ。舩後さん、木村さんどちらも一人で通勤することが不可能な状態である。それなのに、議員活動をするため一歩家の外に出た瞬間から、ヘルパーの同行が認められなくなってしまう。なんという、本末転倒な規則。このことについては、選挙中の演説で舩後さんも繰り返し触れていた。以下、選挙中のスピーチの一部である。 「もし、僕が当選したら、今利用している障害福祉サービスは受けられなくなってしまいます。なぜなら、自立支援と言いながら、職場にヘルパーがついていくことは禁じられているからです。『障害者は働くな』ということでしょうか? この部分は、絶対に変えなくてはなりません。障害者が仕事を持つことこそ、自立支援だと思います。それなのに、歩けない人のお手伝いがなぜ法律で禁じられているのか。全身麻痺でも働ける障害者はいます。能力があっても、国の法律で制限されてよいのでしょうか? 小手先だけの制度を見直したいです」 この規則は、障害者が働くことの壁となり続けてきた。そして学ぶことの壁にも。通勤、仕事中だけでなく、通学、学業中のヘルパー同行も禁じられているからだ。障害者は働くな、学ぶななんて、来年パラリンピックを迎えるホスト国としてあまりにもお粗末ではないだろうか。 ちなみにこのヘルパー代について、「歳費で払え」「文書通信費があるだろ」「自腹で出せばいい」という声もある。 しかし、なぜ、障害者の議員だけが、本来政治活動に使われるべきお金をヘルパー代として使わなければならないのか。障害者差別解消法が施行されている現在、そもそもこんなことがあってはいけないのだ。 また、この二人が自腹でヘルパー代を払ってしまうと、働きたいすべての障害者にとって、「悪しき前例」となってしまうことは明白だ。 「働くなら自腹でヘルパー代負担してください。前例として舩後議員、木村議員のケースがあります」ということになれば、超富裕層の障害者しか働けないだろう。なぜなら、働いた額を上回る分のヘルパー代を負担しなければならないからだ。もし、二人がヘルパー代を自腹で出すなんてことになったら、世界中から「遅れた国」「国会議員でも障害者が差別される国」として嘲笑されるだろう。 それにしても、と思う。そこに存在するだけで、議員になっただけで、舩後さん、木村さんはこれほどに「制度の矛盾」をあぶり出しているのだ。議員になった、その事実だけで国会の改修が始まり、制度の運用についての大激論が始まり、その制度の穴について多くの人が知ることになる。私のもとにも少なくない国会議員から「このような解決方法はどうか」などの連絡がひっきりなしに来ている状態だ。まだ臨時国会も始まっていないというのに、舩後議員、木村議員、相当の働きぶりではないだろうか。当事者が当選するって、こういうことなのだ。障害者が議員になるって、こんなにも周りを変えていくことなのだ。 この件については今まさに議論を見守っているところだが、舩後さんが議員として活躍するにあたっては、テクノロジーも大きな助けになる。参議院の聞き取りの際、舩後さんは、分身ロボット「OriHime」を導入していきたいという希望を伝えた。 「OriHime」とは、小さなロボットにカメラ、マイク、スピーカーが搭載されていて、インターネットで操作ができる分身ロボット。ALSで全身麻痺の人が自宅にいながらにして「OriHime」で友人の結婚式に出席したり、会議に参加したりできる。本人には会場にいる分身ロボットの目線からの映像が届けられ、その場にいる感覚を味わえる。当然、そこにいる人たちと会話もできる。舩後さんのように話すことができなくても、パソコンで文字を打ち込めば、ロボットが話してくれる。挙手をはじめ、いろんな動作ができる。 この「OriHime」の導入が認められれば、将来的には舩後さんは自宅にいながら分身ロボットで代表質問、なんてこともあるかもしれない。実際、ALSの人の中には「OriHime」を出社させ、働き、給料を得ている人もいる。ALSだけでなく、育児や介護、病気などの理由で「OriHime」を使い、テレワークで出勤している人もいる。 「そんなこと、全然知らなかった」という人も多いだろう。私も数年前までまったく知らなかった。だけど6年ほど前、ALSという奇妙な病気の存在を知り、知れば知るほど関心は高まっていった。全身麻痺になりながらも、試行錯誤し、テクノロジーをフル活用し、社会参加している当事者の姿に雷に打たれるような衝撃を受けた。そうして、思った。この人たち、人間の限界に挑戦してる!! 人類初のとんでもない挑戦を命がけでしている!! 残念ながら、私の近しい人の中にも舩後さんに「意思がない」「意思疎通ができない」と思い込んでいる人もいる。そんな人に、選挙前からしゅっちょうメールのやり取りをしていると言うと本当に驚かれる。スピーチ原稿を添削したり、それに舩後さんが手を入れたりという共同作業をしてきたのだ。あまりにもやり取りがスムーズで、舩後さんのメールはいつも気遣いに満ちていて、だからいつも、私は舩後さんが全身麻痺だということをすっかり忘れている。 最初の頃は、会うたびに「あ、この人動かなかったんだ」と改めて気づいているようなありさまだった。そんな舩後さんに出会って、私は老いや病気があまり怖くなくなった。全身麻痺で寝たきりでも、こんなに活躍している人がいるのだ。環境さえ整えば、人間の可能性に限界なんてない。実際、舩後さんのギタリストとしてのスローガンは、「肉体の動きは止まった! しかし、人間の可能性はNo Limit(限界はない!) やれることはある」だ。 このように、当事者である舩後さん、そして木村さんから学ぶことはあまりにも多い。そんな二人の姿に、今、世界中の人が勇気づけられている。 さて、8月1日の初登院の日、二人は果たして登院できるのだろうか。「重度訪問介護」サービスの壁を突破できるのだろうか。 障害者のみならず、日本中、世界中の人々が、固唾を飲んで見守っている。 参議院議員になった舩後靖彦さん、木村英子さんと 雨宮処凛 http://ameblo.jp/amamiyakarin/ あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。
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